1 / 60
第1話 無慈悲な宣告
しおりを挟む
「――アリアナ・フォン・ベルンシュタイン侯爵令嬢。貴様との婚約は、本日をもって破棄させていただく」
凛、と張り詰めた空気が漂う王城の謁見の間。磨き上げられた大理石の床に、私の膝が縫い付けられたかのように動かない。目の前には、このエスタード王国の第一王子にして私の婚約者であらせられる、レオンハルト殿下が冷ややかな表情で立っていらっしゃる。その隣には、苦虫を噛み潰したような顔の宰相閣下。そして、周囲には壁際にずらりと並んだ高位貴族たちの好奇と侮蔑が入り混じった視線、視線、視線……。
(ああ……ついに、この日が来てしまったのですね)
まるで舞台の上の演者のように、私はただ一人、この冷たい劇場の中心に立たされていた。宣告された言葉の意味を、頭では理解している。けれど、心がそれを現実だと受け止めることを、頑なに拒否していた。だって、私は、この日のために――レオンハルト殿下の隣に立つに相応しい妃となるために、どれほどの努力を重ねてきたことか。
「理由を、お聞かせいただけますでしょうか、殿下」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。それでも、侯爵令嬢としての矜持が、私にかろうじて顔を上げさせた。どんな理由であれ、それを聞く権利くらいはあるはずだ。
レオンハルト殿下は、心底面倒くさそうに、美しいプラチナブロンドの髪をかきあげた。陽光を反射してきらめくその髪は、かつて私が憧れたもの。けれど今、その輝きは私を打ちのめす刃のように感じられた。空色の瞳が、温度のない光で私を射抜く。
「理由、か。簡単なことだ。君は、私の隣に立つには――この国の王太子妃となるには、あまりにも地味で、華がない」
地味で、華がない――。
その言葉は、まるで毒矢のように私の胸に突き刺さった。ぐらり、と視界が揺れる。必死に足を踏ん張り、倒れ込むことだけは避けなければと、それだけを考えた。
(地味……? 華がない……?)
確かに、私は流行りのドレスや宝石を追い求めることはしなかった。夜会でも、できるだけ目立たないように壁際に控えていることが多かった。けれど、それは……それは、殿下のためだったのに。殿下が「出しゃばる女は好かん」「妃は夫を立て、一歩下がって支えるものだ」と常々おっしゃっていたから。殿下の理想の妃に近づくために、私は自分の好みや華やかさを、ずっと、ずっと押し殺してきたというのに。
「それだけ……でございますか?」
「それだけ? それが最も重要なことだろう。国の顔となる王太子妃が、飾り気のない、陰気な女では話にならん。そうは思わないか?」
殿下は、まるで面白い見世物でも見るかのように、唇の端を歪めて私を見下ろす。周囲の貴族たちからも、くすくすという嘲笑が漏れ聞こえてくる。ああ、なんて屈辱的。
悔しさと悲しさで、視界が滲む。けれど、泣くわけにはいかない。ここで涙を見せれば、それこそ彼らの思う壺だ。私は奥歯を強く噛みしめ、背筋を伸ばした。
「……殿下のお考え、承知いたしました。これまで長きにわたり、婚約者としてお側に置かせいただきましたこと、感謝申し上げます」
震える声で、型どおりの挨拶を述べる。せめて、最後までベルンシュタイン侯爵家の令嬢として、恥ずかしくない態度を取らなければ。
私のその態度が、さらに殿下の癇に障ったのだろうか。彼は、吐き捨てるように言った。
「ふん、殊勝なことだな。まあ、君のような女には、隣国ガルディアの“冷徹公爵”あたりがお似合いだろう。鉄面皮で、血も涙もないと評判の男だ。地味で陰気な君とは、ある意味で釣り合いが取れるのではないか?」
ライオネル・フォン・ヴァルテンベルク公爵――ガルディア王国で最も権勢を誇る大貴族でありながら、その冷酷さと有能さで畏怖される人物。私も名前くらいは知っている。社交界でも、彼の話題は一種の禁忌のように扱われていた。そんな人物と私を一緒にするなんて。これは、最大限の侮辱だ。
(ひどい……あんまりだわ……)
もう、限界だった。顔から血の気が引き、立っているのがやっとだった。今にも崩れ落ちそうな私を、しかし、誰も助けようとはしない。彼らはただ、冷たく、あるいは面白そうに、この茶番劇の終わりを待っているだけ。
「宰相、あとはよしなに計らえ」
レオンハルト殿下は、私に一瞥もくれることなくそう言い放つと、さっさと踵を返して謁見の間を出て行かれた。まるで、道端の石ころでも蹴飛ばしたかのように、無関心に。
後に残されたのは、凍り付くような沈黙と、私の砕け散った心だけだった。
ああ、私のこれまでの人生は、一体、何だったのだろう――。そんな虚しい問いだけが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。この屈辱と絶望から、どうすれば抜け出せるというのだろうか。答えなんて、どこにも見つけられそうになかった。
