林檎と令嬢 ~ 失意の令嬢を支えたのは優しい幼馴染でした ~

桃千あかり

文字の大きさ
5 / 12

05. 凍てつく心

しおりを挟む
 セシリアは狩猟小屋でクレメントと待ち合わせた。このところ辛い出来事の連続で、親友が現れたとき、安堵のあまり鼻の奥がツンとしたほどだ。

「それで、その……婚約者との顔合わせは、上手くいったのかい?」

 サイラスについて尋ねられたセシリアは、喉に言葉を詰まらせた。心配をかけないためには、嘘をつくべきだと分かっている。だが、親友を欺く抵抗感が、それを許さなかったのである。

 黙りこむセシリアに、クレメントは異変を察したようだ。俯いた彼女の顔をそっと覗きこむ。

「なあ、シシー。悩みがあるなら、俺に話してみなよ」
「だけど、告げ口みたいに、ひとに言うなんて……」

 今のところ、サイラスの長所がひとつも発見できていない。ありのままを説明すると、結果的に悪口になってしまうだろう。
 告げ口も悪口も、いけないことだと思っている。
 彼女の良心が、苦境の告白を妨げるという、皮肉な事態になっていた。

「俺が黙って聞くだけなら、告げ口になんかならないよ。誰にも言わないって約束するから」
「でも……」

 躊躇うセシリアに、クレメントは姿勢を正すと、神妙な態度で片手を上げた。

「ここに、クレメント・オルグレンは、沈黙の誓いをたてる。もし、この誓いを破り、秘密を漏洩したなら、公正の神リリシーファウラから与えられる如何なる苦痛をも、受け入れると約束しよう。たとえ死を賜ろうと、公正神の裁定に抗わないと宣誓する」
「クレム……」

 クレメントは沈黙の誓いをたてた。誓いを破れば、公正の神が罪の大きさに合わせて、罰を下すと言い伝えられている。

 おそらくは迷信だろう。だが、万一ということもある。余程の覚悟がなければ、神への誓いなどたてないのが常識だ。

「な、話してよ。俺を信用してくれるだろ?」

 セシリアは頷いた。ポツリポツリと窮状を打ち明ける。

 家族はボルカ子爵家と親しく、サイラスを全面的に信じきっているのだ。セシリアの苦悩は、クレメントにしか話せないことばかりだった。

「ひどいな、そいつ。林檎パイ……せっかく焼いたのに」
「うん……」
「アルマ姉さんに、相談してみたらどうだい?」
「お姉様にも、言えないわ。だって……」

 サイラスはアルマに恋をしている。幸いというか、当然というか、十七歳のアルマは幼い子供になど無関心だ。相手にするどころか、送られる秋波に気付いてさえいない。

 しかし、サイラスは足繁く訪ねてくる。彼に対応しなければならないセシリアは、この件で姉に対し、後ろめたさを覚えていた。

「お姉様の話題を出せば、取り付く島もないサイラス様と、なんとか会話が成立するの。お姉様にいいところを見せたいのでしょうね、感じ良く行動してくれるわ」

 セシリアには、自分を罵り、邪険にしてくる相手の扱い方など分からない。サイラスが刺々しい態度をとろうとするたび、ついアルマを利用してしまっていた。

 姉の話をしたり、姉をお茶の席に誘ったりして、自衛したのである。

 そんな実態をアルマが知れば、軽蔑されるのではないかと恐れていた。姉への罪悪感が、セシリアの口を更に重くしている。

「わたしは、ずるくて、弱くて、とても卑怯な人間なのよ、クレム」
「気にしすぎだよ、シシー。ご機嫌取りに、姉さんの話題を出すくらい、別にいいだろ。お茶に誘うのだって、家族なんだし、普通じゃないか。君の姉さんは怒ったりしないって」
「だけど……私、自分が恥ずかしいの……」

 子供らしい潔癖さと、負の感情への免疫の無さ。それらが生真面目なセシリアを苦しめていた。

 涙が溢れ、頬を伝う。膝に乗せた両手で、キュッとスカートを握りしめ、声を殺して啜り泣いた。

 震えている彼女の手に、少年の手がそっと重なる。煤けた長椅子に並んで腰かけた彼は、セシリアが泣き止むまで、静かに寄り添っていた。


 この日から、クレメントにだけは、婚約者に関する悩みを相談できた。
 泣いてしまったことが恥ずかしかったが、次に会いに行ったとき、からかわれたりはしなかった。

 サイラスの態度に変化はあったか?
 何か窮状が好転したか?

