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クリスマスディナーの前に
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琉生と蒼真が出会って一年半を過ぎた頃。
クリスマスを翌週に控えた郊外の大型スーパーは、いつも以上に賑わっていた。
普段よりも装飾に気合いが入り、店頭にはパーティーを意識した華やかな食材がずらりと並ぶ。BGMはもちろん、耳に残るクリスマスソング。
「お義母さん、これでいい?」
「そうね、十キロでいいわ。そうちゃん、カートに乗せられる?」
「任せて。余裕だよ」
日向蒼真はそう言って、軽々と米袋をカートに積み上げた。
「あら、水無瀬さん! 久しぶりね」
背後から声をかけられ、水無瀬淑恵は振り返った。
「あら、吉田さん。小学校の卒業式以来かしら? ご無沙汰してます」
「まあ……息子さんとデート? 羨ましいわ。るいくん、ずいぶん大きくなったわね」
その言葉を口にした瞬間、吉田夫人の胸に、かすかな違和感が走った。
(水無瀬さんは、息子の小学校時代のクラスメイト“るいくん”のママよね?……ちょっと待って。あの頃のるいくんの面影が、どこにもないわ!?)
「ふふ、あらあら。お婿さんなのよ。買い物にも付き合ってくれて、とっても優しいの。消防士さんだから、重い荷物もへっちゃらでね。本当に自慢のお婿さんなのよ」
そう言いながら、淑恵は義理の息子である蒼真の背中を、景気よくパシパシと叩いた。
当の本人は、少し照れた様子で、ただニコニコしている。
その光景を前に、吉田夫人の頭の中は一気に真っ白になる。
(……え? 今、“お婿さん”って言った?)
思考を整理する間もなく、少し離れたところから、声が飛んできた。
「母さん、赤ワインの試飲やってるよ」
振り返った瞬間──
そこにいたのは、思わず息を呑むほどの、見目麗しい少女だった。
一瞬、時が止まる。
周囲では「仕方なく買い物に付き合っている」風情の旦那さんたちが、次々と振り返り、そして揃ってガン見する。
艶のある黒髪は肩に触れるほどのセミロング。化粧をしていないのに、長いまつ毛が縁取るアーモンド型の瞳には、不思議な吸引力があった。
ただ立っているだけなのに、視線をさらっていく。
その存在感は、煌びやかなクリスマス装飾にも負けないほどで、売り場の空気を一変させていた。
吉田は、美少女にじっと見つめられ思わず呼吸を忘れる。
「あ、たかくんのお母さんだ。お久しぶりです。琉生です」
想像よりも低くハスキーな声が、その美少女──琉生の口から自然にこぼれた。
「あ、るいくん……。大きくなったわね。相変わらず、綺麗なお顔してるわ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「それに、結婚おめでとう。素敵ねえ。うちの貴文なんて、今日も居間でスマホ片手にゴロゴロしてるわよ。デートに誘う相手もいないんじゃないかしら」
勢いに任せて、吉田夫人は琉生の背中をぺしぺしと叩いた。
「「ああああっ」」
次の瞬間だった。
蒼真と淑恵が同時に声を上げ、ほとんど反射的に琉生のもとへ駆け寄る。
蒼真は琉生を守るように身体を寄せ、淑恵もすぐ隣で心配そうに覗き込む。
あまりに必死な様子に、吉田夫人は思わずぎょっとして、琉生の袖をきゅっと掴んだ。
何がそこまで二人を焦らせているのか、まったく分からない。
「これくらい、大丈夫ですよ」
琉生はそう言って、目を白黒させている吉田夫人の手を、やさしく包み込むように握った。
その指先を確認すると、蒼真の手がすっと琉生の腰に添えられる。
「あ、僕……妊娠中なんです」
「え」
「え?」
「ええええーーー!!」
「わ、私ったら、なんてこと……! るいくん、ごめんなさいね!! 本当に大丈夫? 痛いところはない? お腹張ってきたりしてない? 本当にごめんなさいね!」
「大丈夫ですよ。先月までは、つわりがひどくて家族に心配をかけてしまって……。でも、もう安定期に入ったんです。それでも、みんな相変わらず過保護で」
