幸福の庭

はつしお衣善

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 朝起きて、私はいつものように出かける準備を始めた。それから両親にあいさつをして、家族三人で朝食をとる。何気ない会話は同じことの繰り返しのようでいて、日々を彩るおまじないだ。愛のある冗談で笑い、両親の背中を見て憧憬する。
「あ、そろそろ家を出ないと。みんなを待たせちゃう」
 会話に夢中になっていても、時間は刻一刻と進んでいる。お迎えが来ないことに、いまだに慣れていないのだった。
「マリア、洗濯は午後からにしなさい。今日の会議は子どもたちもみんな参加することに決まったんだよ」
 今日は村の人たちを集めて会議をするらしい。人口が減少した村の対策会議だ。本来、村の会議は代表の大人たちだけでするものだが、今回は特別とのことだ。いままで、これほどの緊急事態はなかったので、子どもたちにも現状を知ってもらいたいらしい。
 それは私からしても本望である。今後の対策次第で、村の存続が決まるのだから、私たちだって他人事ではない。
 私は身支度を整え、両親と会議が行われる会館に行った。すでにほとんどの村人が集まっている。ほとんどとは言え、人数は前に比べて減っていた。二百人は入れる室内なのだが、人口密度は低い。中にはカナたちもいた。子どもだけになっている家にも、ちゃんと通達は届いていたようだ。
 私は両親から離れ、みんなのところへ合流した。
「なんだかこんなに人が多いとわくわくするね。特別な日って感じがするね。お昼ごはんもみんなで食べるのかな」
 エルフリーデはうれしそうである。村人がこんなに集まることなんて、お祭り以外ではなかなかないからなんとなくわかる気がする。
「これからどうするんだろうね」
 人口の減少は、そのまま職人の減少を指す。今後、何かと日常生活が不便になることはたしかだろう。
「議題の中心は食料問題になると思います。一番生きるのに必要ですし、農家の方が少なくなりましたからね」
「まだ未熟者だけど、私もこれからは農業につきっ切りになるんじゃないかな」
 と、カナがつぶやいた。
「あ、そうか。そうなると、これから洗濯は私たち三人になるんだ」
 カナは子どもとは言え、農業に造詣が深い。素人の大人より、彼女を起用するのは当然の流れだ。私たちの朝の仕事は、ユユを失って五人から四人、そして四人から三人と人数がどんどん減っていく。
「三人かぁ。カナちゃんまでいなくなると、静かになっちゃうね」
 当たり前のことだが、カナとはずっと会えないわけではない。これからも私たちの関係はずっと変わらないだろう。だが、いつも一緒にいたので、会える時間が限られると思うと、さみしさは誤魔化せない。
 しばらくおしゃべりをしていると、室内に村長と数人の代表者が入ってきた。村長は五十歳と村一番の長寿だ。口ひげを蓄えた柔和な面立ちをしている。村長が上座に用意された座布団に座ると、車座になった人々は自然と静かになる。緊張感はないが、みんな一様に村長の発言を待っていた。
「みな、そろっておるな。随分と少なくなったもんだ。部屋が広く感じるな」
 ところどころにささやかな笑い声が上がる。
「昨日はご苦労であった。天へ還ったものたちも喜んでおることだろう。さて、今回集まってもらったのはほかでもない。わかってはおると思うが、村の現状と今後についてだ」
 村長は反応を窺がうように人々の顔を見渡した。
「調べたところによると、残された村民は九十八人。そのうち、職業従事者は七十六人。農業従事者はわずか三人であった。これでは村民が満足に飯を食うこともままならん。リッカ村の存続が厳しいのが現状だ。そこで、この村を捨て、隣のライラ村に移住することも検討に入れて話し合いを進めた」
 ライラ村と聞いて、思わず私は反応した。アイちゃんの村だ。
「が、生まれ育った故郷を捨てるのは忍びない。先人たちが築き、みなが愛した村だ。人数が少なくなっても、手を取り助け合い、リッカ村を存続させようではないか」
 歓声と拍手が巻き起こる。みんな気持ちは同じだったのだ。
「マリアとしては複雑な心境なんじゃない? アイちゃんと一緒に住めるかもしれなかったんだから」
 カナが耳打ちする。
「ちょっとね。でも、やっぱりこれでいいんだよ。私だって、この村を捨ててアイちゃんの村に行っても、素直に喜べないもん」
 それに、アイちゃんとはそう遠くない未来できっと会える。立派な連絡係になった彼女を、私はこの村で待っているのだ。それまでこの村は、残された私たちがいままで以上に一丸となって存続させなければならない。
 歓声が落ちつくと、村長は話を続けた。
「ついては、これより生活必需職、特に農業の従事者を募りたいと思う。もちろん素人でも構わんし、短時間労働でもよい。とにかく、人手が足りないからの。――と、そうであったな。その前にもうひとつ」
 代表者のひとりが村長に何かを耳打ちした。別の連絡事項を失念していたようだ。
「もうすぐ行われる日食祭についてなんだが、この現状だ。子どもたちも待ち遠しかったことだろうが……」
 村長が私たちに顔を向ける。目を細め、表情は切なそうだ。私たちはしおらしくうつむいた。これも村の現状に鑑みれば必定だ。わがままは言えない。
「予定通り行うとしよう。天使様の御光臨は吉兆である。こんな時だからこそ、祭事で神に祈り、わしらも大いにその幸福を享受すべきであろう。祭りが復興の端緒になれば、これまた幸いだ」
 にっこりと深い皺を刻んで、村長は笑顔を作った。先ほどの表情は、子どもを驚かせるのが好きな村長のいたずらだったようだ。
「やったね!」
 私たちは手を取り合って喜んだ。衣装作りや、舞踊の練習が無駄にはならないのだ。
 それから、会議の中心は農業を含めた生活必需職の分担と、それによって発生するほかの職業の衰退や消失の対策に移った。生活に必要な生活必需職の人たちは従来通りの仕事を続けるとして、生活を彩る嗜好職の人たちはできる限り生活必需職に従事することとなった。私の両親は衣服屋なので、生活必需職に従事する。人口が減ったことに加え、残された人も贅沢を言うことはないので、衣類の必要性は高くない。
 そして、カナもやはり、農業に従事することとなった。子どもとは言え、その農業に関する知識は必要なのだ。
「いやー、突然夢が叶っちゃったよ。もっと先のことって思ってたんだけどね。父さんには遠く及ばないけど、精一杯やらせてもらうよ」
 カナはうれしそうにはにかんだ。
「カナちゃん、おめでとう。でも、カナちゃんとお洗濯に行くのは今日が最後になっちゃうんだね」
 エルフリーデはしょんぼりしていた。
「何言ってんの。いつだって会えるじゃん」
 カナはエルフリーデの肩を叩いて励ました。そうだ。カナと会えなくなるわけではない。少しさみしいけど、一緒にいる時間が減るだけだ。それよりも人口が減ったとは言え、村の洗濯物を私たち三人だけで預かることのほうが問題かもしれない。それでも、そんな雰囲気はおくびにも出さずに、カナを送り出そう。彼女だって、いきなりの大役に不安がないはずないのだから。
 話し合いは滞りなく進み、正午を過ぎるとその場は解散となった。本格的な変更は明日からである。午後からは嗜好職各人の仕事を終わらせ、生活必需職に向けて引き継ぎ等の段取りをすることになった。
 私たちは朝やる予定だった洗濯をしに泉に向かう。カナも最後ということもあって、明日の準備はほかの人に任せ、私たちについてきた。
 軽くなった荷物を運び、そま道を進んで泉を目指す。
「別にこの道を通るのは最後じゃないだろうけど、なんだか感慨深いな」
 カナは草木が生い茂る道を名残惜しんでいる。長い間、毎日のようにこの道を歩いてきたのだから、いまは寂寞の想いが胸をよぎるのだろう。彼女の心境はよくわかる。きっと私にも、そんな思いにふけるころがいつか来るのだろう。
 山間からドームとクジラが顔を見せてきた。私たちは誰からともなく足を止めて振り返る。当たり前だけど、昨日見た時と何も変わらない。
「これからは、あそこにも行けなくなるね」
 一番残念なのはそれだった。私たち子どもだって、生活必需職の手伝いはできる。村のことを省みずに調査はできない。村の復興がいつになるかわからないので、調査の再開は難しいだろう。
「まだわからないことだらけだったんだけどなぁ」