凛、と張り詰めた空気が漂う王城の謁見の間。磨き上げられた大理石の床に、私の膝が縫い付けられたかのように動かない。目の前には、このエスタード王国の第一王子にして私の婚約者であらせられる、レオンハルト殿下が冷ややかな表情で立っていらっしゃる。その隣には、苦虫を噛み潰したような顔の宰相閣下。そして、周囲には壁際にずらりと並んだ高位貴族たちの好奇と侮蔑が入り混じった視線、視線、視線……。
(ああ……ついに、この日が来てしまったのですね)
まるで舞台の上の演者のように、私はただ一人、この冷たい劇場の中心に立たされていた。宣告された言葉の意味を、頭では理解している。けれど、心がそれを現実だと受け止めることを、頑なに拒否していた。だって、私は、この日のために――レオンハルト殿下の隣に立つに相応しい妃となるために、どれほどの努力を重ねてきたことか。
「理由を、お聞かせいただけますでしょうか、殿下」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。それでも、侯爵令嬢としての矜持が、私にかろうじて顔を上げさせた。どんな理由であれ、それを聞く権利くらいはあるはずだ。
レオンハルト殿下は、心底面倒くさそうに、美しいプラチナブロンドの髪をかきあげた。陽光を反射してきらめくその髪は、かつて私が憧れたもの。けれど今、その輝きは私を打ちのめす刃のように感じられた。空色の瞳が、温度のない光で私を射抜く。
「理由、か。簡単なことだ。君は、私の隣に立つには――この国の王太子妃となるには、あまりにも地味で、華がない」
地味で、華がない――。
その言葉は、まるで毒矢のように私の胸に突き刺さった。ぐらり、と視界が揺れる。必死に足を踏ん張り、倒れ込むことだけは避けなければと、それだけを考えた。
(地味……? 華がない……?)
確かに、私は流行りのドレスや宝石を追い求めることはしなかった。夜会でも、できるだけ目立たないように壁際に控えていることが多かった。けれど、それは……それは、殿下のためだったのに。殿下が「出しゃばる女は好かん」「妃は夫を立て、一歩下がって支えるものだ」と常々おっしゃっていたから。殿下の理想の妃に近づくために、私は自分の好みや華やかさを、ずっと、ずっと押し殺してきたというのに。
「それだけ……でございますか?」
「それだけ? それが最も重要なことだろう。国の顔となる王太子妃が、飾り気のない、陰気な女では話にならん。そうは思わないか?」
殿下は、まるで面白い見世物でも見るかのように、唇の端を歪めて私を見下ろす。周囲の貴族たちからも、くすくすという嘲笑が漏れ聞こえてくる。ああ、なんて屈辱的。
悔しさと悲しさで、視界が滲む。けれど、泣くわけにはいかない。ここで涙を見せれば、それこそ彼らの思う壺だ。私は奥歯を強く噛みしめ、背筋を伸ばした。
「……殿下のお考え、承知いたしました。これまで長きにわたり、婚約者としてお側に置かせいただきましたこと、感謝申し上げます」
震える声で、型どおりの挨拶を述べる。せめて、最後までベルンシュタイン侯爵家の令嬢として、恥ずかしくない態度を取らなければ。
私のその態度が、さらに殿下の癇に障ったのだろうか。彼は、吐き捨てるように言った。
「ふん、殊勝なことだな。まあ、君のような女には、隣国ガルディアの“冷徹公爵”あたりがお似合いだろう。鉄面皮で、血も涙もないと評判の男だ。地味で陰気な君とは、ある意味で釣り合いが取れるのではないか?」
ライオネル・フォン・ヴァルテンベルク公爵――ガルディア王国で最も権勢を誇る大貴族でありながら、その冷酷さと有能さで畏怖される人物。私も名前くらいは知っている。社交界でも、彼の話題は一種の禁忌のように扱われていた。そんな人物と私を一緒にするなんて。これは、最大限の侮辱だ。
(ひどい……あんまりだわ……)
もう、限界だった。顔から血の気が引き、立っているのがやっとだった。今にも崩れ落ちそうな私を、しかし、誰も助けようとはしない。彼らはただ、冷たく、あるいは面白そうに、この茶番劇の終わりを待っているだけ。
「宰相、あとはよしなに計らえ」
レオンハルト殿下は、私に一瞥もくれることなくそう言い放つと、さっさと踵を返して謁見の間を出て行かれた。まるで、道端の石ころでも蹴飛ばしたかのように、無関心に。
後に残されたのは、凍り付くような沈黙と、私の砕け散った心だけだった。
ああ、私のこれまでの人生は、一体、何だったのだろう――。そんな虚しい問いだけが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。この屈辱と絶望から、どうすれば抜け出せるというのだろうか。答えなんて、どこにも見つけられそうになかった。
