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第四章 終章~贖罪~ 章介
7.誘惑
暗くなった街を行く当てもなく歩く。
泥だらけの服と、腫れた頬。鼻血は顔にこびりついていて、シャツにも垂れてしみになっていた。
街に人は溢れているけれど、そんな姿でふらふらと歩く俺に声をかけてくる者はいない。
周りに人がいた時には、俺は自らの殻に閉じこもって孤独を装っていた。
そうしてすべてを失って、初めて本当の孤独に気づいたのだ。
ぺっと、血の混じった唾を吐き捨てた。
散々親父に殴られた後、小舘と初世が昨日、二人で初世の実家を訪れたことを知った。
そして初世が小舘の子を妊娠したこと。俺と離婚して、小舘と再婚したいと話したという。
突然の出来事に、両家で話し合いが持たれていたその最中に、連絡がつかなくなっていた俺が現れたらしい。
双方の意思が固いことから俺達は離婚という方向で話は決まったのだが、仲人への説明や、初世を通して借りていたお金についてはこれからの話し合いとなった。
惨めだった。
「何年かかっても返します」という俺の言葉を無視して話は進んでいく。俺に返済能力がないことがわかっているからだ。
「お前は黙っていろ。この恥さらしが」
そういわれると返す言葉もなかった。
互いの面目を保つことに双方必死で、もうそれは起きてしまった事実や俺達の意思などは関係ない。
どこか折り合いのつくところに落ち着くのだろう。
俺はその話し合いの最中も、今もずっと義成のことを考えていた。
もう少し小舘と初世が早く実家に行っていたのなら、義成と俺は違っていただろうか。
俺がすべてを正直に話していたら違っただろうか。
いや、そうではない。
義成はもう俺を信じることができないのだろう。
そして義成なら、事実がどうであれ、初世が俺の子として育てたいと望むのなら、子供の為に身を引くに違いない。
俺はそうなる事を恐れて、義成に初世のお腹の中にいる子供のことを話せなかったのだ。
それらはすべて俺の行動が招いた結果。
「そりゃ、愛想尽かされても当然だよなぁ……」
義成は俺がいなくても幸せに生きていける。
だが俺は……。
気づくのが遅すぎた。
古びた木製の電柱に頭を何度もぶつけて、俺は自分を責めた。
みんな俺を避けて通る。
頭蓋骨や脳が揺れる度に、一つずつ罪が消えていけばいいのにと願わずにいられない。
すべての罪を償えば、俺はまたお前に会いに行っても良いか?
だがもうその償い方もわからない。
ただ、ひたすら義成に会いたかった。
「あら、誰かと思ったら章介さんじゃない」
俺ははっと顔を上げた。
「と、富栄……?」
見ると派手なワンピースドレスを着た富栄がそこにいた。隣にはスーツを着た中年男性がいる。
「ママが『電柱のところに気持ちの悪い酔っ払いがいる』っていうから見物に来たんだけど、まさか章介さんだったなんて! しかもその顔! いい男が台無しじゃない」
そう言ってけらけら笑った。
「知り合い?」
「えぇ、ちょっとね」
隣にいた中年男性が富栄に尋ねて、二人は二言三言会話を交わすと、男はビルの中へ消えていった。
その姿を視線で追っていると、それに気づいた富栄が「あぁ、私今、ここで働いているのよ」と言った。
俺はバツが悪くなって、先程まで電柱にぶつけていた額を押さえた。
「あぁ、ホントひどい姿ねぇ。ほら、治療してあげるからついて来て」
「いや、大丈夫……」
抵抗する俺を、富栄は強引に店へ連れて行った。
「ほら。とりあえずその泥と鼻血を拭きなさい」
店のバックヤードで手拭いを渡される。
鏡をのぞきこめば、頬は腫れ、擦り傷だらけの自分の顔があった。
「染みるけどちょっと我慢してね」
腫れた頬を冷たいおしぼりで冷やしていると、富栄が俺の手の傷に赤チンを塗ってきた。その痛みに顔が歪む。
それを見て富栄がまたけらけらと笑った。
その底抜けの明るさに、俺も沈んでいた気持ちが少し軽くなった。
「赤チンは色がつくからいいよ。こんなの放っておけば治るし」
「あら、傷が残ったら大変じゃない」
「男が傷の一つや二つ残ったくらいで別に気にすることじゃないだろ?」
心の痛みに比べたらこんな傷、大したことはない。むしろ痛い方が気を紛らわせてくれる。
「ふふ。自暴自棄になってるのね。義成さんと喧嘩でもしたのかしら? そうだわ、章介さん! 行くところがないのなら……また私のところへくる?」
俺は驚いて富栄の顔を凝視した。
富栄は笑っていた。その瞳の奥には怪しい光が宿っている。
これは救いか破滅への入口か。
人生の一寸先は闇。