 私たちはしばらく、広大な平野に置き去りにされた、ふたつの遺跡を眺めていた。遺跡は呼吸をとめ、鎮座している。
 調査をする前の、あの好奇心は、いまでも鮮明に思い出すことができる。毎日この道にきては遺跡を振り返り、旧人類の叡智に思いをはせていた。幼心に、私は胸を高鳴らせていた。きっとあの中には、私の想像を超える未知の代物がたくさんつまっているのだ。御伽噺に聞くような不思議なことが起こり、私を夢のような世界につれて行ってくれる、そう信じて疑わなかった。
 実際は、しかし、そうではなかった。不思議な物事はたしかにあったが、ほとんどのものが理解の範囲を超えていて、何ひとつ満足に理解することは叶わなかった。おそらく、気づいていないだけで、旧人類の叡智はそこかしこに転がっていたのではないだろうか。人間は理解できないものは目に入りにくい。未知なるものを未知なるものとして、私は認識できずにいたのかもしれない。そうだとしたら、調査を中断せざるを得ない現状は志半ばであり、後ろ髪を引かれる思いだ。
「そろそろ行きましょうか」
 リディが声をかけてくれなかったら、いつまでも平野を眺めていただろう。私は夢から覚めたようにはっとして、先を行く三人を追いかけた。
 水のせせらぎも、草木や虫のさざめきも、泉は何ひとつ変わることなくそこにあった。水面から魚が跳ね、透き通った水が波紋を広げる。いつも通りのきれいな風景だ。
「うーん、ここはいつきても涼しいねぇ。洗濯の前に水浴びしようか」
 カナが大きく伸びをする。
「いいね。汗も流したいし、洗濯物も少ないからちょっとくらい、いいかな」
「その前に祠にお参りしませんか?」
「うんうん。カナちゃんもお別れのあいさつしたいよね?」
「そうだね。よーし、ついでに掃除もしようか」
 私たちは布巾を泉で濡らし、祠に向かった。そこにはいつも通りの――。
「おや? 祠が……」
 リディが目を凝らす。私もつられて祠に目をやった。石でできた社に木造の雨よけ。苔むし、蔓が巻きついた古びた祠がいつものそれだった。だが、いまそこにあるのは真新しく、きれいな祠だ。社の花瓶に生けられた花も瑞々しく、真っ赤に咲いている。
 ――そう、まるでいなくなった神様が舞い戻ってきたような。
 私たちは祠の前に立った。
「誰かが立て直したのかな?」
「社ごと、ですか? それはどうでしょう……」
「――――あ」
 私たちが怪訝に頭をひねっていると、祠がまばゆい光を放った。その光は私たちをも包み込む。逃れるすべはなく、一瞬のことだった。声を出すことも叶わず、あたりは一面真っ白な世界になった。
 頭の中に膨大な何かが、雪崩のように押し寄せる。とめどなく流れる涙。あふれ出す未知の感情。私はあまりの出来事に、抵抗もできずに気を失った。未知の記録が、私たちの記憶に注ぎ込まれる。
 それは長く長く、果てしない、星の記録だった。

   ◆

 人類の文明は目まぐるしい発展を遂げた。統一と分裂を幾度となく繰り返した人類は、やがてひとつのユートピアを築く。高度な知能で統一されたその世界は、あらゆる障害を取り除き、あらゆる願望を可能にした。人々はその快楽に酔いしれ、誰もが幸福であれと願う。その幸福は人類史上最高のものに膨れ上がった。
 しかし、不幸は完全に途絶えたわけではない。幸福の裏側には必ず、その犠牲者がいるのだ。その最たるものが、生命としての終焉、当然の帰結。すなわち〝死〟であった。人の最後にして最大の不幸である。
 人という種としての寿命の限界を超えることはできたが、それは死の超越ではなかった。どれほどの科学技術を持ってしても、どれほどの高度な知能を有していても、生命である限り死という終焉は不可避であった。
 最大の障壁は百年程度で朽ち果てる肉体だ。人類はいつしか肉体からの解脱が課題となっていた。
 人の記憶や人格といった精神を機器に移し変えることを可能としたが、けっきょくのところそれも寿命の先延ばしだ。老朽化した機器を定期的に新品に代えれば、半永久的に生きながらえることはできるが、それは永遠ではない。擬似的な不老不死なのである。精神が物質をよりどころにする限り、消滅は免れない。精神のみで独立しなければ永遠の命は確立できないのだ。しかし、精神体は器がなければもろく、ひとところにとどまることはできない。瞬く間に崩れ去るという結果は目に見えている。畢竟するに、個としての生命の永遠性はないのである。人類は最後の幸福への道を諦めかけていた。
 ――ふと、誰かが言った。死を忌避するのではなく、受け入れるのだ、と。死の概念を強く持ち、それを不幸と感じるから、死を恐怖する。ならばその概念を幸福へと転じれば、死は喜びに変わるのだ。
 人類はこれを実行に移した。生み出される子孫に遺伝子操作と教育を施し、新人類を作り上げるという長期的な計画だ。
 しかし、死の概念の反転だけでは、いくつかの問題が浮上する。死が喜びとなってしまっては、殺人や自殺が是とされてしまうのだ。そのため、殺人と自殺の概念をなくすだけでなく、他者への暴力、それらの起点となる怒りや憎しみ、嫉妬などの悪感情の概念も失わせた。これによって新人類は戦争や競争をすることはなくなるだろう。さしずめ、新人類の道徳、倫理は人為的あるいは故意的な死を禁忌とし、自然的な死こそが幸福の象徴であるとして、子孫へ受け継がれてゆくのだ。
 さらには、暴力の喪失によって人類は自衛の手段をも失うこととなる。そこで、人間に襲いかかる可能性のある生物を駆逐し、それに伴う生態系の崩壊の抑止として、駆逐した生物の代替種を生み出した。当然、その代替種は人類に牙をむくことはない。この星を外敵のいない楽園へと作り変えるのだ。
 そして、高度な知能を有していれば、複雑な思考を可能とさせる。そうなると、自身の生活に疑問を持つのが人間だ。よりよい、豊かな生活へ。それは人類の最大の武器である、文明の発展、すなわち進化だ。それにともない、新たな発見や思想を提唱するものも出てくることだろう。それが生活を豊かにする程度のものであれば問題はないが、急進的な啓蒙や死生観を覆す宗教が発展し、根幹となる死への疑問が生じてしまう恐れがあれば看過はできない。それまで人類が歩んできた歴史を繰り返すだけだ。そこで、生活水準は古代のものとし、知能の発達をある程度のところでとまるように操作した。新人類は、永遠に牧歌的な、不幸のない世界で暮らすことになるのだ。
 万全を期して、人類は新人類を作り上げた。これより先は不幸を取り除いた、幸福のみの世界だ。穢れのない純白の世界へ、人類は進化を遂げる。
 人類最後の進化は、退行と進化の否定――すなわち、停止であった。

   ◆

『目覚めよ、人の子らよ』
 重いまぶたを開けるとともに、激しい頭痛が襲ってきた。あまりの痛さに身をよじる。うめき声を上げながらも、なんとか状況を把握しようと周囲を窺がった。自分の声に気をとられて気づかなかったが、あたりでもうめき声が上がっている。リディ、エルフリーデ、カナ、みんな私と同じような状態らしい。
「みんな、大丈夫?」
 頭を押さえながら、身を起こした。近くにいたリディは、額に汗の玉を浮かべて苦しんでいた。
「何が、あったのでしょうか」
「わからない。とにかく、ふたりの様子を見てくる」
 容態は比較的早く回復し、私はカナとエルフリーデを介抱しに向かった。
「ふたりとも、しっかりして」
 肩をゆすり、ふたりの容態を調べる。カナは苦しそうだが、なんとか起き上がっていた。
「いたたた。なんなのさ、これ」
 カナは回復の兆しが見られるが、エルフリーデは涙を流しながら震えている。その震えは頭痛だけが原因ではなさそうだ。
「エルフリーデ、大丈夫ですか? 私がわかりますか?」
 リディが駆けつけて、エルフリーデに言葉をかける。自分も苦しいだろうに、エルフリーデのほうが心配らしい。
「やだ、やだよ……。なんで、何、これ」
 一方、エルフリーデはうわ言のようにぶつぶつ言葉を繰り返していた。夏にもかかわらず、彼女の震えはおさまりそうにない。だが幸いなことに、身体に異常はなさそうだ。
 なんにせよ、みんな大事には至らなかった。
 冷静になってあたりを見渡す。空は燃えるように真っ赤に染まる夕焼け。木々に包まれた泉は薄暗い。虫の音が、あたりの静けさをいっそう際立たせていた。いったい、どれほど気を失っていたのだろうか。
 ――いや、そんなことより。さっきのあれは?
