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海面に突き出した高さ二メートルほどの岩に着くと、頂上へ続くなだらかな斜面には飛び込み待ちの列。小学生の女の子も並んでいる。──これなら僕でもいけそうだ。
僕らも列に加わる。先に飛んだ蒼真くんが、見事な姿勢で水面に切り込み、どっと大きな水飛沫。周囲から歓声が上がる。
順番が来た。『蒼真くんの恋人になれますように』と胸の中で願い、踏み切る。
あたたかな日差しから、一転して冷たい水へ──肌に電気が走るみたいな温度差。底の見えない海へ、浮き輪なしで飛び込んだことに、落ちてから気づいて息が詰まる。
あれ、泳ぎ方って……?
動揺より早く、両腕に抱き込まれた。
「大丈夫?」
「……あはは! 高さより海のほうが怖かった!」
恐怖は一瞬で溶ける。蒼真くんがそばにいる。それだけで、何も怖くない。
思えば、居酒屋に入ったのも初めて、夜の繁華街を歩いたのも初めて、誰かに自分の家を知られることさえ──実は初めてだ。
小学生のころは下校途中に攫われかけ、そこから車通学になった。中学卒業までずっと。両親以外と家まで歩くなんて、昔なら考えられなかった。
でも、蒼真くんなら大丈夫だ。
むしろ、このまま攫ってほしい。
この両腕の中に匿って。
両親に守られる“弱い僕”が嫌いだ。「可愛い」と言われるたび、同時に「弱い」と刻まれる気がして嫌だった。ずっと強く、自立した大人になりたかった。
なのに蒼真くんなら、弱い僕ごと受け止めて、甘えさせてほしい。ひどい自己矛盾。でも、気持ちは正直だ。
甘えるように抱きつくと、蒼真くんが大きな浮き輪を寄せ、二人で入れるように頭上へ掲げてくれた。促されるまま、頭から輪をくぐる。
「よっ」
軽く抱え上げられ、浮き輪にもたれかかった蒼真くんの首に、そっと両腕を回す。
「水は冷たいけど、蒼真くんはあったかいね」
首筋に顔を寄せる。蒼真くんの長くて太い首に、僕の顔はすっぽり埋まる。
蒼真くんは一瞬だけ動きが固まり、ゆっくりと僕の背に腕が回る。
「冷えてきちゃった? いったん出る?」
「ううん、このままでいい」
「じゃあ、このまま」
蒼真くんの手が、海水で濡れて絡まった僕の髪をほぐすように撫でる。気持ちいい。撫でられる犬って、きっとこんな気分だ。少しのあいだ、海と太陽の匂いに包まれながら、そのぬくもりを静かに味わった。
「さっき思ったんだけど、琉生くん、髪を上げてるとかっこいいね」
抱き合った胸越しに、蒼真くんの声が落ちる。
「整った眉に通った鼻筋。だから、キリッとして見えるんだね。」
海に飛び込んだあと、邪魔になった前髪はかき上げたまま。
僕は向き合うように身を起こし、うれしくてゆるむ目元を、ぐっと引き締めてみせた。
「かっこいい?」
「う~…ぐぅ……かっこいい。アイドルのファンサ受けた気分」
「ふふっ。じゃあ来週から前髪上げて出勤しようかな?」
「それはダメかも。ファンが増えちゃうよ?」
「ないない。休憩時間もほとんど一人でご飯食べてるくらいだよ」
額にこぼれた髪を、蒼真くんが指先で横へ払う。向き合ったせいで少し距離ができて、ほんの少し寂しい。
「陰でファンクラブ、できてるって」
蒼真くんの目元がやわらかくなる。
「この前なんて、“オーバークール系”とかよくわかんないこと言われたよ。笑わない人だと思われてたみたい」
「たしかに顔立ちが整ってて綺麗だから“冷たく”見えるけど……いつもニコニコしてる琉生くんが、クール系?」
「仕事の時は真剣な顔が多いかも。集中すると表情まで気が回らなくて」
「じゃあ、今の“笑ってる琉生くん”は、仕事中じゃ見られない特別?」
「はは、そうだね。蒼真くんだけの特別だよ。僕、友達もいないし……こんなに一緒にいるの、蒼真くんだけ」
──だから、特別にして。
願いを瞳に込めたつもりだけど、届いただろうか。
蒼真くんの瞳がきらりと光り、かすかに揺れる。ひと呼吸おいて視線を落とし、またまっすぐ僕を見た。濡れた前髪を親指で払う仕草に、えくぼがふっと刻まれる。
「……お腹すいたね。何か食べに行こうか?」
二人の間に薄いものがふわりと降りた。触れられる距離にいるのに、胸の奥にレースのカーテンが一枚かかったみたいに、向こう側が少しだけ見えなくなる。
重すぎたのかな。近づくことは許してくれるのに、心は半歩だけ引かれた気がした。
僕が本当に欲しいのは、その心なのに。
蒼真くんは浮き輪の外側に抜け、片腕で縁を支えたままゆっくり牽引する。僕も足をぱたぱた動かしてついていく。
「普段どんな仕事してるの?」「このあと何食べたい?」たわいないやり取りを重ねながら、砂浜へ戻った。
僕らも列に加わる。先に飛んだ蒼真くんが、見事な姿勢で水面に切り込み、どっと大きな水飛沫。周囲から歓声が上がる。
順番が来た。『蒼真くんの恋人になれますように』と胸の中で願い、踏み切る。
あたたかな日差しから、一転して冷たい水へ──肌に電気が走るみたいな温度差。底の見えない海へ、浮き輪なしで飛び込んだことに、落ちてから気づいて息が詰まる。
あれ、泳ぎ方って……?
