蜘蛛の巣

猫丸

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10.最終話※

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「よしっ」

 風呂上がり、伊吹は握りこぶしを作り、小声で自分に気合を入れた。

 知朱はソファで足を組みながら、外山の起こしたオメガ暴行事件のニュースを見ていた。
 外山の実家が地方の有名な新聞社で、その地域の政治家だけでなく国会議員や大臣経験者とも深く繋がりのある家だったため、この事件は大きく取り上げられている。

「あの、知朱…」

 リビングのドアを開けると、知朱はチャンネルを変えた。

「どうした?そんなかっこして。風邪引くぞ?」

 バスローブをまとっただけの伊吹をみて優しく微笑んだ。

「あの……抱いてほしいんだけど…」

 意を決して、バスローブの合わせを開き、肩から抜いて床に落とした。
 中には何も着ていない。
 外山達に拘束され傷ついた身体は、首や手首だけでなく全身に青あざが残っていた。
 風呂上がりなので包帯もしていない、そのままの姿だ。
 痛ましげに目を見張る知朱の視線を感じ、こんな貧弱でボロボロな身体で何言ってるんだと、恥ずかしくなったがもう引き返せない。
 うつむき、全身を真っ赤ににしてその視線に耐えた。

 知朱はしばらく驚いて伊吹を見つめていたが、正気に戻ると、口を抑え、急にどぎまぎして視線をそらした。

「そ、その……」
「だめ……?」

 他の男の手に触れられたから?
 もう、好きじゃなくなった?
 羞恥と不安で、泣きたくなった。

 涙で潤んだ瞳ですがるように知朱を見つめる。

「そうじゃなくて…あんなことがあった後だし、気持ちも身体も辛いだろ?俺のせいであんな思いして………俺はもうこれ以上、伊吹に痛い思いも辛い思いもしてほしくない…」

 近づいて、落ちたバスローブを肩にかけ、伊吹を抱きしめる。知朱の方が顔をしかめ、泣きそうだった。
 この人はなんて優しいんだろう。

「違う。だからこそ、知朱であの感触を消してほしいと思って。知朱から与えられた痛みに変えてほしい」

 井雲の喉がごくりとなった。

「……大丈夫…なのか?」
「……お願いします」
「はぁ……やっぱり伊吹はかっこいいな…」

 そう言って井雲は、息吹を抱きかかえ、寝室へと連れて行った。

 *

 知朱は自分の部屋のベッドに伊吹を優しく下ろすと、口づけをした。
 自身の唇で、伊吹の上唇を優しく挟んではむはむし、伊吹の口を開けさせると、口腔内に舌が侵入してきた。

「ん…」

 知朱の舌は伊吹の舌を捉える。
 舌を絡めながら互いを確認する。

 呼吸のためにぷはっと唇が離れると、知朱の舌は下へと移動し、胸の淡いピンクの頂をやわやわと刺激する。
 片手で摘んだり押しつぶしたり、時々かりっと軽く歯を立てると、伊吹の乳首はピンと立ち、てらてらと輝いた。
 知朱の手が伊吹の下半身へと伸び、屹立したペニスを上下に扱くと、すぐに鈴口から透明な液が滴り始める。

「あ…あ…気持ちいい……」
 
 知朱は乳首から口を離し、伊吹のペニスを口に含んだ。
 ペニスに刺激を与えられ、伊吹の身体は素直に快楽を伝える。
 知朱はカリ首から全体を舐め、伊吹の表情を楽しそうに見ながら陰茎や裏筋をぺろぺろと舐め陰嚢を揉みしだいた。
 そして全体を咥え、じゅぶじゅぶと上下に口を動かすと伊吹のペニスはあっけなく達した。

「ふふ、伊吹の気持ちよさそうな顔は新鮮だな。かわいい」

 そして、伊吹の股を開き、後孔に触れると再び顔をしかめた。

「…伊吹、やっぱり今日は入れるのはやめといたほうが…。たくさん気持ちよくさせるから…」

 外山に無理やり指を突っ込まれた未開の穴は裂けてひどく傷ついていた。
 優しく穴の縁をなぞる知朱の指ですら、ピリッとしたしむるような痛みを与える。
 こんな状態で入れたら再び傷つくことは間違いない。