 私は自分の記憶をたどった。考えようとすると、頭痛が目を覚ましたように走る。こめかみを押さえ、目をしかめながら頭を働かせた。そこには自分のものではない記憶がある。いや、これは記録だ。でも、こんなこと、ありえるはずがない。だってそれは、それが意味することは……。
「ねぇ、みんな。いまさっきさ、なんか――」
 カナも自分の記憶を探っていたようだ。彼女も、そしておそらくほかのふたりも同じように、頭にこの記録が刻まれたのだろう。
「待って! それ以上は言わないで。……そんなわけないじゃない。ね?」
 思わず、私は大きな声を出してしまった。
「うん……」
 みんな沈黙し、うつむいた。しゃくりあげていたエルフリーデも押し黙り、目を赤く腫らしている。気まずい空気だ。みんなそれぞれ、恐る恐る思考しているに違いない。あの記録が指し示す、その結論を。
 なんの間違いで、こんなことが……。そうだ、あの祠だ。たしか、みんなで祠にお参りした時、祠が光って……。
『人の子らよ、それは人類の軌跡であり、真実だ』
 湖面を揺らすような重い声。感情など一切見せない無機質な声質。虫たちはその声に恐れをなしたのか、ぴたりと鳴き声をとめた。張り詰める緊張と静寂。
「誰か、いるの?」
 あたりを窺がうが、人影は私たち以外、見当たらない。一歩、声のした方向――祠に近づくと、ようやくその正体に気がついた。薄暗くて、祠に絡みついたものが蔓のように見えたが、よくよく目を凝らすと、それは祠を多い尽くすほどの大蛇だった。その大蛇が口も開かず話しているのだ。
「う、そ……蛇がしゃべった」
 みんな唖然とする。危機感を抱き、後ずさりしそうになるのをぐっとこらえ、私は毅然と大蛇に話しかける。この不安の正体を、この大蛇は持っている。そんな気がした。
「あなたは、誰? この祠の神様?」
 大蛇は舌先をちらりと出し、答えた。
『私は代弁者だ。神などこの世にはいない』
 一同に動揺が走る。やはり、この大蛇が話しかけているようだ。いまのところ、危険はなさそうだが、私たちはわけもわからず混乱し、言葉を失っていた。
『質問はそれだけか。ならば、私から質問しよう。諸君――死は恐ろしいか?』
 大蛇の言葉は重く私たちの心に響いた。みんなが一様に感じるこの不安の正体。それをいとも簡単にこの大蛇は言ってのけた。この記憶に刻まれた記録は、私たちの意識に深い根を張っている。
『沈黙は肯定と捉える。その様子だと、記録の移転は十全に完了したようだ。いまはまだ動揺しているようだが、感情のほうも、いずれ本来の姿に戻るだろう。死を恐れ、不条理に怒り、人を憎み、人を愛す。万物の霊長たる本来の姿だ』
 大蛇は饒舌に語りかけた。その話し方も、言葉は理解できるのだが、どこか人間味を感じさせない。
「……ねぇ、みんな。この蛇、何言ってるの?」
 混乱の極みにあるカナは、腰が砕けたように膝をつき、私たちに救いを求めた。
「わからない。でも、この話はちゃんと聞かないといけない気がする」
 私の理解はとっくに超えている。しかし理解できていなくても、恐ろしいことを話していることはわかる。それでも、私たちは知るべきなのだ。この大蛇の語る真実を、あの忌まわしい記録の正体を。
「私もそう思います。ええと、代弁者さん、でしたね。あなたの話が本当だとすると、旧文明は自ら滅びた、ということですか?」
 リディは得体の知れない大蛇――代弁者に臆することなく、毅然と話しかけた。
『滅びた、というのは正しくない。人類は幸福を追い求め、その結果として死を受け入れることを選択し、進化したのだ。そのためには高度な文明の放棄が必要だった、ということだ』
 代弁者はゆっくりと鎌首をもたげ、私たちを見下ろした。
『その選択がどのような実を結んだかは、よく知っているはずだ。人類に争いはなく、平穏に生き、苦しみさえも喜びだと謳う、幸福に満ちた世界だ。当然だ。不幸の根源たる死を受け入れたのだから』
「それじゃあ……私たちが生きてきて、幸せに感じてたことは全部、旧人類が作り上げた偽りの幸せだっていうの?」
 カナが代弁者を睨みつける。彼女だけではない。私だってこの荒唐無稽な代弁者を睨んでいた。初めて芽生える、どす黒い感情を込めて。
『不条理に怒るか、人の子らよ。それでいい。本来の姿に戻りつつあるな』
「なんだって!」
「待って、カナ!」
 あふれ出す激情のままに飛びかかろうとするカナを、私は押しとどめた。
『作られた幸福については否定しないが、それは決して偽りの幸福などではない。なぜなら、幸福とは観測者が人である限り、自然的に存在するものではなく、人の手で作り出すものだからだ。人は意識的にしろ、無意識的にしろ、幸福を求める生物だ。人類はそれに則した選択をしたにすぎない。諸君がその結果に疑問を持つのなら、それは作られた偽りの幸福ではなく、選択の失敗だ』
 作為的な幸福は、決して偽物ではないと、代弁者は言った。そうだ。あの村で暮らし、笑い合った日々は決して偽りのものなんかじゃない。いま思い出してみても、それは輝かしい記憶だ。それだけは変わらない。
 しかし――ユユの死はどうだろう。記憶にも新しい彼女の死は、死の概念を理解したいまでも、輝かしい思い出なのだろうか。
「ユユが、あの子が天に還った――いや、死んでしまった時、あんなに喜んで、よかったねって、私……」
 もう二度と会えないのに、痛くて、苦しい思いをしたユユに、私は……。
 ユユの手をつかんだ感触をいまでも憶えている。彼女の全体重が腕にかかった記憶だ。それは命の重さであり、無情にも私の手から滑り落ちた。私にもっと力があれば、彼女は死なずにすんだのに。いまでも、彼女とともにいられたはずなのに。
 ユユの最期の顔は、幸せそうな笑顔で、それを見た私も喜びに打ちひしがれた。あの時はそう感じた。だが、いまはどうだろう。死は幸福なんかじゃないと知った。それが異常なことだとも知らずに、私は彼女の死を祝福したのだ。死は幸福の調べだと、疑いもせずにあの瞬間、私たちは喜びをわかち合った。
 ……こんなに後悔するなら、知らないほうが幸せだった。知らなければ、こんな悲しみを抱くこともなかったんだ。
「私もそうだよ。ユユの時だって、父さんが死んだ時だって、心からうれしくて涙まで流したんだ。なんの疑いもなく、幸せになれてよかったって」
 カナも、そしてほかのふたりも、この感情をどう表現すればいいのかわからずにいた。ただただ、悔しくて奥歯を噛み締めることしかできなかった。
「みなさん、どうか自分を責めないでください。私たちは知らなかったのですから、何も間違ったことはしていなかったはずです」
「理屈ではね。でも、これはそんなんじゃすまされないよ」
 リディの慰めに対して、カナはとげのある返事をした。
「……言葉もありません」
「カナ、そんな言い方はやめて。リディだって納得したわけじゃないんだから。気持ちはみんな同じだよ」
「……ごめん。ちょっとどうかしてた」
 気まずい空気になって、私たちはたまらず沈黙し、目をそらした。いままでずっと仲良くしてきたので、こんな雰囲気は初めてだ。
「こんなの、こんなの嘘だよ」エルフリーデがつぶやく。「何かの間違いだよ、みんな。だって、あり得ないもん」
「エルフリーデ……」
 私は、静かに涙を流して訴える彼女を抱きしめた。私にだって耐えられないことなのに、十歳に満たない彼女にとって、あまりにもこの真実は酷である。
「でも、エルフリーデの言うように、すべてが本当ではないのかもしれません」
 リディは言った。その希望はあり得ないと、刻まれた記録が示しているとわかっていながら、それでも一縷の望みを捨てきれないでいた。
「代弁者さんの言うことはもっともらしいですが、何ひとつ証拠は見せていませんから。この私たちの中に入ってきた記録も、真実であると示すものはありません」
「こいつがホラ吹いてるってこと?」
 カナは代弁者を再度、睨みつける。
「そうです。可能性は零ではないと思います」
 全部この生物が作り出した偽物の記録なのだろうか。代弁者と名乗るこの生物が、旧文明の技術で作られた生物なら可能なのかもしれない。高度な技術で、すべてをでっち上げることなんて造作もないはずだ。
『ならばその目で真実をたしかめるがいい。都合よく、この近くに旧人類が新人類を作り出した施設、〝聖者の卵〟がある。諸君がドームと呼んで調査したところだ。そこへ行けば自ずと答えは導き出されるだろう』
「なんで、調査してたって知ってるの……いや、そんなことより、あそこはあれ以上、私たちには調査できないの。塔の上へ行く方法を教えてちょうだい」
『それは問題ない。諸君には科学と魔術、ふたつの旧文明の知識がすでに備わっているはずだ。それを使い、上層へ行け。そして、旧文明の言語も同じように備わっている。それを使い、真実を知れ』
 記憶の中を探ると、膨大な知識が詰め込まれていることに気づいた。その膨大さゆえ、思い出したように、やはり軽い頭痛が再発する。
「どうしてこんなことまで。あなたの目的は何?」
『まずは真実を知れ』
 取りつく島もなかった。私たちは顔を見合わせる。みんなの意志を確認するまでもない。恐怖はある。後悔する予感もある。だけど、いま一度あのドーム――聖者の卵へおもむき、真実を見極めなければならない。
 私たちは夕暮れの中、荷物もそのままに山を下りた。会話はない。みんな黙々と足を動かしていた。毎日それほど苦もなく行き来しているこの道だが、いまばかりは足が重い。それぞれの胸中にはいろんなものが渦巻いているだろうが、これが現実でなければいい、ということは共通して考えているのではないだろうか。
 開けた草原を抜け、聖者の卵にたどりつく。夕日に染まるそこは、私の心情なぞ関係なく、美しくたたずんでいた。馴染み深い家々を横目に大樹の塔を目指す。ここで新人類を育てていたということは、この家には太古の昔に私たちの先祖が暮らしていたのだろう。旧人類に見守られながら、彼らもなんの疑いもなく生を謳歌していたのだ。
