その婚約破棄は喜ばれた――猫が未来をつむぐ国

イチイ アキラ

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その婚約破棄は喜ばれた~手順を守ることが大事~

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「ユリーシア! お前との婚約は破棄してやる!」

 それは午前の授業が終わり、皆が昼食をとろうとしている食堂でだった。
 第三王子であるアシュトンの大きな声が響いたのは。

 食堂にはすでに授業の早く終わっていた小等部や下級生たちが昼食を食べ終わり、上級生たちの授業や課題の終わったものへと席が移っていくところだった。

 アシュトンは三ヶ月前に転入してきたという男爵令嬢を抱き寄せて立っていた。男爵令嬢もその身を彼に必要以上にくっつけている。
 なんという破廉恥。
 たとえダンスでも、婚姻前の男女がこのように触れ合うことはない。

 上級生で弟妹を持つ者たちはあわててその子らに駆け寄ってその目を覆っていた。兄姉がいない子たちも、良い子は「うわぁ」という顔で目をそらしている。

 同級生や先輩たちのそんな姿が目に入らないのか、アシュトンは女性徒を抱きよせて、顎をあげて威張りくさった態度。婚約者である伯爵令嬢に抱きしめていない方で指を突きつけていた。

 ひとを指さしちゃいけません。
 そんなことを兄姉たちは弟妹たちに改めて教える。

 そんな彼に指をさされ、婚約破棄を告げられた哀れな令嬢であるユリーシアは、信じられないと両手で口元を押さえていた。
 ユリーシアは淡い茶色の髪と穏やかそうな焦げ茶の瞳の、そして色合いのままに優しげな少女であった。
 アシュトンの抱き寄せている少女はくっきりとした赤い髪に青い瞳と美しい色をしていて、その美貌に今は自信があふれていた。

「俺は真実の愛を見つけた! このミセーラこそ俺が愛するにふさわしい! お前のような愛想もなく作り笑いしかできぬものなどいらぬ!」

 ユリーシアは口元を押さえて震えていた。
 ややあって、ぽろぽろとその瞳から涙があふれ始める。

 アシュトンはその姿を鼻で笑った。

「ふん、いまさら泣いて謝っても――」


「はい! よろこんで!」


「――え?」

 ユリーシアは涙を流しながらも心底嬉しそうに微笑んでうなずいていた。
 それはアシュトンが初めて見た彼女の笑顔でもあった。

 そう、嬉し涙であったのだ。

 その時だった。

「ユリーシア!」

 そう彼女の名を呼んで、騒ぎによって皆が周囲によけていたから人垣ができていたその間から駆け寄ってきたものがいた。

「ケイン様!」

 そしてその声が聞こえたとたん、ユリーシアも泣きながらもその声の方に駆け寄っていく。

 そう、嬉しそうに。

「ユリーシア! ユリーシア! ああ、なんて事だ……」
「ケイン様! ケイン様ぁぁぁ! こ、こんなことが……ああ……」

 そして彼らはそのまま互いをきつく抱きしめたのだ。
 目の前のアシュトンたちは破廉恥と皆が目をそらし合ったが、この二人の包容には皆がほっとして目を潤ませている者もいる。

「ユリーシア! もう二度と離さない!」
「ケイン様! わ、わたし……も……っ……」

 ぐずぐずと泣き、それでも嬉しそうに微笑むユリーシアを、ケインと呼ばれた男は胸に抱き寄せている。公衆の前でなければキスをしていただろうと、皆はひっそりとほほえましく見守った。

 そして公衆の面前でそういう破廉恥なことをしていた方は、呆気にとられていた。

「な、なんだ……そ、その男は? あ、ケイン?」
「え、ケイン様ですよね? 学年一位の……」

 アシュトンとミセーラも彼を知っていた。
 宰相の次男で、テストの度に学年一位を取る男子生徒である。しかも騎士団長の息子にはさすがに負けるが、彼がいる故でも剣術も上位の生徒であったはず。そうでもなければ剣術も……まさに文武両道という生徒だ。
 ちなみにアシュトンはどちらも下の方をうろうろしている成績である。

 ケインはまさに文武両道で、しかも顔も良い。学園ではその見目と成績で有名人であった。
 ミセーラも何度か話しかけては――素っ気なく振られていた。
 黒い髪にややつり目気味のアイスブルーの冷たい瞳をしていた彼が、今は瞳を優しげに細めて腕の中の少女を心底愛おしそうに見つめている。

