【完結】汚れた雨

かの

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07 再会・由之と貴久

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——どうしてこんな事になったんだろうか?

 由之は朝になっても深い眠りから覚めない貴久の髪を撫でていた。まだ酒が残っているのだろうか。時々ぴくりと顔を動かしはするが、貴久の目はまだ開かない。遮光カーテンが時間を忘れさせてくれるが、今テレビを点ければ、どの局も朝の情報番組を流している事は知っている。

「えっ、まさかこんな偶然あるんだ」

 嬉しそうに驚きを表現したのは貴久と武田の二人だった。カウンターを挟んでの客との会話に、自分の話をする事はよくある事。本名は高原由之。歳は三十四。今は新宿に住んでいるが、阿佐ヶ谷の出身である。そんな話をしたところ、同級生であると言う事が判明した。

「夏休みに入ったんで、俺らもそこそこ休み多いんですよ」

「明日も休みなら沢山飲んでいってね」

 平日の夜、周年パーティーの賑わいが、嘘のような静かな店内で貴久と武田の相手をする。客足はいつもと変わらず、十時を回っていたが二人以外の客は来てはいなかった。

「えー、すごく可愛い。今小学一年生なんだ」

「航太って言うんです。色々な面で大変ですけど可愛いですよ」

 貴久がスマホを取り出し、次から次へと見せる息子の画像を覗き込む。そんな事を数分続けていたが、見せる画像がなくなったのか、少し酒の回り始めた貴久が活舌の悪い言い方で質問を投げてきた。

「ところで、ヨシママって、何て名前なの?」

「えっ? 本名ってこと? 一応、お店ではヨシって言っているけど、本名は由之って言います。ヨシユキだからヨシね」

「へー、由之さんなんですね」

 武田が口を挟む。酒の席の他愛もない会話なのに、貴久は会話に武田が入ってきた事に、少しへそを曲げたような態度を見せている。

「それで歳は? 確か俺と一緒でしたよね?」

「えっ? 歳? まだ十九よ」

 笑いながら、空になった貴久のグラスに氷を落とす。

「十九だったら、まだお酒飲んじゃ駄目ですよ」

 目を細めて笑いながら武田が口を挟む。

「嘘よ。サバ読んじゃった。本当は三十四。だから、ちゃんとお酒も飲める歳です。……なんで、頂きますね」

 貴久のグラスの横に一回り小さなグラスを並べ、ブルーのガラス瓶から焼酎を注ぐ。

 そんな他愛もない会話の流れが、同級生だった事を判明させた。歳も同じで学年も一緒だと判明し、さらに子供の頃は二人とも杉並に住んでいた。出身校を照らし合わせたら、二人とも阿佐ヶ谷西小学校に通っていた。そこでようやく高原由之、三芳貴久とお互いの名前を確認し、二人の記憶の中に同級生だったと言う事実が浮かび上がった。

「久々の再会を祝して乾杯!」

 嬉しそうに驚きを表現した武田がグラスを高々と上げた。

「はい、乾杯」

 武田と貴久のグラスに順に自分のグラスを合わせた。

「それじゃあ、今日は同級生割引って事で」

 酔いが充分に回った貴久の言葉を受け、「今日だけよ」と、カウンターに置かれた貴久の手をぽんぽんと叩いてみせた。

 同級生だと判明した以降、貴久は一人で店を訪れるようになっていた。酔い潰れるほど飲んでも、同級生割引を継続させ、千円しか取らない事に味を占めたのか、貴久は頻繁に店を訪れるようになり、その都度記憶を失くすほど酔い潰れていた。


 外は激しい雨が降っていた。

 八月に入ったばかりの平日で、給料日にも程遠く、十一時を過ぎても、客の一人も訪れる気配がなかった。そんな雨の平日、激しい雨と同様に、激しい頭痛がまた襲ってきていた。こんな雨だし、早々店仕舞いしようかと考えを巡らせていると、ガタッと大きな音を立て、店のドアが開いた。

「……いらっしゃいませ」

 カウンターに腰掛けていたが、咄嗟に立ち上がり振り返る。

「ええ、どうしたの? びしょ濡れじゃない」

 髪からもポロシャツからも、ショートパンツの裾からも、水を滴らせた貴久がドアを背に呆然と立っていた。

「ちょっと待って」

 おしぼりを十本ほど取り出し、順に袋を破っていく。おしぼりを拡げ貴久の髪や顔を拭いてはみたが、おしぼり程度の大きさではどうにもならないほど、全身をびしょ濡れにさせている。