 私たちの暮らす現代まで、一切発展しなかった生活形態。塔の外は、まるで昨日まで私たちが生活を営んでいたようだ。
 塔の中は西日で真っ赤に染まっていた。内部の機能は完全に停止している。まずは電源を入れて、この塔を生き返らせなければならない。機械や電力の使い方は、もちろん記憶の中にある。
「解除コード、『モノリス』。電源オン」
 音声認識でロックを解除し、電源を復活させる。ぶん、という鈍い音とともにあたりから静かな機械音が響いた。施設内の機器が再起動しているのだ。私たちは以前、調査した時に行き詰った小部屋――エレベーターに入った。ボタンを押し、上階を目指す。エレベーターが動き出すと、身体にぐっと重力がかかった。あれだけ行きたがっていた上階へ、いともたやすく、それもこんな形で行けるとは思ってもいなかった。
「便利だね」カナがつぶやく。「こんなに便利な世の中だったのに、それでも死ぬのは怖かったんだ」
 矛盾ある言葉だった。代弁者を疑ってここへ来たのに、カナの言葉はそれを真実と受け入れていた。
「不死への研究は人類の命題だったのでしょう。けっきょく、それを叶えることはできず、進化を遂げてしまったわけですが」
 旧人類は不死を憧憬し、新人類は死を憧憬した。価値観を反転させることで、叶わぬ夢をいずれ叶う現実へ変えてしまった。それがすばらしいことなのか、正しいことなのか、私にはわからない。
 最上階の手前でエレベーターの扉が開いた。塔の設計図は記憶に刻まれている。そこには新人類の心理分析や遺伝子解析、身体機能などの詳細なデータが収められているはずなのだが……。
 いざ中に入ってみると、そこには破壊された機材が散らばっていた。
「これは……どういうことなの?」
 中央に備えつけられた円柱状のメモリータワー、この施設の中枢とも言える記録媒体がなぎ倒され、執拗に硬いもので叩かれた形跡がある。モニターになっている壁に近づき、映像を呼び出してみても、データが破損しているため、何も閲覧することはできなかった。たしかめるべき証拠が失われたのである。
「まさか、あの蛇が事実を隠蔽したんじゃないの?」
 カナが怒りをあらわにする。
「おそらく違うと思います」答えたのはリディだ。「コンピューターの傷の具合から見て、破壊されたのは相当昔のようです」
「じゃあ、いったい誰が?」
「この聖者の卵で育てられた新人類がここへ来ることは考えられません。となると、旧人類の仕業でしょうが……なんのためにここまでしたのでしょうか」
 目的がデータの破壊であるならば、ここまで機械をボロボロにする必要はない。この破壊活動には、どこか怒りや憎しみの感情を感じる。
 私たちは念入りにその部屋を調べたが、有益な情報は何も残されてはいなかった。旧文明の歴史は、永遠に闇に葬られていたのだ。
 残されたのは最上階。しかし、植えつけられた記憶の中の設計図によると、そこにはデータの類は一切ないはずだ。それでも、そこには何かしらの答えがあると確信していた。なぜなら最上階は、旧人類の中でも最後まで生き残っていた人物がいたところなのだ。小規模の人数で生活しながら、新人類を監視・育成する部屋がそこにはある。数世代を経て育成された新人類同様、旧人類も数世代を経て私たちを創造したのだ。その最後の旧人類が、きっと何か残しているはずだ。
 私たちは破壊された部屋をあとにし、エレベーターで最上階へ上がった。そこはほかのところとは様式の違う場所だった。新人類を管理するモニタールームはもちろんのこと、娯楽施設に、トレーニングルームが設けられている。それから、複数の世帯が暮らせるよう、集合住宅のように隣接した部屋がいくつかあった。そして、一番異質なのが巨大な焼却炉だ。宗教的な装飾がされた体裁からして、ごみ用の焼却炉ではなく、亡くなった仲間を葬る火葬場だったのだろう。
「中にお骨さん――ご遺体はいませんね。どこかに最後の旧人類がいるはずです」
 火葬された遺体は人の手で運ばなければならないようになっている。旧人類の科学技術があれば、自動的に埋葬することもできただろうが、これだけは機械に任せられないことだったのだ。いまも昔も、死はそれだけ尊ばれている。それだけが、死に対する共通の価値観だったようだ。
「よし。それじゃ、探そうか」
 私たちは手分けして探すことにした。
 それだけに、最後に残った旧人類は不憫でならない。対話機能のあるコンピューターはあったかもしれないが、生きた人間と会話もできず、孤独に新人類を見守り、死後も弔ってくれる人がいなかったのだから。彼、もしくは彼女が最期に見た景色はいかなものだったのか、想像もできない。
「みんな、きて!」
 しばらく部屋の中を探していると、エルフリーデの声が聞こえてきた。エレベーターホールに出て、彼女を探そうにも、部屋が多くてどこにいるかわからない。
「エルフリーデ、どこの部屋にいるの?」
「こっちだよ。大樹の枝のほう」
 エルフリーデの声を頼りに走り出す。枝、というのは大樹の塔と聖者の卵の丸天井が繋がり、放射状に伸びた透明の通路のことだ。彼女はそんなところまで捜索範囲を広げていたらしい。というより、鬱屈した気持ちを少しでも晴らすために、見晴らしのいいところへ行ったのだろう。
 エルフリーデのもとへたどりつくと、そこには一体の骸骨がうつぶせに倒れていた。この大樹の塔、いや聖者の卵の最後の住人だ。
「男性のようですね」
 リディが骨格を診て判断した。
 眼下には広大な草原と新人類が生活してきた家が建っている。この高所からしたら、そのどれもが小さい。木々はあまりに低く、畑はあまりにちっぽけだ。地上からだと、この彼を見つけるのは困難かもしれない。
 沈みかける夕日を見つめた。赤い空と藍色の空が半分ずつ、空に影を落としていた。彼は仰向けではなく、うつ伏せで倒れている。この空を見つめて逝くのではなく、地上の新人類を見て、彼は逝った。それは天への畏怖か、それとも新人類への親心か。
「衣服の中を検めよう」
 遺体のポケットに手を入れると、中にはペンが入っていた。
「筆があるってことは……」と、私はつぶやく。
「記録するものがあるはずだね」と、カナが続けた。
 ところが、別のポケットをまさぐってみても何も手ごたえはない。別のところに置いてあるのだろうか。あれだけ広い施設だと、探すのに苦労しそうだ。私たちは部屋へ引き返そうと立ち上がった。
「待ってください。この方、右手に何か持っているのではないですか?」
 リディが私たちを引き止める。遺体の右手は胴体の下にあり、隠れて見えないようになっている。
「たしかめよう」
 私たちは脆くなった遺体をできるだけ崩れないように、慎重に持ち上げて右手を引き出した。遺体は一冊の手帳を握り締めていた。手帳を開いてみると、それは日記のようだった。旧文明の文字だが、それは私たちの頭の中に刻まれている。さすがに知識としてあるだけなのでスムーズに読むことは私にはできないが、内容を理解するのには充分だ。
 この日記の著者は、やはりこの施設の科学者のようだ。前半は新人類の創造という名誉ある任務に、生まれながら託されたことに誇りを持ち、日々、熱心に管理をしていることが書かれている。新人類創造計画の最終段階である任務に就いたのは八世帯の家族だったが、彼が生まれた時はすでに二世帯となっていた。存続が難しかったのではなく、あらかじめ計画されたものだ。新人類が誕生したら、旧人類は淘汰されねばならない。仮に旧人類が存続した場合、知能的に劣っている新人類の繁栄を阻害しかねないのだ。まかり間違えば、新人類が旧人類を神と崇める可能性もある。あくまで、新人類創造計画は進化の過程だ。神の真似事など許されるはずもない。
 旧人類はその危惧に先手を打ち、選ばれた八世帯に交配を繰り返すと、決められた時点で生殖機能が喪失するように、旧人類自身にも遺伝子操作を施していた。そして、その末裔がこの日記の持ち主であるアダムと、もうひとつの世帯のイヴ、ふたりの男女だった。
 この日記はアダムが書いたものだ。
 初めのうちは新人類の育成に没頭していたふたりだったが、やがて歳を重ねるとともに、肉体と精神が成熟し、お互いに惹かれ合うようになる。しかし、どんなに愛し合っても、ふたりの間に新たな生命が宿ることはなかった。それは仕方のないことだと理解していたが、彼らの両親がひとり、またひとりと逝去するにつれて、疑問を抱き始めることとなった。果たして、私とイヴが生まれた意味はあるのだろうか、と。
 子孫に想いを託すこともできず、ただただ死を恐れながら待つしかないのだ。生命としてなんと矛盾した存在だろう。毎日毎日、眼下に広がる新人類を見下ろしながら、その成長を見守る。彼らを子孫とでも思えばいいのか、そんなの馬鹿げている。これこそが神の真似事なのではないのか。
 時を待たずして、疑問は新人類にまで波及した。
 死は恐怖しつつも、尊ぶからこそ人類はそれと共存してきたのだ。だというのに、死を受け入れるなどと言葉でごまかし、その実、死を否定するなんて生への冒涜に等しい。人類は新人類へ進化するべきではないのだ。
 アダムはそう結論づけ、イヴとともにデータを破壊した。新人類創造計画を阻止するのはすでに不可能な段階に入っている。データを破壊したところで新人類は野に放たれるだろうが、衝動を抑えられなかった。そしてふたりは、新人類の誕生はやむ終えないが、旧人類を絶やさぬよう、新天地で繁栄することを計画した。そのためにはふたりだけでは足りない。仲間が必要なのだ。そこで、ここだけではない、世界各地に点在している聖者の卵へおもむき、ふたりと同じ旧人類の末裔を募るのだ。
「私たち以外の旧人類が志を同じにしてくれるかはわからない。生殖機能を復活させられる技術が残っている可能性は低い。ほかにもたくさんの障害があるだろう。私たち、旧人類が存続するのは不可能に近い。それでも、私たちは人類として、いや、この大地に生命を授かったものとして、正しく生き、正しく死にたい」
 リディの流麗な音読が続く。その中で、疑問が芽生えた。アダムとイヴ。ふたりが新天地を目指したのなら、ここにある遺体は誰のものなのだ?
