屑の男

猫丸

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第一章 序章~闇~ 章介

1.屑の男

――小説家・津島章介つしましょうすけ氏の新作に触れ、我々は改めて戦後日本文学が歩むべき道を問わずにはいられない。今日文壇を賑わせているのは松本清張氏に代表される巨大な社会構造に挑むミステリであり、石原慎太郎氏が描く太陽に灼かれた若者達の肉体的告白である。津島氏の作品に見られる、出口のない袋小路に迷い込んだかのような私小説をありがたがる時代は終わった。この鬱々とした、まるで自慰行為を見せられているかのような筆致に、私は筆を執る者としての羞恥を覚える。すでにこのような作品は世に溢れ返っている。そこに留まる氏に女々しさすら感じてしまうのは果たして私だけであろうか――
 
 その批評を読み進めるうちに、全身の血がザワザワと波立ち、持つ手がぶるぶると震えた。インクで汚れた爪が、指先が、雑誌の表紙に食い込む。
「こいつは何もわかっちゃいない!」
 俺――津島章介は、読み終わるや否やその雑誌を二つに裂いた。いや、もう読んでいる時から既に雑誌は裂け始めていたかもしれない。
 だがそんなことはどうでもいい。
 俺の怒りは収まらず、特にその該当ページをぐちゃぐちゃに丸めた。その後しばらく踏み潰した後、再度丸めて、屑籠めがけて投げつけた。
 籐で編まれたそれは倒れ、中に入っていた捨てられた原稿用紙が、畳に散らばった。
 急激に上がった体温に、息も上がる。肩も胸も大きく上下していた。

 俺の剣幕に驚いて、「あらまぁ、どうなさったのです?」と、妻の初世はつよが書斎のふすまを開けた。
 そして散乱した紙屑に視線をやると、軽くため息をついてやれやれといった様子で、屑籠を立てそこに戻した。
 その表情に(いつものことだ)というような嘲りの色をかすかに感じとって、俺は初世の手元の屑籠を蹴り飛ばした。
 籠は砂壁に当たり小さな傷を作って跳ね返った。壁からぱらぱらと色砂が落ちた。
 初世は驚いて壁を見た後に、俺の顔を見上げて居住まいをただすと、子供をあやすように言った。
「そんな屑籠に当たったってしようがないじゃありませんか。担当の小舘こだてさんは貴方の作品は繊細で素晴らしいと褒めて下さっていたのだし、あの義成よしなりさんだってそうでしょう? ねぇ、章介さん。貴方は立派な小説家ではありませんか。そんな人の批判をしているだけで訳知り顔をしている人の意見なんかに耳を傾ける必要はありませんよ」
「知ったような口を聞くな! お前に文学の何がわかる!」
 俺は妻の言葉にも苛立ちを感じた。
 初世は俺がこの雑誌を読む前から、新作が酷評されているのを知っていたのだ。それでもなお、このような涼しい顔をして俺をなだめようとしている。
 それとも妻も俺の小説がつまらないものだとわかっていながら、何も言わず陰で嘲笑っていたのだろうか。
 しばらく初世の様子を見て思い直す。
 いや、この女に限ってそれはないだろう。この女は、文学の『ぶ』の字もわからぬ。
 読むものといったら、流行りのファッション雑誌のみ。容姿の美しさ以外、これといって取り柄のない、何も知らぬ無垢な女だ。
 わからぬから亭主が侮辱されていても、このようなすました顔をしていられるのだ。
 俺はしばらく嘲りの気持ちをもって、妻の手元を見つめていた。
 丸められた原稿用紙が一つのところに集められ、転がっていた屑籠に入れられていった。屑籠の円柱は歪に曲がっている。
 初世は、俺の容姿に釣り合う美人だと親戚から紹介され、「なるほど、確かにその通りだ」と、見合い結婚した女だった。
 俺は幼い頃より母親に似て線が細かった。涼し気な目元と、すっと通った鼻梁がまるで歌舞伎役者の女形の様だと言われて育った。
 俺が歩けば、なんという俳優だろうとすれ違う者は振り返った。初世はそんな俺にふさわしい、温室で育てられた憂き世を知らぬ花のような女だった。
 この女に物書きの繊細な心などわかるはずもない。
 俺は初世が生活費を入れている箪笥の引き出しから金を抜いた。
 袋の中には1,000円札一枚しかなかった。
「これしかないのか?」
 酒が一杯100円程度だ。つまみに突き出し。これではこの怒りを鎮めることなんてできないではないか。
「ですがそのお金は……」
 背後から初世が言いかけた言葉を無視をした。
 足りなくなったら、お前が俺の実家にでも泣きつけばいい。俺が言ってもどうせ冷たくあしらわれるだろうが、初世だったら実家の両親も兄も憐れんで金を渡すだろう。
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