吸血鬼は愛を語る

はつしお衣善

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機械仕掛けの愛

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 人が死ぬことに、なんの疑問もなかった。幾度となく、私はその光景を目の当たりにしてきた。世界が戦争を始めれば、死はそこかしこにある生命の終りだった。それは自然の摂理であり、私に心的な影響はないものと思っていた。千年の時をともにすごしたディランの死にさえ、私に疑問はなかった。エクソシストが私たちを浄化する理由も理解はできるし、不死身の吸血鬼に死を与えることは、ある種の救いでもあると思っていた。
 自分の手を汚すことにためらいはあったが、殺人そのものに悲哀の情は湧かなかった。殺人は感情の発露であり、人の営みのひとつであると私は思っていた。そんな人間を一個人の私が憂うことに意味はない、他人がやる分には好きにすればいいと思った。しかし、実際に殺人を目の当たりにしてしまえば、否応なく心は沈んだ。治安の悪い国は血液の収集が容易だが、それだけ凄惨な場面をよく目撃していた。心は少しずつ沈み、澱のようなものが心中にたまった。だから、私は極力人との関わりを避け、心の安寧を図った。
 なんとも矛盾した感情だった。殺人に疑問も悲哀もないのだが、心は辟易としていた。生物として当然の営みであると理解していながら、自身も元は同じ生物だったことに嫌悪しているのだろう。けっきょくは己の自己愛から来る、殺人の忌避であった。
 だが、いつのころからか、私はディランの死を悼んでいた。ノエルと出会い、話をするにつれて、私は自身の心が人であることに気づき始めたのだろう。いままでは吸血鬼となった自身を、どこか人間の枠から離して物事を考えていたが、畢竟するに、私たちは人間と変わらぬ心を持っているのだ。突発種とは言え、私たちは人の輪から外れていない。どこかでつながっている。
 ――しかし、そのつながりは決して幸福ばかりを運んでくるものではない。誰かとつながることは、時として悲劇を生むのであった。たった一度――たった一度の過ちが、ノエルを不幸にし、そして私にもそれがのしかかってきたのだ。いまの私には、何十億人の中のたったひとりだと、無感情には思えなかった。吸血鬼の本能による営み――すなわち自然の摂理だと納得できるものでもない。大切な人の生きる意味を奪ってしまったのだから……。
「ヴィー……どうしてお母さんを知ってるんですか?」
 ノエルはひざまずく私にかがみ込んで声をかけた。その声色に怒りはなく、純粋に疑問に思っているようだった。私は、真実をノエルに伝えるのが、途轍もなく恐ろしかった。彼女が知れば、どう反応するだろう。そして、真実を伝えたあと私たちの関係はどう変化してしまうのだろう。ノエルの心と未来は決して見えない。眼前は真っ暗になっていた。
 騙すことはたやすい。だが、私だけがこの真実を知って、これからノエルと何食わぬ顔でともにすごすことは不可能だろう。心臓に杭を打たれたように、私に罪悪感が重くのしかかっているのだ。
「私が……」私は絞り出すように答えた。「私が、殺したんだ。日本に来てすぐに殺人欲が湧き、偶然通りがかった君の母親を……」
 ノエルはその場に正座し「そうだったんですか……」と、つぶやいた。声は暗い。当然だ、最愛の人を失ったのだから……。彼女の喪失感は計り知れない。私は相応の覚悟を決めた。どんな償いも、どんな罰も受け入れよう。
「でも……仕方ないです」
 と、ノエルは言った。私は耳を疑った。
「ヴィーは殺人欲で心神喪失状態だったわけですから、あなたのせいじゃありませんよ。事故のようなものです」
 ――そんなはずはない。
ノエルは私の頬に触れ、優しく顔を上げさせた。
「そのおかげ、と言ってはなんですけど、それがあたしとヴィーを引き合わせてくれたんです。自殺しようと思ったきっかけが、お母さんの失踪だったんですから。それにお母さんもあたしを捨てたわけじゃないってわかって、少し心が軽くなりました」
 違う……そうではない……。
「あたしにとって、あなたと出会えたことはかけがえのないことです。命も救ってくれました。あたしは感謝してますよ?」
「命を救った……? その命は、もともと捨てる命ではなかったはずだ。その引き金を引いたのは、この私だ」
 私はただただ懺悔した。
「ヴィーは優しい人です。殺人を嫌うあなたに、罪はありません。だから、そんな顔しないでください」
 ノエルは慈愛に満ちた笑顔を私に向けた。その表情は優しく暖かく、なんの陰りもない。彼女に怒りや恨みは一切なく、私を許していた。いや、許すどころかそもそも悪感情すら湧いていない。人間時代、彼女にとって母親は心の拠りどころだったに違いない。学校に居場所はなく、家で母親とふたりきりですごすことが何よりの幸せだったはずだ。それを壊されて、どうしてこんなにも優しく笑えるのか。
 私は、ノエルの幸せに満ちた笑顔に戦慄した。
 ――その愛は、心からの愛なのか。それとも、吸血鬼の本能か……そこに愛はあるのだろうか。

   ◆

 吸血鬼の従属本能について、私は認識が甘かったのかもしれない。――いや、従属本能だけではなく、人の心の重要な本質と私の心の弱さについても、そうだろう。
 犬などが持つ従属本能と、吸血鬼のそれは同じようなものだと認識していたが、知性があり、感情が複雑な吸血鬼の場合はまるで別の性質のように思える。かつて見てきた吸血鬼の中には、もちろん眷属を従えているものもいた。その眷属たちは主に忠実であり、時として自らの命を落としてまでエクソシストから主を守った。また、主の命令であれば、どんな過酷なことでも、どんなに非人道的なことでも死力を尽くしていた。
 私は、その眷属たちが本来的に持つ心とは相反する行動を命じられながら、従属本能によって無理から命令に従っているのかと思っていた。私の主――ディーは、そのようなことを強いる人ではなかったし、そもそも私に命令することはなかった。だから、眷属の従属本能の本質について、あまり理解していなかったと言える。
 だが、ノエルを眷属にしたことで――そして、彼女の母親を私が殺したという事実を聞かされてなお、私に対する揺るがない忠誠心を目の当たりにして確信した。従属本能とは――敷衍すれば吸血鬼化とは、それまで形成してきた人格すらをも変質させる転生だ。
 遠野希美とノエルはまったくの別人だと、そう割り切ることがいまではもうできなくなってしまった。生来的に培った心と後天的な心――私には、従属本能によって変質した心には、純粋性がないように思える。まるで人の心を操ってしまったような背徳感と、人工知能のように作為的で冷たい感情をノエルから感じてしまう。
 もちろん、いまのノエルも自分で思考し、行動している。それは間違いない。人間のころと違いがあるとすれば、従属本能だけだ。ただ、それだけである。些末なことだ、何をそこまで戸惑うことがある。何をそこまでノエルに固執する――。
 言い聞かせようとすればするほど、ノエルに対する猜疑心は高まっていった。彼女が純粋なまなざしで私を見つめるたびに、その純粋さが異質に思えた。認めざるを得なかった。私がノエルに望んだことは、許しでも、ましてや感謝でもない。私を恨み、怒ってほしかったのだ。そうすることで私は許しを乞い、罪を償って、彼女と一から関係を築きなおしたかったのだ。
 許されざることではあるが、私にはどんな罰でも受ける覚悟はあった。彼女との間にどんなに高い壁ができようとも、私は乗り越えてみせるつもりだった。そうすることで、私たちの間により強固な絆ができるのではないかという甘い考えもあった。だが、ノエルは笑顔で私を迎え入れ、私の決意は宙へ浮いてしまった。言いようのない不安に苛まれ、私はノエルと目を合わせられなくなった。――混じり気のない純水は、毒ともなり得る。

   ◆

 住処を失った私たちは、再び旅を続けた。五月――季節は春から夏へと向かっている。これからの時期は夜が短くなる。少しでも太陽を避けるため、私たちはさらに北上することにした。ノエルは空を飛ぶのがうまくなり、いまでは優雅に空の遊泳を楽しんでいる。
 棺を含めた生活用品は、住処が決まってから新たに調達することにした。しかし、私は住処を探す気にはなれなかった。私の中で渦巻く不安や迷いといったあらゆる感情が交錯し、足が地につかない。住処を見つけてしまえば、ノエルと向き合う時間も増えてしまうだろう。私はそれが怖かった。こうして住処を探し、空を飛んでいると彼女と話す必要もなく、黙々と地上を眺めることができた。
 夜明け前に、私たちは山小屋や空き家を見つけ、日没まで睡眠する日々を送っている。夜通し飛行しているので、ノエルはすぐに眠りにつき、私も心労からすぐに夢へといざなわれた。
 私はここのところ、いつも同じ夢を見ていた。場所はオリーブ農園で、オリーブの木が燃えている。農園には整備が行き届いており、木は等間隔に植えられている。道しるべのように燃える木は、まるでミサの時の蝋燭の道だ。私はその道の真ん中で、力なく横臥している。私の半身は黒い塵となって風に流され、残された時間も幾ばくか、となっていた。
火の道の向こうから、誰かがやって来る。逆光になっていて表情はよくわからないが、ノエルだった。私は彼女を見上げ、彼女は私を見下ろした。私は声をかけようと口を開いたが、なぜか言葉は出なかった。ノエルはかがみ、私の顔を覗き込んだ。その時、大きな音を立てて爆ぜる炎の光に照らされて、彼女の顔が見えた。その表情は、恨みがましく私を睨む、恐ろしい顔だった。
 夢はいつもそこで終り、私は大量の汗をかきながら飛び起きていた。悪夢にうなされるなど、吸血鬼になってから記憶にない。精神は摩耗していた。隣を見ると、ノエルが安らかに眠っていた。私は、この子の心を支配してしまったのだ。自由な意思を奪い、私を崇拝する傀儡へ転生させた――そう考えると、生来的な彼女の心が私のことをどう思うか、私はそれが恐ろしかった。私へ向ける笑顔も慈愛も、すべてはまやかしなのだろうか……。
 私は寝ているノエルの顔を撫でた。「主……」と彼女は寝言を漏らした。私は驚いて手を引っ込めた。よく見ると、彼女の目尻には涙が溜まっていた。ノエルも私と同じように、いやな夢でも見ているのだろうか。いったいどうして……。
――いや、知らないフリをするのはやめよう。彼女は私の様子がおかしいことに気づいているはずだ。それでも私に問い質す真似はせず、辛抱強く耐えているに違いない。私が打ち明けるのを待っているのだ。ノエルもまた、不安を抱えている。それが悪夢となって形に現れているのだろう。うなされている原因は私にあるのだ。
 私たちは限界なのかもしれない。これから、どうすればいいのだろうか。私の抱える問題はなんなのだ。
ノエルの心の奥底に眠る、吸血鬼の本能に縛られない自由な意思――それが気になって煩悶としているのだ。それをたしかめるためには、主である私が死に、ノエルの自我を解放してやらねばならない。もちろん、そんなことはできない。今際の際に彼女の言葉は聞けるかもしれないが、自分が死んではその先がなくなってしまう。あくまで私は、ノエルの心を知り、彼女とともにいたいのだ。
――いや、私は本当にノエルの心を知りたいのだろうか。私は彼女の母親――半身とも言える人間を食い殺したんだぞ? 彼女の真の意思など、わかりきっているではないか。本当は、彼女が自我を解放することを恐れているのではないだろうか。
 答えの出ない二律背反に苛まれ、私は逃げるように考えを自分からノエルに移した。
 私の死は避けられない。いずれ来る生命の終りだ。吸血鬼は不死ではあるが、それとは矛盾した死がたしかにある。不確定の未来は、全生命の不安の種である。ならば、いまのこの瞬間を凍結することはできないだろうか。私が死してなお、変わることのない未来。
 ――ああ、そうだ。心をとめてしまえばいいのだ。未来が不安なのならば、その未来を絶てば……。
 あばら屋の隙間から差していた日の光が、少しずつ影ってきた。風が吹き、木々のざわめきが不気味な不協和音を奏でる。老朽化したあばら屋はギシギシと悲鳴を上げ、隙間風が積もりに積もったホコリを舞い上げた。
 気がつくと、私はノエルの首を絞めていた。ノエルの首は細く、もろそうだった。彼女の吐息は熱く、苦しそうに喘いでいた。
 あと少し、あと少しで――――。
 すると、ノエルの目がうっすらと開き、口を開いた。声は出せないが、何かを訴えているようだった。
『ヴィー……いままで、ありがとうございました』
 口の動きで、ノエルの言葉が私に伝わった。私はようやく正気に戻り、彼女の首から手を離した。
「私は……なんてことを……」
 殺人欲など湧いていない。そもそも殺人欲は人間に向けらるものだ。私は自らの意思で、ノエルを絞め殺そうとしていた。咳き込み、貪るように息をするノエルを私は抱きかかえた。
「ノエル……すまない。私は、こんなことをしたかったわけじゃないんだ」
 私はノエルの母親に続き、彼女までも手にかけようとしてしまった。罪に罪を重ね、血で血を洗うような、そんなもっとも卑劣なことを前後不覚だったとは言え、しでかすところであった。
 ノエルの呼吸は少しずつ落ち着きを取り戻し、抱きかかえた私の腕をしっかりと握った。その青い瞳には涙を溜め、まっすぐ私を見つめている。そこに怒りはない。あるのは悲しみと、そして優しさだった。
「ごめんなさい、ヴィー」
「なぜ君が謝る。私は君を殺そうとしたんだぞ。謝るのは私のほうだ」
「あたしがあなたを苦しめてるのなら、あなたの手であたしを殺してください。あたしは、あなたを苦しめるようなことだけはしたくないんです」
「何を言っている。私が君を殺すことなんて――」
 できるものか、と言おうとして、私は口を噤んだ。つい今し方、この手で殺そうとしたのはどこのどいつだ。どの口がそれをほざく。
「優しいあなたのことです。きっと思い悩んだ末の手段だったんでしょう? なら、それでいいんですよ」
「違う。そんなはずはない。私は君の母親を殺し、あまつさえ君まで殺そうとしたんだぞ。そんな解決方法が許されるはずがない」
「……やっぱり、そのことを気にしてたんですね。あれは事故のようなもんですよ。あなたが気に病むことはありません」
「なぜだ。なぜそうも――。悲しくないのか、辛くないのか?」
「それは人間時代に充分、味わいました」
 吸血鬼となっても、記憶は人間時代のものから連続しているはずだ。それでも、母親を失った記憶より、吸血鬼の本能が強力なのか。
「だけどいまは、あなたと出会えた幸福に満ちています」
 …………カチャ、カチャ、と私は歯車の音にも似た愛を感じた。
「教えてください、ヴィー。あたしはどうしたらいいですか? ……どうすれば、あなたを幸せにできますか?」
 どうすれば、とノエルはうわ言のように繰り返した。そして、彼女は静かに、気を失うように眠りについた。眠りは安らかだった。先ほどのようにうなされる様子はない。
 ノエルは、しきりにどうすれば、と教えを乞うていた。
 私にはわからなかった。自分がどうすれば心が軽くなるのか、ノエルがどうすれば私の不安がなくなるのか――。
 私はノエルを起こさないようにゆっくり床に下ろし、立ち上がった。彼女は静かに寝息を立てている。
 限界はとうに超えていたのだ。私には、ノエルとこれからもともにいる覚悟はなかった。きっと、どこかで私かノエルのどちらかが壊れてしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。彼女はもう立派な吸血鬼だ。ロジーナにハーフヴァンパイアと知られ、エクソシストに優先的に狙われることになるかもしれないが、無限の可能性を秘めた彼女なら生き延びられるはずだ。
 私は自分に都合のいい解釈をしている自覚があったが、なんと言いわけしてでも逃げ出し、ひとりになりたかった。
 私はあばら屋の引き戸に手をかけた。後ろ髪を引かれ、ノエルのほうを再び見やると、彼女は微笑みながら眠っていた。悪夢は終わり、幸せな夢を見ているのだろう。その顔を見ていると、なかなか踏ん切りがつかなかった。エクソシストから逃げるのは得意なのだが、ひとりの少女から逃げるのは辛く苦しい。ノエルとは、わずか半年足らずしか暮らしていない。私の人生の二千分の一以下のはずなのだが、どうしてこうも心を狂わされるのだろう……。
 私は意を決し、戸を開けた。日はまだ沈んでおらず、あたりは少し明るいが、活動できないことはない。外に出て、戸を静かに閉めた。あばら屋からは物音ひとつしない。私は引き返そうかと戸に手をかけたが、やはりやめておいた。
夕日にカラスが鳴き声を上げた。私がそのカラスを見つめると、黒く大きな翼を広げて飛び立った。私は茜色に輝く空を仰ぎ見て、ノエルの元から去った。