1,123
あなたにおすすめの小説
辺境は独自路線で進みます! ~見下され搾取され続けるのは御免なので~
紫月 由良
恋愛
辺境に領地を持つマリエ・オリオール伯爵令嬢は、貴族学院の食堂で婚約者であるジョルジュ・ミラボーから婚約破棄をつきつけられた。二人の仲は険悪で修復不可能だったこともあり、マリエは快諾すると学院を早退して婚約者の家に向かい、その日のうちに婚約が破棄された。辺境=田舎者という風潮によって居心地が悪くなっていたため、これを機に学院を退学して領地に引き籠ることにした。
魔法契約によりオリオール伯爵家やフォートレル辺境伯家は国から離反できないが、関わり合いを最低限にして独自路線を歩むことに――。
※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています
とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜
入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】
社交界を賑わせた婚約披露の茶会。
令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。
「真実の愛を見つけたんだ」
それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。
愛よりも冷たく、そして美しく。
笑顔で地獄へお送りいたします――
見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ
しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”――
今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。
そして隣国の国王まで参戦!?
史上最大の婿取り争奪戦が始まる。
リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。
理由はただひとつ。
> 「幼すぎて才能がない」
――だが、それは歴史に残る大失策となる。
成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。
灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶……
彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。
その名声を聞きつけ、王家はざわついた。
「セリカに婿を取らせる」
父であるディオール公爵がそう発表した瞬間――
なんと、三人の王子が同時に立候補。
・冷静沈着な第一王子アコード
・誠実温和な第二王子セドリック
・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック
王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、
王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。
しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。
セリカの名声は国境を越え、
ついには隣国の――
国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。
「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?
そんな逸材、逃す手はない!」
国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。
当の本人であるセリカはというと――
「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」
王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。
しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。
これは――
婚約破棄された天才令嬢が、
王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら
自由奔放に世界を変えてしまう物語。
報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?
