ご褒美みたいな交わりを 〜捨てられΩの新たな恋〜

水主

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旅行

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 浜は、着いたときより格段に人が増えていた。海の家も開き、音楽と笑い声が混ざる。僕らは少し早めのランチに、地元の魚介と野菜が乗った彩り豊かなピザを選んだ。駐車場のキッチンカーに積んだ石窯で焼かれたピザが、砂浜のテーブルまで運ばれてくる。空の下のレストランだ。

 お酒もあったけれど、運転してくれる蒼真くんに遠慮して今日はノンアルのモヒートで乾杯。泡が喉の渇きをさらっていく。色とりどりのパラソルが、どこか異国の景色みたいだ。

「僕、海外旅行って行ったことなくて……イタリアって、こんな感じなのかな」
「俺もないけど、地中海のナポリって、こういうイメージあるよね」
「白い砂浜、青い空、青い海、カラフルなパラソル」
「うん、そんな感じ。いつか行ってみたいな。」

 一緒に行けたら、きっと楽しい。泳いで、波打ち際を歩いて、白壁の街を散策して、サンセットを眺めて……いや、落ち着け。すぐ夕焼けとキスの想像に飛ぶの、やめなきゃ。あ、そうだ。

「でも、Ωの僕はさ、飛行機は手続きがちょっと大変なんだ。海外は、少しハードル高いかも」

「手続き?」

 蒼真くんは知らないらしい。

「うん。機内って密室でしょ。もしヒートが起きたら大ごとになる。だからαの番が同伴する場合を除いては、事前に病院で診断書をもらって、発情抑制剤も用意して、極めつけにファーストクラスより高い特別座席」

 海風がグラスの氷を震わせる。

「そうなんだ……」と、蒼真くんは短く息をのんで、真面目な顔でうなずいた。

「世の中のΩは、αの親のいる裕福な家の子が多いから、気にならないのかもしれない。lyraクラスなら、きっとプライベートジェットだし」

 こんなこと言ったって仕方ないのは分かっている。——でも、あふれ出すものは止まらなかった。

「番のいない、お金のないΩには“普通の夢”も難しい……」

 そのとき、蒼真くんの手が、僕の手を包んだ。

「αの庇護下に入らなきゃ“普通”にすらなれない——そんなの、僕は嫌だ」

 複数の番を持てるα。ひとりのαの愛だけを待ち続けるΩ。そして、僕みたいに突然捨てられる、愚かで可哀想なΩ。もう他の誰も愛せない身体なのに。いつの時代にも、どこの国にもいる。悲劇の物語は、永遠に続く。

 誠司さんに頸を噛まれなくて、本当に良かった。もし噛まれていたら、今ごろlyraへの嫉妬で自分を焼き尽くしていただろう。

 βの両親みたいに、フェロモンなんて関係なく、相手と心でつながる恋がしたい。

 そして、愛を育んであたたかい家庭をつくりたい。——僕の夢は、ただそれだけの普通の夢だ。僕はβに憧れている。

「あ! そうだ……」

 蒼真くんがぱっと声を上げ、スマホをタップした。

「先輩が“良かった”って言ってた旅行先、ここ見て」

 画面いっぱいに、青い空と白壁の街並み。まるで地中海だ。けれど、日本にあるホテルのサイトらしい。

「三重県なんだけどね。車だと半日くらい。……それとも自転車で行く? タンデムで、3泊4日の小旅行とか」

 曇っていた心に、太陽みたいな光が差し込む。

「はは、タンデム自転車——いいね」
「でしょ?」

 神奈川から三重まで自転車で行くルートをああでもないこうでもないと語り合いながら、残りのピザを平らげた。しゃべりすぎて喉が渇き、途中でレモネードを追加。僕らの笑い声は、快晴の空にすっと溶けていく。

 正午が近づくと店は一気に混み始め、僕らは席を立った。

 自転車旅の話は、箱根の峠が難所すぎるという結論でいったん白紙──そもそも半分は冗談だったし、腹を抱えて笑いながら歩いた。さっき店で掴まれた僕の右手は、そのまま。いまも指を絡めたまま並んでいる。変に意識させて手が離れるのが怖くて、この話題には触れない。

「僕ね、旅行ってほとんどしたことないんだ」

 口火を切ると、蒼真くんの指先がわずかに強くなる。

「小さい子どもって攫われやすいでしょ? 小学低学年のとき、富士山の動物園で知らない大人に担ぎ上げられそうになって……両親もショックで、それ以降“旅行=山梨のじいちゃん家”になった」

「修学旅行も、両親が心配して僕だけ不参加。で、中学でバース判定が出て『ああ、そういうことだったんだ』って納得した」

 Ωの身体は、二次性徴の前でも、大人の理性をほんの少し狂わせてしまう──そう教わった。

「でもね」

 僕は握り返す。

「今日は、久しぶり──小学校以来かな?海に来られて本当に嬉しい。蒼真くんといると、僕の“不自由”がどこかへ消える。いっしょにいるだけで、いつも胸に溜めてた不安が、何に不安だったのか忘れるくらいに薄まる。……感謝してもしきれないよ」

 蒼真くんの親指が、ぎゅ、ぎゅ——と二度合図のように力がこもる。

「じゃあ、俺がSPになる。いろんなところ、遊びに行こうか」

 そう言って、軽く敬礼。

「任務名は“琉生くん外出支援作戦”。道路側は俺、混みそうなら時間ずらす。水分・塩分は俺が管理。人混みは回避ルート。問題が起きたら、俺の合図で即撤退。……離さない」

 最後の一言だけ、少し低くて、波に溶けそうなほど小さかった。

「あ、でも俺、日給高いよ?」
「え!」
「報酬は“特別な笑顔”と、たまにパスタの時みたいな写真。あれ最高——訓練中の心の栄養」

 えくぼが深く刻まれる。

「そんなんでいいの?」
「いいよ。まずは近場散歩コース。夜の横浜で海辺をゆっくり歩いて、コンビニアイス。次は人が少ない予約制のナイトアクアリウム。秋になったら山梨へ果物狩り。遠出もいつか——プライベートジェットの操縦免許はないけど、車で行けるところならどこまででも」

 胸の奥がきゅっと熱くなる。小さくうなずいて、握る手に力を返した。

「……お願い」
「了解。警護対象・琉生くん、これよりエスコート開始します」

 手を離さず、親指で甲をそっとなでる。

「まずは作戦1。このあとテントで少し昼寝して、混む前にシャワー浴びて着替えて、夕焼けの時間に波打ち際を散歩。なんてどう?」
「うん。大丈夫。……ていうかお昼寝するの!?」

「え! サーファーの母が昔から『太陽が真上の時間は海から上がって昼寝』って言ってて。……もしかして、うちだけのルール?」

 蒼真くんがきょとんとする。

「うちは、がっつり泳いで帰りの車で寝る派かな」
「じゃあ、母が帰りの運転で眠くならないためのルールかも。どうする? 海、もう一回入る?」
「お昼寝、してみたい! 帰りの運転も任せちゃうし。そういえば昨日、金曜日の体力テストだったでしょ? どうだった?」

 会話は途切れない。風がパラソルを鳴らし、寄り添った二人の影が、砂の上でひとつになった。
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