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星と少女と、消えた名前
十四章『舞台の幕が下りる時』
しおりを挟む「幕引きは探偵の手で……」
その言葉は、物語の終わりと始まりを告げていた。
暁希は七々瀬の隣に寄り添うように腰かけた。
雪乃は言葉なく頷いた。
その目は二人の上に注がれていたが、慈愛に溢れているようだった。
「では、お言葉に甘えて、探偵らしく幕を引くとしましょうか」
「まず私が最初に不思議に思ったのは、密室が破られた瞬間の状況です」
「室内がざわめいていた、そのタイミングでシスターが現れましたね?」
「七々瀬さんは、どうしてその時だったと思いますか?」
「ちょうど校内を巡回していたから?」
「偶然ではありませんよ?初めから待っていたんです」
七々瀬は弱々しく首を振り、憔悴した声で呟いた。
「何を……言っているの?」
「普通は、扉が開けば、誰かが外から入ってきたと考えます」
「しかし実際は違ったんです。誰も室内には入らなかった」
「では、扉を開けたのは誰か」
雪乃は司祭台の脇の扉に歩み寄り、軽く手を触れた。
冷ややかな感触に、指先を微かに震わせて話を続ける。
「暁希さんは扉を室内、つまり内側から開けた。そして、外から入ってきたように声を出したんです」
七々瀬は息を詰めて、ただじっと見つめていた。礼拝堂に一瞬の静寂が落ちた。
「分かってしまえば単純なトリックです」
雪乃はゆっくり振り返り、静けさに満ちた視線を向けた。その時、遠くから響く鐘の音が、淡く空間を満たした。それは謎解きのフィナーレを告げるようで――
「ごめんなさい、消失トリックがまだでしたね」
「小道具のカーテンの内側には、シスター服があらかじめ仕込まれていました」
雪乃は説明しながら、カーテンを持ち上げる仕草を見せた。
「暁希さんがこの中に入り、リングを持ち上げるだけで――」
「顔だけを外に出して、存在を証明することができる」
指先で自身の顔を示し、首をゆるやかに傾けた。
「もちろん、首から下は既にシスター服を着ている状態です。だから多少難しいけれど――室内は暗く、光源はキャンドルだけですから、リハーサルで確認さえしておけば問題ないでしょう」
「あなたたちの席が、ちょうど見破られない為の最適な位置だった」
「最前列が開けられていた理由です」
雪乃は歩きながら言った。
「奇術部員はすべて共犯者、演技が必要な役割は元演劇部、マジックを行うのは元奇術部」
「主演は暁希さんの一人二役……」
雪乃の説明に、七々瀬は驚きのあまり、無意識に息を詰めていた。
「本当に……そんなことが可能なの?」
「小道具のカーテンの後ろから抜け出ると、ドア横の暗幕まで移動する」
そっと身を屈める仕草をする雪乃。
「扉脇の暗幕に残っていた、小さな裂け目の入ったカーテンと短い棒。あれが元々、消失トリックで使われた小道具ですね」
「そうして、いつまでも現れない暁希さんに観客がざわめきだす。観客は、さすがに仕込みではないと思います」
「知り合いを集めたくらいで、口止めをした程度でしょうか」
「部の復活公演で、学校に目を付けられたら困る」
「そんな言い訳でもすれば、十分でしょう」
「秘密の共有者は、少ないほうがいいですからね」
「さて、ここで先ほどの話とつながります……」
「シスターに扮した暁希さんは、自分で『外から入ってきた』ように見せかける」
「あまり速すぎてもいけませんし、遅すぎては室内にいるところを見つけられてしまう」
「ここが一番難しい部分と言えるでしょうか」
「もちろんシスター役を別で用意して、入ってくると同時に室外に出るトリックも可能でした……けれど、暁希さんは、そんなつまらない脚本では満足しなかった」
「暁希さんのユーモアが、それをよしとしなかった」
「そうして、無事にドアを開けることに成功した」
「あとは主演女優としての独壇場です」
雪乃はステンドグラスの輝きの中に踏み出した。
スポットライトを浴びる主演女優のように。
「最悪ここで正体がバレてもかまいません」
「むしろ暁希さんとしては、気づいてほしかったのではないでしょうか?」
「私ね。こんなことができるんだよ」
「ほら、私を見て!と」
窓の外を見つめながら話していた雪乃は、二人の方を振り返って話を続けた。
「ところが、七々瀬さんはこの場ではトリックに気づかずに学校中を探し回ってしまう」
「そ、そうよ、手紙は?暁希の声は??ロザリオも……」
七々瀬はうろたえるように言った。
「渡り廊下で、手紙を拾ったときの状況」