少し照れたように笑って、続ける。
「今日もちょうど検診に行ってきたばかりで、二人とも元気だって言われました。……双子なんです」
そう言って、琉生は微笑む。
「まあ……まあ! それは素敵ね!」
蒼真が、ほっとしたように息を吐き、そっと琉生と目を合わせる。
「ほら、大丈夫だって」
「……俺が、くっつきたかっただけだよ」
小さく囁く琉生に、蒼真は笑って額を寄せる。
「もう……」
そのやり取りだけで、二人の距離の近さと甘さが伝わってくる。
若夫婦の自然すぎる溺愛ぶりに、吉田夫人の頬はみるみると赤く染まった。
「まあ!まあ……水無瀬さん、本当に素敵ね。こんなに熱々で、来年にはお孫さんまで……」
幸せそうな空気が、売り場いっぱいにふわりと広がった。
「母さん、試飲のワインもらいに行こうよ」
そこへ、のんきな声とともに水無瀬利生が現れた。
「まあまあ……旦那様もご無沙汰しております。私ったら、家族団らんの邪魔をしちゃったみたいね」
吉田夫人は、にやにやと口元を緩めながら一歩下がった。
「退散するわ。また素敵なお話、聞かせてね」
そう言い残して、上機嫌で去っていく。
「……母さんの知り合い?」
利生が首を傾げる。
「琉生の同級生のお母さんよ。吉田さんはおしゃべりだから、小学校の同級生界隈に、あっという間に広まるわね」
「そうなの? まあ、僕は別に気にしないけど」
「どんどん噂が広まってくれたら、俺は嬉しいな」
蒼真がさらりと言うと、琉生が少し照れたように笑う。
「ほらほら、また始まったわよ。二人の世界」
淑恵が楽しそうに肩をすくめる。
「母さん、ワイン飲みに行こう。帰りの運転はそうくんに任せよう。たまには、ゆっくりしないか?」
「無料のワインで、ね」
「え、機嫌悪い?僕、何か間違えた?」
「まあいいわ。たまにはいいわね。お金がなかった若い頃みたいで」
利生がそっと腕を差し出すと、淑恵は自然にその腕を取る。
二人は並んで、ワインコーナーへと歩き出した。
「あ……なんか、両親がラブラブしながら行っちゃった」
琉生が呆然と呟くと、蒼真はくすっと笑う。
「じゃあ、俺たちも買い物の続きをしようか。琉生、本当に体調は大丈夫?」
「平気。でも……くっつきたいから、僕たちも腕組もうよ」
少し甘えた声で言えば、蒼真は迷いなく腕を差し出す。
「クリスマスだしね」
二人は肩を寄せ合い、売り場の奥へと歩いていった。
♾️
吉田夫人──百合は、家に着いた瞬間、はたと立ち止まった。
「……琉生くん……男の子、よね?」
数秒の沈黙。
「……あれ? あれれれれれ?」
次の瞬間、家中に響き渡る声を張り上げた。
「貴文!! たかふみーーーっ!!」
「なんだよ、いきなり大声で!」
居間で寝巻きのままゴロゴロしていた息子が、母の絶叫にたたき起こされる。
「ねえ、ちょっと聞いて! さっき水無瀬琉生くんに会ったのよ!」
「はぁ~!! 俺の嫁に!?」
「はあぁ!? あんた何言ってるのよ!!」
即座に否定する百合をよそに、貴文は妙に得意げだ。
「俺と琉生はな、小学校で一番仲良かったんだぞ。いわゆる幼馴染ってやつだ。中学で離れ離れになったけど……俺は最初から分かってた」
「……何を?」
「琉生はΩだって」
「やっぱり!!」
百合は思わず膝を打った。
「るいくん、Ωだったのね。納得したわ~」
「琉生と同じ中学に行ったやつから聞いたんだよ。Ωだったって。それで思ったわけ。大人になった俺たちは、いつか再会して、恋に落ちて、結ばれる運命なんだって」
一拍置いて、得意満面に言い切る。
「つまり、嫁」
その瞬間。
百合は、がくりと膝から崩れ落ちた。
買い物袋の中には卵も入っていたが、そんなことに気を配れる余裕はなかった。全身から、すとんと力が抜ける。
「貴文……あんた、馬鹿だとは思ってたけど……ここまでとは……」
「は? 成人式が再会のチャンスだと思ってたのにさ……琉生、来なかったんだよ。それで、十年も会えなかった間に……どんな感じになってた?」
「目を見張るほどの美少女だったわよ!」
百合は、ぴしっと人差し指を立てる。
「ちょっと、そこで得意げな顔しないの!なんで私が一瞬、本気で女の子だと思ったか……分かる?」