手を伸ばせばそこに、新たな誘惑が待っている。
泥だらけの服と、腫れた頬。鼻血は顔にこびりついていて、シャツにも垂れてしみになっていた。
街に人は溢れているけれど、そんな姿でふらふらと歩く俺に声をかけてくる者はいない。
周りに人がいた時には、俺は自らの殻に閉じこもって孤独を装っていた。
そうしてすべてを失って、初めて本当の孤独に気づいたのだ。
ぺっと、血の混じった唾を吐き捨てた。
散々親父に殴られた後、小舘と初世が昨日、二人で初世の実家を訪れたことを知った。
そして初世が小舘の子を妊娠したこと。俺と離婚して、小舘と再婚したいと話したという。
突然の出来事に、両家で話し合いが持たれていたその最中に、連絡がつかなくなっていた俺が現れたらしい。
双方の意思が固いことから俺達は離婚という方向で話は決まったのだが、仲人への説明や、初世を通して借りていたお金についてはこれからの話し合いとなった。
惨めだった。
「何年かかっても返します」という俺の言葉を無視して話は進んでいく。俺に返済能力がないことがわかっているからだ。
「お前は黙っていろ。この恥さらしが」
そういわれると返す言葉もなかった。
互いの面目を保つことに双方必死で、もうそれは起きてしまった事実や俺達の意思などは関係ない。
どこか折り合いのつくところに落ち着くのだろう。
俺はその話し合いの最中も、今もずっと義成のことを考えていた。
もう少し小舘と初世が早く実家に行っていたのなら、義成と俺は違っていただろうか。
俺がすべてを正直に話していたら違っただろうか。
いや、そうではない。
義成はもう俺を信じることができないのだろう。
そして義成なら、事実がどうであれ、初世が俺の子として育てたいと望むのなら、子供の為に身を引くに違いない。
俺はそうなる事を恐れて、義成に初世のお腹の中にいる子供のことを話せなかったのだ。
それらはすべて俺の行動が招いた結果。
「そりゃ、愛想尽かされても当然だよなぁ……」
義成は俺がいなくても幸せに生きていける。
だが俺は……。
気づくのが遅すぎた。
古びた木製の電柱に頭を何度もぶつけて、俺は自分を責めた。
みんな俺を避けて通る。
頭蓋骨や脳が揺れる度に、一つずつ罪が消えていけばいいのにと願わずにいられない。
すべての罪を償えば、俺はまたお前に会いに行っても良いか?
だがもうその償い方もわからない。
ただ、ひたすら義成に会いたかった。
「あら、誰かと思ったら章介さんじゃない」
俺ははっと顔を上げた。
「と、富栄……?」
見ると派手なワンピースドレスを着た富栄がそこにいた。隣にはスーツを着た中年男性がいる。
「ママが『電柱のところに気持ちの悪い酔っ払いがいる』っていうから見物に来たんだけど、まさか章介さんだったなんて! しかもその顔! いい男が台無しじゃない」
そう言ってけらけら笑った。
「知り合い?」
「えぇ、ちょっとね」
隣にいた中年男性が富栄に尋ねて、二人は二言三言会話を交わすと、男はビルの中へ消えていった。
その姿を視線で追っていると、それに気づいた富栄が「あぁ、私今、ここで働いているのよ」と言った。
俺はバツが悪くなって、先程まで電柱にぶつけていた額を押さえた。
「あぁ、ホントひどい姿ねぇ。ほら、治療してあげるからついて来て」
「いや、大丈夫……」
抵抗する俺を、富栄は強引に店へ連れて行った。
「ほら。とりあえずその泥と鼻血を拭きなさい」
店のバックヤードで手拭いを渡される。
鏡をのぞきこめば、頬は腫れ、擦り傷だらけの自分の顔があった。
「染みるけどちょっと我慢してね」
腫れた頬を冷たいおしぼりで冷やしていると、富栄が俺の手の傷に赤チンを塗ってきた。その痛みに顔が歪む。
それを見て富栄がまたけらけらと笑った。
その底抜けの明るさに、俺も沈んでいた気持ちが少し軽くなった。
「赤チンは色がつくからいいよ。こんなの放っておけば治るし」
「あら、傷が残ったら大変じゃない」
「男が傷の一つや二つ残ったくらいで別に気にすることじゃないだろ?」
心の痛みに比べたらこんな傷、大したことはない。むしろ痛い方が気を紛らわせてくれる。
「ふふ。自暴自棄になってるのね。義成さんと喧嘩でもしたのかしら? そうだわ、章介さん! 行くところがないのなら……また私のところへくる?」
俺は驚いて富栄の顔を凝視した。
富栄は笑っていた。その瞳の奥には怪しい光が宿っている。
これは救いか破滅への入口か。
人生の一寸先は闇。
手を伸ばせばそこに、新たな誘惑が待っている。
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