「覚えていますか?あなたが何と言ったか?」
「生徒に教職員、保護者だけで、怪しい外部の人はいなかった。そう言いました」
「けれど、居たのです」
「ほかの学校にいない。けれど清心館の生徒は誰一人、いることが当たり前の存在」
雪乃はウィンプルを手に取ると、そっと撫でてから言った。
「それはシスターなんです」
また鐘の音が鳴った。
雪乃は音、の方に視線を向けて続ける。
「教職員とは――すなわちシスターも含まれます」
「教会に怪しい人がいたか?」
「そう聞かれた時に、神父様が怪しい、とはなかなか言えません」
「その場にいて、当たり前の存在ですからね――」
雪乃は優しく七々瀬の手を取った。
そしてロザリオを握りしめるその手を、暁希に重ねた。温もりが、十字をそっと包み込んだ。
「――このロザリオは、シスターに扮した暁希さんが、修道服の内側からわざと落としたものです」
「渡り廊下ですれ違う一瞬の早業でした」
「宝物と言っていた、ロザリオの意味……」
「七々瀬さんはわかっていますか?」
「もちろん、音を出すことで、手紙に気づいてもらう事も重要ですが……」
「私を見て、私を見つけてよ」
「そんな暁希さんの、悲痛な心の叫びと想いが」
雪乃はゆっくりと瞳を閉じた。
目元が淡く滲んで見えるのは、礼拝堂の澄んだ光のせいだろうか。
「暁希さんは非常に心理トリックに長けた人だな、私はそう思いました」
「ですが、一つ誤算がありました」
「七々瀬さんがここまで冷静さを欠くとは、思っていなかった。これは暁希さんが、ご自身の演技力を過小評価していたせいもあるでしょう」
雪乃は、ポケットから自分のロザリオを取り出した。
鎖が擦れる音が、もの悲しく響いた。
「でも――」
「私は、手作りの地図を握りしめて学校中を探しまわる七々瀬さん」
「とってもかわいいと思いましたけれどね」
雪乃は慈しむような微笑を見せた。あるいはそれは、羨望の眼差しだったのかもしれない。
「そんな七々瀬さんは、私と偶然出会った。暁希さんもこれは好機だと思った。」
「二人なら、職員室に名簿の確認に来るだろう、そう考えます」
「そこで見た、七々瀬さんが普段は暁希さんに任せて
いたという名簿。その空白」
「それをみて私は、狂言の可能性に気づきました」
「つまり暁希さんの小道具……これは演劇だと――」
「この世は舞台だと」
雪乃は頭の中で、シェイクスピアを誦じているようだった。
「職員室は三十分程度、仲のいい教職員に、担当を変わってもらうだけ。理由なんてどうとでもなります」
「息抜きに展示でも見てきてください。そんなことを言ったのでしょう」
雪乃は腕時計に視線を落とした。
「彼女は生徒会役員として、学内外の方への案内はいつもしていましたから」
「職員室にはほとんど人は来ません、私たちがいる間シスターを演じるだけ」
高くなってきた陽の光が、雪乃の足元を照らしている。
靴の縁が光を柔らかく反射していた。
「渡り廊下ですれ違ったのも暁希さん、あなたですよね」
「随分お若いシスターとは思いましたが」
「まさかそれが生徒とは、夢にも思いませんでした」
七々瀬は憔悴しながらも、懸命に耳を傾け続けていた。
「新任のシスターが来るという情報で、すっかり騙されてしまいました」
「人は見たいものだけを見る、ということを証明してしまいました。それにしても、暁希さんの考えるとおりに動いてしまいましたね、私たちは」
「新しいシスターは来週から赴任だってね。白髪のおばあちゃんだそうよ」
「だから、このトリックができるのは今週だけだったの」
暁希はポツリとつぶやいた。
「暁希さん自身のアイデアを試す千載一遇のチャンスですものね」
「でもね、あなたが見たかった景色は、本当にこれだったのですか?」
真剣な顔で雪乃は言った。
暁希は何も答えずに、そっと目を伏せた。
「さて、いよいよ最後です。これが本当の幕ですよ」
「どうして七々瀬さんが、暁希さんのことを見つけることが出来なかったのか。これは不思議に思っているのではないでしょうか」
「私からお伝えすることもできますが――」
「もし、本人がお話できそうなら、お聞きしましょうか」
礼拝堂の中に、沈黙が落ちた。
登校してくる生徒の声が、遠い音楽のように聞こえてくる。世界がまどろみから目覚め始めているようだった。
どれくらい時間が経った頃だろう、声を絞り出して七々瀬は話し始めた。
「わからないの、私、何もわからない」
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