【完結】冬のキリギリス

かの

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第3章 始まりの終わり(加藤航基)

03

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 この町はいい。冬になっても雪が降るなんて事は珍しく寒いと言っても氷点下になる日なんてそうそう訪れる事はない。

 航基はとした空を見上げながらそんな事を頭に過らせていた。

 生まれ故郷の下呂は雪が深くどんよりとした冬の空は必ず大粒の雪を落としてきた。子供の頃から当たり前に思ってきた事もこの町では当たり前ではない。

 高校の卒業式を待って大阪に上京した。

 東京でも京都でもないのに上京と言うのは間違っているかもしれない。だが生まれ育った岐阜から大阪へ行く事を何て呼ぶのかは知らなかった。

——春が来れば一年か。

 大阪へ上京して初めての冬を迎える。

 どんよりとした空を幾ら見上げても、生まれた町への郷愁なんてものは一欠けらも湧き上がってこない。

「この店にもね、他に岐阜の出身の子がいるのよ」

 大阪に上京した日。梅田にあるバーの面談を受けた。

 その面談の際、同郷の人間がいる事は聞かされていた。だがそれが亨だと知るには数カ月が必要だった。

 高校を卒業したばかりで大阪へやって来た田舎者には地下鉄や人混みに慣れる事は難しく、右と左を覚えるのがやっとだった。幾ら同郷の人間がいると言われても目を向ける余裕なんてなかった。

 高校を出たばかりの自分の取り柄など若さと体くらいしかない事も充分に理解していた。

 体を売る事に全くの抵抗がなかったと言えば嘘になるが、他に金を稼ぐ術なんて何一つ持ち合わせていない。

 父親と母親に捨てられ、家族はもういないと言い聞かせ、日銭を稼いで毎日をやり過ごす事しか出来ない。

 一人で寂しいと感じるなら売った体に重ねられる体温で誤魔化し、まだ二十歳前ではあったが酒の力を借りる事もしばしばあった。そんな生活を数カ月やり過ごし同郷の人間が亨だと知った時。興味はただ亨一点に集中する事となった。


「亨に会わなかったら、今頃俺どうしていただろう?」

「どうしたんだよ。いきなり」

「亨に会うまでの事を考えていたから」

「俺もお前に会わなかったら今頃どうしていたかは分からないよ。今こうしてお前と一緒にいるから頑張ろうって。辛い事があっても乗り越えていけるって思えるけど。それはお前がいるからで」

 亨が横になるベッドに並び体を寄せる。亨が口にした事をそのまま返したかったが上手く伝えられそうな気はしない。

「前にキリギリスの話していたよね?」

「えっ? アリとキリギリスの話?」

「うん。アリとキリギリス。俺も亨のために生きたい。これからも亨のためだけに生きていきたい。亨のために頑張って必死になって、がむしゃらになって、それで冬になって誰も温かく迎え入れてくれなくても、俺なんの後悔もないよ。亨のために生きたってそれだけで充分だから」

 何気なく思い出した話に力を借りてみた。

 だがそれが本音だった。

 亨のために生きたってそれだけで充分だ。

 返事をしない亨に目を向ける。眠っている様子はなかった。ぼんやりと天井を見つめているだけだ。

「……あのさあ、航基」

「何?」

 天井に向けたままの顔は何かを言いたそうに口を半開きにしている。続きを催促するように口元に指先を伸ばしてみる。

「お前一度病院で診てもらえよ。やっぱどこか悪いのかもしれないし」

「えっ?」

 突然放たれた病院と言うワードに体が強張る。一瞬にして全身に力が入ったようにも思えたが足にだけは力が入っていない。

 平静を装いはしたが亨に隠し切れないほど体の異変は頻繁に顔を覗かすようになっていた。

「最近よく転んだりしているだろ? 体のどこかが悪いのかもしれないし。何ともないなら何ともないで安心できるんだし。やっぱり病院で一度診てもらえよ。俺ときどき不安になるんだ。今はこうして忙しくてもお前といれて幸せだなって。本当お前がいるだけで幸せなんだよ。だからもしもお前に何かあったらって」

「俺もだよ。もし亨がいなかったらって。そんな事考えたら不安になる」

 言いたい事を吐き出し閉じられた亨の口元にもう一度指先を伸ばす。

「俺ももう三十だから、八年になるんだな」

 もう一度開かれた口がと三十と言う数を吐いた。

 異変に気付き真面目な声で病院へ行くよう促した亨。話を逸らせば突然襲ってきたこの異変をなかった事に出来るような気もする。

「そうだね。亨も三十だからもう充分なおじさんだね」

 皺がある訳でもないが、おじさんと言う言葉に同調させ亨の目尻を触りながら笑ってみせる。

 天井に目を向けていた亨の体が急に圧し掛かる。

 そんな亨の重みを感じながらも、面白がって何度も亨の目尻に指を伸ばす。

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