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第一章 序章~闇~ 章介
2.立派な男
外に出ると、秋冷にふるっと身体を震わせた。
懐の寂しさと、見合いの席で「まぁ、小説家の先生なのですね! ご立派だわ」と頬を赤らめた初世の顔を思い出し、苦い気持ちがこみ上げてくる。あの頃はデビューしたばかりで、夢と希望に満ちていたのに。
沈んだ気分のまま、幼馴染の義成の店へとやってきた。
金がないから、結局いつもツケのきくこの店へ来るしかないのだ。
店内のテーブル席には2組の客がいた。カウンターには見たことのある、常連の年配客が一人。
「いらっしゃい……って、章介か。お前ねぇ、そんな辛気臭い顔で入ってくるなよ。料理がまずくなるだろ?」
「うるさい。俺がどんな顔していようがお前には関係ない」
「どうせ、また雑誌の書評だかなんかに傷ついて、奥さんに八つ当たりしてきたんだろ? 初世さんも大変だな」
やれやれと、カウンターの向こうで刺身の柵を切りながら義成は言った。
「ふん、知るか」
カウンター席の一番奥の席では五歳になる義成の息子、大成がおとなしく絵を描いていた。
その隣の席に「よう」と大成の頭を撫でながら座った。大成は少し顔を上げると「よう」と俺と同じように生意気に返事を返した。俺の目尻が下がり、口角が上がった。
子供の前であまり仕事の愚痴は言わない方がいいだろう。俺にだってそのくらいの矜持はある。
「いらっしゃいませ。ご注文はなんにしますか?」
女給の富栄が声をかけてきた。
「いつもの」と注文すると富栄は首を傾げた。富栄は最近この店で働き始めたからまだ覚えていないのだろう。
義成に視線をやると、「富栄ちゃん、これ」と、俺の顔を見るなり用意していた、いつもの二級酒の熱燗を渡した。
(もしかしたら、一級酒を頼むことだってあるかもしれないじゃないか)と幼馴染の気の利かせ具合を若干苦々しく思いつつ、俺は無言でそれを口にした。
義成の嫁は二年前に病で亡くなった。
奥さんの闘病中、義成は一人で店をしながら、奥さんの看病をし、大成の面倒も見ていた。
「なにか手伝うことがあったら言ってくれよ?」という俺に「嫁の実家が全部やってくれるから」と言って弱々しく笑った。
お見舞いすらも断られ、感染症なのか、奥さんの状態が思わしくないのかわからないが、人に会わせたくないのだろうと俺はなんとなく察した。
葬儀は近親者のみで密やかに行われたし、義成も愚痴は一切こぼさなかった。
俺は友人として、ただ見ているしかできなかったが、義成は本当に立派だった。
それに腐れ縁とはいえ、ずっとこんな俺の友人でいてくれているのだから、器の広い男だとも思う。
隣で大成は丸を描いていた。その中に点が二つと丸が一つ。
「大成、おとうちゃんの顔か? 上手だな」
俺は覗き込んで言った。大成は少し照れながらも嬉しそうに笑った。
改めて俺と違ってできた男だと感心して眺めていると、手を止めて、水を飲んでいる義成が俺の視線に気づいた。
「なんだ?」
「いや、お前は偉いなぁと思ってな」
「はっ、褒めてもツケは減らさないからな。いい加減ためすぎだ。他の店にもあるんだろ? ちゃんと支払えよ?」
俺は眉をひそめた。
あの無知な批評家の書評を読んだ時、何も知らぬ初世のうわべだけの慰めの言葉を聞いた時の嫌な感情が再び蘇ってきた。
「ふん。今度の原稿料が入ったらまとめて精算するさ。それにお前の店だって、奥さんの実家からたんまり資金援助してもらってるんだから、偉そうにするな」
そんなことを言いたいわけではなかったのだが、先ほど奪ってきた生活費ではツケを精算するには全然足りない。中途半端な支払いをして憐れみの目で見られるのが怖くて、口をついてそんな悪態が出てきた。
義成はむっとして、また調理台に向かった。
わかっている。わかっているのだ。
俺は気が弱いくせにプライドだけは高い。
俺とお前は全然違う。お前は開業資金を借りただけで、ちゃんと返済している。亡くなった奥さんや子供に対してその金に見合うだけの……いや、それ以上の行いをしている。
俺はただ周りから金を無心するだけの寄生虫のような存在だ。
学生時代は皆、俺とそう変わらなかったはずなのに、どこでこのような差がついてしまったのだろう。
俺はどこから間違った?
俺も黙り込んで、ただラジオから聞こえてくる音をぼんやりと聞いていた。
最近流行りの歌謡曲が流れている。あまり詳しくはない俺でもわかる曲が、ぶつりぶつりと雑音混じで流れてきた。
島倉千代子の『この世の花』
確か、北條誠の長編小説の映画主題歌に使われた大ヒット曲だ。
愛する男の子を腹に宿しながら、偽りの結婚に身を委ねなければならなかった女の悲恋物語。
どうして俺にはああいった人々の心揺さぶる作品が書けないのだと、焦燥感に苛まれる。
すると、その重い空気に不釣り合いな富栄の明るい声が店に響いた。
「この曲、私好きだわ。ふんふんふ~ん♪」
歌詞はうろ覚えなのだろう。悲恋の物語だというのに、明るい鼻歌が店内に響く。
店の者みんなの視線が自然と富栄に集まった。その視線に富栄も気づき顔を赤らめた。
「やだぁ、恥ずかしいわ。あまり見ないでくださいな」
下げた皿をシンクに置きながら、カウンターの中で、富栄は義成の肩を自分の肩で軽く小突いた。
この店には似つかわしくない、玄人女のような富栄のその行動に、俺は改めてまじまじと富栄の顔を見た。
なるほど。少々垢ぬけないものの、その客あしらいのうまさや親しみやすさは九州美人のそれだな、と思う。
恋人などはいないのだろうか。
初世のような東北美人とは違う。生命力が全身からあふれているような、明るい女だった。
ふと気づくと、隣で大成がうつらうつらとし始めていた。
手を休めて、二階の居住スペースへ連れてこうとした義成に変わり、俺が大成を抱きかかえて寝室へと連れて行った。
二階は六畳二間の和室が並んでいる。奥の部屋には奥さんの遺影が祀られた簡易的なお仏壇と、箪笥に鏡台。
その中央に一組の布団が敷かれていた。その布団の上に大成を寝かすと、俺もその隣にごろりと横になった。
布団の上から軽くリズムを取りながらぽんぽんとあやす。
すぐに寝息を立て始めた大成を見ながら(子供でもできたら俺も少しはまともになれるのだろうか)、少し酔いのまわった頭で考えた。
子供は嫌いではない。たまたま俺と初世にはまだいないというだけで。
だが、すぐに様々な忌まわしい記憶が蘇ってきて思い直す。
(俺なんかが、まともな親になれるはずがない……)
階下からは、富栄と客たちの陽気な話声、カチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえてきた。
自分のいるその空間だけが暗い。風が窓をたたく音が妙に耳障りだ。
俺は世間から見放されている、そんな気がした。
懐の寂しさと、見合いの席で「まぁ、小説家の先生なのですね! ご立派だわ」と頬を赤らめた初世の顔を思い出し、苦い気持ちがこみ上げてくる。あの頃はデビューしたばかりで、夢と希望に満ちていたのに。
沈んだ気分のまま、幼馴染の義成の店へとやってきた。
金がないから、結局いつもツケのきくこの店へ来るしかないのだ。
店内のテーブル席には2組の客がいた。カウンターには見たことのある、常連の年配客が一人。
「いらっしゃい……って、章介か。お前ねぇ、そんな辛気臭い顔で入ってくるなよ。料理がまずくなるだろ?」
「うるさい。俺がどんな顔していようがお前には関係ない」
「どうせ、また雑誌の書評だかなんかに傷ついて、奥さんに八つ当たりしてきたんだろ? 初世さんも大変だな」
やれやれと、カウンターの向こうで刺身の柵を切りながら義成は言った。
「ふん、知るか」
カウンター席の一番奥の席では五歳になる義成の息子、大成がおとなしく絵を描いていた。
その隣の席に「よう」と大成の頭を撫でながら座った。大成は少し顔を上げると「よう」と俺と同じように生意気に返事を返した。俺の目尻が下がり、口角が上がった。
子供の前であまり仕事の愚痴は言わない方がいいだろう。俺にだってそのくらいの矜持はある。
「いらっしゃいませ。ご注文はなんにしますか?」
女給の富栄が声をかけてきた。
「いつもの」と注文すると富栄は首を傾げた。富栄は最近この店で働き始めたからまだ覚えていないのだろう。
義成に視線をやると、「富栄ちゃん、これ」と、俺の顔を見るなり用意していた、いつもの二級酒の熱燗を渡した。
(もしかしたら、一級酒を頼むことだってあるかもしれないじゃないか)と幼馴染の気の利かせ具合を若干苦々しく思いつつ、俺は無言でそれを口にした。
義成の嫁は二年前に病で亡くなった。
奥さんの闘病中、義成は一人で店をしながら、奥さんの看病をし、大成の面倒も見ていた。
「なにか手伝うことがあったら言ってくれよ?」という俺に「嫁の実家が全部やってくれるから」と言って弱々しく笑った。