 そう真剣に尋ねられただけである。

 セシリアはしょんぼり、かぶりを振った。相変わらず、辛い日々が続いている。良くなる兆しの無い状況に、クレメントも落胆したようだ。

 だが、すぐに気を取り直すと、セシリアの話に耳を傾けてくれたのだった。




 セシリアの暮らしに変化があったのは、翌年の夏だ。アルマが結婚したのである。

 お相手は、アルマが十六歳でデビュタントを迎えたとき、結婚を申し込んできた遠方の子爵だ。セシリアたちの婚約より早く、アルマはとっくに婚約していた。

 サイラスの初恋は、始まった時点で終わっていたのだ。

「何故、言わなかった! 僕を騙したな!」
「ちが……違います。ご存知かと思ったのです……」
「黙れ! 嘘をつくな!」

 アルマの縁談は、この辺りの貴族にとって有名だった。当然知っているだろうという思い込みが仇になってしまった。

 また、セシリアにとって、サイラスの初恋は、憧れの延長という認識だったのである。美人女優や歌姫に向ける類いの熱意かと、一歩ひいて見守っていた。

 アルマに本気だったらしいサイラスは、セシリアへ激怒した。

「ああ、そうか、わかったぞ。姉に嫉妬したお前は、小賢しく隠蔽しようとしたってわけだな……くそっ!」
「あ、あの、それはいったい、どういう……」
「うるさい! お前が自ら望んだんだ、全力で媚びて、惨めに関心を引いてみせろ。無駄に足掻くお前の醜態を笑ってやるよ!」

 失恋してからのサイラスは、いよいよ冷淡になり、あたりがきつくなっていった。



 月に一度、サイラスがウィンクル家を訪問するのが両家の取り決めだ。けれど、サイラスはムシャクシャすると、セシリアを訪ねてくるようになっていた。

 おそらく、婚約者の顔を見るためではない。鬱屈をぶつけるためだろう。
 俯いて黙り込んだセシリアが、サイラスから悪いところを指摘され、反応を求められたら謝罪する。それが二人の関係だった。

 すっきりした顔で帰っていくサイラス。まめに会いにくる義理堅い婚約者だと、彼を褒めそやす家族。

 上手く説明できない彼女には、曖昧に微笑むことしかできなかった。

 そんな婚約期間の中でも、セシリアが最も辛かったのは、聖レオーナの祭日だ。床に張り付き、ひしゃげていた林檎パイを思い出し、必ず息が苦しくなる。

 愛の女神の祭日に、辛いことなど起きないと信じていた少女の頃。無防備に晒してしまった、心の柔らかい部分についた傷が、ひどく痛む。

 聖レオーナの日には、サイラスの仕打ちは普段に増して残酷だった。

「贈り物が林檎ジャムだと? ふざけているのか。僕に棄てられたら、お前みたいな役立たずは娼婦になるしかないんだぞ。もっと危機感をもって、努力したらどうだ」

 十三歳の贈り物は、窓から捨てられた。

「はぁ……。林檎クッキーね。僕は焼き菓子は苦手なんだ。いいか、セシリア。夫に飽きられた女は、物乞いになって野垂れ死ぬしかないんだぞ、憶えておけよ」

 十四歳の贈り物は、酷い言葉とともに突き返された。

「煮林檎? 生ごみかと思ったよ。お前の手料理は、見栄えが悪くて食欲がわかない。なあ、セシリア。ありがた迷惑って知っているか? こんな不出来な女では、妾に負けた当て付けに、荒縄で首を括ることになるんじゃないか」

