森の大樹の魔法使い茶寮

灯倉日鈴(合歓鈴)

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56、ノワゼアのこと

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 翌日には、大樹の家常連のノワゼアがやってきた。

「リルー、来てやったぞー。結婚しろー!」

「結婚はしないけど、いらっしゃい」

 自身の体長の四倍はある牡鹿を引きずってきた黒狐に挨拶する。

「随分大きな獲物を仕留めたね!」

「そうであろう。我は強いのだぞ」

 ふんぞり返る彼は愛らしい子狐だが、霊獣というからには普通の獣にはない特別な力があるのだろう。

「ノワ君って、魔法使えたりするの?」

「魔法ではないが、それなりに術は使えるぞ」

 変身の他にも技があるらしい。見世物のように強請ねだるのは違う気がして、リルは(機会があったら見たいなぁ)と心で呟くに留めた。

「じゃあ、料理作るね。ノワ君、何が食べたい?」

「ステーキとシチューとハム」

「ステーキとシチューは今日中にできるかな。ハムは無理だけど」

 街から戻ってきたばかりだから、食材は充実している。リルはノワゼアと連れ立って炊事場に行き、鹿の解体を始める。
 叔父が猟を趣味にしていたので、リルも見様見真似で獲物の捌き方を覚えた。命に感謝と祈りを捧げ、ナイフを入れる。
 鍋に水を張って竈に火をつけると、狐が赤い目を見開いた。

「リル、魔法が使えるようになったのか」

「まあね。ちょっとだけど」

 感心されると、得意になってしまう。
 一口大に切った肉を下茹でしてから、野菜と一緒に炒めて煮る。良い出汁が出そうなので、ノームからもらったキノコも入れてみた。
 グツグツと湯気の立つ鍋を、人型になったノワゼアが覗き込む。時折黒い三角耳が揺れるのが可愛らしい。

「ノワ君って人間の料理が好きだよね」

 最初に出会った時も、スイウに料理させるために食材を持ってきていた。リルの言葉に、宵朱狐は鍋から目を離さずに言う。

「別に生で食っても構わんのだが、人の食事の味にも慣れておこうと思ってな」

「どうして?」

 首を傾げるリルに、ニヤリと笑う。

「人の里に下りるつもりだった」

「えぇ!?」

 想像していなかった答えに、リルは目をしばたたかせた。

「人間に化けて街に来る予定だったの? なんでそんなことを……」

 驚きを隠せない人間の少女に、人の形をした狐は当然とばかりに言い放つ。

「それは、嫁を探すためだ!」

「……よめ?」

 これまた想定外の回答に呆然とするリルに、ノワゼアは続ける。

「我は宵朱狐最後の生き残りだ。我が子孫を残さねば、一族の血脈は絶たれてしまう。しかし、如何せん森には出会いが少ない。その点、街は石を投げれば当たるほど人間が居るのだろう? 我の嫁に成りうる女性にょしょうが見つかるのではないかと」

「……なるほど」

 ツッコミどころは多々あるが、種の存続のためには切実な問題だった。

「じゃあ、ノワ君はそのうち街に行っちゃうの?」

 重ねて尋ねるリルに、ノワゼアは首を横に振る。

「いや、もう行く必要はないな」

「どうして?」

 不思議顔のリルを見つめ、ノワゼアは牙のある白い歯を見せた。

「リルに逢ったから」

「へ!?」

「別に手近で済まそうとしているわけじゃないぞ。我はリルを好いている。誰でもなく、リルと結婚したい。だからもう、他は探さない」

「そ、そう……」

 ノワゼアの真摯な瞳から逃れるように、リルはギクシャクと視線を鍋に移した。

(どうしよう……)

 鍋を掻き回すレードルを持つ手が震えている。

 ……不覚にも、ときめいてしまった……。
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