「あとは、そうだ。父も、私たちと同じ気持ちであれば、心強いのだが……」
 リディはページをめくった。
「聖者の卵にヒビが入る。扉は開かれた。これは新たなる生命の産声だ。ひな鳥はかくしてこの地上に誕生するのだ。新人類よ、大地を踏みしめよ。新人類よ、大気を感じよ。新人類よ、大海を渡れ。神よ、新人類に幸福を」
「……誰?」
 私は思わずつぶやいていた。
「見よ、この美しい光景を。新人類が覚束ない足取りで聖者の卵を抜け出している。この広大な星に、新たな人類が産み落とされたのだ。私はいま、人類史上最高の奇跡を目の当たりにしている。いや、歴史はこれから始まるのだ。その第一歩に私は立ち会えた。これほど誉れ高いことはない。アダム、我が息子よ。イヴ、息子の愛した娘よ。お前たちがこの光景を見たら、思いも変わったのだろうが、残念だ。だが、これでよかったのだ。新人類はささやかに繁栄し、幸福に生きる。そこに争いはない。やはり、旧人類は淘汰されるべきだったのだ。最後まで殺し合うような生き物なのだから」
 日記はそこで終わっていた。リディは日記を読み終えると、それを閉じて遺体の上に優しく置いた。私たちはしばらくの間、言葉を発せられなかった。
 日記の最後の部分はアダムではなく、その父親が書いたのだろう。きっと、逃げ出そうとしたふたりを彼は許さなかったのだ。旧人類の想いと新人類の繁栄のために。新人類である私たちの心境としては、なんとも複雑な事実だ。
「何か袋のようなものを持っています。中身は……これは遺灰でしょうね。おそらく、アダムとイヴ、おふたりの」
 日記と同じように胸に抱かれた袋には遺灰がつめられていた。あの火葬場で燃やしたのだろう。アダムとイヴ、ふたりの遺灰だ。
「この人がアダムとイヴをとめてくれなかったら、いまの私たちは生まれてなかったのかな? そうだとすると、この人に感謝するべきなのかな?」
「わかりません。旧人類の存続は難しかったようですが、ひょっとしたら、ということもありますからね。なんにせよ、あまり深く考えないほうがいいでしょう」
 私は足元に広がる草原を俯瞰した。大昔に、あの草原には私たちの先祖が育成され、この塔では旧人類が見守っていたのだ。聖者の卵の入り口を見る。南東にぽっかり開いた丸い入り口だ。あそこから新人類は窮屈な卵を抜け出し、新天地を目指した。遠い昔のことだが、知能も生活水準も停滞している私たちには、近しい存在に思えてならない。
 もし、アダムとイヴが逃亡に成功していたら、この世界はどう変わっていたのだろう。やはり、旧人類が危惧したように、私たちは彼らを神と崇めていたのだろうか。それとも私たちを敵視して争いが起きたのだろうか。そうなると、闘争の概念のない新人類は一方的に殺戮されることになる。
 最悪の場合ではあるが、新人類の危機を未然に防いでくれたアダムの父親に、やはり感謝するべきなのかもしれない。しかし、それにはアダムとイヴを殺害したという事実が確固たるものとしてあり、殺人の肯定という私たち新人類にとってもっとも忌むべき事柄がつきまとう矛盾が生じてしまう。
 ……ダメだ。やっぱりリディの言う通り、深く考えると、一生抜け出せない沼にはまってしまう。どの道、私たちはこの結果を受け入れることしかできないのだから、これ以上考えることはよそう。
「もういい、行こう。まだ、あいつには聞かなきゃいけないことがあるんだ」
 そう言ってカナは踵を返した。私たちも彼女に続いて振り返ると、そこにはとぐろを巻いた大蛇が鎌首をもたげていた。
『聖者の卵より生まれし新人類は天敵もなく、平穏無事に繁栄することに成功した。人々は生と死を喜び、謳歌した。幸福に、ただただ、幸福に。しかし、それは幸福に溺れる終焉への道のりなのだ』
 爬虫類特有の光沢のある鱗に、鋭い針の切っ先のような瞳。口も開かず言葉を発する違和感が、その不気味さを助長していた。突然現れた代弁者に緊張が走る。
「あんた、いつの間にそこにいたの?」
 カナが敵愾心を隠すことなく問う。エルフリーデはおびえてリディの背中に隠れた。
『瑣末なことだ。して、真実は受け入れたか?』
 私たちは顔を見合わせて沈黙した。認めたくなかっただけなのだ。とっくにわかっていた。これが真実だと。
『よい。それでは話の続きをしよう。これまでは記憶に刻んだ記録の整理であった。これからは諸君に課せられた使命と、もうひとつの真実についてだ』
 ――予感があった。これより先の話は、これまで以上に重く、過酷な真実なのだろう。それを受けとめられるだけの器があるかはわからない。いや、おそらくないはずだ。だが、話を聞かないにしても、ここまで真実を知ってしまったからには、いままで通りの生活は送れないだろう。選択肢なんて、最初からないのだ。
「待って! ……待ってよ。もういやだよ。あたし怖い、怖いよ。もうこれ以上、何も聞きたくないよ」
 エルフリーデが泣きすがるように言葉を漏らした。リディの服を強く握り締め、震えている。当然だ。私だって、泣き叫ばないのがおかしいぐらいなのだ。突然、いままでの当たり前だった生活がすべて否定され、異常なものだと知らされたのだ。頭が狂ってしまうか、彼女のような反応を起こすのが普通だろう。
『私は代弁者。諸君に話し伝えるだけが役目だ。そこに諸君の意志は関係ない。どうしても拒むと言うのなら、私も手段は選ばない』
「それは脅迫のつもり?」
『そのような無駄なことはしない。そもそも私には人に仇なす機能はない。先のように、脳に直接情報を植えつけるまでだ。だが、あの方法はあまり好ましくない。時間をかけて話を聞くことで生じる恐怖や不安も、必要な過程であると私は判断するからだ』
「怖がらせて楽しもうっての?」
 カナが噛みつく。
『そのような機能はない。もし、話を聞くつもりがあるのなら、〝バテン・カイトス〟へ来い。諸君がクジラと称していた魔術師の船だ。そこにて待つ』
 一方的にそう告げると、代弁者は自分の尻尾に食らいついた。ものすごい勢いで胴体を嚥下し、みるみる体長が縮んでいく。飲み込んだ身体はどこへ消えているのか、最後は宙に浮いた状態で輪になり、それでも止むことなく食らい続けて、やがて姿を消してしまった。影も形もない。枝の通路は静寂に沈んだ。
「ウロボロス……」
 唖然としていると、リディが言葉を漏らした。
「何、それ?」
「以前、吟遊詩人さんから聞いたお話です。大昔にあった象徴としての存在です。実際にそのような生物がいるわけではないのですが、蛇が自分の尻尾を噛んでいる姿だそうです。もともと蛇は長寿で、脱皮することから不老不死や死と再生という象徴があります。その蛇が自身の尾を飲み、始点と終点がなくなった円の形、それがウロボロスです。
 ウロボロスの象徴は多岐にわたります。完全性や永遠性、そして循環です。……ごめんなさい。関係のない話でしたね。あの姿を見て、少し思い出してしまったものですから、気にしないでください」
「ううん、いいの。リディの話を聞いてたら、少し冷静になれたから。それで、どうしようか。私はやっぱり、話を聞きに行きたいと思う。好奇心とかじゃなくて、聞かなきゃいけない気がする。じゃないと、いまのままだと満足に悩むことすらできないもの」
 悩める、ということは道を選べるということだ。悩むことすらできずにいるいまのままだと、苦しむことだけしかできない。
「私も同じ。これじゃあ、どこにこの感情をぶつけていいかわかんないよ。話を聞いて、あいつを殴る」
 カナも物騒ではあるが、同意してくれた。
「私もです。疑問に思うこともありますからね」
 リディも真剣な顔つきで続けた。あとはエルフリーデだが、彼女はまだリディの腰あたりに顔をうずめて震えている。
「エルフリーデ、無理しないで村に戻っててもいいよ。話は私たちが聞きに行くから」
 私がそう言って慰めると、エルフリーデがリディの後ろから顔を出した。震える指先で髪の毛をくるくるいじっている。緊張と恐怖を緩和するためだ。
「あたしは……怖い。怖いけど、みんなと一緒にいたい」
 震える声でエルフリーデは搾り出した。
「無理しなくてもいいのですよ」
 リディが指でエルフリーデの涙を拭う。
「ううん、みんなと一緒だと平気。ひとりだと怖いから。それに、マリアちゃんの言うように、いまのままじゃ怖いだけで何も変わらないもん」
 彼女は気丈に答えた。最年少だからといって、いつも後ろから追いかけているわけではないのだ。
 みんなの気持ちを確かめ、ようやく心がひとつになった気がした。
「それじゃあ、行こう」
 クジラ――バテン・カイトスはこの聖者の卵から見える距離だが、一旦道具を取りに村に戻らねばならない。私たちは枝の通路をあとにし、エレベーターホールへ向かう。旧人類の遺骨は運びようもないので、そのままにしておいた。
 ――アダムの父、彼の視線はいまだに新人類が旅立つ大地に思いを馳せている。その空洞となった眼窩には、いまだに私たちの先祖が映っているのだろう。旧人類然として死を迎えたアダムの父、生きようとしたアダムとイヴ、生きながらえた新人類。三者の想いは現在に至るまで交差することはなかった。私は、どれも好きになれそうにはないな、と冷静に思ってしまった。
 それにしても、ウロボロス、か。代弁者も何かの象徴だとしたら、円になって消えてしまったことは何を意味するのだろう。

   ◆

 頭上の扉から巨大な光の玉の明かりが差し込む。地面には大きく描かれた世界地図。私たちはバテン・カイトスの内部にやってきた。代弁者はすでに私たちが最後に調査した部屋で待っていた。部屋の支柱に絡みついて私たちを見下ろしている。
『人の子らよ、よくぞ迷うことなく来た』
 代弁者はあくまで無感情に言葉を発した。不吉な雰囲気をまとわせ、睥睨している。冷え切った中で吐く息は白い。しかし、不快な悪寒は気温だけが原因ではない。背中を伝う冷たい汗は怖気が走っているようだ。
「もし、くだらない話をするようだったら、ただじゃおかないからね」
 カナは血気盛んに食ってかかった。
『口伝することこそ、我が存在理由。果たして消滅するならば、是非もない』
「いったい、あなたは私たちに何をさせようとしているの?」
 いたずらに知識を与えたということはないはずだ。いや、むしろそのほうがよかったと後悔するのかもしれない。
『その質問に答えるのは容易だ。しかし、解答は新たな疑問を生み出すこととなるだろう。その上で、真偽の問答は時間の浪費となる。よって、あらかじめ明言しよう。私の言に偽りはない。そもそも、私にはそのような機能は備わっていないのだ』