小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。
しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。
突然の失恋に、落ち込むペルラ。
そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。
「俺は、放っておけないから来たのです」
初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて――
ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。
復縁は絶対に受け入れません ~婚約破棄された有能令嬢は、幸せな日々を満喫しています~
水空 葵
恋愛
伯爵令嬢のクラリスは、婚約者のネイサンを支えるため、幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた。社交はもちろん、本来ならしなくても良い執務の補佐まで。
ネイサンは跡継ぎとして期待されているが、そこには必ずと言っていいほどクラリスの尽力があった。
しかし、クラリスはネイサンから婚約破棄を告げられてしまう。
彼の隣には妹エリノアが寄り添っていて、潔く離縁した方が良いと思える状況だった。
「俺は真実の愛を見つけた。だから邪魔しないで欲しい」
「分かりました。二度と貴方には関わりません」
何もかもを諦めて自由になったクラリスは、その時間を満喫することにする。
そんな中、彼女を見つめる者が居て――
◇5/2 HOTランキング1位になりました。お読みいただきありがとうございます。
※他サイトでも連載しています
婚約破棄ですか? 損切りの機会を与えてくださり、本当にありがとうございます
水上
恋愛
「エリーゼ・フォン・ノイマン! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する! 僕は真実の愛を見つけたんだ。リリィこそが、僕の魂の伴侶だ!」
「確認させていただきますが、その真実の愛とやらは、我が国とノイマン家との間で締結された政略的・経済的包括協定――いわゆる婚約契約書よりも優先される事象であると、そのようにご判断されたのですか?」
「ああ、そうだ! 愛は何物にも勝る! 貴様のように、金や効率ばかりを語る冷血な女にはわかるまい!」
「……ふっ」
思わず、口元が緩んでしまいました。
それをどう勘違いしたのか、ヘリオス殿下はさらに声を張り上げます。
「なんだその不敵な笑みは! 負け惜しみか! それとも、ショックで頭がおかしくなったか!」
「いいえ、殿下。感心していたのです」
「なに?」
「ご自身の価値を正しく評価できない愚かさが、極まるところまで極まると、ある種の芸術性を帯びるのだなと」
「き、貴様……!」
殿下、損切りの機会を与えてくださり本当にありがとうございます。
私の頭の中では、すでに新しい事業計画書の第一章が書き始められていました。
それは、愚かな王子に復讐するためだけの計画ではありません。
私が私らしく、論理と計算で幸福を勝ち取るための、輝かしい建国プロジェクトなのです。
【完結】 笑わない、かわいげがない、胸がないの『ないないない令嬢』、国外追放を言い渡される~私を追い出せば国が大変なことになりますよ?~
夏芽空
恋愛
「笑わない! かわいげがない! 胸がない! 三つのないを持つ、『ないないない令嬢』のオフェリア! 君との婚約を破棄する!」
婚約者の第一王子はオフェリアに婚約破棄を言い渡した上に、さらには国外追放するとまで言ってきた。
「私は構いませんが、この国が困ることになりますよ?」
オフェリアは国で唯一の特別な力を持っている。
傷を癒したり、作物を実らせたり、邪悪な心を持つ魔物から国を守ったりと、力には様々な種類がある。
オフェリアがいなくなれば、その力も消えてしまう。
国は困ることになるだろう。
だから親切心で言ってあげたのだが、第一王子は聞く耳を持たなかった。
警告を無視して、オフェリアを国外追放した。
国を出たオフェリアは、隣国で魔術師団の団長と出会う。
ひょんなことから彼の下で働くことになり、絆を深めていく。
一方、オフェリアを追放した国は、第一王子の愚かな選択のせいで崩壊していくのだった……。
【完結】婚約破棄に祝砲を。あら、殿下ったらもうご結婚なさるのね? では、祝辞代わりに花嫁ごと吹き飛ばしに伺いますわ。
猫屋敷 むぎ
恋愛
王都最古の大聖堂。
ついに幸せいっぱいの結婚式を迎えた、公女リシェル・クレイモア。
しかし、一年前。同じ場所での結婚式では――
見知らぬ女を連れて現れたセドリック王子が、高らかに宣言した。
「俺は――愛を選ぶ! お前との婚約は……破棄だ!」
確かに愛のない政略結婚だったけれど。
――やがて、仮面の執事クラウスと共に踏み込む、想像もできなかった真実。
「お嬢様、祝砲は芝居の終幕でと、相場は決まっております――」
仮面が落ちるとき、空を裂いて祝砲が鳴り響く。
シリアスもラブも笑いもまとめて撃ち抜く、“婚約破棄から始まる、公女と執事の逆転ロマンス劇場”、ここに開幕!
――ミステリ仕立ての愛と逆転の物語です。スッキリ逆転、ハピエン保証。
※「小説家になろう」にも掲載。(異世界恋愛33位)
※ アルファポリス完結恋愛13位。応援ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる