38 / 94
本編
E16 奉仕活動に隠された事実
しおりを挟む
今日はパトリツァが貧民街で炊き出しに行くと言う。
つい最近までは貧しい民草を蔑んでいた彼女が自らこう言った催しに参加したがるようになったのは喜ぶべき事だ。
……これで、付き合っている連中が、本当の篤志家であればどれほど良かったことか。
本当は、俺が安心して付き合える相手を選んでやれれば良いのだが……いかんせん、俺やマシューが紹介するような相手はパトリツァが意固地になってまともに付き合おうとしない。
そして高位貴族としてあるまじき居丈高で無礼な振る舞いに、先方も距離を置きたがるので、そのまま疎遠になってしまう。
何度かそういったことを繰り返し、ついに上流階級の貴婦人がたとの付き合いを取り持つことを諦めてしまったのだ。
「書類のチェックも大事だけどさ。たまには貧民街の視察も行っておいた方が良くない?」
俺が気もそぞろになってしまっていたのに気付いたのだろうか。昼前になって政務が一段落ついた頃、ディディが唐突に言い出した。
「今日はお昼ご飯を外に食べに行かない?ついでに見て回りたいところがあるし」
何気なく誘ってくれる気遣いが嬉しい。お言葉に甘えて二人で連れ立って街に向かう。
城下町の外れ、貧民街との境目あたりにある広場では、ちょうど炊き出しの真っ最中だった。
いくつかの大鍋に満たされたスープを受け取りに、人々が長蛇の列を作っている。
見るからに貧しそうな人々は手に持った椀にいっぱいスープをよそってもらうと、薄いパンを受け取って、他の人の邪魔にならないところで必死になって中身を すすっていた。
数日ぶりの食事なのか、涙ぐんでいる人までいる。イリュリアの貧困者もここまで深刻なのかと思うと我々貴族の不甲斐なさが申し訳なく思う。
こちらには気付いていないようだが、広場の隅でパンを配っていたパトリツァが老婆に手を握って礼を言われ、満更でもない顔をしているのが見えた。
以前なら「けがらわしい」と喚きたてて振りほどいていただろうと思うと、短期間に成長したなと思う。
そんな光景を感慨深く見ていたのだが、なぜか傍らのディディの表情が険しい。
どうしたのか訊ねようとすると、俺の訝し気な様子に気付いたのか、硬い声で告げられた。
「匂いがおかしい。たぶん、スープの中に何か混じっている」
「え?どういう事だ?」
「並んでいる人たち、これだけ困窮しているのにお行儀が良すぎると思わない?久しぶりの食事にしても、こぞって涙流して喜んでいたり……何か不自然だ」
「……言われてみれば、不自然だな」
「たぶん、何か多幸感を得られるような薬が入っている。依存性があるかどうかはわからないけど」
何という事だ。まさかこれだけの人が集まる奉仕活動で、そんな悍ましい事が行われていたとは……以前炊き出しの様子を見に来た時の違和感はこれだったのか。
「目的は何だ?」
「多幸感を得られる薬は、その反動で薬が切れると猛烈な不安感を覚えるようになる。定期的に与え続ける事で、不安を解消して多幸感を与えてくれる存在に盲従するようになるだろうね。貧民街の住人は戸籍もない人が多い。とても使い勝手の良い捨て駒が量産できると思わないか?」
淡々と語る彼の表情は冷静そのものだが、橙色の瞳は怒りに満ちていて、拳が白くなるほど握られている。篤志家を装って、弱い立場の人々を、都合よく利用して使い捨てようとする所業に怒り心頭に発しているのがよくわかる。
「……戻ろう。薬の出どころを調べないと」
広場では、空になった大鍋の汚れを拭きとって荷車に積みこむ人々の姿が見える。炊き出しはもう終わりらしい。
丹念に火の始末をして、お礼を言う人々ににこやかに挨拶を返す奉仕活動の参加者の姿からは、貧しい人々を更に搾取しようという悪意は感じられない。
「あの人たちのどれだけが薬のことを承知の上で参加しているんだろう」
「......全員ではないと思いたいけど、あまり楽観視はしない方がいいよ。人間なんて、そんなに綺麗な物じゃないんだから」
どこか諦めたように言うディディが哀しげだ。人間に期待するたびに裏切られてきた彼らしい。
彼が他者に求めることなんて、本当にささやかな愛と信頼だけなのに。
さて、裁かれるべきものが誰なのか、そろそろはっきりさせないと。
つい最近までは貧しい民草を蔑んでいた彼女が自らこう言った催しに参加したがるようになったのは喜ぶべき事だ。
……これで、付き合っている連中が、本当の篤志家であればどれほど良かったことか。
本当は、俺が安心して付き合える相手を選んでやれれば良いのだが……いかんせん、俺やマシューが紹介するような相手はパトリツァが意固地になってまともに付き合おうとしない。
そして高位貴族としてあるまじき居丈高で無礼な振る舞いに、先方も距離を置きたがるので、そのまま疎遠になってしまう。
何度かそういったことを繰り返し、ついに上流階級の貴婦人がたとの付き合いを取り持つことを諦めてしまったのだ。
「書類のチェックも大事だけどさ。たまには貧民街の視察も行っておいた方が良くない?」
俺が気もそぞろになってしまっていたのに気付いたのだろうか。昼前になって政務が一段落ついた頃、ディディが唐突に言い出した。
「今日はお昼ご飯を外に食べに行かない?ついでに見て回りたいところがあるし」
