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序章
第21話 メイド長アミナ、鉄の仮面が崩れる
屋敷の尖塔が夕闇に沈んでいくのが見えた。
空はすでに茜色から群青色へと変わり、一番星が瞬き始めている。
「……完全に夕食の時間だわ」
私は屋敷の裏手、勝手口に近い壁際で足を止め、頭を抱えた。
朝に出たはずが、ベアロスとの戦闘、そして慣れない森からの帰路に予想以上の時間を食ってしまったのだ。
六歳の足で、泥道を歩くのは想像以上にハードだった。
今の私の姿は酷いものだ。
お気に入りのワンピースは泥と草の汁で汚れ、髪には枯れ葉が絡まり、膝には擦り傷。
どこからどう見ても「ちょっと庭で遊んでました」で済むレベルではない。
正面玄関から入れば、即座に衛兵に捕まり、大騒ぎになるだろう。
正面突破は不可能。
となると……。
私は視線を二階へ向けた。自分の部屋の窓だ。
あそこからこっそり入り、速攻で着替えて証拠隠滅。
そして何食わぬ顔でベッドに潜り込めば、あるいは「寝ていただけ」で通せるかもしれない。
「クロ、私の服の中に入っててくれる?」
「ミャン!」
肩の上にいたクロは、器用に私の首元へと潜り込んでくる。
ふわりとした毛並みが触れて、少しくすぐったい。
私は周囲に人の気配がないことを確かめ、静かに魔力を練り上げた。
「よし……風よ、我を抱き上げよ……」
私が小さな声で詠唱し、足元に上昇気流の渦を作りかけようとした、その瞬間だった。
「――そこで、何をなさるおつもりですか?」
背後からかけられた声。
それは、氷点下のように冷たく、けれど震えるほど熱い感情を孕んだ声だった。
ビクリ、と私の心臓が跳ね上がった。
集中が切れ、風の魔力が霧散する。
恐る恐る、油の切れたブリキ人形のように首を後ろへ巡らせる。
そこに立っていたのは、夕闇に溶け込むような漆黒のメイド服に身を包んだ、メイド長のアミナだった。
「あ、アミナ……。えっと、これは……その、お散歩を……」
言い訳を考えようとしたが、言葉が出てこない。
彼女の美しい顔には、いつもの涼やかな表情はなく、ただ蒼白な色が張り付いていたからだ。
その瞳が、泥だらけの私を捉え、揺れている。
「お嬢様……ッ!」
叱られる。
そう覚悟して身を竦めた私の予想は、完全に裏切られた。
ドサッ。
アミナはその場に膝をつき、勢いよく私を抱きしめたのだ。
強い力。
いつもの完璧で優雅な所作ではない。
なりふり構わない、必死な抱擁。
彼女の体温と、微かに震える鼓動が伝わってくる。
「ご無事で……! 本当によかった……!」
「アミナ……?」
「朝、お部屋にいらっしゃらないと気づいた時、私がどれほど肝を冷やしたか……! 一日中、屋敷中を、庭を、騎士総出で探したのですよ!? 誘拐か、それとも神隠しかと……!」
耳元で聞こえる彼女の声は涙声だった。
私の肩に、彼女の顔が埋められる。
泣いているの?
あの鉄の女、アミナが?
私の心は魔女のつもりでいたけれど、彼女たちにとっては、ただの病弱で無力な六歳の少女なのだ。
その子が一日中行方不明になれば、どれほどのパニックになるか。
私は自分の軽率さを恥じた。
心はずっと探究心が先行していた。それは、魔女としての気持ちだろう。だが、私には新たな家族がいるのだ。こういった思いつきの軽率な行動は、してはいけない。
「ごめんなさい、アミナ。……ただいま」
「……はい。おかえりなさいませ、エルシアお嬢様」
アミナはしばらく私を抱きしめたまま動かなかったが、やがてスッと体を離した。
その目元は少し赤かったが、表情はすでに、メイド長のそれに戻っていた。
いや、その瞳の奥には、逃さんぞという強い意志の光が宿っている。
「……旦那様と奥様が、食堂でお待ちです。覚悟しておいでください」
「……はい」
私は観念して頷いた。
アミナにガッチリと手を引かれ、私はドナドナされる子牛のような気分で、屋敷の中へと連行されていった。
空はすでに茜色から群青色へと変わり、一番星が瞬き始めている。
「……完全に夕食の時間だわ」
私は屋敷の裏手、勝手口に近い壁際で足を止め、頭を抱えた。
朝に出たはずが、ベアロスとの戦闘、そして慣れない森からの帰路に予想以上の時間を食ってしまったのだ。
六歳の足で、泥道を歩くのは想像以上にハードだった。
今の私の姿は酷いものだ。
お気に入りのワンピースは泥と草の汁で汚れ、髪には枯れ葉が絡まり、膝には擦り傷。
どこからどう見ても「ちょっと庭で遊んでました」で済むレベルではない。
正面玄関から入れば、即座に衛兵に捕まり、大騒ぎになるだろう。
正面突破は不可能。
となると……。
私は視線を二階へ向けた。自分の部屋の窓だ。
あそこからこっそり入り、速攻で着替えて証拠隠滅。
そして何食わぬ顔でベッドに潜り込めば、あるいは「寝ていただけ」で通せるかもしれない。
「クロ、私の服の中に入っててくれる?」
「ミャン!」
肩の上にいたクロは、器用に私の首元へと潜り込んでくる。
ふわりとした毛並みが触れて、少しくすぐったい。
私は周囲に人の気配がないことを確かめ、静かに魔力を練り上げた。
「よし……風よ、我を抱き上げよ……」
私が小さな声で詠唱し、足元に上昇気流の渦を作りかけようとした、その瞬間だった。
「――そこで、何をなさるおつもりですか?」
背後からかけられた声。
それは、氷点下のように冷たく、けれど震えるほど熱い感情を孕んだ声だった。
ビクリ、と私の心臓が跳ね上がった。
集中が切れ、風の魔力が霧散する。
恐る恐る、油の切れたブリキ人形のように首を後ろへ巡らせる。
そこに立っていたのは、夕闇に溶け込むような漆黒のメイド服に身を包んだ、メイド長のアミナだった。
「あ、アミナ……。えっと、これは……その、お散歩を……」
言い訳を考えようとしたが、言葉が出てこない。
彼女の美しい顔には、いつもの涼やかな表情はなく、ただ蒼白な色が張り付いていたからだ。
その瞳が、泥だらけの私を捉え、揺れている。
「お嬢様……ッ!」
叱られる。
そう覚悟して身を竦めた私の予想は、完全に裏切られた。
ドサッ。
アミナはその場に膝をつき、勢いよく私を抱きしめたのだ。
強い力。
いつもの完璧で優雅な所作ではない。
なりふり構わない、必死な抱擁。
彼女の体温と、微かに震える鼓動が伝わってくる。
「ご無事で……! 本当によかった……!」
「アミナ……?」
「朝、お部屋にいらっしゃらないと気づいた時、私がどれほど肝を冷やしたか……! 一日中、屋敷中を、庭を、騎士総出で探したのですよ!? 誘拐か、それとも神隠しかと……!」
耳元で聞こえる彼女の声は涙声だった。
私の肩に、彼女の顔が埋められる。
泣いているの?
あの鉄の女、アミナが?
私の心は魔女のつもりでいたけれど、彼女たちにとっては、ただの病弱で無力な六歳の少女なのだ。
その子が一日中行方不明になれば、どれほどのパニックになるか。
私は自分の軽率さを恥じた。
心はずっと探究心が先行していた。それは、魔女としての気持ちだろう。だが、私には新たな家族がいるのだ。こういった思いつきの軽率な行動は、してはいけない。
「ごめんなさい、アミナ。……ただいま」
「……はい。おかえりなさいませ、エルシアお嬢様」
アミナはしばらく私を抱きしめたまま動かなかったが、やがてスッと体を離した。
その目元は少し赤かったが、表情はすでに、メイド長のそれに戻っていた。
いや、その瞳の奥には、逃さんぞという強い意志の光が宿っている。
「……旦那様と奥様が、食堂でお待ちです。覚悟しておいでください」
「……はい」
私は観念して頷いた。
アミナにガッチリと手を引かれ、私はドナドナされる子牛のような気分で、屋敷の中へと連行されていった。
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