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第4章 終わりの終わり(加藤麻美)
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誰にでも分かる位の大きさで麻美は肩を揺らしていた。
それはハンドルを握っていたさっきから変わりはない。事故を起こさずここまで辿り着けた事が不思議なくらい大きな揺れだ。
麻美はここ六日この体の揺れを止められずにいる。
それは悪寒が走った時に起こる身震いのような揺れでもあったが、一定の間隔で激しい揺れを伴うものだった。
「三時に伺います」
そう電話で伝えたのも自分ではあった。だが大きく震えたままの体では慣れた道もどうも上手くは運転出来ない。ハンドルを離し時計を見ると既に三時を二十分回っていた。
来客用の駐車場にいつも通り車を並べ、小走りで正面玄関へと向かう。
車を降りいつの間にか吹雪いていた事に気付かされる。
雪道の運転に慣れているからではなく、突然の吹雪にすら気付けない原因がこの体の震えにある事。それは例え思考が働いていなくても肌で感じる事が出来た。
正面玄関の自動ドアを抜けロビーに立つ。午後と言う事もあってか人影は殆ど見えない。外気温より二十度は高いロビーに立っても震えが止まる事はなかった。だが殆ど見えない人影にほっと胸を撫で下ろす事は出来た。
高山中央病院。
——あんな事が起こって。
そんな言い方をすれば他人事のように聞こえるが、大きな震えに囚われた思考では、——あんな事を起こして。そう変換する事は難しい。
「加藤さん、こんにちは。いらっしゃいましたね」
声を掛けるより先。総合受付の女性がこちらの姿に気付く。何故かその声には妙な明るさが含まれているように感じ取れたが余計な詮索はせずに受付へと足を向ける。
「こんにちは。遅くなって申し訳ございません」
その声は体同様に小刻みに震えていた。受付の女性も心中察したような目を向けている。
「あんな事があったんですもの」
咄嗟に突いた言葉の後。明らかに余計な事を言ってしまったと、一瞬にして顔を曇らせた受付の女性の言葉を復唱する。
「そうですね。あんな事があって」
声はまだ震えたままだった。
もしこの声の震えに別の理由があったとしても誰一人言及する者がいない事は分かっている。
「そう言えば、加藤さんの事を待っていらっしゃる男性がいますよ」
「えっ? 警察の方ですか?」
「いえ、違います。若い男性で航基さんの古い知り合いだとおっしゃっていましたよ」
「航基の古い知り合いですか?」
警察以外に自分を待つ人間などいない。今の自分に用があるとすれば警察くらいだろう。口を突いた言葉の理由は単純なものだ。別の待ち人など頭に浮かぶ道理がなかった。
「喫茶室で待っていらっしゃる筈ですよ」
受付の女性がロビーの奥の通路を促す。
「名前は? 何と言う方ですか?」
「あっ」
当たり前だと思えたその質問に受付の女性は困った顔を作る。
「大丈夫です。喫茶室ですね。行ってみます」
一瞬の困った顔を察し薄っすらと笑みを浮かべ総合受付を離れる。
どれだけ思考を巡らせてみても訪ねてきた若い男が誰かは分からない。航基の古い知り合いなら、見当が付かなくても当然である。だがそれなら何のために訪ねて来たのだろうか。
そんな事を考えながらゆっくりと喫茶室へと足を向ける。
「いらっしゃいませ」
硝子戸を押し開けるとすぐさま声が飛んできた。決して威勢のいい声ではなかったが話し声一つしない喫茶室では充分に響き渡る声だった。
「ホットコーヒーを一つお願いします」
いらっしゃいませの声に顔を向けそれ程広くはない喫茶室を見回す。
震えたままの声だったが店員には聞き取れたようだ。注文を受けキッチンへと体を向けている。
見回した店内には窓側の席に一人男の姿があるだけで他に客の姿はなかった。
入口からは後ろ姿しか見えなかったその男の正面へと回り込む。
何故か手で耳を塞ぐ若い男。
ただその姿に受付の女性の声が明るくなった事も納得させられた。
航基の知り合いと言うだけあって航基と同じ歳の頃に見える。座っていても長身だと分かる背格好に、何よりこんな田舎町には暮らしていない空気を纏っている。
「あの、加藤と申しますが」
加藤と言う名前に反応した男が顔を上げる。
その反応に訪ねて来た若い男が目の前の男である事に確信を持てた。返事も待たずに向かい側に腰を下ろす。そして次の言葉を発しようとした時。さっきまでの震えが収まっている事に驚かされた。
「あ、加藤さんですね。航基さんの叔母さんの。あのう、突然すみません。俺、遠藤祐輔と言います」
祐輔と名乗った男の話ぶりがやけにフランクに思えて警戒心が生まれる事はなかった。
「航基の古い知り合いだと、さっき受付でその様に聞いたのですが」
「ああ、はい。いや、いいえ」
言葉を選んでいる様子でもない、祐輔の返事には、何一つ読み取れるものがない。そんな祐輔を目の前にさっきまでの大きな揺れは、嘘のように収まっている。
「航基の古い知り合いだと聞きました。大阪の頃のですか?」
ほんの少し声が大きく荒くなった時。注文していたコーヒーがテーブルに届けられた。
「受付の方に何て言えばいいか分からなくて咄嗟に航基さんの知り合いだって言ってしまいました。俺、実は、航基さんの知り合いではなく、亨の、今瀬さんの知り合いなんです。ご存じですか? 今瀬亨さん」
祐輔の口から出た亨の名前に体がまた小刻みに震えだす。
だがそれはさっき収まった震えとは別の種類の震えに思えた。
祐輔への警戒心が生み出した震えなのだろうか。ただ原因が何であれその理由を知る由はない。
それはハンドルを握っていたさっきから変わりはない。事故を起こさずここまで辿り着けた事が不思議なくらい大きな揺れだ。
麻美はここ六日この体の揺れを止められずにいる。
それは悪寒が走った時に起こる身震いのような揺れでもあったが、一定の間隔で激しい揺れを伴うものだった。
「三時に伺います」
そう電話で伝えたのも自分ではあった。だが大きく震えたままの体では慣れた道もどうも上手くは運転出来ない。ハンドルを離し時計を見ると既に三時を二十分回っていた。
来客用の駐車場にいつも通り車を並べ、小走りで正面玄関へと向かう。
車を降りいつの間にか吹雪いていた事に気付かされる。
雪道の運転に慣れているからではなく、突然の吹雪にすら気付けない原因がこの体の震えにある事。それは例え思考が働いていなくても肌で感じる事が出来た。
正面玄関の自動ドアを抜けロビーに立つ。午後と言う事もあってか人影は殆ど見えない。外気温より二十度は高いロビーに立っても震えが止まる事はなかった。だが殆ど見えない人影にほっと胸を撫で下ろす事は出来た。
高山中央病院。
——あんな事が起こって。
そんな言い方をすれば他人事のように聞こえるが、大きな震えに囚われた思考では、——あんな事を起こして。そう変換する事は難しい。
「加藤さん、こんにちは。いらっしゃいましたね」
声を掛けるより先。総合受付の女性がこちらの姿に気付く。何故かその声には妙な明るさが含まれているように感じ取れたが余計な詮索はせずに受付へと足を向ける。
「こんにちは。遅くなって申し訳ございません」
その声は体同様に小刻みに震えていた。受付の女性も心中察したような目を向けている。
「あんな事があったんですもの」
咄嗟に突いた言葉の後。明らかに余計な事を言ってしまったと、一瞬にして顔を曇らせた受付の女性の言葉を復唱する。
「そうですね。あんな事があって」
声はまだ震えたままだった。
もしこの声の震えに別の理由があったとしても誰一人言及する者がいない事は分かっている。
「そう言えば、加藤さんの事を待っていらっしゃる男性がいますよ」
「えっ? 警察の方ですか?」
「いえ、違います。若い男性で航基さんの古い知り合いだとおっしゃっていましたよ」
「航基の古い知り合いですか?」
警察以外に自分を待つ人間などいない。今の自分に用があるとすれば警察くらいだろう。口を突いた言葉の理由は単純なものだ。別の待ち人など頭に浮かぶ道理がなかった。
「喫茶室で待っていらっしゃる筈ですよ」
受付の女性がロビーの奥の通路を促す。
「名前は? 何と言う方ですか?」
「あっ」
当たり前だと思えたその質問に受付の女性は困った顔を作る。
「大丈夫です。喫茶室ですね。行ってみます」
一瞬の困った顔を察し薄っすらと笑みを浮かべ総合受付を離れる。
どれだけ思考を巡らせてみても訪ねてきた若い男が誰かは分からない。航基の古い知り合いなら、見当が付かなくても当然である。だがそれなら何のために訪ねて来たのだろうか。
そんな事を考えながらゆっくりと喫茶室へと足を向ける。
「いらっしゃいませ」
硝子戸を押し開けるとすぐさま声が飛んできた。決して威勢のいい声ではなかったが話し声一つしない喫茶室では充分に響き渡る声だった。
「ホットコーヒーを一つお願いします」
いらっしゃいませの声に顔を向けそれ程広くはない喫茶室を見回す。
震えたままの声だったが店員には聞き取れたようだ。注文を受けキッチンへと体を向けている。
見回した店内には窓側の席に一人男の姿があるだけで他に客の姿はなかった。
入口からは後ろ姿しか見えなかったその男の正面へと回り込む。
何故か手で耳を塞ぐ若い男。
ただその姿に受付の女性の声が明るくなった事も納得させられた。
航基の知り合いと言うだけあって航基と同じ歳の頃に見える。座っていても長身だと分かる背格好に、何よりこんな田舎町には暮らしていない空気を纏っている。
「あの、加藤と申しますが」
加藤と言う名前に反応した男が顔を上げる。
その反応に訪ねて来た若い男が目の前の男である事に確信を持てた。返事も待たずに向かい側に腰を下ろす。そして次の言葉を発しようとした時。さっきまでの震えが収まっている事に驚かされた。
「あ、加藤さんですね。航基さんの叔母さんの。あのう、突然すみません。俺、遠藤祐輔と言います」
祐輔と名乗った男の話ぶりがやけにフランクに思えて警戒心が生まれる事はなかった。
「航基の古い知り合いだと、さっき受付でその様に聞いたのですが」
「ああ、はい。いや、いいえ」
言葉を選んでいる様子でもない、祐輔の返事には、何一つ読み取れるものがない。そんな祐輔を目の前にさっきまでの大きな揺れは、嘘のように収まっている。
「航基の古い知り合いだと聞きました。大阪の頃のですか?」
ほんの少し声が大きく荒くなった時。注文していたコーヒーがテーブルに届けられた。
「受付の方に何て言えばいいか分からなくて咄嗟に航基さんの知り合いだって言ってしまいました。俺、実は、航基さんの知り合いではなく、亨の、今瀬さんの知り合いなんです。ご存じですか? 今瀬亨さん」
祐輔の口から出た亨の名前に体がまた小刻みに震えだす。
だがそれはさっき収まった震えとは別の種類の震えに思えた。
祐輔への警戒心が生み出した震えなのだろうか。ただ原因が何であれその理由を知る由はない。
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