   ◇ Side Noel

 ボロ小屋が風に軋む音と、隙間風の悲鳴のような音で私は目を覚ました。小屋の中はすっかり暗くなっている。隙間から覗く空も暗く、星が瞬いていた。どれだけ眠っていたかわからない。……気絶していたので当然だ。
 ――たぶん、あれは夢じゃなかった。私は首元をさすった。痛みは当然だが、痣も残ってはいないだろう。吸血鬼の治癒能力があれば大抵の傷はすぐに治ってしまう。だけど、問題は心の傷だ。主が私の首を絞めたという事実だけは、未来永劫、決して消えはしない。心の傷は、吸血鬼の力でもなかなか治らないだろう。
 半身を起して室内を見ると、主はいなかった。荷物は置いたままにしてある。血液を取りにでも出かけたのだろうか。カバンを開けると、中には血液パックが入っていた。無駄に体力を消耗しないように移動していたので、充分に備蓄されていた。それなのに取りにいったのだろうか。……まぁ、食料はどれだけあっても困ることはないので、取れる時に取っておこう、ということなのだろう。
 私は膝を抱えて顔をうずめた。その体勢でいると、自然に涙がこみ上げてきた。――主は苦しんでいた。その原因は、私の母親の死にある。だけど、あれは事故のようなものだ。主の殺人欲が湧いた様子を目の当たりにすればよくわかる。あれは別人と言ってもいい。強いて責任の所在を明らかにするならば、それは吸血鬼の集合的本能だろう。個体ではない。種の本能によって、母親は殺されたのだ。
 しかし、主は優しく、頭のいい方だ。自分の意思ではなかったにせよ、自分の手で殺してしまったことに罪悪感を抱いてしまった。私としては、母親が死んでしまったことは悲しいが、怒りや恨みをぶつける対象がいない、という心境だ。主に責任の追及など考えもしない。むしろ、奇跡のような巡り合わせで主と出会えたことに幸福を感じる。
 ――そう伝えようとも、彼は苦しんでいた。会話は極端に減り、目を合わせることも少なくなった。それでも、私の体調を気遣って血液パックを差し出してくれたり、乱気流に飲まれそうになった時は手を引いてくれた。苦しみの中でも、主は優しく暖かかった。そんな人は、人間の中にもそうそういない。人の優しさの大部分は、余裕の表れだ。自分が切羽詰まっていたら、他人にまで気が回らない。ゆとりがあって初めて、人は周りに目が行く。苦しみの中で周りを気遣える人は、心から優しい人なのだろう、と私は思う。
 だから、私も何も言わずについて行こうと決めた。いつか主が苦しみから解放されて、優しく微笑みかけてくれる日をいつまでも待ってみせる。私も昔のように主と話したいが、彼のためだったらなんてことはない。
 私は元気を出すために、好きな歌を口ずさんだ。私が人間だったころに流行っていた曲だ。恋愛ソングで、時期外れだがクリスマスソングだ。フランス語で言ったら、ノエルソングかな? でも、ソングは英語だからおかしいか。
 私は知っている歌を順々に歌い続けた。そうすることで現実から逃げているのかもしれない。――だって、ほら。空が白けてきた。太陽が昇る。吸血鬼にとって太陽は弱点なのに、あの人はまだ帰らない。
動けないほどの大怪我なんてするはずない。エクソシストに捕まるような人でもない。そもそも、あの人が何も言わずに出かけたことなんて一度もないのだから……。起きた時からわかっていた。この言い知れぬ不安感と孤独感は、人間のころに一度だけ味わった。母親が帰ってこなかった、あの夜だ。あの日は特に寒く、凍えるようだった。毎日のように疲れ切った母親の顔を見ては、いつかこんな日が来るのではないかと、いつも不安に思っていた。それが現実となった時、私は身が引き裂かれるような思いをした。
 ――どうして帰ってこないの? どうして私をひとりにするの?
 ずっと私はそう思い続け、夜を明かし、一日中思い悩んだ末に自殺を決意したのだった。いや、決意なんて格好のいい言葉で飾ってはいけない。私は現実と向き合うことから放棄したのだ。例え孤軍奮闘であろうと、私は立ち上がらなければならなかった。弱かったから、というのも言いわけかもしれないが実際に私は心も身体も弱かったのだろう。
 だけど、いまは……。いまなら、私は自分の足で立ち上がれる。私には、それだけの力があるはずだ。あのころの弱い自分はもういない。あの人が、強い私に変えてくれた。私は主のためなら変われる、成長できるのだ。
 私は主が置いて行ったカバンを取り、起き上がった。あの人がなんのために残してくれたものなのかわからないが、私は彼のためにこれを使おう。私はやはり、自分ひとりのためには生きられない。彼のために生きるのだ。
 ――行こう。
 私は玄関の戸を蹴破り、外に出た。朝日が刺すように私を照らす。青空を見るのは久しぶりだ。体表が燃え上がるのを感じた。日没まで待ったほうがいいのかもしれないが、私はじっとしてなんかいられなかった。
 日光を押し返すように、私は内から込み上げる黒々とした魔性を発散させた。肌の痛みが和らぐ。これなら炎天下だろうと行動できる。問題は、カバンに入った残りの血液で持つかどうかだ。魔性を外に発散すればするほど、私の血液の消耗も早くなる。もしなくなったら、採血は苦手だが行く先々で血液を手に入れるしかない。
 私は林の中を颯爽と駆け抜いた。空を飛んだほうが目立たないが、空には日光を遮るものがない。少しでも力を温存するために森や林、少々人通りがあるが並木通りを通ることにした。魔性もほんの一瞬だけだったら、そこまで人に影響を及ぼさないだろう。
 ……飛び出したはいいが、私は主を探してどうするつもりなのか。彼が誰かに誘拐されたのならばわかるが、彼は自らの意思で私と離れたのだ。例え運よく主を見つけても、彼はまた私の前からいなくなってしまうだろう。それでは根本的な解決になっていない。
私は辛そうにしている主に、なんと声をかければいいのかわからなかった。何を言っても彼を苦しめてしまいそうで、私は黙って彼を見守ることしかできなかった。主と再会できた時のために、彼の心を満たしてあげられる何かしらの答えを得る必要がある。しかし、ひとりであれこれずっと考えてはいたが、けっきょく答えは出ないままだ。同じことを繰り返してしまう。では、どうすればいいのだろう。
 ――そうだ、リリアンとカーティス。ひとりで考えてダメならば、ふたりに助言をもらおう。幸い、彼らの居場所はわかっている。私が暮らしてきた家だ。吸血王の足取りがつかめていないなら、まだ私の家やその周辺を調査しているに違いない。ふたりに話を聞いてもらえば、主の心境もある程度わかるかもしれないし、きっといいアドバイスがもらえるはずだ。
 進路が決まったところで、私は再び大地を蹴って駆けだした。
 ――待っててください。必ずや、あなたの元へ帰ります。

   ◆

 思えば、私はひとりで旅をした経験があまりない。大半の時間をディランとすごしていた。イタリアから来日し、ノエルと出会うまでのわずかな時間が私のひとり旅だった。こうしてノエルと袂を分かち、ひとりでいると、ディランを失った時を思い出す。あの時は、あまり感傷的ではなかったかもしれない。別段、彼を軽視しているわけではないが、千年という時はあまりにも長い。永別したとしても、思い残すことはなかった。それにいつでも彼の姿は明確に思い描くことができた。
 だが、ノエルとはわずか半年だったからこそ、心にしこりのようなものが残った。それに永別ではない。無責任にも、彼女を見捨ててしまったのだ。別れた悲しみと、彼女を裏切った罪悪感が、私に重くのしかかってきた。それもすべては、自分が苦しみたくないから、というなんとも身勝手な理由だ。己の狭量さに腹が立ち、自己嫌悪にも陥った。
 私は当てもなく旅を続けた。だが、日本から出る気は起きなかった。ノエルはおそらく日本にとどまるだろう。それを知っていながらこの国を彷徨する私は、まだどこかで彼女を求めているに違いない。
 私は頭を振った。……何を、馬鹿な。
 ノエルの純真無垢な笑顔を見ても、遠野希美の存在が脳裏をよぎる。その苦悩から逃げ出した自分が、今更何を求めるのだ。彼女はきっと、いまごろ泣いている。悲しみに打ちひしがれ、自暴自棄になり、ひょっとするとまたも自殺を図るかもしれない。それだけのことを私はしたのだ。合わせる顔などない。だというのに――。
 数日間、私は何も考えずに飛行した。すると、見覚えのある土地へやってきていた。街の中央には大きな川――そして、三日月のように街を囲む稜線に、麓には病院の廃墟がある。ここは、ノエルと出会ったラルゴの街だ。意識はしていなかったはずだが、私は再びこの街へ戻ってきていたのだ。
 私は懐かしさと切なさ、そして胸の痛みを抱き、廃墟へ降下した。つくづく、自分の女々しさに嫌気がさした。ここへ来たところで、あのころには戻れないというのに……。
 廃墟は以前のままだった。ひび割れた外壁に、朽ち果てた中庭。その中央には大きな木が植えられている。ノエルが自殺のために用意していた縄は、もうなくなっていた。人の気配はなく、閑散としている。
 私は大木の根に腰かけ、頭上を見上げた。そこには木の枝に座り、いたずらっぽく微笑む遠野希美の姿が見えた、ような気がした。現実には折れた枝と、寂莫とした風の音が流れるだけであった。
 千年の間、ただひとりの人間がこれほど頭の中を占め、考え悩むことはなかった。私は何を望み、何を得たいのか――答えることのない満月に問うた。そう言えば、あの夜も満月だったな、と私は思い出した。遠野希美を吸血し、そしてノエルという吸血鬼の眷属へ仕立てあげてしまった、あの満月だ。
『ならば、私のそばにいてくれ』
 ディランの言葉を借りたとは言え、私はたしかにそう言った。それがこの体たらくだ。眷属を作ることがどんなことなのか、私はまるでわかっていなかったのだ。なんの覚悟もしていなかった代償がこの苦悩であるのならば、私はそれを受けとめ、死する時まで苦しむことが贖いとなるだろう。
 私は眠るように瞑目した。その暗闇は吸血鬼でさえ目の見えぬ深淵だ。
 ――ディラン。
 私は亡き友人をまぶたの裏に思い描いた。
 ――私は、どうしたらいい? ノエルを見捨てて、生きる意味があるのだろうか?
 友は語らず、黙したままだった。私は諦観し、意識を切り離した。
「あんた、ヴィンセントか?」
 私に呼びかける声で、意識はすぐに浮上した。目を開けると、そこにはカーティスとリリアンが驚いた表情で立っていた。考えるまでもない。ここはノエルが暮らしていたラルゴの街。彼らが吸血王の手掛かりを求めて、この街に滞在していることはわかっていた。それに吸血鬼が隠れて暮らすには、この廃墟は具合がいい。
「短い別れだったな」私は自嘲的に言った。
「まったくだぜ。だが、再会できて俺はうれしいよ」カーティスは私の肩を叩いた。「ここにきたってことは、やっぱりここがあんたらの住処だったんだな」
 ふたりには申しわけないが、しばらくの間はひとりでいたかった。だが、こうも歓迎されると無下にはできない。
「ねぇ、ヴィンセントひとりなの?」リリアンは言った。「ノエルはどこにいるの?」
 私は言葉が出てこず、リリアンから目を逸らした。特に、彼女はノエルのことを妹のようにかわいがっていた。それだけに、私の後ろめたい気持ちが増長していた。私がしばらく沈黙していると、リリアンの顔色が徐々に疑問と怒りに変わっていった。
「あんた、まさかノエルを見捨てたんじゃないでしょうね?」
 私は黙って塞ぎ込んだ。
「あの女――ロジーナの囮にでもしたの? 見損なったわ。あんたたちを見てて、こんな主従関係もあるんだなって思ってたのに……。眷属は道具でも機械でもない。あの子には心があるのよ?」
 リリアンは私の胸ぐらをつかみながらまくし立てた。
「それは違う! 私はノエルを――」
 言いかけて、私は言葉を詰まらせた。……見捨てていないとでも言うつもりなのか。暖かく、純粋でいながらどこか無機質の愛を、私は感じていたではないか。私はそれ以上何も言い返せず、リリアンから視線を逸らした。
「何よ……なんとかいいなさいよ」
 リリアンが平手打ちを当てようと手を上げたが、それをカーティスがつかんで制した。
「やめておけ。何か事情があるみたいだ。悪いけど、先にリリアンはノエルちゃんの家に調査へ行ってくれ。俺は――」
「男同士の話があるって言うんでしょ。わかったわよ」
 リリアンは言葉の続きを汲んで、私を離した。そして彼女は背を向け、翼を生やした。
「事情がどうあれ、あの子が不憫でならないわ」リリアンは振り返らずに言った。「ノエルの自我があんたをどう思うかわからないけど、いまのあの子はあんたを必要としてるのに」
 一方的に言い捨て、リリアンは飛び立った。私は彼女の背に、なんの言葉もかけることができなかった。……ノエルが、私を必要としている? そんなことは承知の上だ。そして、それが吸血鬼の本能だということも、いやというほど知っている。
 私とカーティスはしばらくリリアンのあとを目で追った。彼女の姿が見えなくなるころに、彼は口を開いた。
「それで、何があったか話してくれないか? いいアドバイスができるかわからねぇし、そもそもアドバイスが必要なのかもわからねぇけど、話すだけでも気持ちが楽になると思うぞ」
 自分の弱みを他人に語る無意味なことだと思っていたが、やはり精神が摩耗しているのだろう、私は誰かと話をしたくなっていた。
「私は、ノエルの母親――遠野佳奈恵を殺していたんだ」
 一言目を発すると、あとは堰を切ったようにすべてを話していた。私は懺悔するように目を伏せ、苦しみを絞り出した。底のない苦しみはあとから次々に出てくる。私は自分の身を自らの手で引き裂きそうになるのを懸命に抑えながら、カーティスに――いや、誰ともなく独白していた。
「そうか、そんなことがあったのか……。それは悲劇としか言いようがないな」カーティスはつぶやいた。「従属本能の心、か。たしかに、いまのノエルちゃんの心と、遠野希美の心は別物なんだろう」
 彼は昔を思い出すように、遠くの景色を眺めていた。
「俺たちの話をしよう。……関係あるかわからんし、参考になるかもわからねぇけどな。俺とリリアンのことなんだが、彼女には話したことを秘密にしてくれ」
 カーティスはそう前置きをして、話し始めた。満月に雲がかかり、彼の表情は読み取りにくくなっていた。

   ◇ Side Noel

 私は数日間、昼夜を問わずに走り続けた。ひとり旅などしたことがない私にとって、帰郷することは至難だった。何度も道に迷い、そのたびに盗んだ地図と近くの駅名を確認し、進路を取った。太陽は容赦なく陰性の私の身体を蝕み、体内の血液量は目に見えて消耗していることがわかった。それが焦りを生み、道を間違えては引き返し、私は失血寸前だった。主が残した血液パックはとうになくなった。人間から採血しようにも、私は不慣れだし、手間取ってしまっては私の魔性でその人間を殺してしまう可能性もある。それだけは避けたかったので、私は血を口にせず家を探した。
 意識が朦朧とする中、私はようやく見知った土地へたどり着いていた。主と暮らした病院の廃墟、人間時代に毎日のように通っていた学校、クリスマスのイルミネーションがあった路地――それらを横目に、私は自分の家を目指した。
 足元はふらつき、走っているのか歩いているのかすらわからない。息を切らせながら、私はどうにか格安の古びたマンションへ帰り着いた。念のために持っていた鍵を出すのももどかしく、言うことを聞かない手を叱咤しながら扉を開けた。だが、自宅に戻った安心感から、私の意識はすぐに遠のいてしまった。
 心を満たす幸福な夢も、怖気の走る悪夢もない。完全な暗闇が私の視界を覆った。四肢に力が入らず、膝から崩れ落ち、私は玄関でうつぶせに倒れた。なんとなく、死ぬ時もこんな感じなんだろうな、と他人事のように思った。ただ家に帰りついただけだ。まだ何も成し遂げていない。これから、主を探さないといけないのに……。
 思考はそこで途切れ、時間の感覚もなくなった。悲愴も無念も感じない、無が私を支配した――――。
……………………。
……………………。
 ……………………。
 深海から徐々に浮かび上がるように、あたりから光が差した。身体に血が巡り、五感が少しずつ甦る。睡眠からの覚醒とは少し違う。記憶にはないが、まるで生を宿した瞬間のような覚醒だ。――そうか。あたし、生きた生命だったんだっけ、というのが素直な所感だった。
まどろみの中、遠くから声が聞こえる。私の名前を呼ぶ声だ。心配そうに呼ぶ声は、まるで母親のような温かさを感じる。
「ノエル、しっかりして」
 その名前で呼ぶということは、母親ではないな、と私は冷静に思った。私は自分の使命を忘れ、悠長にゆっくり目蓋を開けた。
「ああ、よかった。目を覚ましたのね」
 眼前に、私を抱きかかえたリリアンがいた。彼女の瞳は潤み、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「失血状態からの蘇生なんて初めてするから、目が覚めるか心配したわ」
 リリアンは私を柔らかく抱きしめた。私は記憶にぽっかり穴が空いたようで、どうして自宅にいるのか、またどうして彼女がここにいるのかわからないでいた。一時的な記憶障害なのだろう。私は状況がつかめず、ただただうろたえるばかりだった。
「えっと、リリアン。助けてくれてありがとう」
 何はともあれ、リリアンに蘇生されたのは間違いないようなので、私は礼を述べた。
「いいのよ、当然じゃない。……無事でほんとよかった。私はてっきり、あのエクソシストに浄化されたのかと思ってたわ」
 リリアンは私を抱え起こした。
「でも、なんにせよヴィンセントは許せないわ! あんたを失血状態になるまでほっとくなんて」
 彼の名前を聞いて、私は忘れていた記憶を思い出した。
「そうだ……あたし、主に会わなくちゃ!」
 いきなり大声を出したので、リリアンはハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「あ、でもいまのままじゃダメ。……また同じことを繰り返しちゃう」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ノエル。何がなんだかわからないわよ。ちゃんと説明してちょうだい」
 記憶が戻って錯乱気味の私をリリアンは制した。
「そうだね、ごめん。……あたしね、リリアンに相談したいことがあって、ここに戻ってきたの。悔しいけど、あたしはまだ子どもだから自分ひとり考えてても埒が明かなくて」
 そう切り出して、私はことの顛末をリリアンに伝えた。彼女は主に対して憤慨していたようだったが、私の話を聞くにつれて、だんだん複雑な表情になり、最終的には怒りは完全に消え、同情するように目を伏せていた。
「そっか。そんなことがあったのね」
 リリアンは視線を外したまま話した。彼女のことだから、主に憤慨して声を荒げるだろうと予想していたが、意外にも落ちついた声音だった。
「いつか、そうなるんじゃないかって思ってたわ。私には、あなたたちの関係がもろく目に映ってたから……」
「どうしてそんなことがわかるの? あたしと主は、初めこそ相手を疎ましく思ってたかもしれないけれど、いままでずっと心が通じ合っていたはずなのに」
「吸血鬼の本能のひとつ――従属本能は知ってるわよね?」
 私はうなずいた。眷属はその主を慕い、つき従う本能だ。
「知識としては知ってるかぁ。でも眷属であるあんたには、まだわからないでしょう。人間から吸血鬼へ生命として変化しようと、記憶や人格、意識は連続しているんだから、自覚はないみたいね」
「回りくどい言い方ね。リリアンらしくもない。はっきり言ってよ」
 私は語気を強めた。いらいらしているのは、自分の中で何かしらの不安があったからかもしれない。リリアンは金髪を指先で弄び、少しばかり思案した。
「あんたにとっては理路整然とした理由でヴィンセントに好意を抱いたんだろうけど、それは従属本能によって歪められた感情だって言ってるの」
 リリアンは私の正体不明の不安を寸分違わず言い当てた。
「――――違うっ!」
「違わないわ。よく考えてみなさい。たったひとりの肉親を殺されたのよ? それに唯一、あんたの心の拠りどころだった人を殺されて、主に出会えるきっかけになったからよかった――だなんて、歪んでいるわ」
「もちろん、お母さんが死んじゃったのは悲しいわ。でも、それは主の意思ではなく、殺人欲に殺されたんだから事故のようなものじゃない」
「自分の半身とも言える人が不可抗力とは言え殺されたなら、私は許せないわ」
「リリアンはそうかもね。でも、あたしは別人なんだから、考え方も違うだけよ」
「そうね。そして、いまのノエルと昔の希美も、考え方はきっと違うわ」
「そんなはず、ない。だって、あたしは…………」
 ――私は誰? ノエル? 希美?
 ふたりは同じ記憶と人格を持っている。肉体こそ、吸血鬼と人間で違うものだが、同一人物であると言っていいはずだ。魂というものがあるのならば、いまも昔も変わらず私の中にある。だから、ノエルも希美も同じだ。
だけど……本当に同じ、なのだろうか。
 いまは吸血鬼で、昔は人間。いまは主を慕っていて、昔は母親を慕っていた。いまは母親を失い、昔は母親とともにいた。いまは主がいなくなり、昔は主と出会ってすらいなかった。いまと昔で、私の心の変化は多分にある。でも、心とは常に変化し続けるもののはずだ。だから私は――。
「違うわ。いまと昔で、あなたは別人になってる」
 リリアンは私が口を開く前に道破した。
「ヴィンセントが浄化されて、あんたが自立し、自我が解放されないと本意はわからない。でも、眷属である限り、やっぱり別人だと言い切れるわ」
「どうして言い切れるの? 主は自我が解放された時、心の劇的な変化はなかったって言ってたわ」
「あいつは例外よ。千年も眷属でいたんだから。人間時代の記憶や感情なんて、ほとんど残ってないでしょう?」
「だったら、あたしも千年生き続けたら……」
「それは根本的な解決になっていないでしょう。あんたのお母さんがヴィンセントの殺人欲の犠牲になった事実はなくならないわ」
 リリアンの言う通りだ。自分の浅はかな考えに、私は自省した。
「私とカーティスはさ」と、リリアンは窓から覗く夜景を眺めながら話し始めた。「自立した吸血鬼だけど当然、眷属時代があったの」
 彼女の表情は昔を懐かしんでいるようでいて、少し後ろ暗い感情が見え隠れしていた。気軽に他人には話せない、大事な話をしているんだな、と私は思い、居住まいを正して真剣に聞いた。
「まだカーティスと出会う前、普通の家庭で私は育ったんだけど、なんの前触れもなく現れた吸血鬼に一家全員眷属にされたの。そいつが、私の元主よ」
 リリアンは表情を強張らせた。
「その吸血鬼の思想は、いま思い出しても身の毛がよだつわ。混沌とする世界を自分が統一し、支配すると、本気で考えていたの。まぁ、吸血鬼になりたてのやつにはありがちな話よ。信じられないぐらいの力を身につけたわけだから。――それで、そのための手駒として、多くの人間が眷属にされてたわ。そのうちのひとりが私だった」
 彼女は生唾を飲み込んだ。その時のことを思い出しているのだろう。
「そんな歪な思想の持ち主だったけど、当時の私は彼を現代の救世主だと、心から思ってたわ。ごく自然に、そう思えた。この人なら、世界をユートピアへ導いてくれるだろうってね。だから、私は彼の命じたことならなんでもしたわ。逆らうものや糾弾するものには、見せしめにむごい殺し方をしたり、時には子どもにまで手をかけたわ。……いまでも時々悪夢にうなされるの。決まって同じ夢でね、目玉をくり抜く感触や生皮をはぐ感触がリアルで、断末魔が耳元で聞こえるのよ」
 私は息を飲んだ。リリアンの鬼気迫る表情が、少しだけ怖かった。
「リリアン、もういいわ」
「……吸血鬼のほとんどが歪んだやつよ」リリアンは大きく溜息をついた。「だから、正直エクソシストの気持ちもわからないではないの」
 彼女にそういう過去があったから、私たちが初めて出会った時、言葉も碌に交わさず敵意をむき出しにしていたのだろう。
「……信じられないかもしれないけどね、その時の私は喜んでそんなことをしてたの。主の崇高な使命に役立てて、光栄だってね。その気持ちが従属本能からくるものだとも知らずに、ずっとこの手を汚してきた。……もし、犬と同じように権勢本能があれば、吸血鬼化してすぐに反逆してやったのにね」
 リリアンは冗談めかして言っていたが、目は笑っていなかった。吸血鬼に権勢本能がないのは、子が親を恨むケースが多く、それでは吸血鬼が眷属を作ることに消極的になってしまうからだ、と主が言っていた。
「それで、その吸血鬼はあっけなくエクソシストに浄化されたの。私は運よくその場にはいなかったんだけど、私の家族もそいつの盾になって浄化されたわ。主が浄化され、自我が解放された時の私は……なんとなくわかるでしょ。自己嫌悪と私を吸血鬼にしたやつへの恨みよ」
 あえて簡素な表現をしているが、その心的外傷は想像を絶しているだろう。リリアンの自尊心は傷つき、悔恨は行き場を失っていたはずだ。歪んだ吸血鬼に忠誠を誓ったことも、忸怩たるものがあるのだろう。直接言葉にはしていないが、彼女の感情は低くうなるような声から充分に伝わった。
「それが従属本能の本質、なのね?」
 私は自分を信じられなくなりつつあった。この主に対する様々な感情は、ひょっとしたら後天的に獲得した本能によるものなのかもしれない。生来的に持って生まれたものではないので、それはなんだか偽物のように感じてしまう。
「そう。それから私はなんの目的もなく、エクソシストから見つからないようにただ生きていたわ。魅了の魔眼で富豪の屋敷に潜り込み、侍女に扮して自堕落に生活してた。これが意外と目立たなくてね、木を隠すなら森の中ってやつかしら」
 周りの人間の魔性による恐怖心も、魅了の魔眼で操り誤魔化していたのだろう。だが、それは覚醒剤で無理やり高揚させるようなもので、悪影響は蓄積していったはずだ。そんなことも顧みないほどに、リリアンは自棄になっていたらしい。
「そんな時に、カーティスと出会ったの。当時、彼はバウンティハンター――賞金稼ぎで、手配書を見て偶然屋敷を訪れたの。それで、まぁ……いろいろあってお互いに惹かれ合ったのよ」
 馴れ初めの肝心なところだが、リリアンは恥ずかしがって言葉を濁した。大いに興味のある話ではあるが、いまは悠長に恋愛話をする気持ちにはなれないので、その話は別の機会に追及しよう。
「私たちはともに生きることを誓ったわ。だけど、それには大きな障害がある。……私は不老不死の吸血鬼で、彼は普通の人間。いずれ、時が私たちを引き裂くわ」
「それで、カーティスは吸血鬼になったんだ。すごいなぁ。ほんとすごい決心だと思う」
「……そうね。でも、よく考えてみて。彼は自立した吸血鬼よ。それがどういうことかわかる?」
 すっかり失念していた。話の流れからして、リリアンがカーティスを吸血したものと思い込んでしまった。だが、カーティスが自立していることは事実であり、仮にリリアンが主であれば、彼女が浄化されていないことと矛盾してしまう。では、彼を吸血鬼にした吸血鬼は誰なのだろう。
「カーティスは吸血鬼になることを受け入れてくれた。でも、私はどうしても彼を眷属にできなかったわ。例え衝突することがあっても、彼とは対等でいたい。自分の眷属にして心を操るようなことは考えられなかった」
 リリアンは自身の眷属時代の経験から、従属本能を忌み嫌っている。彼女が私に向かって時折見せていた同情するような視線は、私が眷属で、従属本能に囚われているからだったのだろう。
「それじゃあ、けっきょくどうしたの? カーティスを吸血した人は?」
「……なんの関係もない吸血鬼をそそのかして、彼を吸血させたのよ。協力してエクソシストを倒そうって、話を持ちかけてね。でも、そのままだったらカーティスはその吸血鬼に従属するから、けっきょくは私から離れてしまう。……だから、その吸血鬼を罠にはめてエクソシストに浄化させ、カーティスの自我をすぐに解放してやったわ」
 リリアンは懺悔するように言いながらも、強い意志を感じた。後悔するぐらいならなぜそんなことをした、と自分に言い聞かせているようだった。
「ひどい話よね。自分の納得のいく愛を成就させるために、関係ない吸血鬼を利用した挙句に殺しちゃうんだから」
「……うん。正直、ひどいと思う。他人の命を奪うくらいだったら、カーティスは人間のままでいてもらって、彼の寿命が尽きるまで添い遂げるべきだったんじゃない?」
「……純粋ね。いや、それが間違ってるって言ってるわけじゃないわ。むしろ正しいと思う。でも、男と女の愛って、エゴの塊なのよ。――いいえ、男と女って一括りにしちゃいけないわね。少なくとも、私は道徳や倫理よりも自分の願望を優先した。悪魔と言われようが、悪女と言われようが、私は構わないわ」
 幸せの形は人の数だけある。綺麗事を並べるのは見栄えがいいが、必ずしも幸福は美しいものばかりじゃない。その人の意識と価値観で、たやすく黒く染まってしまうのだ。だけど、その黒色が汚れたものとは限らないのかもしれない。
「……そっか。うん、わかった。でも、よくカーティスもそれを受け入れてくれたね」
 彼のことだから、他人を巻き込むことに反発しそうなものだ。
「私の画策のこと? 彼には教えてないわよ」
「えっ? そうなの?」
「当たり前じゃない。彼まで罪を背負う必要はないわ。これは私の独断で、わがままなんだから。……でも、偶然を装って自立させたけど、カーティスはとっくに気づいてるんじゃないかなぁ」
 そう言って、リリアンは暗い天井を見上げた。その瞳には、ここにはいない愛する人を想う色が浮かんでいる。私もその視線をなぞった。主はいま、どこで何をしているのだろう。

   ◆

「吸血鬼となって、吸血鬼の特徴を知っていくうちに、当然俺はリリアンのしでかしたことに気づいた」
 話をしているうちに雲は消え、満月がカーティスを照らし出していた。その表情は真摯であり、いつも飄々としている彼からは想像できないほど誠実な青年に見えた。
「はっきり言ってその行為は大罪だ。相手がいけ好かねぇ吸血鬼とは言え、それは許されることじゃない。俺は吸血鬼になってリリアンと生涯をともに生きることを誓ったが、そのために他人を虐げていいわけがないと思ってる。だが、俺は彼女にそのことを問い質すつもりはない」
「どうしてだ」私は心底、疑問に思った。「なぜ彼女の行為を黙して受け入れられる。胸襟を開いて話をしなければ、純粋な愛とは言えないんじゃないか?」
 そう問いかけると、カーティスは嫌味なく笑った。
「純粋な愛、か。何をもってして純粋と言うのか定かじゃないが、裏も表も見せることが必ずしも正しいこととは限らない」
「だが、それでは――――」
「純粋じゃないって? そうだな、たしかにその通りだ。だが、俺たちを見てみろよ。完成遺伝子なんて大層なもん持ってるが、いつまで経っても心は未完成だ。人間のころと変わりやしねぇ。小さな世界で大きな爆弾を抱えて生きてる。……理想を求めることは大事だが、時には目をつぶらないと、理想へたどりつく前に破滅してしまう」
 理想とは決してたどりつけない桃源郷。目指し続けることはすなわち向上心となるが、無理に近づけば身を滅ぼすと、カーティスは言った。
「理想ってのはあくまで目標であり、いまを生きるための原動力だと俺は思う」
「しかし、カーティスはリリアンの所業を知っていながら、彼女を真っ直ぐに見れるのか? 私は、気づいてしまってからは、ノエルの笑顔を素直に受け入れられないんだ」
 まるでその笑顔が、人形に刻まれた笑顔のように私には見えてしまう。
「見れるさ。惚れた女だ、当たり前だろ。惚れた女の毒まで飲み込むのが、男の気概ってもんさ。それに男女間だけでなく、友人や家族にだって知られたくないことは当然あるし、俺とリリアンのように互いに共通認識として知ってはいるが、口に出さないタブーってのはよくあることだろう。……たぶん、俺がリリアンの罪に気づいてることを、彼女も察してると思う。だが、俺たちは決してその話をしない」
「話をすれば、君たちが崩壊するからか?」
「そうじゃない。ただ、する必要がないだけさ。俺が言うまでもなく、あいつは自分の罪をしっかり受けとめているからな」
 以前、カーティスのことを子どもだと称したことがあったが、いまの精悍な彼は落ちついた男であった。
「寛容だな、君は」
「そうでもないさ。些細なことでリリアンとは喧嘩ばっかりだぜ」
 すると手のひらを返すように、カーティスは子どもっぽく笑った。
「私には、とても君みたいな器はない」
「そうか。ま、わからないでもない。俺もほんのわずかとは言え、眷属時代があったからな。その時はリリアンより、主を優先して物事を考えていた。ヴィンセントがノエルちゃんに猜疑心を持つのも無理はない」
 カーティスは笑顔を消し、目を伏せた。私は夜空に瞬く星に思いを馳せていた。
「……俺がもし」と、カーティスは静かに口を開いた。「人間時代にリリアンの画策に気づいていたら、俺は彼女を問い質し、非難したと思う」
「いまとなっては過去のことだから問い質さないのか?」
「いや、仮にいま人間のままだったら、やはり気づいた時点で問い質しただろう。……だが、いまは吸血鬼になってしまったからな。人間と吸血鬼は別の生物だ」
「何を言っている。それは当たり前のことではないか」
「そうさ。当たり前だ。だからこそ、俺たちは人間のようにはいかない。吸血鬼には吸血鬼の愛の示し方があるんじゃないか?」
 人間の真似事だ――と、ロジーナの言葉が頭に響いた。
「俺はいま、リリアンと一緒にいて幸せだ。彼女もそう思ってくれてるはず。……リリアンがやったことは許されないことだが、そのおかげでいまはこうしていられるんだ。もし、俺が人間のままでいたら、いまごろとっくに寿命は尽きてるだろうからな」
運命がふたりを引き裂こうとも、宿した命は私たちの希望だ――これは遠野希美の名前の由来だ。運命とは、すなわち死別だろう。中にはカーティスやリリアンとは別の道を選んだものたちもいる。おそらくどちらも正しい道ではあるが、どちらも真に正しいとは言えず、それぞれに心の交錯があったのだろう。
「俺の話はこれで終わりだ。どう思ったかわからねぇが、その様子じゃ碌にノエルちゃんと話すこともなく、ひとりで抱え込んできたんだろう。決別するにしても、それはあんまりだぜ。ヴィンセント、あんたが望むのはノエルちゃんを見捨てることか?」
 私の望みは――――。
 『――――ディラン、私は生きるよ』。いつか心の中でつぶやいた自身の言葉を思い出す。その言葉は、誰のために捧げたものなのか、私はいま一度自問した。……そうだ、私の心は、とうの昔に決まっていたのだ。
「……ノエルを探しに行く」
 私はおもむろに立ち上がった。
「それがいい。あとは、あんたたち次第さ」
「カーティス、世話になったな。感謝する」私は右手を差し出した。
「なぁに、お安い御用さ」カーティスは私の手を握った。
 ノエルにいま一度会うと決めたのはいいが、彼女はまだあのあばら屋で私の帰りを待っているのだろうか。日本は出ていないだろうが、探し出すのは困難に思えた。
「ヴィンセント、朗報だ」
 私が行く先を考えあぐねていると、カーティスがいつもの調子で気障ったらしく指を鳴らした。その手には、携帯電話が握られている。
「それは……?」
「リリアンと連絡を取るのに都合がいいからな。ちょいと拝借したんだ」
 そう言うとカーティスは液晶画面を私に見せた。
「あんたはツイてる。どうやら、ノエルちゃんは帰省中だ」
 そこにはリリアンからのメールが表示されていた。ノエルは無事だ、と。

   ◇ Side Noel

「この話をあんたにするべきだったのか、正直いまでもわからないわ」
 私とリリアンは暗い部屋で話を続けていた。
「自分自身が信じられなくなって、あんたを苦しめるだけかもしれないからね」
 従属本能は心をも支配する。それを甘く見ていた私にとってその事実は、たしかに自身に疑惑の念が生じる悪の種であった。だけど――。
「ううん。話が聞けてよかったわ。たぶん、話を聞かないままじゃ、あたしはまた無遠慮な言動で主を傷つけてただろうから。でもいまなら、主の気持ちも少しだけかもしれないけれど、わかってあげられる気がするの」
 私の主への想いが強ければ強いほど、それを示せば示すほど、彼の中で遠野希美の存在感が増してしまう。時には、自分の感情を抑えることも必要なのだろう。例え好意であったとしても、それが人を苦しめてしまう時がしばしばあるのだ。
「……そうよね。何を言っても中心には主がある。それは変えようがない。けっきょく、私の話に意味はあったのかしら」
「その言い方、まるで主とは決別しなさいって言ってるように聞こえるんだけど」
「あ、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけどね」リリアンは慌てて否定した。「ヴィンセントは、ちょっと感情が薄いけどいいやつだと思うわ。あいつじゃなかったら、羽交い絞めにしてでもノエルと決別させてたところよ」
「リリアンの力じゃ、あたしを拘束できないんじゃないかなぁ」
 私は冗談めかして笑った。
「もう、何よ。こっちは真剣に話してるのに」
「わかってるよ。リリアンがあたしのこと心配してくれてるってことぐらい。でも、いまの私には、やっぱり主なしの人生は考えられない。それが従属本能から来る気持ちだとしても、あたしはいいの。だって、従属本能そのものは何も間違ったものではないでしょ?」
「何言ってんの。私の話、ちゃんと聞いてた?」
「もちろん、聞いた上で言ってるの。まるで従属本能は絶対的な悪のようにリリアンは言ってたけれど、悪になるかどうかは眷属を統べる主にあると思わない? 悪意を持った吸血鬼が眷属を作ると、従属本能も悪に染まるけど、善意ある吸血鬼の元でもそうなるとは限らないでしょ?」
「――それは、たしかにそうかも」リリアンは目から鱗のようだった。
「あたしは、本能を否定してはいけない気がするの。人間や吸血鬼だけでなく、あらゆる生物には本能があって、それは進化の上で祖先が獲得した大事なものなんだから。それに、あたしの主はリリアンのお墨つきだから、あたしは安心して彼のそばにいられるわ」
 主は口数が少なく人見知りだけど、可能な限り人を傷つけず、人を思いやれる優しい人なのだ。彼に従属することは、何も間違ってはいない。心配することなど、初めからなかったのだ。
「……なるほどね。やれやれ、教えてるつもりが、なんだか教えられちゃったな」
 リリアンは金髪を手で梳かした。
「そんなことないよ。充分いろんなことを教えてもらったから。リリアン、ありがとう」
 私はリリアンを抱き締めた。彼女からは、甘い匂いがした。
「ヴィンセントに会いに行くのね?」
「うん。そのつもり。きっと見つけてみせるわ」
 主は逃げることにも隠れることにも長けている。再び出会うのは困難極まりない。だが、例え何十年、何百年かかろうが探し続ける覚悟はできている。
「だったら、あの山の麓の廃墟に行きなさい。あんたたちが住処にしてたところだから、場所はわかるでしょ」
「そこにヒントがあるの?」
「ヒントも何も、答えがあるわ。――ヴィンセントは、ついさっきそこへ帰ってきたんだから」

   ◆

 私はカーティスからノエルの実家の詳しい場所を教えてもらい、夜空を切り裂くように飛行した。満月と星々が私を照らし出し、心の内まで透かしているようだった。私の胸中にあるのは、不安と後悔、そしてわずかな希望だ。
 リリアンからのメールによると、ノエルは失血状態で発見されたらしい。彼女はそうなるまで、がむしゃらに私を探していたのだろうか。いや、きっとそうに違いない。それが眷属としてあるべき行動なのだろう。
 私は胸が痛くなった。すぐにでもノエルに会って、その姿を目に映したかった。失血状態の後遺症はないだろうか。ここまでの道のりは辛くなかっただろうか。彼女はいま、笑っているのだろうか、それとも泣いているのだろうか。気は急くばかりで、私は一向に落ちつかなかった。
 考え事に気を取られ、危うく私は川を見逃すところだった。工業地帯と街の中心部を隔てる、大きな川だ。私は地上に降りて、川に架かる一番大きな橋を渡ることにした。橋は人間が作り出した大地の延長だ。流水を渡れない吸血鬼にとってこれ以上ないほどありがたい発明である。
 時刻は午前四時。片道二車線の大きな橋に、人と車が通る気配はなかった。煌々と水銀灯に照らされる橋は神聖さを醸し出すとともに、どこか恐ろしく、まるで黄泉への道にいざなわれているようだった。私は高ぶった気を静めるために、歩いてその橋を渡った。
 少し歩くと、反対側からやって来る人影が見えた。目を凝らしてよくみると、それはこの時間には不釣り合いな年端もいかない少女だった。見覚えのある黒いドレスに、長い黒髪――見間違えようもない。あれはノエルだ。彼女も私に気づき、どちらからともなく走り出した。ふたりの距離はすぐに縮まったが、触れ合うことはなく、声は届くが手は届かない距離でお互いにとまり、向かい合った。
 ノエルは一心に私を見つめていた。私は思わず目を逸らしてしまった。決意は固まっているが、彼女にしでかした行為が消えたわけではなく、私は後ろめたくなったのだ。ノエルは一向に口を開かず、私が話し出すのを待っているようだった。それはまるで主の命令を待つ忠犬のようだったが、彼女の様子は落ちついており、優しく私を見守っていた。てっきり、私は再会した途端に泣き出すと思っていたので、彼女のその様子は意外であった。
「ノエル……」私は絞り出すように話し始めた。「ひとりにして、すまない」
「――はい。寂しかったです。辛かったです。でも、あなたの痛みを知れば仕方がないと思います」
 ノエルは優しく笑った。その笑顔からは、もう歯車のような幻聴は聞こえなかった。
「それにしてもほんとひどいですよ。あたしを放り出して消えたりしないって、約束したのに」
 ノエルは冗談めかして言った。思い返せば彼女を眷属にしたての時、そんなことも言っていた、ような気がする。
「そうだったな。すまない」
私は再び謝った。ノエルが自然体でいてくれるおかげで、私も自然と笑みが零れた。
「いいんです。こうしてまた、帰ってこられたんですから」
「まさかこのラルゴの街で再会するとは思わなかったよ」
「そうですね。あたしもです。……さっきまで、あたしの実家でリリアンと会ってました」
「奇遇だな。私も廃墟でカーティスと話していた」
「らしいですね。うーん、おしかったなぁ。先に廃墟に寄ってたら、ヴィーに会えたんですね」
 いつものような会話をしながらも、私たちは互いに心境の変化があったことを感じた。心に傷を負いながら、私たちはその傷を癒し合うように会話を重ねていた。いつもと同じだが、どことなく相手を気遣った会話だった。慎重に言葉を選んでいるようでもある。
「ノエル、話がある」会話が途切れたところで、私は話を切り出した。
「……はい」ノエルは真剣な眼差しで答えた。
 言うことは決まっている。だが、私はなかなか言い出せずにいた。自分の心を吐露することは、こんなにもためらわれることだったのか、と私は自覚した。
「ヴィー、言ってください。あたしなら、いつまでも待ちます」
 ノエルは一歩、私に近寄った。彼女に背中を押され、私も一歩だけ近づいた。
「ノエル、私は――――」
 満月の光が、雲間から橋へ差し込む。
「なんときれいで妖しい月でしょうか。満月は魔を湧かせる妖艶の核ですが、人間を魅了してやまない一面もあります。それは私の――いいえ、すべての人間が陰なる心をも持ち合わせているからなのでしょうね」
 神聖な祝詞のように、言葉は天上へ捧げられた。声の元に目をやると、私とノエルとは反対車線の歩道に、修道服に身を包んだ女がいた。
「ロジーナ……」
 私は諦観の念を抱き、つぶやいた。一度ならず二度も彼女の接近に気づかなかった。
「今宵こそは、決着をつけましょう」
 言うや否や、橋を支える中央の柱の頂上から、橋の両端へかけて銀糸がアーチ状に展開された。きらきらと瞬く銀色の線が、空を両断した。
簡易的ではあるが、これも銀糸の檻だ。橋の側面に銀糸は張られていないが、橋の下には川が流れているので、吸血鬼ならば側面からの逃走はできない。両側に越えられない巨大な壁があるようなものだ。橋の上では吸血鬼は人間以上に行動に制限がかかってしまう。空と通路を塞がれては袋の鼠であった。
「急ごしらえでしたが、きれいな銀幕が張れましたね」
「あんた、また性懲りもなく!」
 ノエルがロジーナを睨みつける。いまにも食ってかかりそうだ。
「やめるんだ、ノエル」
 私が制すと、ノエルは握った拳を緩めた。
「……そう言うと思いました。殺すな、でしょう? わかってますよ。でも、むざむざ殺されるわけにもいきませんから、あっちが戦うつもりなら前みたいにノしちゃいます」
「ああ……そうだな」
 と、了承しながらも、私は一抹の不安を拭えないでいた。ロジーナのあの表情――覚悟を決め、自身の生命の輝きをこの一瞬に賭けたかのような感情の発露が窺える。エクソシストが姿を現したということは、勝利を確信しているからだ。以前はノエルの成長というイレギュラーがあったが、いまとなってはロジーナもそれを踏まえた対策をしているだろう。
「ロジーナ、何を隠している」
「さすがにわかりますか」ロジーナは意に介さず答えた。「簡単な話ですよ。いまの私には、あなたたちを浄化する力がありません。……しかし、私の命と引き換えにあなたたちの活動を停止させることはできます」
 ロジーナは表情を一切変化させず、淡々と答えた。
「あんたじゃ、あたしをとめられないって、前に証明したはずだけど?」
 ノエルも好戦的に挑発するが、どことなくロジーナの気迫に気圧されているようだった。
「とめるのは私ではありませんよ。あなたたちは決して抗うことのできない、世界の法則に縛られるのです」
「――この川に、私たちを捕らえるつもりか」
 吸血鬼に流水は越えられない。流水へ落ちれば我々は瞬く間に力を失い、他者の助力なしには抜け出せないのだ。あるいは川の水が自然に干上がれば力を取り戻すが、これほど大きな規模の川であれば、それは百年単位のことだろう。
「その通りです。この橋に爆弾を仕掛けました。橋を崩壊させるには充分な火力です。大地の恩恵を失ったあなたたちは、自然の摂理に従い川底に沈むでしょう。そうなれば、明朝に来る私の仲間が、無抵抗なあなたたちを浄化する段取りになっています。私も死ぬことになりますが、あなたたちもおしまいです」
 そう言うと、ロジーナは淑やかにその場に正座した。あちらから攻撃を仕掛けるつもりはないようだ。
「卑怯よ、そんなの。正々堂々と戦いなさい!」
「……三分だけ待ちましょう」
 ロジーナはノエルの虚勢を受け流し、死の宣告をした。
「どうして……どうして邪魔するのよ。せっかく、ヴィーと再会できて気持ちがひとつになれたのに」
 ノエルは歯を食いしばりながら涙を堪えていた。橋の天上から両端にはカーテンのような銀糸、両側には流水による摂理の壁、そして橋を崩壊させる爆弾――逃げ場はない。三分あれば爆弾は解除できるかもしれないが、それを許すような相手ではないだろう。一見して、出口のない袋小路のようだが、ひとつだけ逃げ道がある。だがそれは……。
「ヴィー。一か八か、戦ってみます。あいつが起爆させるより早く、両腕をもぎ取れば……」
 ノエルはロジーナに聞こえないよう、声を潜めていった。
「いくらノエルの俊足でも、それは不可能だ」
「やってみないとわかりません。だって、このままだとふたりとも……」