お見舞いすらも断られ、感染症なのか、奥さんの状態が思わしくないのかわからないが、人に会わせたくないのだろうと俺はなんとなく察した。
葬儀は近親者のみで密やかに行われたし、義成も愚痴は一切こぼさなかった。
俺は友人として、ただ見ているしかできなかったが、義成は本当に立派だった。
それに腐れ縁とはいえ、ずっとこんな俺の友人でいてくれているのだから、器の広い男だとも思う。
隣で大成は丸を描いていた。その中に点が二つと丸が一つ。
「大成、おとうちゃんの顔か? 上手だな」
俺は覗き込んで言った。大成は少し照れながらも嬉しそうに笑った。
改めて俺と違ってできた男だと感心して眺めていると、手を止めて、水を飲んでいる義成が俺の視線に気づいた。
「なんだ?」
「いや、お前は偉いなぁと思ってな」
「はっ、褒めてもツケは減らさないからな。いい加減ためすぎだ。他の店にもあるんだろ? ちゃんと支払えよ?」
俺は眉をひそめた。
あの無知な批評家の書評を読んだ時、何も知らぬ初世のうわべだけの慰めの言葉を聞いた時の嫌な感情が再び蘇ってきた。
「ふん。今度の原稿料が入ったらまとめて精算するさ。それにお前の店だって、奥さんの実家からたんまり資金援助してもらってるんだから、偉そうにするな」
そんなことを言いたいわけではなかったのだが、先ほど奪ってきた生活費ではツケを精算するには全然足りない。中途半端な支払いをして憐れみの目で見られるのが怖くて、口をついてそんな悪態が出てきた。
義成はむっとして、また調理台に向かった。
わかっている。わかっているのだ。
俺は気が弱いくせにプライドだけは高い。
俺とお前は全然違う。お前は開業資金を借りただけで、ちゃんと返済している。亡くなった奥さんや子供に対してその金に見合うだけの……いや、それ以上の行いをしている。
俺はただ周りから金を無心するだけの寄生虫のような存在だ。
学生時代は皆、俺とそう変わらなかったはずなのに、どこでこのような差がついてしまったのだろう。
俺はどこから間違った?
俺も黙り込んで、ただラジオから聞こえてくる音をぼんやりと聞いていた。
最近流行りの歌謡曲が流れている。あまり詳しくはない俺でもわかる曲が、ぶつりぶつりと雑音混じで流れてきた。
島倉千代子の『この世の花』
確か、北條誠の長編小説の映画主題歌に使われた大ヒット曲だ。
愛する男の子を腹に宿しながら、偽りの結婚に身を委ねなければならなかった女の悲恋物語。
どうして俺にはああいった人々の心揺さぶる作品が書けないのだと、焦燥感に苛まれる。
すると、その重い空気に不釣り合いな富栄の明るい声が店に響いた。
「この曲、私好きだわ。ふんふんふ~ん♪」
歌詞はうろ覚えなのだろう。悲恋の物語だというのに、明るい鼻歌が店内に響く。
店の者みんなの視線が自然と富栄に集まった。その視線に富栄も気づき顔を赤らめた。
「やだぁ、恥ずかしいわ。あまり見ないでくださいな」
下げた皿をシンクに置きながら、カウンターの中で、富栄は義成の肩を自分の肩で軽く小突いた。
この店には似つかわしくない、玄人女のような富栄のその行動に、俺は改めてまじまじと富栄の顔を見た。
なるほど。少々垢ぬけないものの、その客あしらいのうまさや親しみやすさは九州美人のそれだな、と思う。
恋人などはいないのだろうか。
初世のような東北美人とは違う。生命力が全身からあふれているような、明るい女だった。
ふと気づくと、隣で大成がうつらうつらとし始めていた。
手を休めて、二階の居住スペースへ連れてこうとした義成に変わり、俺が大成を抱きかかえて寝室へと連れて行った。
二階は六畳二間の和室が並んでいる。奥の部屋には奥さんの遺影が祀られた簡易的なお仏壇と、箪笥に鏡台。
その中央に一組の布団が敷かれていた。その布団の上に大成を寝かすと、俺もその隣にごろりと横になった。
布団の上から軽くリズムを取りながらぽんぽんとあやす。
すぐに寝息を立て始めた大成を見ながら(子供でもできたら俺も少しはまともになれるのだろうか)、少し酔いのまわった頭で考えた。
子供は嫌いではない。たまたま俺と初世にはまだいないというだけで。
だが、すぐに様々な忌まわしい記憶が蘇ってきて思い直す。
(俺なんかが、まともな親になれるはずがない……)
階下からは、富栄と客たちの陽気な話声、カチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえてきた。
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