「琉生は昔から美少女だろ?」
「違うでしょ!?昔は、“漫画から飛び出してきた美少年”だったのよ!」
百合は大きくため息をつく。
「それが今回はね、女性もののコートに、ゆったりしたセーター……」
一拍置いて。
「あれ、マタニティウェアだったのね」
沈黙。
「…………え?」
ここで、ようやく貴文の世界が崩れ始めた。
「……マタニティウェア?」
貴文の口から、間抜けた声が落ちた。
「え、え? マタニ……え? 妊娠? 誰が?」
百合は床に座り込んだまま、虚ろな目で天井を見つめる。
「……双子ですって」
「は?」
「お腹に双子」
「は???」
「それに、結婚してる」
「はあああああああ!!??」
今度は貴文が膝から崩れ落ちた。
「ちょ、待って待って待って!? 話が一気に進みすぎて脳が追いつかない!! 俺の琉生が妊娠してて、結婚してて、しかも双子!?」
「ええ。お腹、大事そうにしててね。旦那さんが横でずーっと腕組んで、肩抱いて、もうベッタベタ」
「…………」
貴文の目から、光が消えた。
「……俺の……俺の初恋……」
「初恋だったの!?」
「幼馴染で、Ωで、美少女で……運命だと思ってたのに……」
百合は、静かに息子の肩に手を置く。
「現実を見なさい、貴文」
「……」
「るいくんは、ただ友達。今は、他人の夫で、しかも妊夫で、双子の母になる人よ。あれ、父かしら?まあ、この際どっちでもいいわよ!」
「情報量が多すぎる!!」
貴文は頭を抱えた。
「ていうか、旦那って誰!? どんな男!?」
「消防士さん」
「消防士」
「背が高くて、がっしりしてて、優しそうで」
「消防士ってことは、俺と同じβ」
「るいくんのこと『大丈夫?』って抱き寄せて」
「αじゃなくて、βの消防士」
「完全に“守る男”だったわね」
「消防士ィィィィ!!」
床に突っ伏した。
「同じβなのに勝てる要素ゼロじゃん!!」
「ええ、ゼロね」
「俺、スマホ片手にゴロゴロしてただけなのに!!」
「そこが敗因よ」
「うわあああああ!!」
しばし、居間に嘆きが響いた。
やがて、貴文は顔を上げ、ぽつりと呟いた。
「……でもさ」
「なに?」
「Ωがさ……あえてβを選ぶなんて、相当強い気持ちがないと無理だよな……」
百合は、ふっと表情を和らげた。
「そうね。売り場の空気がね、ふわっと甘くなったの。あれは本物よ。愛の力だわ」
「……そっか」
貴文は、深く息を吐いた。
「じゃあ、いいや」
「え?」
「俺の負け。完敗」
そのまま床に寝転がり、天井を見つめる。
「開き直りが早いわね」
「琉生が幸せなら、それでいい」
貴文は、ぐったりと目を閉じた。
「俺もさ……ちゃんと現実見て生きるわ」
「それがいいわ」
少し間を置いて、貴文がぽつり。
「……で、今日の晩ごはん、なに?」
「卵料理は却下よ」
「なんで!?」
「さっき落としたから」
「俺の初恋と一緒に!?」
「うるさーい!!あんたのそういうとこがダメなのよ。るいくんの旦那さんはね、義理のお母さんの買い物を手伝ってたわよ。あんたも、たまには私の家事を手伝いなさい!」
百合の愚痴は、そこから止まらなかった。
いくら鈍感な貴文でも、その日のお小言だけは──少しだけ、胸に響いた。
クリスマスを翌週に控えた郊外の大型スーパーは、いつも以上に賑わっていた。
普段よりも装飾に気合いが入り、店頭にはパーティーを意識した華やかな食材がずらりと並ぶ。BGMはもちろん、耳に残るクリスマスソング。
「お義母さん、これでいい?」
「そうね、十キロでいいわ。そうちゃん、カートに乗せられる?」
「任せて。余裕だよ」
日向蒼真はそう言って、軽々と米袋をカートに積み上げた。
「あら、水無瀬さん! 久しぶりね」
背後から声をかけられ、水無瀬淑恵は振り返った。
「あら、吉田さん。小学校の卒業式以来かしら? ご無沙汰してます」
「まあ……息子さんとデート? 羨ましいわ。るいくん、ずいぶん大きくなったわね」
その言葉を口にした瞬間、吉田夫人の胸に、かすかな違和感が走った。
(水無瀬さんは、息子の小学校時代のクラスメイト“るいくん”のママよね?……ちょっと待って。あの頃のるいくんの面影が、どこにもないわ!?)
「ふふ、あらあら。お婿さんなのよ。買い物にも付き合ってくれて、とっても優しいの。消防士さんだから、重い荷物もへっちゃらでね。本当に自慢のお婿さんなのよ」
そう言いながら、淑恵は義理の息子である蒼真の背中を、景気よくパシパシと叩いた。
当の本人は、少し照れた様子で、ただニコニコしている。
その光景を前に、吉田夫人の頭の中は一気に真っ白になる。
(……え? 今、“お婿さん”って言った?)
思考を整理する間もなく、少し離れたところから、声が飛んできた。
「母さん、赤ワインの試飲やってるよ」
振り返った瞬間──
そこにいたのは、思わず息を呑むほどの、見目麗しい少女だった。
一瞬、時が止まる。
周囲では「仕方なく買い物に付き合っている」風情の旦那さんたちが、次々と振り返り、そして揃ってガン見する。
艶のある黒髪は肩に触れるほどのセミロング。化粧をしていないのに、長いまつ毛が縁取るアーモンド型の瞳には、不思議な吸引力があった。
ただ立っているだけなのに、視線をさらっていく。
その存在感は、煌びやかなクリスマス装飾にも負けないほどで、売り場の空気を一変させていた。
吉田は、美少女にじっと見つめられ思わず呼吸を忘れる。
「あ、たかくんのお母さんだ。お久しぶりです。琉生です」
想像よりも低くハスキーな声が、その美少女──琉生の口から自然にこぼれた。
「あ、るいくん……。大きくなったわね。相変わらず、綺麗なお顔してるわ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「それに、結婚おめでとう。素敵ねえ。うちの貴文なんて、今日も居間でスマホ片手にゴロゴロしてるわよ。デートに誘う相手もいないんじゃないかしら」
勢いに任せて、吉田夫人は琉生の背中をぺしぺしと叩いた。
「「ああああっ」」
次の瞬間だった。
蒼真と淑恵が同時に声を上げ、ほとんど反射的に琉生のもとへ駆け寄る。
蒼真は琉生を守るように身体を寄せ、淑恵もすぐ隣で心配そうに覗き込む。
あまりに必死な様子に、吉田夫人は思わずぎょっとして、琉生の袖をきゅっと掴んだ。
何がそこまで二人を焦らせているのか、まったく分からない。
「これくらい、大丈夫ですよ」
琉生はそう言って、目を白黒させている吉田夫人の手を、やさしく包み込むように握った。
その指先を確認すると、蒼真の手がすっと琉生の腰に添えられる。
「あ、僕……妊娠中なんです」
「え」
「え?」
「ええええーーー!!」
「わ、私ったら、なんてこと……! るいくん、ごめんなさいね!! 本当に大丈夫? 痛いところはない? お腹張ってきたりしてない? 本当にごめんなさいね!」
「大丈夫ですよ。先月までは、つわりがひどくて家族に心配をかけてしまって……。でも、もう安定期に入ったんです。それでも、みんな相変わらず過保護で」
少し照れたように笑って、続ける。
「今日もちょうど検診に行ってきたばかりで、二人とも元気だって言われました。……双子なんです」
そう言って、琉生は微笑む。
「まあ……まあ! それは素敵ね!」
蒼真が、ほっとしたように息を吐き、そっと琉生と目を合わせる。
「ほら、大丈夫だって」
「……俺が、くっつきたかっただけだよ」
小さく囁く琉生に、蒼真は笑って額を寄せる。
「もう……」
そのやり取りだけで、二人の距離の近さと甘さが伝わってくる。