「ああ、ふたりとも終わりだ。だが、このまま指を咥えて待っているつもりもないさ」
「何かいい案があるんですね?」ノエルの目が輝く。
 私は深くうなずいた。
「流水を自力で越えることは不可能だが、他者の助力があればその限りではない。橋から川岸まで相手を投げ飛ばせばいいんだ」
 伝承の通り吸血鬼は流水を越えられないが、事実として私は飛行機や船を使って海を渡っている。
「なるほど、そんな手があったんですね。さすがです。――あれ? でもそれって投げられたほうは助かるけど、投げ飛ばしたほうはどうするんですか?」
「……助かるのはひとりだけだ。残されたほうは、どうあがいても脱出できない」
 片方が脱出すれば、橋上に残るのはひとりだ。自力では何もできない。
「そんな……」
ノエルは眉根を寄せて再び泣きそうな顔になった。
「だったら、簡単な話ですね。眷属としては当然です。あたしが――」
「ノエル、君が生きろ」私は言下にノエルの言葉を遮った。
「いやです!」
 ノエルもまた、すぐに私の言葉を否定した。おそらく、私の考えが手に取るようにわかっていたのだろう。
「わかってくれ、ノエル。私は充分に生きた。……これから、君は自由になるんだ」
「そんなのいやです。絶対にいや。あたしはとっくに自由な翼をあなたにもらったんです。だから、そんなの必要ありません」
「君のおかげで人の暖かさを思い出すことができた」
 私の心はいままで、冷たく凍った波打たない湖面のようだった。だが、それをノエルは氷解させてくれたのだ。いまとなっては、湖面は激しく波打ち、ノエルに生きろと告げている。
「感謝している。ありがとう」
「それはあたしも同じです。だから、あなたが生きてください」
 ノエルは泣きじゃくりながら懇願した。だが、私はゆっくりと首を横に振った。
「……あたしはひどい女です」
 ノエルは静かに告白した。
「あたしは、ヴィーが死ぬこと以上に、自我が解放されてヴィーを恨んでしまうかもしれないことのほうが恐ろしいんです。あたしは、あなたを恨みたくなんかない。恨むぐらいなら、死んだほうがマシです。……こんな自分勝手なことしか考えてないあたしが生き残るより、人のためを想えるあなたが生きるべきです」
 死してなお想っていたいと、ノエルは涙ながら話した。それ以上に人を思いやれることがあるだろうか。それが答えだ。私が彼女を生かす理由は、それだけで充分である。元より覚悟はできていた。なぜなら私はノエルを――。
「ノエル」
 私はノエルの耳元に口を近づけ囁いた。ロジーナに聞こえないようにするフリである。……聞こえたところで、私の運命は変わらないだろう。
「ここから自力で脱出不可能なのは、普通の吸血鬼の場合だ。私は万物の器と称される吸血鬼だぞ? こんなところ、いくらでも逃げおおせる。ただ、ノエルにはできないことだから、先に行ってくれ」
 努めて優しく演技したつもりだった。心配など必要ない。私は必ず生きて帰ると、ノエルに伝えるつもりだった。だが、私は頬に伝うものを感じ、つたない嘘は水泡に帰した。
「……さすが、です。さすがあたしの主です。そんなこともできるなんて」
 しかし、ノエルは私の嘘に便乗した。とめどなく涙を流し、嗚咽交じりに悲しみながらも、私の意図を汲んでくれた。
「わかりました。あたしは先に行ってます。だから……だからヴィーも、必ず帰ってきてください」
 私の目とノエルの目が交差する。その瞬間に、私たちは互いの心の内が伝わった。私がノエルを逃がすために嘘をついてまで死ぬことと、彼女がそれを承知で私の意向に従うこと、そして私がそれに気づいていること――そのすべての共通認識は互いの胸中にあったが、私たちはそのことを口にしなかった。
「ああ、ありがとう」
 私はノエルを抱き締めた。彼女も私を抱き締めたが、小さな身体では私の背中に腕を回せず、背中を掴むことが精一杯だった。
「――ノエル、愛している」
「あたしも愛してるわ、ヴィンセント――」
 ふたりは互いに愛の言葉を交わした。そして、私はノエルと見つめ合いながら、川岸まで彼女を投げ飛ばした。一瞬たりとも瞬きをせず私たちは見つめ合い、ノエルが陸地に降りても私は彼女を見つめていた。これが、彼女の姿を目に収められる最後の時なのだ。
「ちょうど三分ですね」
 口をはさまず黙していたロジーナが、ゆっくりと立ち上がった。
「まさかとは思っていましたが、本当にこのような結果になるとは……」
「信仰していた神に裏切られた気分か?」
 私はロジーナに振り返って言った。
「業腹ですが、的を射た比喩ですね」
 ロジーナは苦虫を噛み潰したような表情だった。
「ひとつ質問させてくれ」
 私が言うと、ロジーナは黙って首肯した。
「わからないことがある。なぜ爆弾を仕掛けたなどと嘘をつき、わざと逃げ道を残すようなことをしたんだ?」
「気づいていたのですね」
 当然だった。いくらエクソシストでも、この橋を崩壊させるほどの火薬を調達することは困難であるし、何より仕掛ける時間などほとんどなかった。それに銀糸にしても、わざわざ橋の上方から両端だけに張るような真似などせず、以前のように檻を作れば手間が少ないはずだ。
「気づいていながら、どうして戦わなかったんですか?」
「エクソシストが勝算もなしに現れるはずがないだろう。それに、決意を固めたその表情だ。奥の手を隠し持っていると思うのは当然だ」
「なるほど、さすがは年の功ですね。あなたの言う通りです。ローマ教会を守護するロザリオを借りてきましてね。それを使えば、あの眷属の動きも鈍ることでしょう。そうなれば、浄化するのもたやすいものです」
 ローマ教会を守護する最重要法具を持ち出すなど、そうそう許可など下りないはずなのだが、それほど私たちが危険視されているのか。それとも無許可か。
「それでは質問に答えましょう。私にとって、これは賭けでした」
 以前も賭けに出ていたな。ロジーナは賭博好きなのだろうか、と私は思った。
「橋上で戦いを挑まれた場合と眷属を囮にしてあなただけが逃げた場合は、自分本位な下賤な吸血鬼であるから両方とも浄化しようと思っていました。いつも通りです。しかし、もしあなただけが残ったならば……それはその時考えよう、と」
「それで、どうするつもりだ?」
「……私はずっとあなたたちを監視しました。その行動も、会話も読唇術で読んでいました。先ほどのあなたたちの会話も、私にはすべて筒抜けです。――疑問は膨らむばかりでした。いえ、もうわかっていたのかもしれませんね。あなたたちが、ほかの吸血鬼とは違う、と」
「それが、お前の曇りのない目で見た私たちか。生憎だが、そう変わりはしないさ。私たちはお互いの願望のために行動しただけだからな」
「そうですね。ですが、方向性がほかの吸血鬼とは違います。賭けは、私の負けです。……いいえ、ある意味勝ったのかもしれませんね。こうあってほしいと、望んだ形に結びついたのですから」
「ならば、私を浄化するのはやめるか?」
「まさか。私はエクソシストです。務めを果たすまでですよ」
「そうか。それは、残念だ」
 私は心からそう思った。
「以前、あなたには命を助けてもらいましたね」
 ノエルがロジーナを殺そうとした時のことだろう。
「ひとつだけなら、願いを聞いてあげましょう」
「今回だけでいい。ノエルを見逃してやってくれ」
 私は迷うことなく即答した。
「ふふ、これも予想通りですね。自分ではなく、相手を想いますか」
 そう言って、ロジーナは修道服の中から銀の剣を取り出した。研ぎ澄まされた剣には、私とロジーナの顔が反射していた。
「千年の時をよく生き延びました。……さようなら、心優しき吸血鬼よ」
 祈りを捧げるように銀の剣で十字を切り、その切っ先は私の腹部を穿った。私は立つ力を失い、その場に崩れ落ちて横臥した。痛みはほんの一瞬で、吸血鬼の冷えた血液が温かくなるのを感じた。傷口はどくどくと脈動し、まるで人間のころを思い出したかのようだ。
 ロジーナは私に一瞥もくれず、横を通り抜けた。眼前には深遠の宇宙と、美しい満月がたゆたっている。陰性を含んだ満月は妖艶ではあるが、死を待つ私には、もう何も恩恵を感じない。身体は熱く、夜空の闇が私を覆い尽くす。月の射光が雲に遮られ、空は寂寞の黒に沈む。
 孤独感にさいなまれる中、私は「あの子は大丈夫だろうか」と心配していた。
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