何気なく誘ってくれる気遣いが嬉しい。お言葉に甘えて二人で連れ立って街に向かう。
城下町の外れ、貧民街との境目あたりにある広場では、ちょうど炊き出しの真っ最中だった。
いくつかの大鍋に満たされたスープを受け取りに、人々が長蛇の列を作っている。
見るからに貧しそうな人々は手に持った椀にいっぱいスープをよそってもらうと、薄いパンを受け取って、他の人の邪魔にならないところで必死になって中身を すすっていた。
数日ぶりの食事なのか、涙ぐんでいる人までいる。イリュリアの貧困者もここまで深刻なのかと思うと我々貴族の不甲斐なさが申し訳なく思う。
こちらには気付いていないようだが、広場の隅でパンを配っていたパトリツァが老婆に手を握って礼を言われ、満更でもない顔をしているのが見えた。
以前なら「けがらわしい」と喚きたてて振りほどいていただろうと思うと、短期間に成長したなと思う。
そんな光景を感慨深く見ていたのだが、なぜか傍らのディディの表情が険しい。
どうしたのか訊ねようとすると、俺の訝し気な様子に気付いたのか、硬い声で告げられた。
「匂いがおかしい。たぶん、スープの中に何か混じっている」
「え?どういう事だ?」
「並んでいる人たち、これだけ困窮しているのにお行儀が良すぎると思わない?久しぶりの食事にしても、こぞって涙流して喜んでいたり……何か不自然だ」
「……言われてみれば、不自然だな」
「たぶん、何か多幸感を得られるような薬が入っている。依存性があるかどうかはわからないけど」
何という事だ。まさかこれだけの人が集まる奉仕活動で、そんな悍ましい事が行われていたとは……以前炊き出しの様子を見に来た時の違和感はこれだったのか。
「目的は何だ?」
「多幸感を得られる薬は、その反動で薬が切れると猛烈な不安感を覚えるようになる。定期的に与え続ける事で、不安を解消して多幸感を与えてくれる存在に盲従するようになるだろうね。貧民街の住人は戸籍もない人が多い。とても使い勝手の良い捨て駒が量産できると思わないか?」
淡々と語る彼の表情は冷静そのものだが、橙色の瞳は怒りに満ちていて、拳が白くなるほど握られている。篤志家を装って、弱い立場の人々を、都合よく利用して使い捨てようとする所業に怒り心頭に発しているのがよくわかる。
「……戻ろう。薬の出どころを調べないと」
広場では、空になった大鍋の汚れを拭きとって荷車に積みこむ人々の姿が見える。炊き出しはもう終わりらしい。
丹念に火の始末をして、お礼を言う人々ににこやかに挨拶を返す奉仕活動の参加者の姿からは、貧しい人々を更に搾取しようという悪意は感じられない。
「あの人たちのどれだけが薬のことを承知の上で参加しているんだろう」
「......全員ではないと思いたいけど、あまり楽観視はしない方がいいよ。人間なんて、そんなに綺麗な物じゃないんだから」
どこか諦めたように言うディディが哀しげだ。人間に期待するたびに裏切られてきた彼らしい。
彼が他者に求めることなんて、本当にささやかな愛と信頼だけなのに。
さて、裁かれるべきものが誰なのか、そろそろはっきりさせないと。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?
いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー
これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。
「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」
「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」
冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。
あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。
ショックで熱をだし寝込むこと1週間。
目覚めると夫がなぜか豹変していて…!?
「君から話し掛けてくれないのか?」
「もう君が隣にいないのは考えられない」
無口不器用夫×優しい鈍感妻
すれ違いから始まる両片思いストーリー
(本編完結)無表情の美形王子に婚約解消され、自由の身になりました! なのに、なんで、近づいてくるんですか?
水無月あん
恋愛
本編は完結してます。8/6より、番外編はじめました。よろしくお願いいたします。
私は、公爵令嬢のアリス。ピンク頭の女性を腕にぶら下げたルイス殿下に、婚約解消を告げられました。美形だけれど、無表情の婚約者が苦手だったので、婚約解消はありがたい! はれて自由の身になれて、うれしい! なのに、なぜ、近づいてくるんですか? 私に興味なかったですよね? 無表情すぎる、美形王子の本心は? こじらせ、ヤンデレ、執着っぽいものをつめた、ゆるゆるっとした設定です。お気軽に楽しんでいただければ、嬉しいです。
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
※新作です。アルファポリス様が先行します。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる