異世界での異生活

なにがし

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92話 トンカツの敵討ち

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 食料がまったくなくなったので、買い出しに行くことにした。
 北門から北メイン通りを歩き途中の路地を左に曲がり進む。しばらく歩くと雑貨屋に着く。
 店の前で掃除をしていた店員がヤスオに気づくと、頭を下げ挨拶した。入店拒否の心配は、もうないようだ。
 雑貨屋の前の道を右に曲がると、屋台通りだ。屋台通りで、買い物を始める。どうやら、雑貨屋の一悶着が街中に知れ渡ったのだろう。以前のようなモーセの奇跡は起こらなくなっていた。ただ、露骨に避けるのをやめ、警戒心を悟られないようにしているだけで、警戒されているのは変わらない。まだまだ、時間がかかると思うと溜息が出る。

 アリアドネ宅に帰ると、食事の準備を始める。その日の夕飯は総菜屋で購入したトンカツだ。ヤスオは米を研ぎ、みそ汁を作る。そして、皿に刻んだキャベツを置き、ポテトサラダを添えて、包丁で縦に切ったトンカツを置いた。     
 その皿をテーブルの上に置き、あとは、ご飯が炊き上がるのを待つだけ。
ご飯が炊き上がると、茶碗に盛り、お椀に味噌汁を注いで、テーブルに運ぶ。

──こ、これは…?

 テーブルのトンカツの上に、なにやら黒い物体が付着していた。その黒い物体は、長い触覚を前後左右に振りまわし、皿の上を蹂躙した。

「こ、この野郎」

 メスかもしれないと思いながら、まな板の上に茶碗とお椀を置き、壁に吊るされたハエ叩きを手にする。そして、黒い物体に対して振りかぶる。

──で、できない。

 皿の上は蹂躙され、すでに食材はヤスオの口に入る事はない。捨てるしかないのだが、どうしても食材ごと、黒い物体を叩くことができない。それを知ってか、黒い物体はトンカツの上で触覚をリズミカルに振りまわし、くつろいでいた。ヤスオは悔しくて、何度もジダンダを踏んだ。何とかできないかとテーブルの周りをグルグルと周り策を練った。だが妙案を思いつかず悔しくて、テーブルを蹴飛ばした。それが功を奏した。テーブルが激しく揺れ、その振動に驚いた黒い物体は、皿から逃げ出した。

──今だ。

 ヤスオは黒い物体に向けてハエ叩きを何度も振り下ろした。だが、サーチェ並みの素早い動きに翻弄され、当たる事はなくテーブルの裏に逃げ込まれてしまう。再びテーブルを蹴飛ばす。ポトッと床に黒い物体が落ちた。しかも、仰向けになっていて6本の手足をバタつかせていた。

「もらったぁぁぁぁ」

 この好機を逃すまいと、慌ててハエ叩きを振り下ろす。だが、テーブルに当たってしまい、振り下ろす事ができなかった。

──しまったぁぁぁ。

 黒い物体は体勢を立て直し、部屋の隅へ高速移動する。追いかけ何度もハエ叩きを振り下ろす。だが右に左にと方向を変え動きが読めず、当てる事ができない。それならば、と策を投じた。

「バカめ。かかったな。さぁ、観念してもらおうか」

 ヤスオも、ただ振り下ろしていたわけではない。逃げる方向を誘導し、黒い物体を壁に追い詰めた。逃げ場を失った黒い物体は、壁を登り始める。

──逃がさん。

 ヤスオは一気に間合いを詰めたが、黒い物体はすさまじい速さで壁を登り、すでにヤスオの背丈を超える高さまで達していた。だが、最短で天井へ向かっているので、その動きは単調で読みやすい。

「今度こそ、もらったぁぁぁ」

 ハエ叩きを力の限り振り、壁をたたく。黒い物体は壁から離れ、それをかわし体内に収納されていた羽を出し広げていた。だが、無理な体勢で飛んだあげく、ハエ叩きの風圧を浴びバランスを崩し、飛び出せず落下する。それでも、羽と6本の手足をジタバタして、何とか体勢を整え着地に成功していた。

 ヤスオの額に。

「うっぎゃぁぁぁぁぁ」

 ヤスオは、あわてて額に付着した黒い物体を払うが、バランスを崩し転倒する。倒れていく中、黒い物体が床に着地し逃げていく様子が見える。

──くそぉぉぉぉ。


 どのくらい時間が経っただろうか。まだ、ヤスオは床に寝そべっていた。転倒時、どこか、ケガをしたわけではない。ただ、戦いの敗北が、ヤスオの起き上がる気力を奪っていた。

(ヤスオ)

 そんなヤスオにアリアドネが、声をかける。

「アリ姉様。俺」
(あなた、バカねぇ)
「くっそぉぉ」

 こうして、トンカツの匂いだけを堪能し、その日の夕飯はネコまんまになった。

 翌朝、出かけようと準備していると、マチルダが訪ねてきた。ミノタウロス討伐の礼と、再戦と面会の日程を伝えにやってきていた。だが、その前に重要な事を聞かねばならん。

「マチルダさん。朝食は?」
「結構だ。済ませてきた」

──よかったぁぁぁ。

 また、食材が無くなるのかと心底、怯えた。安心したヤスオはお茶とお茶菓子にせんべいを差し出した。

「それで、ご用件は?」
「まずは、これを返したい」

 マチルダが差し出したのは、昨日貸した、ブロードソードと手拭いだった。ブロードソードを抜いて刀身を確認すると、綺麗に手入れされ、輝きを発していた。手拭いも宣言通り新しいもので、いい匂いがした。

「確かに、受け取りました」
「それで、再戦と面会だが、明日でどうだろうか?」
「いいですよ」
「では、明日の朝、迎えをよこす。用件は以上だ。これで、失礼する」

 ヤスオは玄関までマチルダに付き添った。

「昨日は本当に助かった。ヤスオの補助魔法と回復魔法に救われた。攻撃魔法の威力に驚いた。そなたほど、頼りになる男に会った事がない。ありがとう」

 マチルダは頬を赤く染め、潤った瞳をして礼をした。一旦、眼を閉じ開くと、いつもの厳しい表情に戻る。

「では明日、楽しみにしている」

 毅然として城に向かって歩き出す。見届けるとヤスオは、テーブルの上の片付けを始める。あっという間に話が終わったので、お茶には手を付けていなかった。だが、お茶菓子せんべいは、なくなっていた。

──いつの間に。

(ホント、早いわね。おそらく、刀身を見ていた間なのでしょうね。それより、吊り橋、まだ健在のようだったわよ。どうする?)
「時間が経てば、気も変わるでしょう。様子を見るしかないです」
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