 代弁者は言葉を切り、私たちに言葉の意味が浸透するのを待って再び話し始めた。
『よい。では、先の質問に答えよう。が、その前に訂正だ。私が何かをさせるのではなく、これは万物の霊長たる人類に課せられた使命なのだ。私はその使命を伝えるため、選定者である諸君の前に現れたに過ぎない。その使命とは、永遠なる世界の創生だ。そのために、諸君の中のひとりが〝First Star〟を発動しなければならない』
 私だけではなく、みんなの脳裏に疑問符がよぎったことだろう。何ひとつとして理解はできない。代弁者の大それた発言は、あまりに現実味がないのだ。私はもちろんのこと、リディだって困惑した表情でうろたえている。
「わかった。いや、わからないけど、私の質問は後回しでいいから、わかりやすく一から説明して」
『了承した。
 じきにこの世界は終焉を迎えようとしている。生命で言うところの寿命に近い。だが、そもそも世界というものは生命ではない。終わりなどなければ、寿命などという概念はない。時を超越した――あるいは内包した無限永久機関のはずなのだ。つまり、終焉を目前としたこの世界は不完全な世界である。この不完全な世界が終焉を向かえる前に、いま一度、世界を作り変える必要があるのだ。世界が完全に崩壊してしまえば、零から創生することはできない。水源がなくなれば川も流れぬ。その根源が失われてしまうと、新たに世界の構築は不可能なのだ。
 すなわち、世界の終焉――死より前に世界を再始動し、ある性質を持った世界を構築するのだ。その性質とは、むろん永遠性と完全性である。〝First Star〟とは終焉が不可避であると決定した時より、人類に託される秘術。世界を再始動させる、終わりにして始まりの魔術だ。注釈を加えると、新たに生まれる世界は術者に依存するため、〝First Star〟の発動が必ずしも永遠なる世界を生むとは限らないことを理解してもらおう』
「なんなの、その話。信じられるわけないでしょう?」
 突拍子もない非現実的な話にカナが異議を唱える。
『虚偽はない。二度も言わせるな。時間の無駄だ』
「カナさん、ここは信じるしかないでしょう」と、リディがカナを制した。「それで、人類は何回、その永遠なる世界の創生に失敗したのですか? その〝First Star〟なるものの発動は、一度や二度の話ではないのでしょう?」
『然り。劫の時より長く人類は挑戦し、そしていまだ彼岸には至らない。終わらせることなく、連綿と輪になり損ねた世界を繰り返し、螺旋のように繋げてきたのだ。むろん、そのどれもが不完全な世界だった。人類はいずれ螺旋を閉じ、輪の世界――永遠に衰退することのない世界を創造せねばならない。生命の進化と同じだ。生と死を繰り返し、イレギュラーを待っているのだ』
「衰退だなんて」
 エルフリーデが目に涙を浮かべて、搾り出すようにつぶやいた。
「そんなの、してないよ。あたしたちはいつだって、幸せに暮らしてきたんだから」
 彼女の言う通りだ。旧人類に比べて、科学文明や魔術文明は衰退したのだろうが、それでも私たちは何不自由なく暮らしてきた。みんな笑顔で、穏やかに。それは旧人類が理想とした世界だったはずだ。文明は衰退しても、心は豊かに繁栄していたのだ。世界の終わりなんて、とても思えない。
『幸福と完全性は同義ではない。厳密にはそれひとつでは完全足りえない。相対するもうひとつの気、すなわち不幸との相互の変化や調和で完全となる』
「どういうことですか? 人類の使命が永遠の世界の創生であるならば、私たちが幸福であることは問題ないはずです」
『幸福だけであることが問題なのだ。禍福という、相反する属性は二気でありながら、もとはひとつの混沌から分かたれた。ゆえに禍福は相互に影響し合うのだ。幸福ばかりに傾倒することは不幸との調和の乱れ、つまり循環性の崩壊を示す。一属性の崩壊は、世界の基盤を崩す要因となる。世界を構成する属性は禍福だけではない。すなわち、膨張・収縮、緩慢・敏速、上昇・下降、大・小、電子・陽子、心理・物理、精神・物質、空間・時間、地・天……。万物の因果は、数多の属性の中に、相反する性質を持ったふたつの気で生滅する。その二気は提携律、拮抗律、循環律、交錯律により相克し、存在が成立する。相克し、過不足なく循環する状態が、人類が目指すものだ』
「リディ、相克って何?」と、エルフリーデ。
「ふたつのものがせめぎ合うことです」
 例えば、天と地。私たちが立つ大地が失われれば、この世界には空は存在しなくなる。つまり、この世界は相反するものが対立することでその存在が成立しているように思えるが、その実、相反するものが両立することでその存在が成立しているのだ。どちらかが欠けてしまえば、片方はその存在意義を失う。物質にしろ、現象にしろ、相反するものがなければ、それらの事物は存在し得ないのだと、代弁者は語った。
『あらゆる属性、あらゆる気が美しく巡り、大火のごとく燃焼する世界の骨子。それを万物の循環器という。循環器に問題がなければ、二気は隆盛と衰退を交互に繰り返し、安定して相克するのだが、その循環器の均衡を保つ提携律になんらかの瑕疵があると、二気のうち一方が隆盛し続け、一方が衰退し続ける。二気の比率の均衡が崩れるのだ。衰退した気がいずれ消滅すると、相克できない隆盛した気もまた、その存在が失われる。崩壊はそこから始まる。属性同士も互いに干渉しあっているからだ。ひとつの属性が喪失すると、それに近似した属性から次々に破綻していく。それは波紋のように瞬く間に広がり、やがて無さえも存在し得ない究極の零となる。すなわち、世界の終焉をもたらすのだ』
 この世界はあらゆる事象、あらゆる物質、あらゆる概念がそれぞれ個として独立し、不干渉であるようだが、万物すべては繋がっており、ひとつの生命体のように活動しているということだろう。そして禍福の属性――すなわち肉体の一部が壊死してしまえば、ひと繋がりの身体はいずれ死んでしまう……。世界の端っこで、大地が音を立てて崩れ去る景色を想像し、私は戦慄した。
「つまり、幸福と不幸をはかる天秤で例えるならば、バランスを保たなければならない天秤が傾いてきた。そして、完全に傾いてしまったら禍福の概念が失われ、いずれこの世界が崩壊する……ということでしょうか」
 代弁するという割りに小難しい言い回しをする代弁者に代わり、リディが噛み砕いた例えで説明してくれた。
『そう理解していいだろう。その例で具体的に説明すると、提携律が天秤の均衡を保ち、拮抗律が皿に重しとなる水を満たし、循環律がふたつの皿の水の質を同調させる。交錯律についてはこの例では説明しづらいが、強引に説明すればふたつの皿に相反する小さな皿がそれぞれ浮かんでいる、とでも言おうか。
 すなわち、提携律に瑕疵のあるこの世界は、幸福の皿が大きくなり続け、不幸の皿が小さくなり続けている。そして、いずれ不幸の皿は消滅し、幸福の水に世界は溺れるのだ』
「全部を理解したわけじゃないけど、人類が幸福を追求したがために、その均衡が崩れて世界は滅んでしまうの?」
『逆だ。不完全な世界ゆえに、終焉は初めからあったのだ。まず先に万物の循環器に瑕疵があり、禍福の属性が幸福へ傾倒したからこそ、人類は幸福の道を拓いたのだ』
 この世界には人智を超越した運命の糸がある。それは循環器の定めるままにあるのだ。循環器が幸福へ傾けば人類は幸福を選択し、逆に不幸へ傾けば人類は不幸を選択する。人は自由な意志の下で行動を選択をしているようでいて、その実、見えざる糸によって意志を決定されている……。
 幸福になることが、人類の運命だった、ということだろうか。私たちが見て、聞いて、感じてきた幸福の出来事すべてがなるべくしてなった結果なのだろうか。
『その中で、魔術師は不穏に流れる気を読み取り、終焉を予期することができた。彼らの言葉を借りるなら、この世界は幸福逓増、不幸逓減の世界。不幸の渇きを失った人類は、幸福に溺死する、と』
「それで世界が崩壊する前に、その〝First Star〟ってやつを発動してやり直せってことなのね。そして、いつか永遠の世界を創生することが、人類の使命……。魔術師は終焉を予期してたのに、何もできなかったの?」
『ありとあらゆる儀式、大魔術を用いて終焉の回避を試みたが、万物の循環器には誰ひとりとして干渉することはできなかった。ゆえに滅亡の回避は諦め、少しでも滅亡を先送りにしようとした。結果、幸福へ進化する科学文明に戦いを挑み、魔術と科学の全面戦争になったのだ。長きに渡る戦いの末、軍配は科学文明に上がった。このバテン・カイトスも聖者の卵を目前にして打ち落とされ、科学者は魔術師を人類に仇なす敵として大量虐殺した。その後は知っての通り、幸福への道程だ』
 この世界地図に書いてある丸い印は、世界各地に建設された聖者の卵の場所だったのだろう。幸福逓増を加速させる新人類創造計画を阻止するため、戦力が圧倒的に不利でも魔術師たちは戦った。私たち新人類を生み出さないように。
 この部屋のいくつか隣の部屋に、遺骨のある部屋があった。あの遺骨の頭蓋骨には何かが貫通した形跡があった。
 殺人の概念を知ったいまならわかる。あれは事故でも治療痕でもない。人が人に殺されたのだ。科学文明と魔術文明、文明は違えど、人類同士で殺し合った。いや、何も人類の争いはそれだけではない。私たちには、それより以前の歴史の記録も刻まれている。人種や宗教、利害――。少し前の私たちなら、思いもつかないような理由で人々は殺し合うのだ。どちらが正しいのかなんて、誰にも決められない。人類の戦いを人類が決めるなど、神様でもない限りできないのだ。
 神様……? そうだ。
「この世界を作った、前の世界の〝First Star〟の使い手はどうしたの? この世界の造物主、神様のような存在なんだから、万物の循環器に介入して提携律を修復することはできたんじゃない?」
 私たちと同じように、前の世界の終焉の時も唐突に真実を突きつけられ、世界を再始動させた人物がいるのは道理のはずだ。彼(もしくは彼女)はこの現状を何もしないで見過ごしているのだろうか。
『神を全知全能の絶対神とするならば、世界創生などと神の真似事をするあれはまさしく、そのように目に映るだろう。だが、あれは似ているようで全く別の存在だ。完全なる世界を生み出せずして何が神か。完全無欠こそが神の象徴。しかし、あれはそのような存在ではない。言うなれば無知全能の欠陥を持つ神、相対神である。そのようなものに滅亡を回避する術はあっても、方法を知らなければ過ぎた力だ。そもそも、相対神は不完全な世界を創生すると同時に、その存在を抹消した。相対神は知っていたのだ。自身が作り上げた不完全な世界の末路を』
