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仕官
新たな父
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「畏れながら、山岡暹慶(せんけい)をご存じで?」
「ご存じも何も、山岡暹慶(せんけい)こそ、六角に山岡ありと言わしめた男ぞ。そうか、奴は最初から主君を逃がすことだけを考えておったのじゃ…。いきなり、こう申しても、お主には伝わるまい。お主の申すとおり、我らは首尾よく箕作城と和田山城を落とした。多くの侍どもは、観音寺城を落とせと命じられると、いきなり観音寺城を目指す。これが間違いのもとなのじゃ。確かに、観音寺城は難攻不落という城ではない。観音寺城の北西にはこれといった出城が無く、大概の者は、ここから攻め入ろうとする。さりながら、六角も阿呆ではない。わざとここに敵を攻めさせるのじゃ。ここで敵を足止めさせて、和田山から敵の後背をつき、挟み撃ちにして敵を退けようという魂胆なのじゃ。そこで我らは、箕作城と和田山城を落として、観音寺城を丸裸にしてから攻め入ろうと考えた。何とか激戦を制して、箕作城と和田山城は落としたわけだが、そこに山岡暹慶(せんけい)の姿は無かった。もし、奴がおれば、我らとて二つの城を落とせたかどうか危うい。それほどの男ぞ、奴は。あの男と対峙して、生きながらえているとは、甚内、お主中々の者よ。」
「恐縮の至りでございます。木下様のお褒めに預かるようなことは何もしておりませぬ。何とか、付け入る隙は無いか考えていたと言えば、聞こえはよろしゅうございますが、その実は蛇に睨まれた蛙でございます。かような敵に見逃してもらえたのは、僥倖としか申せませぬ。」
「甚内、今、“付け入る隙はないか考えていた”と申したな。殺るか殺られるかの瀬戸際で、あ奴と対峙しておっただけでも大したものよ。いやいや、世辞ではない。お主、何とか父君の仇討ちを果たそうと考えていたのであろう?」
安治は、面食らっていた。木下藤吉郎が驚くようなことは、何もしていない。何もできなかったのだ。にもかかわらず、この男は、それを高く買っているように見える。あの出来事が、この男にそこまで刺さるとは思ってみなかった。安治は、何と答えるべきか見当もつかなかった。
「父の無念を晴らさぬ子がどこにおりましょう。さりながら、瞬く間に父を葬った相手に、今の拙者でできることなどありますまい。幸い、敵は拙者への殺意はありませんでした。それは憶測ではなく、敵が自ら言ったことです。“拙者は、殿を逃がす時間稼ぎをしているに過ぎない”と。であれば、こちらの問いかけにも応じるはず。いつか父の無念を晴らすため、探れるだけの素性は探っておこうと愚考したまでのことでございます。尤も、掴めたのは敵の名と奴が忍びであることくらいでございましたが…。」
結局、安治はありのままを語った。木下藤吉郎は、じっとこちらを見つめたまま、何かを考えているようであった。
「甚内、今日より、わしがお主の父となる。安心して、ついてまいれ!」
木下藤吉郎は、思いもかけないことを言った。
「きょ、恐悦至極に存じ上げ奉ります…。」
安治は、咄嗟に礼を言い平伏した。安治は、今の状況を全く呑み込めないでいた。木下藤吉郎が、安治を買ってくれたことは間違いないようだ。仕官はなったと考えていいのだろう。しかし、“父になる”とは、いかなる意味であろうか?まさか、養子になれということでもあるまい。父のごとく仕えよ、という激励ではあろうが、とはいえ、初対面の者に対してかける言葉でもない。木下藤吉郎という捉えどころの無い男に、どう接していけばよいか、安治には見当もつかなかった。
「よいよい、遠慮はいらぬ。わしを父と思えと申したではないか。近う。」
「畏れながら、拙者、木下様のお褒めにあずかることは何もしておりませぬが、何故…?」
「何が“木下様”じゃ。水臭いことは無しじゃ。今日より、わしは主であり、父か代わりじゃ。左様、心得よ。のう、甚内。わしには、子がおらぬ。お主のような、胆の据わった子を持つのが夢じゃった。“お褒めに預かることは何もしていない”と申したな。とんでもない、あの山岡暹慶(せんけい)から生き延びただけでなく、あくまで父の仇として対峙しきったのは、並大抵のことではない。山岡暹慶(せんけい)も、それを感じ取ったのじゃろう。殺すには惜しいやつ。そう思わせるものが、甚内、お主にはあったということじゃ。まあ、言うなれば、山岡暹慶(せんけい)がお主の器量を認めた以上、もはやわしがとやかく言うことは何もないのじゃ。お主が、当家に仕官に来てくれた。それだけ十分。ましてや、いつか我らにた立ちはだかるであろう山岡暹慶(せんけい)を討とうという気構えのある者があるだけで心強い。甚内、頼んだぞ。」