 宰相家の次男であるが、婚約者がいないことは誰もが知っていた。

 それはなぜならば……その理由を知らないのは、小等部のよほど幼い子らをのぞいて、実はアシュトンと――転入してきたばかりの男爵家の庶子であったミセーラくらいである。

 ――その理由がアシュトンであるという事を。

「おめでとうございます!」
「良かったですわ!」
「今度こそお幸せに!」

 やがて、ふたりはそんな祝福に包まれていた。
 アシュトンたちの方はぽっかりと人が離れて空いたままだったが、彼らの方は徐々に彼らの同級生たちが取り巻いている。皆、手を叩いたり笑ったりと――それは自分たちの方がもらうはずであったと、アシュトンが再び声をあげようとしたとき。


「真実の愛ですよ、兄上」


 仕方ないなーという溜め息とともにそれを止められた。

「ジェラール……?」
 アシュトンはかけられた声に覚えがあった。
 自分とは腹違いの、小等部にいる弟である。
 ジェラールは実ははじめから食堂にいた。兄らより先に授業が終わり食事に来ていたのだ。
 弟は護衛である騎士を二人背後にたたせながら、呆れたようにため息をついていた。ちなみに、アシュトンには護衛は一人も付いていない。

「真実の、愛?」

 それはさきほど自分が言ったことだ。
 眉を寄せると弟はさらに呆れたようにため息を重ねた。

「愛想もなく作り笑いしかできない、でしたっけ? 当たり前でしょう。無理矢理、愛しい人と引き離されて王家からねじ込まれた婚約者に笑えるものですか」

 作り笑いしてもらえていただけありがたいと思いなさいよ。
 兄に対して同じように作り笑いを浮かべる弟は、アシュトンには思いもよらない真実を明らかにしてきた。

「な、なんだと……」

 王家からねじ込んだ?

「そ、それはユリーシアの家から、王家御用達の認可が欲しいがために……」
「いまどき、そんなやっかいなもの欲しがる商人がいるもんですか」
「え?」
「こんなうちみたいな小さな国の、そしてやっかいごとばかり起きる王家の御用達だなんて箔が付いても、いらない重みなだけです」

 その王家の一員であるだけに弟の言葉は衝撃だった。
 アシュトンは「王家の御用達」であることは、商いをしているものが目指すべく輝ける勲章だと思っていた。
 そのために、金に力を言わせてユリーシアの家は自分というブランド力を高める人材を欲しがったのだと……。

「ユリーシア嬢のお家のカランディ伯爵家は宝石鉱山をお持ちで、大変裕福なのはご存じですね? その宝石を使ってのアクセサリーがお家のご商売である、とは?」

 それは理解しているか、という問いかけへのアシュトンの小さいうなずきにジェラールは「よろしい」と教師のように頷いた。
 アシュトンはわからないと混乱したままだ。
 そのアクセサリーを王家御用達にして、という箔をつけたかったのではないのか?

「では、その裕福さに目を付けて、寵姫かわいさに、王命で、たかが寵姫の息子でしかない、穀潰しを、押しつけた、というのは?」

 丁寧に句切ってくれた弟のその言葉。
 たかが寵姫の息子。
 穀潰し。

「――は……?」

 アシュトンは頭が数秒、真っ白になった。それが自分のことだと理解するのに、しばらくかかったほど。

 自分は確かに寵姫の息子だ。
 父と母は真に愛しあって、長年の苦労の末に身分の低い母をようやく王宮に呼べたと……。
 父上が真に愛するのは母だけだと、常々、母が……。

 国王である父には正妃の他に二人の側妃と、寵姫である母がいる。
 政略で結ばれた妃たちと違い、自分は本当の愛で結ばれていると母はいつも微笑んでいた。
 だから自分は父に一番愛された息子であると思っていた。
 ちなみにジェラールは側妃の息子だ。

 だけれど、穀潰し?

「本当にご理解なさっていないのですね……」
 まぁ、ある意味箱入りであるから仕方がない、と。もしもアシュトンにも自分のような世話人や、側近がいたら違ったろうに。
 彼の立場ではそれは無理。
 哀れな……と、本当に同情した目で弟に見られながら説明された。


 この国には正妃と側妃が二人。そしておまけの寵姫がいる。
 愛妾でもない。
 本当におまけ。

 寵姫というのも、名称がないから――呼び方に困って一応つけられただけだ。

 寵姫とは――王の個人資産にてまかなわれている存在である。

 この国では愛妾までは予算がでる。
 むしろ愛妾とは、貴族以外の妃であり――歴史では王家の財政難に莫大な持参金を持って現れ、逆に国を救ってくれたマデリーン商妃と讃え歌われる存在がある。彼女は己の商会を王家御用達という看板を掲げることで、手広く販路を広げた。
 そうして国に金を集めて落としてくれた。
 いまこの国が残存しているのは彼女の家の力が大きい。
 それ故、今では「商妃」と尊敬の念を持って歌われるのだ。

 だから、アシュトンなど、誤解しているものたちは未だ王家御用達の看板が価値があると思っていたのだが……それは二百年は昔の話し。

 そもそも、マデリーン商妃が愛妾となったのは実家の商売と、妃になった友人の嫁ぎ先を心配したからであって。王とは白い結婚であったという。
 当時の王はそれくらい民に「どうにかしてやろう」と思われるくらいには人望があった。彼が散財したのではなく、戦争やら自然災害での飢饉やら、なんかやたら不運が重なっていたのをどうにかしないととがんばっていた人であったというから。
 マデリーン商妃もがんばった一人。だが彼女の子孫は今はこの国を見放し、他国にて商いをしているという。
 それが何を意味するか。

 今の王はそれくらい……どうしようもない。

 それは二十年近く昔に話は発端する。
 今の王が王太子時代。
 彼はこの学園で真実の愛に出逢ってしまった。

 それが寵姫であるアシュトンの母。

 だが、どうしようもない王太子ではあったが、ぎりぎり、ちゃんとしていた。周りが。

 喜劇のように婚約破棄もしなかった。させなかった。
 今アシュトンが行った、卒業式などで婚約破棄などのドラマがあったわけではない。アシュトンも行事をつぶさず、食堂でまだ良かった。
 そもそも、王太子の婚約者は隣国の、この国より遙かに国力の高い国の姫であったから。

 彼は国のために、きちんと隣国の姫と結婚した。正妃とした。
 そして国力のバランスのために、隣国の反対側のお国からも側妃として姫君を。さらに正妃たちの補佐として国内の優秀な女性をさらに一人、側妃にした。
 その側妃の一人、バランス調整役の隣国の姫がジェラールの母だ。
 側妃は輿入れの条件に「猫連れて行っても良いですか?」と宣ったという。彼の国では猫は守り神であったがゆえに。

 そこまでがあらかじめ決められていた王太子の政略結婚だ。
 妃らにそれぞれ子をもうけてから、寵姫を娶った。

 正妃には王子が一人、王女が一人。
 国内の側妃には王子が一人。
 もう一人の猫好き側妃には王女が産まれて――ジェラールも生まれた。

 それなりの手順を守ったので――許されて、アシュトンは今ここにいる。
 許されてはいるが寵姫の子として、母親の身分足らずもあり、彼には王位継承権はない。
 それを彼は知っているのかどうか。父親が話しているかどうか。

 もしも王が手順を守らず早々に寵姫を後宮に入れていたら、それは隣国に喧嘩を売ったことになっただろうし、国内外のバランスも崩れただろう。

 そのアシュトンのあとにも自分や、他の腹違いの王女が産まれていることから、国王の寵愛もどこまでが本当か疑わしい。
 けれど、寵姫の行く末を案じて、アシュトンに裕福な婿入り先を用意したのは、それでも愛だろう。
 最悪な思考だが。
 自分に何かあったら、愛する寵姫の贅を誰がまかなうのかという。
 それにより、今までわがままを言っても自分に忠義を尽くしてくれていた宰相と仲を悪くしても。

 わがままを――寵姫を娶ることなど、彼が問題を起こす度に、最終的には許してかなえてくれていた宰相だから、これも許してくれると思ったのだ。
 宰相の胃がどれだけ荒れているかも知らないで。
 国のためだと、どれだけぶん殴るのを我慢しているか知らないで。

 宰相の次男と、かの伯爵令嬢が幼い頃からの恋仲だと説明されたのに。寵姫と息子かわいさで権力を振りかざした。
 次男の婚約を願い出てきたところ、あまりの好条件に、自分の息子をねじ込み――婚約者を入れ替えた。
 裕福な伯爵家の跡取り娘がこんな身近なところから出てくるなんてと宰相に笑って言った。

 そう、婿入り。

 裕福なカランディ家にはユリーシアしか子がいない。
 そこに婿入りすれば、きっと息子は下にも置かず大事にされるだろう。寵姫の子とはいえ、自分の――王家と親戚になれるのだ。カランディ家も喜ぶだろう。

 そんな傲慢に。

 アシュトンも父親からそう聞いて、お前を大事にしてくれると、喜んでいるだろうと言われて……確認をしっかりしないままに、自分が望まれた存在だと勘違いした。

 だというのに婚約者に会っても、なんとも冷めた空気を感じた。

 何だ、せっかく婚約してやったのに。
 王家の貴重な血をもらえるのに。

 王家御用達の看板だって、用意されるのだろう?

 こうして婚約破棄をちらつかせれば、自分に愛想笑いしかしない婚約者も、泣いて謝ってくると思った。
 今までの不敬をそれで許してやり、寛大な心で婿入りしてやるはずだったのに。
 真実の愛である――母と同じ、寵姫としてミセーラを連れて。


 ところが、だ。


 目の前ではまだ、本当の真実の愛の二人が皆に祝福されている。
「ケインはユリーシア嬢を本当に愛していたから、一生独身でいて、いっそ来世で結ばれようかと、操をたてていたそうですよ」
 ユリーシアは跡取りの一人娘のため、そうはいかない。
 どれだけ嫌悪しても、アシュトンに身を許さねばならない定めであった。

 それが今、本当の愛の相手に戻ったのだ。



 ――後々、彼らはアシュトンが二人の関係を、もともとの婚約を、すべてを知って、わかって身を引いてくれたのだと感謝した。自分が泥を被ることによって、王家からの怒りが届かないようにした、と……。
 ――カランディ家は、アシュトンが国を離れるときに大きく餞別を送ったという。

 ――そう、ジェラールが印象操作したことによって。



「俺は、どうなる……」
 もう、アシュトンすらわかっていた。
「……ミセーラ?」
 こんなのを見せられては今更婚約破棄の破棄などできない。あれは演技だったなどとはもう言えない。
 気が付けば、傍らにいたはずのミセーラがいない。
 彼女は裕福なカランディ家の妾になる気満々だったはず……いないということは――自分よりも察しが早いということだ。
「彼女は男爵家の庶子でしたね。僕の方から母上たちに連絡しておきます」
 弟の方がしっかりしていた。
「……うん」
 弟に言われて、頷くしかない。
 ふと、気になった。
「そういえばジェラール、お前にも婚約者っているの?」
 自分には弟の年にはそういった相手がいなかった。ユリーシアと婚約したのもまだ一年と経っていない。
「いますよ?」
 だけどすっぱりと言い切られた。
「僕の婚約者は正妃様のご実家のお国の、王女のどなたかです」
「へ?」
「僕、将来婿入りするんです」

 同じ婿入りでも規模が違った。

「だからほら、護衛のうち、一人はいつも隣国から派遣された人なんです」
 ね? と振り返り微笑まれた騎士はかすかに苦笑して会釈をした。
 弟の後ろに控える二人。一人は自国の護衛騎士だが、もう一人は隣国から派遣された騎士であるという。
 それは後の王配となる少年の身を守るとともに、その生活を見張り、自国に報告するために。
 自分には護衛すらいなかったと、アシュトンはようやく気がついた。
 ……でも。
「お前、大変だな……」
「あはは。そうでもないよ?」
 馴れちゃったと笑う弟に、アシュトンは――自分はこれからどうしようかな、と……同じく、あははと笑ったのだった。




 正妃様のご実家。
 正妃様の兄君、隣国の王には愛するお妃様とお子さまがいらっしゃるが、お子さまはなんと全員姫君であった。
 幸い、隣国には王女であっても継承権がある。

 そこで、ジェラールを王配にしてはどうかと、王妃は実家に話した。
 ジェラールはこの国を挟み、反対側の隣国の血を引く。現王の孫であり、猫好き側妃は王に愛された娘であり、孫であるジェラールもまた気にかけられている存在だった。
 三国がつながる良き機会。
 ジェラールが幼い頃より周囲をよく見ていて、聡い少年であると正妃さまはご存じだったのだ。実家を、姪を、任せても良いと許し、気にいるほどに。

 ジェラールは正妃さまに「如何か?」と問いかけられたときに、笑顔で頷いた。

「猫連れて行っても良いですか?」

 それは許された。
 婿入りの条件の一つに、正式に記された。
 そして数年後。そこにもう一つ加えられる条件は――。




「あの兄君にずいぶんとお優しいのですね?」
 他国の方の騎士に尋ねられ、ジェラールは「まぁね」とうなずいた。監視されているとはいえ、長いつきあいだからもう、互いに気安くはある。
 実は、他の兄姉、その側近たちも食堂にいたが、誰もアシュトンをかまわなかった。
 気にかけたのはジェラールだけだ。
 それを騎士たちは察していた。
 けれど、ジェラールは大丈夫だと再びうなずいた。
「僕、アシュトン兄上のこと、きらいじゃないし……むしろ、恩がある」
「恩?」
 うん、と少年は昔を思いだした。
「まだ僕がほんの小さかった頃……」
 今でもまだ幼いが、と騎士たちは顔を見合わせたが、話の腰を折るほど無粋ではない。
「まだ君たちもいなくて、後宮から出たことなかった頃なんだけどね」
 それはまだ三つくらいか。確かに小さいとうなずく。
「庭で遊んでいたら、ミルクが木の高いところから降りられなくなっちゃって」

 ミルク。

 それは側妃さまがわざわざ輿入れにお供させたお猫さまである。
 ジェラールも産まれた時から共にいる彼女を、たいそう大事にして愛されていた。血筋である。
「周りには侍女しかいないし、彼女らも木になんて登れないし」
 侍女となるのは、貴族の少女たちでもある。そして後宮であれば男の兵士の人払いも程々にされていて。
「だけど、アシュトン兄上が登って助けてくれたんだ」
 興奮したミルクに引っかかれ、傷だらけになりながらも。
「それは……」
「うん、本当は兄上って、後宮の側妃の領域とか入っちゃいけなかったんだけどね」
 でも、退屈だったのだろう。
 寵姫の子として腫れ物扱いされていたのにも、子供心に気がついておられたかどうか。
 なのでひとりぼっちで退屈で、後宮をこっそり探検して遊んでいたアシュトンは、ジェラールとミルクの泣き声に気がついた。
 そして助けてくれたのだ。
 自分だってまだ幼い部類にはいるだろうに。
 そしてジェラールは、その母である側妃も、アシュトンを寵姫の子であるからと他の者たちのようには見ることをやめた。
 傷の手当てをしながら、側妃は、この子には借りができた。いつか助けてやりましょう――と。

 そして、今日に至るわけなのだ――。

「でも、どうしよう。シュガーとココアとアーモンド。どの子を連れて行こう」
 それはミルクの子供たち。
 親譲りの真っ白な猫と、茶色の猫と、茶ブチの猫を護衛たちも頭に浮かべる。
「いっそ三匹とも連れて行かれては?」
 隣国からは何匹でもいいよ、と嬉しいお返事が。
「ダメ。母上がダメって言ってる。姉上も」
 母上にはミルクがいるのにーっと、ジェラールは子供らしくすねる。
 ちなみにジェラールの姉姫も猫好きだ。
 護衛たちは、三匹いるんだから、一匹ずつわければいいのにとこっそりと思う。
「三匹、仲良いもん……離したらかわいそうだもん……」
 ああ、そういうことか。これはお優しい。
 護衛たちも困ったなぁと主とともに内心で頭を抱える。そう、一緒に居るうちに彼らもすっかり猫好きだ。
「あ、殿下がお隣のお国に行くまであと三年から五年はかかる予定ですし、その間に適齢期になったらどの子かにお見合いしてもらい、ミルクさまの御孫を連れて行かれては……?」
 自国の騎士が思いついた。
 彼はそう、ミルクがお見合いして、子を産んだ頃からの付き合いだったから記憶に残っていた。ちなみに、見合い相手は茶色縞の美形猫だった。
「そ、それ採用!」
 母上に話してくる、と――ジェラール殿下はその日の午後は早退なされた。
 まぁ、アシュトンのことを報告するためにもともとそのつもりではあったのだけれども。
 善は急げだ。

 

 その数年後。
 ジェラールの婿入りの際に。
 子猫を巡って家族でまた争奪戦が起こるのは、騎士たちも予期できなかったことで。



 さらに後の世。
 王女に婿入りし、王配として長く国を守った隣国の王子は猫好きだったという逸話も残した。猫を大事にしたおかげで、その三国は周辺国で起こったとある病からは逃れて救われたとも。



 その婿入りの条件が一つ。二つ。
 猫を連れて行くとした王配は、猫の世話係も一人連れていた。
 それはよく見ればだが、どことなく王配に似ている男だったという。


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