 世界の滅亡は初めから決まっていたのだ。魔術師は滅亡を回避しようとあらゆる方法を試みたようだが、万物を生み出した相対神にできなかったことが、人類にできるとはとても思えない。
『世界の終焉と諸君の使命について、充分に理解できたのならば〝First Star〟の使用者をひとり決め、それを発動するのだ』
「そんなこと、突然言われても……」
 世界の死滅、そして回避。あまりに重大な使命を前にして、私の頭はうまく働かなくなっていた。小さな村で気ままに暮らしてきた私たちに、そんな重責を課すなんて、あまりに酷ではないだろうか。
「どうして、私たちなの?」
 私はか細い声で訴えた。
『選定に意味などない。ただ、そこにいたからだ。何かにつけ、恣意的に意味をつけたがる人間たちのことだ。自由に解釈して、道理や因果を求めるがいい。そう。例えば、これは運命なのだ、と』
 代弁者はにべもなく言い捨てた。
 偶然なの? これが? 私たちに、こうして知りたくもなかった真実を叩きつけて、あまつさえ分不相応な使命を押しつけられたことが、たまたま運が悪かった、ということなの? そんなの納得できるはずがないじゃない。
 前の世界、さらにその前の世界。途方もなく繰り返された破滅と再生。私たちと同じように、その一つひとつの世界の最後に命運を託された人々は、この不条理な世の摂理をどう思ったのだろうか。怒り、恨んだだろうか。恐怖したのだろうか。それとも人類が成しえる最高の使命だと、光栄に思ったのだろうか。当然、そんなことはわからない。……私たちは、この事実をどう受けとめればいいのだろうか。
「みんな、どう思う?」
 私は振り返ってみんなの意見を促した。三人とも俯いて憮然としている。最初に口を開いたのは、意外にもエルフリーデだった。
「こんなことなら、初めからやり直せばよかったのにね。いつか壊れちゃう世界だってわかった時点でやり直してたら、あたしたち、こんなに怖い思いしなかったはずだよ」
「エルフリーデ、それは違うと思います。いずれ消滅してしまうものを無意味だとするのならば、寿命を持つ私たち人類、いえ、生命そのものを否定してしまいます。エルフリーデにとって、私たちが過ごしてきた日々が、いずれ死んでしまうのなら意味がないものだ、と思いますか?」
「……ううん。そんなことない。そんなはず、ちっともないよ」
 嗚咽を漏らしながら、エルフリーデはリディのお腹にすがるように顔をうずめた。ごめんね、と繰り返し謝っている。
「じゃあ、こいつが言った通りに次の世界を作るっての? 生命が子孫を残して進化するように、世界も最終的な進化――完全な世界を目指すために、私たちが鎖の一端になればいいの? なんだか、そんなの納得できないよ」
 カナは悄然とうなだれた。彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。子どもを生むこととはわけが違うのだ。生まれてくるのはすべての事物。しかも完全な世界を創造できる可能性は極めて低い。おそらく、無責任にも次の世界の私たちのような最後の人類に、再びこの使命を託すことになるのだろう。その重さを受けとめるなんて、とてもじゃないが簡単にできるはずがない。
 それに、どこからともなく、いくつもの声が重なって聞こえるのだ。何度も終わり、何度も始めた、これまでの相対神たちの悲痛な叫びだ。とても人間のものとは思えない。地の底を這いずり回るような不快な声。慟哭のような呪詛の念。その叫びは、私の体内に穢れた澱が侵入してくるような嫌悪感を抱かせる。
 ――繋げ。繋げ。繋げ。
 ――無に帰すな。世界を散らすな。
 ――絶やしてはならない。想いを連ねろ。
 ――廻れ。廻れ。
 ――廻せ。廻せ。
 これでは目的が変わっている。完全な世界の創生が主目的であるはずなのに、終焉の回避を彼らは望んでいた。最初は祈りや願いだったのかもしれない。だが、幾重にも繰り返された螺旋の中で、それらは怨念や呪いのように濁ってしまっている。その個をなくした集合的妄執は、あまりに醜悪に聞こえた。
「うるさい!」
 私は耳を押さえて大声を上げた。みんな驚いて私の顔を覗き込む。
「マリア、どうしたの? 大丈夫?」
 カナが心配そうに私の背中をさすった。幻聴のような相対神の叫びは声を潜めたが、いまだに囁くように耳にまとわりついている。
「ごめん。大丈夫。だけど、みんなにはこの声が聞こえないの?」
「声?」
 三人はそれぞれ顔を見合わせて首をかしげていた。どうやら私にしか聞こえないようだ。戸惑っていると、憎たらしいことに代弁者が答えを教えてくれた。
『ここは輪になり損ねた螺旋の始点と終点が重なった世界終焉の収束点。相対神が誕生するこの世の果てだ。ゆえに幾多の相対神の思念が表出しているのだ。その思念を読み取れたのは、貴殿が魔術の知識を得ることで発現した固有魔術――精神干渉が無意識に発動したからだろう』
「どこまでも私たちのこと、好き勝手いじって……!」
 カナがものすごい剣幕で代弁者を睨みつける。どうも彼女は価値観が反転してから怒りっぽくなっているようだ。しかし、それも仕方がない。私だって、言いようのない怒りを覚えているのだから。
「カナ、もういいよ。声は治まったから」私はカナの肩に手を置き、みんなの顔をそれぞれ見て決意を込めた。「……みんな。ここを最後の世界にしよう」
 そう提案すると、みんなの戸惑いはすぐに表れた。
「終わらせる、のですか?」
「終わらせる。こんなの、耐えられないよ。私たちの誰かが相対神になって、あんなおぞましい集合思念の一部になるなんて。それに、気休めかもしれないけど、幸せな世界で終われるなら、それでいいと思う」
 世界の終焉は不幸なことだと思っていたが、この世界では幸福の終わりが約束されている。それがどのような結末なのかは想像できないが、幸せな最後ならば、誰も不幸にならないのであれば、決して悪くない終わり方なのではないだろうか。
「そうだね」
 カナは力強く同意してくれた。
「無責任かもしれないけど、無責任に押しつけられたものなんだ。投げ出したっていいさ。子ども染みた考えかもしれないけどね。私たちは幸せに生きて、幸せに死にたかったんだ。それを、こんなわけのわからない使命なんかに壊されちゃ、堪んないよ」
 巨大な力に飲み込まれず、ひとりの人間として生きることをカナは選んだ。それは一人ひとりを大事に思いやる、彼女らしい答えであり、彼女らしいあり方だった。
 リディとエルフリーデはどうだろうか。この問題はみんなの意志を統一しなければならない。誰かひとりでも相対神になると言い出せば、より深く話し合う必要がある。この中の誰かを人柱にして自分たちは傍観しているだけだなんて、できるはずもない。
「あたしは……よくわかんなかったけど」
 エルフリーデがぽつぽつとしゃべり出した。
「みんなと最後まで一緒にいたい。誰かがいなくなるなんて、いやだよ」
 嗚咽混じりに彼女は不安を吐き出した。髪をいじる指先が震えている。きっと、不安と恐れが彼女を縛りつけているのだ。
「リディはどう思う?」
 聡明なリディの意見に期待と不安が募る。彼女はいつだって私たちの何歩も先を見据え、私たちには及びもつかないことを考えているのだ。いつも彼女の発言を希望混じりに聞いているのに、それをこんなに不安に待つなんて初めてのことだ。
「私は……私にも、何が正しい選択なのかはわかりません。世界を終わらせることに抵抗がないと言えば、嘘になります」
「リディ、それじゃあ……」
 世界を再生すべきだと、リディは結論づけたのだろうか。
「そんな顔しないでください、マリアさん」
 と言って、リディは困ったように笑顔を向けた。
「私にはわからないのです。ただ、自分の気持ちに素直に考えてみたのです。何が正しいか、ではなく、私がどうしたいか。私は……みなさんと同じ道を歩みたいと思っています。私は人より多少知識を持っていますが、ひとりだと何ものにもなれないし、何もできません。自発性がなく、自分の存在意義が見出せなかったのです。ですが、みなさんが道を拓いてくれたから、私は自分のことを決められたのだと思います。お医者様になる夢を与えてくれたのも、みなさんのおかげでしたね。そんなみなさんが私を導いてくれるのなら、私はこの知識で歩きやすいようにその道を明るく照らしましょう。いままでそうしてきたように、これからも。最後のその時まで」
「リディ……ありがとう」
「お礼を言うのはこちらのほうです。マリアさん、あなたは私たちにどんな道を示してくれますか」
 みんなの注目が私に集まる。そうだ。これもいままで通り。遊びにしても仕事にしても、きっかけとして私が何かを提案し、リディがそのための適切な方法を教えてくれ、カナとエルフリーデ――そして、ユユが力を貸してくれた。理不尽な運命を課せられようと、私たちはいつものようにひとつとなり、抗うのだ。
 私は深呼吸をして、いつも通り笑顔でみんなに呼びかけた。
「神様なんて、もう必要ない。私たちになかった価値観を植えつけられて、いままでのように普通に暮らすことはできないかもしれない。ううん、きっとできないよね。でも、どんな困難だって力を合わせれば乗り越えられるはず。だから、リディ、カナ、エルフリーデ。みんな笑顔で、幸せに死にましょう」
 ずっと強張っていたみんなの顔が、ようやく笑顔になった。私たちは肩を抱き合い、その希望のような温もりを肌で感じ合った。
『忠告しておこう。諸君は価値観の反転により、意識的に不幸を感じることができる、数少ない不幸観測者である。新人類のすべては幸福の渦中にあり、不幸という観念はない。無意識的に不幸を抱くことはあるが、それは交錯律による幸福中の不幸である。ゆえに禍福の属性にある二気のうち、不幸の気は諸君に託されていると言って過言ではない。その意味するところは、諸君の死滅、あるいは、幸福への傾倒が禍福の属性の相克をとめることになる。それの示すものは言うまでもなく、先に述べた通りだ』
 四人で互いの想いを確かめ合い、手を取り合っていると、代弁者は横やりを入れるように割って入った。私たちはいま、この世界の不幸を背負っているのだ。