「ひどい、こんなに期待させてから?僕は入れたい。痛くてもいいから、裂けてもいいから、知朱のを入れてほしい。初めては知朱がいい。知朱じゃなきゃいやだ」

 伊吹は、伊吹の身体を気遣い戸惑う知朱のペニスを口に咥えた。
 その気にさせようと、拙い動作で必死に舐める。

「は…ホント、伊吹にはかなわないな…俺だって、伊吹を誰にも渡す気はないよ。初めてもこれからも。…できる限り優しくするから、痛かったら言って?」
「ん……」

 伊吹のお尻を知朱の顔の上に持ってこさせ、シックスナインの体勢で、そっと伊吹の後孔に潤滑油を塗り込め、傷ついた蕾をほぐしていく。
 始めこそ痛みを伴っていた刺激が、段々むず痒いような、甘い感覚に変わっていく。
 知朱は自分の顔にかかるのも気にせず、たっぷりの潤滑油を後孔の奥へと指を出し入れし、できる限り伊吹に負担がかからないように丁寧に丁寧に拡げていく。

「ひっ…」
 後孔の浅いところに知朱の指が触れた時、四つん這いになりペニスを咥えていた伊吹の身体からカクンと力が抜けた。

「あぁ、伊吹のイイトコ、ここかな」
「ひぃ…んっ…んっ…んっ…」
 
 自ら腰を振って、感じる部分にこすりつける。

「気持ちよさそうだね。一回ここでイっとく?」
「…ううん、今は早く知朱のを入れたい」

 気持ちよさそげに腰を振っていた伊吹が正気に戻り、腰を引いて指を抜いた。

「でも、イキナリは怖いから自分で入れる」

 そして向かい合わせになると、そのまま自分で尻たぶを広げ、屹立している知朱のペニスを先端をそっと自らの孔にあてがった。

「痛かったら無理しないで?」

 腰に手を添えて、伊吹の体勢を支える。

「ん…大丈夫」

 挿入の瞬間こそ痛みが伴い思わず顔をしかめたが、亀頭を飲み込むと、あとはゆっくりと知朱のペニスを飲み込んだ。
 もしかしたら穴は再び切れて血が流れていたかもしれない。
 だが、体内に収まる知朱のペニスの存在を感じ、満たされていくのを感じた。
 自ら更に深くへと腰を落とし、拙い動作で腰を上下に動かす、その淫猥な姿を見て知朱はもう我慢ができなくなった。
 つながったまま、伊吹を押し倒すと、奥まで挿入した。

「あああ………深いっ………!!!!」
「くっ、こんなに我慢してたのに…もうムリだ…。伊吹、無理だったら言って?動くよ?」

「ん…知朱に与えられるなら、どんな痛みも耐える」
「くそっ、煽るなって…」
 
 タガの外れた知朱は、激しく腰を打ち付けた。
 伊吹にとっては、切れた後孔の痛みも与えられる快楽も全てが幸せだった。
 愛しい相手が、こんなにも自分を求めている。
 言いようのない多幸感。
 渇望していたものが、体内に満ちている。
 辛い記憶も、全ては今の幸せに上書きされていく。

「ん…くぅ…あ……あ……ともあき…もう……もう……」

 二人は同時に精を放った。

 何度も抱き合って、唇を重ね、痛みも快楽に変わり、二人はベッドでまどろんでいた。
 伊吹の身体には花びらを散らしたかのように、たくさんの赤い鬱血の痕がついていた。
 青あざを上書きするかの様につけられたその痕を、伊吹は鏡で確認しながら、うっとりと嬉しそうになでた。

「ねぇ、知朱。次のヒートが来たら噛んでほしい。今なら、今後僕達の関係がどうなったとしても後悔しないと思う」

 知朱は眉を潜めた。

「ひどいな、伊吹、俺を捨てる気か?」

 番になったらオメガ側から捨てるなんて出来ないことはわかっているのに、ちゃんと伊吹の気持ちを尊重した言い方をする。
 やっぱり、この人しかいないな、と思った。 

「ふふ、違うよ。母さんを思い出していただけ」
「俺は絶対伊吹を手放さないよ」

 自然と二人の唇が重なる。
 
 知朱を好きになって、母さんはどんな思いで父親と番になったのだろうとずっと考えていた。
 自分が見ていた事実とは違う真実があった。
 そんな気持ちを察してか、知朱は言った。

「伊吹、お母さんだけど…お父さんが外山に婿養子に入った頃からだいぶ精神的に参ってたみたいだよ…実家からも縁を切られて…だからといって幼い伊吹を放置して良い理由にはならないけど…」

 番になるというのはそれだけ心身に影響を与えるものなのか、それともそれだけ深く父親を愛していたということなのか。

「伊吹、お父さん、まだ生きてるよ。会いたい?」
 伊吹は無言で頷いた。


  ◆


 二人は伊吹が大学に進学するまで住んでいた県の老人ホームに来ていた。
 ホームの通路から見ると、介護士に車いすを押してもらい庭を散歩している老人がいた。
 その体は痩せ細り、枯れ木のようで、母親と二人で写っていた写真の人物には到底見えなかった。

 呆けた様子で、蝶を目で追っている。
「外山さん、もう、何年もあんな感じで、どなたのことももうわからないんです…。蝶がお好きみたいで、蝶がいるとずっと何時間でもお庭で眺めているだけで…」
 職員がすまなそうに教えてくれた。

 2匹の番の蝶がひらひらと仲良く、伊吹たちの方へ飛んできた。
 それを目で追っていた男の顔がこちらを向くと、男が目を見開いた。焦点の定まらなかった目の奥に光が蘇る。
 男は車いすからたちあがり、よろけて転んだ。
 車いすを押していた介護士が慌てて駆け寄るが、父親は暴れて伊吹の方へ手をのばし何かを叫んでいる。
 
なぎっ!なぎっ!やっと迎えにきてくれた!どこに行ってたんだ!会いたかった!会いたかった!……やっと会えた……もう離れないで……俺を置いていかないで……」

 近づくと、骨と皮のようになった姿からは想像できないくらい強くたくましい腕に伊吹は抱きしめられた。
 男はずっと泣いていた。

――――凪
 伊吹の母の名前。
 小さい頃、『さなぎ』というあだ名を付けられて嫌だった、と笑っていた母親。
 でもそのからかってきた相手が、「蝶になったら番になって」と臭いセリフでプロポーズしてきたと言っていた。
 それがこの人…。

 すっかり忘れていた記憶だった。

 世木せき、という名字は母親の姓。
 蝶のつくり。

 伊吹の頬を涙が伝わった。
 見た目はもうわからなかったが、小さい頃嗅いだことのあるアルファの香りがした。

 父親はその数日後、眠るように穏やかに息を引き取った。


  ◆


「知朱ありがとう…。いつももらってばかりで、僕、返せるものも何も持ってなくて」

「ううん、俺も伊吹からたくさんもらってる。こんなに可愛いのに伊吹は本当に強くてかっこよくて、俺、出会ってからずっと伊吹に魅了されてる…俺、伊吹にふさわしい人間になるから、これからもずっと一緒にいて?」

「ふふ、知朱はそのままで十分かっこいいよ?」

 隣を歩く知朱に笑顔を向け指を絡ませると、知朱の顔もほころんだ。

「ふふ、伊吹に言われると嬉しいな。…でもさ、今回は面白いことに気づいたよ。『世木』が蝶なら、俺は蜘蛛なんだな」

 知朱の視線の先には、木と木の間に張られたキラキラと輝く蜘蛛の巣があった。
 
「ああ、イ?」

「違うよ、名前の方。
蜘蛛のつくりを思い出してみて。
虫へんに『知』『朱』
さしずめ伊吹は、俺の巣に迷い込んできた『蝶』ってとこかな?
俺の巣に入ってきた以上、もう逃がしてあげられないから、覚悟決めて?
その代わり、幼かった伊吹が受け取るはずだった分も含めて、たくさんの愛情を注いで、巣から出ようなんて思えないくらい愛してあげる…」

 井雲知朱という蜘蛛はそう笑うと、伊吹を強く抱きしめた。
 世木伊吹が、井雲伊吹にかわるのはそう遠くない未来の話。



(おしまい)
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