「……ごめん」

 たった一言の言葉であっても、活舌の悪さは読み取る事ができる。すでに充分酔っているようで、落ち着いてみれば酒の臭いを感じる事が出来た。

「酔っぱらうのはいいけど、びしょ濡れじゃない? 傘は?」

「持ってない」

 びしょ濡れのまま店にいさせる訳にはいかなかった。店にあるおしぼりを全て使ったとしても、貴久の雫を拭き取る事は出来ないだろう。

「仕方ないわね、ちょっとだけ待って」

 数枚のおしぼりを椅子に敷き、貴久を座らせる。一人の客も来なかった店には洗い物は出ていない。カラオケやトイレの電気を消し、いつものように店仕舞いを始める。

「立てる?」

 貴久の脇に腕を滑らせた途端、もたれ掛かられ、貴久の雫のTシャツが湿らされていった。

 一本の傘では雨を避ける事など出来ない。だが酔い潰れた貴久に傘を持たせられる状況ではない。だからと言ってタクシーに乗れる程の距離でもない。

 仕方なく貴久の脇に腕を滑らせたまま、もう片方の手で傘を持ち、仲通りから靖国通りへと二分程歩いた。ほんの二分ではあったが、激しい雨は全身をびしょ濡れにさせていた。

 マンションの部屋の鍵を取り出す間、貴久を壁に凭れさせていたが、その間にも貴久はずるずると地面に近付いて行く。慌ててオートロックを開け、エレベーターへ貴久を放り込む。エレベーターの壁に凭れる貴久の顔は寝顔そのもので、眼鏡の奥の目はしっかりと閉じていた。

 部屋のドアを開け、ほっとした途端、貴久が玄関先に倒れ込む。そんな貴久をまたいで、まず自身の体をタオルで拭う。だが激しい雨に打たれ濡れてしまった、体はタオル一本ではどうにもならない。濡れたTシャツとショートパンツを脱ぎ洗濯機へと放り込む。そしてタオルで体を拭き、新しいTシャツとショートパンツに着替える。その間も貴久は玄関に横になったままだ。

「貴久、服脱ぐよ」

 自身の着替えを終わらせ、貴久に声を掛けてみたが反応はなかった。返事を待たずびしょ濡れのポロシャツとショートパンツを剥ぎ取る。ショートパンツからベルトを抜き取り、ポロシャツと共に洗濯機へ放り投げる。タオルで体を拭いている間も貴久が目覚める気配はない。

「こんな所で寝ないで、ベッドに行くよ」

 再び貴久の脇に腕を滑らせ立たせる。壁に凭れさせ、もう一度タオルで体を拭いていく。グレーのボクサーパンツは色を変え、ショートパンツの中までびしょ濡れになっていた事を知らされる。その濡れたボクサーパンツも剥ぎ取り洗濯機へと放り投げる。

 夜中に洗濯機を回す事に申し訳ない気持ちは沸いてこなかった。家の中にいても聞こえてくるのは、激しい雨の音だけだ。きっとこの洗濯機の音はこの雨が掻き消してくれるだろう。ベッドに腰を掛け、すぐ側に眠る貴久の顔を覗き込んだ。そこには何の苦労も知らないかのような穏やかな顔があった。こんな穏やかな顔で眠っているのに、傘もささずにびしょ濡れになるような、そんな何かが貴久の身に起こったのだろうか。


 貴久の腕が胸の上に回っていた。うとうととしたのはほんの数十分に違いなかった。腕を伸ばす貴久へと向きを変えようかと思ったがやめた。今こうしてほんの少し誰かの重みを感じる事で、落ち着いていられるからだ。

 うーっと、低いうなり声が聞こえる。その声に向きを変えてもよかったが、やはり今はほんの少しでも誰かの重みを感じていたい。何度も繰り返される貴久の唸り声を聞きながら、カーテンが遮る朝の光に何故かほっと出来る。このまま貴久の側で時間を忘れ、何もかも忘れる事が出来たら、どれだけ幸せだろうか。そんな事を考えるのも束の間、一体どうしてこんな事になったのだろうか? これから待ち構えるだろう未来に急に不安になった。

 幸せが訪れる事などないんじゃないだろうか。時間を止める事はできない、戻す事もできない。ただ進むだけの時間を早いと取るか遅いと取るか、そんな些細な違いしかない事は知っている。

 再びの、うーっと言う低い唸り声に、小さな咳が混じる。ようやく貴久の腕を胸から払い、向きを変える。

「大丈夫?」

 目の前にあるその顔に声を掛けてはみたが返事はない。低い唸り声が聞こえなくなった代わりに、小さな咳だけが貴久の喉を締め付けているようだった。今できる事は、目を開く事のない貴久の頭を撫で、小さな咳が止むのを待つだけだ。
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