氷の公爵は、捨てられた私を離さない

空月そらら

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番外編

第56話 豊穣の祈りと二人のダンス

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辺境伯領ヴァイスハルトに、実りの秋が訪れた。黄金色に輝く小麦畑が風に揺れ、果樹園にはたわわに実った果実が甘い香りを放っている。厳しい自然環境の辺境にあって、これほどの豊作は近年稀に見るものであり、領民たちの顔には喜びと活気が満ち溢れていた。これもひとえに、領主であるレオルド公爵の的確な指導と、そして「慈愛の奥方様」アリアの存在があってこそだと、誰もが感謝していた。

そして、この豊かな実りを祝い、神々への感謝を捧げるための、領内最大の祭り「収穫祭」の日がやってきた。城下町は数日前からお祭りムード一色となり、家々には色とりどりの飾り付けが施され、広場には様々な屋台が立ち並ぶ準備が進められていた。

アリアは、領主夫人として祭りの準備に積極的に関わっていた。城の厨房で、侍女たちや町の女性たちと一緒に、祭り用の特別なパンや菓子を焼いたり、保存食を作ったり。最初は「奥様がこのようなことを」と恐縮していた人々も、アリアの気さくで楽しそうな様子に、すぐに打ち解け、賑やかな笑い声が厨房に響いていた。

「まあ、アリア様! この焼き菓子の隠し味、素晴らしいですわ!」
「ありがとう。故郷の母から教わった、ささやかな知恵ですのよ」
「奥様がいらっしゃると、なんだか料理も楽しくなりますね!」

アリアは、人々と協力して何かを作り上げることに、純粋な喜びを感じていた。王都の窮屈な社交界では決して味わえなかった、温かな繋がりと充実感。ここが、自分の本当の居場所なのだと、改めて実感する瞬間だった。

祭りの当日、城下町の広場は、領民たちの熱気で埋め尽くされていた。色とりどりの民族衣装を身に纏った人々が、音楽に合わせて陽気に歌い、踊っている。子供たちは、目を輝かせながら屋台の間を駆け回り、大人たちは、豊穣の恵みであるエールやワインを酌み交わし、互いの労をねぎらっていた。

アリアは、レオルドから贈られた、秋らしい深緑色の美しいドレスを身に纏い、レオルドと共に広場を訪れた。二人の姿が現れると、領民たちから割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。

「公爵様! 奥様! 万歳!」
「今年の豊作は、お二人のおかげですぞ!」

レオルドは、普段の厳格な表情を少しだけ緩め、人々の声援に応えるように軽く手を上げた。その隣で、アリアは少し照れながらも、満面の笑みで人々に手を振った。

二人は、広場をゆっくりと歩きながら、領民たちとの交流を楽しんだ。子供たちに菓子を配り、老人たちの労をねぎらい、農民たちから今年の作柄について熱心に話を聞く。レオルドも、アリアが傍にいることで、以前よりもずっと自然に、そして穏やかに領民たちと接しているように見えた。

そんなアリアの姿を、レオルドは常に愛おしそうに見守っていた。彼女が他の男性と親しく話していると、さりげなく会話に加わり、アリアの肩に手を置いたりして、無言の牽制をするのも忘れない。その独占欲の強さは相変わらずだったが、アリアはもう、そんな彼の行動を微笑ましく受け止められるようになっていた。

日が暮れ、広場の中央に大きな焚き火が灯されると、祭りはクライマックスを迎えた。辺境の地に古くから伝わる、豊穣への感謝と来年への祈りを込めたダンスが始まったのだ。素朴だが力強い音楽に合わせて、人々が輪になって踊り始める。

アリアも、その楽しそうな雰囲気に、思わず手拍子をしていた。すると、不意にレオルドがアリアの前に立ち、少しだけ照れたような、しかし真剣な眼差しで、手を差し出した。

「……アリア。……一曲、踊ってくれないか?」

彼の突然の申し出に、アリアは驚いて目を見開いた。あの氷の公爵が、人前でダンスを? しかも、自分を誘ってくれるなんて。

「……よ、喜んで……!」

アリアは、胸の高鳴りを抑えながら、彼の手に自分の手を重ねた。レオルドは、アリアの手を優しく引き寄せ、踊りの輪の中へと導いた。

彼のリードは、少しぎこちなかった。おそらく、彼がこうして誰かと踊るのは、本当に久しぶりなのだろう。けれど、その不器用さが、かえってアリアの心を温かくした。

二人は、周りの人々の手拍子と温かい視線に包まれながら、ゆっくりとステップを踏んだ。見つめ合う瞳には、深い愛情と信頼が溢れている。言葉などなくても、互いの想いは痛いほど伝わっていた。

(ああ……なんて、幸せなんだろう……)

アリアは、彼の胸に顔をうずめたい衝動に駆られた。この瞬間が、永遠に続けばいいのに、と。

ダンスが終わり、二人は少しだけ人混みを離れ、燃え盛る焚き火を眺めていた。パチパチと火の粉が舞い上がり、夜空へと消えていく。

「素晴らしいお祭りでしたね、あなた」
「ああ。領民たちの笑顔が見られるのは、何よりの喜びだ。……これも、君がいてくれるおかげだな」

レオルドは、アリアの肩をそっと抱き寄せた。

「いいえ、あなたの素晴らしい統治と、皆さんの努力があったからですわ」

アリアは、彼の胸に寄り添いながら答えた。

二人は、しばらくの間、言葉もなく、ただ燃える炎を見つめていた。それは、過ぎ去った苦難の日々を燃やし尽くし、未来への希望を灯す炎のように見えた。

「来年も、その先もずっと……こうして、君と共に、この領地の豊穣を祝いたい」

レオルドが、静かに呟いた。

「はい……。私も、ずっと、あなたのそばで……」

アリアも、彼の言葉に応えるように、そっと呟いた。

収穫祭の夜。焚き火の暖かさと、愛する人の温もりに包まれながら、二人は辺境の地の未来と、自分たちの永遠の幸せを、静かに、しかし強く祈るのだった。その祈りは、きっと夜空の星々へと届き、祝福の光となって、二人とこの土地を照らし続けるだろう。
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