若夫婦の自然すぎる溺愛ぶりに、吉田夫人の頬はみるみると赤く染まった。
「まあ!まあ……水無瀬さん、本当に素敵ね。こんなに熱々で、来年にはお孫さんまで……」
幸せそうな空気が、売り場いっぱいにふわりと広がった。
「母さん、試飲のワインもらいに行こうよ」
そこへ、のんきな声とともに水無瀬利生が現れた。
「まあまあ……旦那様もご無沙汰しております。私ったら、家族団らんの邪魔をしちゃったみたいね」
吉田夫人は、にやにやと口元を緩めながら一歩下がった。
「退散するわ。また素敵なお話、聞かせてね」
そう言い残して、上機嫌で去っていく。
「……母さんの知り合い?」
利生が首を傾げる。
「琉生の同級生のお母さんよ。吉田さんはおしゃべりだから、小学校の同級生界隈に、あっという間に広まるわね」
「そうなの? まあ、僕は別に気にしないけど」
「どんどん噂が広まってくれたら、俺は嬉しいな」
蒼真がさらりと言うと、琉生が少し照れたように笑う。
「ほらほら、また始まったわよ。二人の世界」
淑恵が楽しそうに肩をすくめる。
「母さん、ワイン飲みに行こう。帰りの運転はそうくんに任せよう。たまには、ゆっくりしないか?」
「無料のワインで、ね」
「え、機嫌悪い?僕、何か間違えた?」
「まあいいわ。たまにはいいわね。お金がなかった若い頃みたいで」
利生がそっと腕を差し出すと、淑恵は自然にその腕を取る。
二人は並んで、ワインコーナーへと歩き出した。
「あ……なんか、両親がラブラブしながら行っちゃった」
琉生が呆然と呟くと、蒼真はくすっと笑う。
「じゃあ、俺たちも買い物の続きをしようか。琉生、本当に体調は大丈夫?」
「平気。でも……くっつきたいから、僕たちも腕組もうよ」
少し甘えた声で言えば、蒼真は迷いなく腕を差し出す。
「クリスマスだしね」
二人は肩を寄せ合い、売り場の奥へと歩いていった。
♾️
吉田夫人──百合は、家に着いた瞬間、はたと立ち止まった。
「……琉生くん……男の子、よね?」
数秒の沈黙。
「……あれ? あれれれれれ?」
次の瞬間、家中に響き渡る声を張り上げた。
「貴文!! たかふみーーーっ!!」
「なんだよ、いきなり大声で!」
居間で寝巻きのままゴロゴロしていた息子が、母の絶叫にたたき起こされる。
「ねえ、ちょっと聞いて! さっき水無瀬琉生くんに会ったのよ!」
「はぁ~!! 俺の嫁に!?」
「はあぁ!? あんた何言ってるのよ!!」
即座に否定する百合をよそに、貴文は妙に得意げだ。
「俺と琉生はな、小学校で一番仲良かったんだぞ。いわゆる幼馴染ってやつだ。中学で離れ離れになったけど……俺は最初から分かってた」
「……何を?」
「琉生はΩだって」
「やっぱり!!」
百合は思わず膝を打った。
「るいくん、Ωだったのね。納得したわ~」
「琉生と同じ中学に行ったやつから聞いたんだよ。Ωだったって。それで思ったわけ。大人になった俺たちは、いつか再会して、恋に落ちて、結ばれる運命なんだって」
一拍置いて、得意満面に言い切る。
「つまり、嫁」
その瞬間。
百合は、がくりと膝から崩れ落ちた。
買い物袋の中には卵も入っていたが、そんなことに気を配れる余裕はなかった。全身から、すとんと力が抜ける。
「貴文……あんた、馬鹿だとは思ってたけど……ここまでとは……」
「は? 成人式が再会のチャンスだと思ってたのにさ……琉生、来なかったんだよ。それで、十年も会えなかった間に……どんな感じになってた?」