動揺より早く、両腕に抱き込まれた。
「大丈夫?」
「……あはは! 高さより海のほうが怖かった!」
恐怖は一瞬で溶ける。蒼真くんがそばにいる。それだけで、何も怖くない。
思えば、居酒屋に入ったのも初めて、夜の繁華街を歩いたのも初めて、誰かに自分の家を知られることさえ──実は初めてだ。
小学生のころは下校途中に攫われかけ、そこから車通学になった。中学卒業までずっと。両親以外と家まで歩くなんて、昔なら考えられなかった。
でも、蒼真くんなら大丈夫だ。
むしろ、このまま攫ってほしい。
この両腕の中に匿って。
両親に守られる“弱い僕”が嫌いだ。「可愛い」と言われるたび、同時に「弱い」と刻まれる気がして嫌だった。ずっと強く、自立した大人になりたかった。
なのに蒼真くんなら、弱い僕ごと受け止めて、甘えさせてほしい。ひどい自己矛盾。でも、気持ちは正直だ。
甘えるように抱きつくと、蒼真くんが大きな浮き輪を寄せ、二人で入れるように頭上へ掲げてくれた。促されるまま、頭から輪をくぐる。
「よっ」
軽く抱え上げられ、浮き輪にもたれかかった蒼真くんの首に、そっと両腕を回す。
「水は冷たいけど、蒼真くんはあったかいね」
首筋に顔を寄せる。蒼真くんの長くて太い首に、僕の顔はすっぽり埋まる。
蒼真くんは一瞬だけ動きが固まり、ゆっくりと僕の背に腕が回る。
「冷えてきちゃった? いったん出る?」
「ううん、このままでいい」
「じゃあ、このまま」
蒼真くんの手が、海水で濡れて絡まった僕の髪をほぐすように撫でる。気持ちいい。撫でられる犬って、きっとこんな気分だ。少しのあいだ、海と太陽の匂いに包まれながら、そのぬくもりを静かに味わった。
「さっき思ったんだけど、琉生くん、髪を上げてるとかっこいいね」
抱き合った胸越しに、蒼真くんの声が落ちる。
「整った眉に通った鼻筋。だから、キリッとして見えるんだね。」
海に飛び込んだあと、邪魔になった前髪はかき上げたまま。
僕は向き合うように身を起こし、うれしくてゆるむ目元を、ぐっと引き締めてみせた。
「かっこいい?」
「う~…ぐぅ……かっこいい。アイドルのファンサ受けた気分」
「ふふっ。じゃあ来週から前髪上げて出勤しようかな?」
「それはダメかも。ファンが増えちゃうよ?」
「ないない。休憩時間もほとんど一人でご飯食べてるくらいだよ」
額にこぼれた髪を、蒼真くんが指先で横へ払う。向き合ったせいで少し距離ができて、ほんの少し寂しい。
「陰でファンクラブ、できてるって」
蒼真くんの目元がやわらかくなる。
「この前なんて、“オーバークール系”とかよくわかんないこと言われたよ。笑わない人だと思われてたみたい」
「たしかに顔立ちが整ってて綺麗だから“冷たく”見えるけど……いつもニコニコしてる琉生くんが、クール系?」
「仕事の時は真剣な顔が多いかも。集中すると表情まで気が回らなくて」
「じゃあ、今の“笑ってる琉生くん”は、仕事中じゃ見られない特別?」
「はは、そうだね。蒼真くんだけの特別だよ。僕、友達もいないし……こんなに一緒にいるの、蒼真くんだけ」
──だから、特別にして。
願いを瞳に込めたつもりだけど、届いただろうか。
蒼真くんの瞳がきらりと光り、かすかに揺れる。ひと呼吸おいて視線を落とし、またまっすぐ僕を見た。濡れた前髪を親指で払う仕草に、えくぼがふっと刻まれる。
「……お腹すいたね。何か食べに行こうか?」
二人の間に薄いものがふわりと降りた。触れられる距離にいるのに、胸の奥にレースのカーテンが一枚かかったみたいに、向こう側が少しだけ見えなくなる。
重すぎたのかな。近づくことは許してくれるのに、心は半歩だけ引かれた気がした。
僕が本当に欲しいのは、その心なのに。
蒼真くんは浮き輪の外側に抜け、片腕で縁を支えたままゆっくり牽引する。僕も足をぱたぱた動かしてついていく。
「普段どんな仕事してるの?」「このあと何食べたい?」たわいないやり取りを重ねながら、砂浜へ戻った。
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