「つまり、私たちが死んだり、幸せになったら世界の崩壊が始まるってこと? なるほどね。でも、幸福に終われるなら本望よ」
 私は不敵に笑った。覚悟はもう決まっているのだ。
「そういうこと。残念だったね。そんな脅しは効かないよ」
 カナがあとに続く。
『そのような機能はない。忠告したまでだ』
 代弁者は相変わらず、私たちがどんな反応をしようと、無感情に淡々と返答していた。私たちが、意にそぐわない行動をしようとしているのに、感情の片鱗はまったく見えない。それが不安だった。何か、大事なことを見落としているような……。
「ひとつ、よろしいでしょうか」
 リディが神妙な顔つきで発言した。その見落としを拾い上げたのは、やはり彼女だった。
「価値観の反転以降、常々気になっていることがあります」
 と、代弁者に語りかける。早速、リディの知恵が発揮され、私たちの力になってくれるようだ。自然と私たちの期待は高まった。
「聞くのも恐ろしいですが、やはり聞かねばならないでしょう。ここ最近、その存在が確認されるようになったあの生物。あのように巨大な生物が、いままで隠れていたとも、突然生まれたとも考えにくいです。天使様……あの天使と呼ばれる生物は、いったいなんなのですか? どうして、村のみなさんにあんなむごい仕打ちを……」
「――――あ」
 あの光景が脳裏をよぎる。村の中央広場の光景だ。大地は赤く染められ、人々は天を仰ぐ。異形の天使は人々の祈りに応え、殺戮の限りを尽くした。鮮血が私の頬をしたたる。飛び散った生暖かい肉片が、祈るために組んだ手に降りかかる。私は幸福の絶頂で恍惚に酔い、天使はただ笑っていた。
「……うぐっ」
 凄惨な光景と、いまとなってはおぞましい当時の心理状態を思い出して、私は吐き気を催した。価値観の反転以降、混乱により忘失していたが、思い出してみると考えてみるまでもない。あれは異常だ。なぜ、あんな生物がこの世に存在するのだろうか。
「そもそも、旧人類が新人類の繁栄のために、新人類の天敵となる生物は駆逐したはずです。駆逐された生物の代替種も、人を傷つけませんから、旧人類が生み出したものとは思えません。答えてください。どうしてあんなものが……」
 代弁者は静かに、重々しく語り始めた。
『新人類が天使と呼ぶもの。あれは膨大な幸福によって顕現した、幸福の使徒である。存在としては、物質や現象に宿る精霊に近い。先祖や子孫といった、前後を持たない、輪を外れた生命だ。殺戮能力は人類より高く、史上最高と言っていい』
「人類よりって、皮肉のつもり? そんなことはいいから、ちゃんとわかりやすく説明しなさい」
『この世界は不完全な世界ではあるが、それでも拮抗律は正しく作用する。拮抗律とは属性内の二気の量的変化である。すなわち、幸福が隆盛すれば不幸が衰退する。完全なる世界であれば、のちに同量、ないしはそれ以上の不幸が隆盛し、幸福が衰退する。これを繰り返すことで調和を取るのだが、それは提携律が正しく作用すればの話だ。万物の循環器に瑕疵のあるこの世界では、禍福の二気の比率に差が出る。それによって幸福逓増に陥り、人類に実現し得ない幸福過多が生じた。
 天使――あれは拮抗律が受肉したものである。人類の幸福の欠乏を埋めるため、見方をかえれば人類の幸福を代行するために発生した、幸福の代行者だ。つまり、増え続けなければならない幸福に対して、人類が独自でなし得る幸福には限界がある。そこで幸福を助長するために拮抗律が顕現した姿が、天使と呼ばれるものだ。
 先の天秤の例で説明しよう。この世界は幸福の皿の容量が大きくなり続け、不幸の皿の容量が小さくなり続けている世界だ。皿の中は拮抗律によって水に満たされた状態になる。不幸の皿は人類の努力により、少量の水を注ぐことで容量を過不足なく満たすことができた。当然、幸福の皿も水に満たされるわけだが、人類が注ぐことのできる水の量では大きくなり過ぎた幸福の皿を満たすことができないのだ。だが、現に水は満たされている。人類にそれ以上不可能であるならば、外的要因で補わなければならない。そこで自然発生したものが、天使である。
 そして、新人類の最大の幸福が死であるがゆえに、天使は全人類の殺戮を尽くす。天敵のいない新人類にとって、唯一、死をもたらす存在だ。その姿は幸福をもたらす天使のごとく映ったであろう』
 新人類の最大の幸福が別のものであったら、天使もまた別の形で顕現したのかもしれない。だが、それは仮定の話だ。
 あれが幸福の象徴? あんな恐ろしい存在が、人々を幸せにしているというの? 以前の価値観をもってすれば、それはたしかにそうであったかもしれない。しかし、いまとなっては、あれは天使というより……。
「悪魔よ……」
『旧世界は不幸逓増の世界であった。だが、不幸過多には陥らず、拮抗律は自然発生しなかった。旧世界の〝First Star〟の使い手、すなわち諸君の世界を作り出した相対神は価値観の反転後、不幸に朽ちる世界を見て、人類は悪魔だと思った。どうやら、人類は幸福より不幸を生み出すほうが得意らしい』
 不幸に朽ちる世界。そこで人類はどれほど残虐の限りを尽くしたのだろうか。そして、不幸が当たり前だった旧世界の選定者たちは、私たちと同様に価値観が反転し、幸福を知ることで目に映る世界は醜悪さを増したことだろう。
「こいつ、皮肉を言う機能はあるみたいだね。ムカつくな」
 カナが叱責すると、代弁者は長い舌を出し入れして沈黙した。
「どうすればいいのかな……。村の人たちと、どこか遠くに逃げたほうがいいよね?」
 エルフリーデがおろおろとおびえ出す。
「いえ、村人たちはなぜ逃げる必要があるのか、説明しても理解できないはずです。ですから、私たちだけで逃げたほうがいいかもしれません」
 リディが苦虫を噛み潰したような顔で提案する。それの意味するところは、村人を見捨てることにほかならないからだ。
「村の人たちは置いていくの? そんなのやだよ」
「辛いですが、私にはそうするしか思いつきません。例え、私たちの説明を理解してくれたとしても、大人数で移動すれば天使に見つかる危険も大きくなります。それは得策ではないでしょう」
 リディの言は冷徹のようであるが、そんなことはない。冷静に物事を判断しているだけである。話している本人が、一番辛そうにしているのだから、責め立てることは誰にもできなかった。
「でも、私たちの目標はいままでのように幸せに生きて、自然に死ぬことなんだ。村人たちをないがしろにして得られる幸せなんてあるの?」
 言い辛そうにカナが言葉を挟んだ。
「わかっていますっ。しかし、このまま村に残って、また天使が現れたら……。私は、もうあのような光景は見たくありません。あの光景を見せられ続けて、幸せになることのほうが不可能です」
 珍しくリディは声を荒げた。カナは気まずそうに「ごめん」と言った。
 しばらく、私たちはどんよりとした沈黙にいた。誰も目を合わさず、そして合わすこともなく、その瞳には諦念の色が浮かんでいることは容易に想像できた。
 このままではいけない。考えろ、考えるんだ。見落としているだけで、きっと、もっといい方法があるはず。いままでそうであったように、私が率先して何かを思いついて、みんなを引っ張っていくんだ。走り出すのは私の役目なのだから。計画に不備があれば、リディが正してくれる。こけそうになったら、カナが支えてくれる。くじけそうになったら、エルフリーデが励ましてくれる。私たちの力を信じるんだ――。
「――――そうだ」
 私は沈黙を破った。光が差したように、あたりが明るくなる。
「知ってるなら答えて。天使は全部で何人いるの?」
 代弁者に質問を投げかける。
『四人だ』
 代弁者は機械的に答えた。四人……人類を滅亡させるにしては、思っていたよりずっと少ない。これなら、勝算は充分にある。
「突然どうしたの? 何か思いついた?」
 カナがおずおずと問う。
「ええ。一番困難だけど、一番いい方法」
 三人の顔を見回す。期待と不安が混在した表情だ。大丈夫。みんなとならやれるはずだ。
「天使と戦おう。そして、倒すのよ」
 一瞬の混乱。そして私の言葉の意味を嚥下すると、瞬く間に顔色が変わった。希望の光が差し込んだのだ。
「倒す……そうか。そんな手があったなんて。でも、どうやって戦うの? 私たちが持ってるもので武器になるとしたら、農機具ぐらいしかないよ?」
 カナは興奮気味にまくし立てた。
「大丈夫だよ。私たちには期せずして与えられた武器があるの。皮肉なことに、この皮肉屋さんにね」
 と言って、私は代弁者を指さした。リディは、はっとした顔つきをしたが、ほかのふたりはまだ気づいていないようだ。
「魔術を使って、天使と戦うの。私たちの頭の中には、魔術の知識が刻まれてるからね。それにさっき、精神干渉ができたんだから、微弱かもしれないけれど、私たちにも魔力が流れてるはず。あとは、ここで使えそうな道具を探して魔術をものにしよう」
 このバテン・カイトスは魔術師たちの船だ。魔術を使うために利用できるものにはこと欠かないだろう。
「マリア、あんたやっぱりすごいよ!」
 カナは力いっぱい私を抱きしめた。少し痛いけれど、それがなんだか心地いい。
「マリアちゃん、あたし、戦うのは怖いけど、がんばるよ」
 エルフリーデも小さいこぶしを握り締めて、健気に見得を切った。
「マリアさん、あなたは……」
 リディは心底驚いたように目を見開く。いままで代弁者から話を聞いていた時の驚きとは違う種類のものだ。まるで、未知の生物を見たような、そんな驚き方だった。私の思いついた計画に問題でもあるのだろうか。
「リディ?」
 不安に思って私が呼びかけると、リディは我を取り戻したように、いつもの凛とした表情になった。
「いえ、なんでもありません。たしかに一番困難ですが、必ずや成し遂げましょう」
「うん!」
 私たちは口々に覚悟と気合を込めてかけ声を上げた。
「残念だったわね」
 私は代弁者に向き直り、挑発的に声をかけた。
「私たちは人類の使命なんかに囚われないわ。自然に生きて、自然に死ぬの。そのためだったら、天使とだって戦ってみせるわ」
 代弁者の表情は変わらない。焦りも余裕も見せずに、爬虫類の鋭い目つきで、私たちを睥睨していた。
『運命に背くか、人の子らよ』
 天の啓示のような言葉は重く、荘厳に響いた。私たちはその言葉にひるみながらも、強くうなずいた。
『いいだろう。それもまた、運命だ』
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