「目を見張るほどの美少女だったわよ!」
百合は、ぴしっと人差し指を立てる。
「ちょっと、そこで得意げな顔しないの!なんで私が一瞬、本気で女の子だと思ったか……分かる?」
「琉生は昔から美少女だろ?」
「違うでしょ!?昔は、“漫画から飛び出してきた美少年”だったのよ!」
百合は大きくため息をつく。
「それが今回はね、女性もののコートに、ゆったりしたセーター……」
一拍置いて。
「あれ、マタニティウェアだったのね」
沈黙。
「…………え?」
ここで、ようやく貴文の世界が崩れ始めた。
「……マタニティウェア?」
貴文の口から、間抜けた声が落ちた。
「え、え? マタニ……え? 妊娠? 誰が?」
百合は床に座り込んだまま、虚ろな目で天井を見つめる。
「……双子ですって」
「は?」
「お腹に双子」
「は???」
「それに、結婚してる」
「はあああああああ!!??」
今度は貴文が膝から崩れ落ちた。
「ちょ、待って待って待って!? 話が一気に進みすぎて脳が追いつかない!! 俺の琉生が妊娠してて、結婚してて、しかも双子!?」
「ええ。お腹、大事そうにしててね。旦那さんが横でずーっと腕組んで、肩抱いて、もうベッタベタ」
「…………」
貴文の目から、光が消えた。
「……俺の……俺の初恋……」
「初恋だったの!?」
「幼馴染で、Ωで、美少女で……運命だと思ってたのに……」
百合は、静かに息子の肩に手を置く。
「現実を見なさい、貴文」
「……」
「るいくんは、ただ友達。今は、他人の夫で、しかも妊夫で、双子の母になる人よ。あれ、父かしら?まあ、この際どっちでもいいわよ!」
「情報量が多すぎる!!」
貴文は頭を抱えた。
「ていうか、旦那って誰!? どんな男!?」
「消防士さん」
「消防士」
「背が高くて、がっしりしてて、優しそうで」
「消防士ってことは、俺と同じβ」
「るいくんのこと『大丈夫?』って抱き寄せて」
「αじゃなくて、βの消防士」
「完全に“守る男”だったわね」
「消防士ィィィィ!!」
床に突っ伏した。
「同じβなのに勝てる要素ゼロじゃん!!」
「ええ、ゼロね」
「俺、スマホ片手にゴロゴロしてただけなのに!!」
「そこが敗因よ」
「うわあああああ!!」
しばし、居間に嘆きが響いた。
やがて、貴文は顔を上げ、ぽつりと呟いた。
「……でもさ」
「なに?」
「Ωがさ……あえてβを選ぶなんて、相当強い気持ちがないと無理だよな……」
百合は、ふっと表情を和らげた。
「そうね。売り場の空気がね、ふわっと甘くなったの。あれは本物よ。愛の力だわ」
「……そっか」
貴文は、深く息を吐いた。
「じゃあ、いいや」
「え?」
「俺の負け。完敗」
そのまま床に寝転がり、天井を見つめる。
「開き直りが早いわね」
「琉生が幸せなら、それでいい」
貴文は、ぐったりと目を閉じた。
「俺もさ……ちゃんと現実見て生きるわ」
「それがいいわ」
少し間を置いて、貴文がぽつり。
「……で、今日の晩ごはん、なに?」
「卵料理は却下よ」
「なんで!?」
「さっき落としたから」
「俺の初恋と一緒に!?」
「うるさーい!!あんたのそういうとこがダメなのよ。るいくんの旦那さんはね、義理のお母さんの買い物を手伝ってたわよ。あんたも、たまには私の家事を手伝いなさい!」
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