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第二章 本編~迷走~ 章介
8.蕗の薹
「おい、しょーすけ。そんなに目を近づけると目が悪くなるぞ」
背後からの幼い声に、俺ははっとして没頭していた世界から抜け出した。
振り返れば階段を上がったところにあるふすまから、大成が顔を出していた。
「なんだ、大成。おとうちゃんの口真似か? 世話焼きなところがおとうちゃんによく似てきたな」
そう言って笑うと大成が「うるせー」と言って顔を引っ込めた。
階段を降りていく音がする。
ふわりと出汁と醤油の香りが鼻腔をくすぐり、ぐぅと軽く腹の虫が鳴いた。
「もう店を開ける時間か……」
俺は一人ごちた。
いつのまにか窓から差し込む日差しはやわらぎ、窓が茜色に染まっている。
万年筆を置いて、両手の指を絡ませ、ぐっと背伸びをすると、肩の関節がぽきぽきと鳴った。俺はふっと力を抜き、首の付け根を抑えながら頭を振った。
階下へ降りる途中、「大成、章介は?」「ちゃんと呼んだ」という会話が聞こえてきて、(あれで呼んだっていえるのか?)と思わず笑顔になった。
俺の姿を見ると、大成は「ほらな」という表情を浮かべ、義成を見た。
店内には気の早い年配の常連客が一人、開店と同時に座っている。
「章介、筆がのっているなら、店はまだすいているし、書いていてもいいぞ?」
天ぷらを揚げている義成が、こちらに視線だけ寄こして言った。
煮物の香りに油の香りが混じる。
ぱちぱちと油の跳ねる音が心地よい。
「いや、ちょうどキリの良いところまで書けたから大丈夫だ」
俺はそう言って、店と家の境の壁にかかっているエプロンをつけた。
俺は再び書き始めた。
誰に依頼されたわけでもない。
もう俺の原稿を受け取ってくれる出版社なんてどこにもないかもしれない。
だがそれでも良かった。
怒りでもなく、承認欲求でもなく、ただすべてをさらけ出して、この思いを文字に起こしたかっただけなのだ。
どうしようもない男が、愛を知って人生をやり直す物語。
俺もこの小説の主人公の様に、前を向いて生きていきたい。
そんな決意ともいえる物語を俺は書いていた。
(どうやら俺は根っからの物書きらしい)と苦笑いを浮かべた。
きっと俺は、誰に読まれなくても、書かずにはいられないのだろう。
「章介、今年の初物だ。ほら、揚げたてを皆で食べよう」
義成に呼ばれてそちらを見れば、皿の上に花が咲いたような形のフキノトウの天ぷらが三つ並んでいた。
「えっと、でも……」
(営業時間中だし、一人とはいえ客もいるのに……)と、ちらりとそちらに視線を移すと、その客と目が合った。
「大丈夫だよ。僕もサービスでもらっちゃったから」
日本酒を飲みながらその男はにかっと笑った。
笑うと男の歯が1本ないのが見えて、思わず楽しくなって俺も笑い返した。
「じゃあ、皆で東を向いて食べましょうか?」
「えー、オレ、コレ苦くて嫌いー」
そう言う大成の頭を撫でながら、「初物は東を向いて笑いながら食べると、幸せが訪れるんだ」と言ってカウンターの隅の、いつもの大成の席の隣に座った。
「東はどっちだ?」とか「食べ終わるまでしゃべっちゃいけないんだけっけ?」「それは、恵方巻ですよ」などと笑い合いながら、春の訪れを味わう。
サクッとした食感の後に訪れるほんのりとした苦み。
「……美味いな」
俺は、こみ上げてくるものを気づかれない様、ぎゅっと目を瞑ってその苦みを味わった。
目を開ければ、義成と目が合った。優しい眼差しに心が温まる。
隣には顔をしかめて天ぷらを味わっている大成の姿が。俺は思わず大成を抱きしめ、頬を寄せた。
背後からの幼い声に、俺ははっとして没頭していた世界から抜け出した。
振り返れば階段を上がったところにあるふすまから、大成が顔を出していた。
「なんだ、大成。おとうちゃんの口真似か? 世話焼きなところがおとうちゃんによく似てきたな」
そう言って笑うと大成が「うるせー」と言って顔を引っ込めた。
階段を降りていく音がする。
ふわりと出汁と醤油の香りが鼻腔をくすぐり、ぐぅと軽く腹の虫が鳴いた。
「もう店を開ける時間か……」
俺は一人ごちた。
いつのまにか窓から差し込む日差しはやわらぎ、窓が茜色に染まっている。
万年筆を置いて、両手の指を絡ませ、ぐっと背伸びをすると、肩の関節がぽきぽきと鳴った。俺はふっと力を抜き、首の付け根を抑えながら頭を振った。
階下へ降りる途中、「大成、章介は?」「ちゃんと呼んだ」という会話が聞こえてきて、(あれで呼んだっていえるのか?)と思わず笑顔になった。
俺の姿を見ると、大成は「ほらな」という表情を浮かべ、義成を見た。
店内には気の早い年配の常連客が一人、開店と同時に座っている。
「章介、筆がのっているなら、店はまだすいているし、書いていてもいいぞ?」
天ぷらを揚げている義成が、こちらに視線だけ寄こして言った。
煮物の香りに油の香りが混じる。
ぱちぱちと油の跳ねる音が心地よい。
「いや、ちょうどキリの良いところまで書けたから大丈夫だ」
俺はそう言って、店と家の境の壁にかかっているエプロンをつけた。
俺は再び書き始めた。
誰に依頼されたわけでもない。
もう俺の原稿を受け取ってくれる出版社なんてどこにもないかもしれない。
だがそれでも良かった。
怒りでもなく、承認欲求でもなく、ただすべてをさらけ出して、この思いを文字に起こしたかっただけなのだ。
どうしようもない男が、愛を知って人生をやり直す物語。
俺もこの小説の主人公の様に、前を向いて生きていきたい。
そんな決意ともいえる物語を俺は書いていた。
(どうやら俺は根っからの物書きらしい)と苦笑いを浮かべた。
きっと俺は、誰に読まれなくても、書かずにはいられないのだろう。
「章介、今年の初物だ。ほら、揚げたてを皆で食べよう」
義成に呼ばれてそちらを見れば、皿の上に花が咲いたような形のフキノトウの天ぷらが三つ並んでいた。
「えっと、でも……」
(営業時間中だし、一人とはいえ客もいるのに……)と、ちらりとそちらに視線を移すと、その客と目が合った。
「大丈夫だよ。僕もサービスでもらっちゃったから」
日本酒を飲みながらその男はにかっと笑った。
笑うと男の歯が1本ないのが見えて、思わず楽しくなって俺も笑い返した。
「じゃあ、皆で東を向いて食べましょうか?」
「えー、オレ、コレ苦くて嫌いー」
そう言う大成の頭を撫でながら、「初物は東を向いて笑いながら食べると、幸せが訪れるんだ」と言ってカウンターの隅の、いつもの大成の席の隣に座った。
「東はどっちだ?」とか「食べ終わるまでしゃべっちゃいけないんだけっけ?」「それは、恵方巻ですよ」などと笑い合いながら、春の訪れを味わう。
サクッとした食感の後に訪れるほんのりとした苦み。
「……美味いな」
俺は、こみ上げてくるものを気づかれない様、ぎゅっと目を瞑ってその苦みを味わった。
目を開ければ、義成と目が合った。優しい眼差しに心が温まる。
隣には顔をしかめて天ぷらを味わっている大成の姿が。俺は思わず大成を抱きしめ、頬を寄せた。
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