 十五歳の贈り物は、一口も手を付けられずに放置された。

「なんだと? 何も用意していないとは、どういうことだ! 僕は婚約者なんだぞ!?」

 そして十六歳。去年の聖レオーナの祭日は、サイラスを激怒させた。あれだけ激高したのは、アルマに失恋したとき以来である。

 前年、ありがた迷惑と言われたセシリアは、何も用意していなかった。それがサイラスの、激しい叱責を招いたのだ。

 震えあがったセシリアは、急いで厨房に向かい、焼き林檎を作ってきた。料理を受け取ったサイラスはようやく落ち着いた。

 セシリアを眺め、ため息をつくと、そのまま皿を斜めに傾ける。かつての林檎パイと同じことが、目の前で再現されていた。

「手抜きをしたお前への、正当な仕置きだ。これに懲りたら、怠惰な自分を反省するんだな」

 立ち尽くすセシリアの姿に、満足そうに目を細めたサイラス。うっそりほくそ笑む婚約者を、ただ茫然と見つめ返した。



 結婚を来年に控えた十七歳の秋。セシリアは色づいていく木々を見つめて呟いていた。

「このままじゃいけないわ。なんとかしないと……」

 ただ我慢してきただけの年月は、歪み切ったサイラスとの関係を悪化させるばかりだった。このまま結婚して、健全な家庭がつくれるとは思えない。

 なんとか、今からでも歩み寄れないかと、なけなしの勇気を奮い起こす。

 臆病なセシリアは、青白い顔へ悲壮な覚悟を浮かべていた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

世界観制約で罵倒しかできない悪役令嬢なのに、なぜか婚約者が溺愛してくる

杓子ねこ
恋愛
前世の記憶を取り戻した悪役令嬢ヴェスカは、王太子との婚約を回避し、学園でもおとなしくすごすつもりだった。 なのに聖女セノリィの入学とともに口からは罵倒の言葉しか出なくなり、周囲からは冷たい目で見られる――ただ一人を除いては。 なぜか婚約者に収まっている侯爵令息ロアン。 彼だけはヴェスカの言動にひるまない。むしろ溺愛してくる。本当になんで? 「ヴェスカ嬢、君は美しいな」 「ロアン様はお可哀想に。今さら気づくなんて、目がお悪いのね」 「そうかもしれない、本当の君はもっと輝いているのかも」 これは侯爵令息が一途に悪役令嬢を思い、ついでにざまあするお話。 悪役令嬢が意外と無自覚にシナリオ改変を起こしまくっていた話でもある。 ※小説家になろうで先行掲載中

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜

日々埋没。
ファンタジー
​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

公爵令嬢の異世界旅行記 ―婚約破棄されたので旅に出ます。何があっても呼び戻さないでください

ふわふわ
恋愛
大公爵家の令嬢――オルフェアは、婚約者である王子から突然、婚約破棄を言い渡される。 その瞬間、彼女の人生は静かな終わりではなく、新たな旅の始まりとなった。 “ここに留まってはいけない。” そう直感した彼女は、広大な領地でただ形式だけに触れてきた日常から抜け出し、外の世界へと足を踏み出す。 護衛の騎士と忠実なメイドを従え、覚悟も目的もないまま始まった旅は、やがて異世界の光景――青に染まる夜空、風に揺れる草原、川辺のささやき、森の静けさ――そのすべてを五感で刻む旅へと変わっていく。 王都で巻き起こる噂や騒動は、彼女には遠い世界の出来事に過ぎない。 『戻れ』という声を受け取らず、ただ彼女は歩き続ける。丘を越え、森を抜け、名もない村の空気に触れ、知らない人々の生活を垣間見ながら――。 彼女は知る。 世界は広く、日常は多層的であり、 旅は目的地ではなく、問いを生み、心を形づくるものなのだと。 � Reddit 領都へ一度戻った後も、再び世界へ歩を進める決意を固めた令嬢の心境の変化は、他者との関わり、内面の成長、そして自分だけの色で描かれる恋と日常の交錯として深く紡がれる。 戦いや陰謀ではなく、風と色と音と空気を感じる旅の物語。 これは、異世界を巡りながら真実の自分を見つけていく、一人の令嬢の恋愛旅記である。

偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜

紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。 しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。 私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。 近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。 泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。 私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

夫婦の恋は結婚のあとに 〜二度目の初夜とクリスマスの贈り物〜

出 万璃玲
恋愛
「エーミル、今年はサンタさんに何をお願いするの?」 「あのね、僕、弟か妹が欲しい!」 四歳の息子の純真無垢な願いを聞いて、アマーリアは固まった。愛のない結婚をした夫と関係を持ったのは、初夜の一度きり。弟か妹が生まれる可能性は皆無。だが、彼女は息子を何よりも愛していた。 「愛するエーミルの願いを無下にするなんてできない」。そう決意したアマーリアは、サンタ……もとい、夫ヴィンフリートに直談判する。 仕事人間でほとんど家にいない無愛想な夫ヴィンフリート、はじめから結婚に期待のなかった妻アマーリア。 不器用な夫婦それぞれの想いの行方は、果たして……? ――政略結婚からすれ違い続けた夫婦の、静かな「恋のやり直し」。 しっとりとした大人の恋愛と、あたたかな家族愛の物語です。 (おまけSS含め、約10000字の短編です。他サイト掲載あり。表紙はcanvaを使用。)

処理中です...