「はは、ありがたき幸せ。身命を賭して、殿にお仕えいたします。」
安治は、這いつくばるかのごとく、平伏した。
安治は、木下藤吉郎という男の途方も無さを垣間見た気がした。幸いにして仕官は果たせたが、考えようによっては、明智十兵衛こそが“当たり前”だったのかも知れない。安治は、そう思えてならなかった。何せ安治は、傍から見れば、年端もいかぬ若造であり、氏素性も怪しいものだ。明智家の仕官がならなかったのは、むしろ当然のことだろう。
ところが、木下藤吉郎は、氏素性に一切こだわらない。とにかく、目の前の者の真贋だけを見極めようとする。たまたま、安治は木下藤吉郎の目に適った故、仕官を果たすことが出来たが、たとえ氏素性がよく、戦功を集めてきたとしても、木下藤吉郎の目に適わなければ、門前払いをくらうことであろう。
人の器量そのものを計るなど並大抵のものにできることではない。安治は、それをやってのける木下藤吉郎に恐ろしさも感じていた。ましてや、気に入った者とはいえ、初めて対面した者に対して、“父と思え”など簡単に口にできることではない。もちろん、安治に父がいないことを知ったからこそだろうが、木下藤吉郎であれば、相手に最も刺さるであろう言葉をかけるであろう。
木下藤吉郎は、安治に賭けたのだ。木下藤吉郎自身、織田家中の重臣たらんと奮起している。木下藤吉郎とて、己の手足となるべき者が多いに越したことはない。これはと見込んだ者には、あの手この手で手元に置こうとするのであろう。
木下藤吉郎の言葉に打算が無かったと言えば嘘になるであろう。だが、安治にとっては、それでも嬉しかった。己の働きを見せるべき者がいる。人として接してくれる者がいる。
人は、眼差しを向けられてこそ人として在ることができる。今の安治には、木下藤吉郎に賭ける以外の道は無かった。
「甚内、いつまで平伏しておる。いい加減、面を上げよ。甚内、お主さえよければ、いまからでもわしの元におれ。とはいえ、今日の経緯を伝えるべき者がおるであろう。一旦、今日のところは引き上げ、支度が出来次第、また参れ。お主と暮らせること、心待ちにしておるぞ!」
「はは、ありがたき幸せ!」
安治には、このことを伝えるべき者が二人いた。
「ご存じも何も、山岡暹慶(せんけい)こそ、六角に山岡ありと言わしめた男ぞ。そうか、奴は最初から主君を逃がすことだけを考えておったのじゃ…。いきなり、こう申しても、お主には伝わるまい。お主の申すとおり、我らは首尾よく箕作城と和田山城を落とした。多くの侍どもは、観音寺城を落とせと命じられると、いきなり観音寺城を目指す。これが間違いのもとなのじゃ。確かに、観音寺城は難攻不落という城ではない。観音寺城の北西にはこれといった出城が無く、大概の者は、ここから攻め入ろうとする。さりながら、六角も阿呆ではない。わざとここに敵を攻めさせるのじゃ。ここで敵を足止めさせて、和田山から敵の後背をつき、挟み撃ちにして敵を退けようという魂胆なのじゃ。そこで我らは、箕作城と和田山城を落として、観音寺城を丸裸にしてから攻め入ろうと考えた。何とか激戦を制して、箕作城と和田山城は落としたわけだが、そこに山岡暹慶(せんけい)の姿は無かった。もし、奴がおれば、我らとて二つの城を落とせたかどうか危うい。それほどの男ぞ、奴は。あの男と対峙して、生きながらえているとは、甚内、お主中々の者よ。」
「恐縮の至りでございます。木下様のお褒めに預かるようなことは何もしておりませぬ。何とか、付け入る隙は無いか考えていたと言えば、聞こえはよろしゅうございますが、その実は蛇に睨まれた蛙でございます。かような敵に見逃してもらえたのは、僥倖としか申せませぬ。」
「甚内、今、“付け入る隙はないか考えていた”と申したな。殺るか殺られるかの瀬戸際で、あ奴と対峙しておっただけでも大したものよ。いやいや、世辞ではない。お主、何とか父君の仇討ちを果たそうと考えていたのであろう?」
安治は、面食らっていた。木下藤吉郎が驚くようなことは、何もしていない。何もできなかったのだ。にもかかわらず、この男は、それを高く買っているように見える。あの出来事が、この男にそこまで刺さるとは思ってみなかった。安治は、何と答えるべきか見当もつかなかった。
「父の無念を晴らさぬ子がどこにおりましょう。さりながら、瞬く間に父を葬った相手に、今の拙者でできることなどありますまい。幸い、敵は拙者への殺意はありませんでした。それは憶測ではなく、敵が自ら言ったことです。“拙者は、殿を逃がす時間稼ぎをしているに過ぎない”と。であれば、こちらの問いかけにも応じるはず。いつか父の無念を晴らすため、探れるだけの素性は探っておこうと愚考したまでのことでございます。尤も、掴めたのは敵の名と奴が忍びであることくらいでございましたが…。」
結局、安治はありのままを語った。木下藤吉郎は、じっとこちらを見つめたまま、何かを考えているようであった。
「甚内、今日より、わしがお主の父となる。安心して、ついてまいれ!」
木下藤吉郎は、思いもかけないことを言った。
「きょ、恐悦至極に存じ上げ奉ります…。」
安治は、咄嗟に礼を言い平伏した。安治は、今の状況を全く呑み込めないでいた。木下藤吉郎が、安治を買ってくれたことは間違いないようだ。仕官はなったと考えていいのだろう。しかし、“父になる”とは、いかなる意味であろうか?まさか、養子になれということでもあるまい。父のごとく仕えよ、という激励ではあろうが、とはいえ、初対面の者に対してかける言葉でもない。木下藤吉郎という捉えどころの無い男に、どう接していけばよいか、安治には見当もつかなかった。
「よいよい、遠慮はいらぬ。わしを父と思えと申したではないか。近う。」
「畏れながら、拙者、木下様のお褒めにあずかることは何もしておりませぬが、何故…?」
「何が“木下様”じゃ。水臭いことは無しじゃ。今日より、わしは主であり、父か代わりじゃ。左様、心得よ。のう、甚内。わしには、子がおらぬ。お主のような、胆の据わった子を持つのが夢じゃった。“お褒めに預かることは何もしていない”と申したな。とんでもない、あの山岡暹慶(せんけい)から生き延びただけでなく、あくまで父の仇として対峙しきったのは、並大抵のことではない。山岡暹慶(せんけい)も、それを感じ取ったのじゃろう。殺すには惜しいやつ。そう思わせるものが、甚内、お主にはあったということじゃ。まあ、言うなれば、山岡暹慶(せんけい)がお主の器量を認めた以上、もはやわしがとやかく言うことは何もないのじゃ。お主が、当家に仕官に来てくれた。それだけ十分。ましてや、いつか我らにた立ちはだかるであろう山岡暹慶(せんけい)を討とうという気構えのある者があるだけで心強い。甚内、頼んだぞ。」
「はは、ありがたき幸せ。身命を賭して、殿にお仕えいたします。」
安治は、這いつくばるかのごとく、平伏した。
安治は、木下藤吉郎という男の途方も無さを垣間見た気がした。幸いにして仕官は果たせたが、考えようによっては、明智十兵衛こそが“当たり前”だったのかも知れない。安治は、そう思えてならなかった。何せ安治は、傍から見れば、年端もいかぬ若造であり、氏素性も怪しいものだ。明智家の仕官がならなかったのは、むしろ当然のことだろう。
ところが、木下藤吉郎は、氏素性に一切こだわらない。とにかく、目の前の者の真贋だけを見極めようとする。たまたま、安治は木下藤吉郎の目に適った故、仕官を果たすことが出来たが、たとえ氏素性がよく、戦功を集めてきたとしても、木下藤吉郎の目に適わなければ、門前払いをくらうことであろう。
人の器量そのものを計るなど並大抵のものにできることではない。安治は、それをやってのける木下藤吉郎に恐ろしさも感じていた。ましてや、気に入った者とはいえ、初めて対面した者に対して、“父と思え”など簡単に口にできることではない。もちろん、安治に父がいないことを知ったからこそだろうが、木下藤吉郎であれば、相手に最も刺さるであろう言葉をかけるであろう。
木下藤吉郎は、安治に賭けたのだ。木下藤吉郎自身、織田家中の重臣たらんと奮起している。木下藤吉郎とて、己の手足となるべき者が多いに越したことはない。これはと見込んだ者には、あの手この手で手元に置こうとするのであろう。
木下藤吉郎の言葉に打算が無かったと言えば嘘になるであろう。だが、安治にとっては、それでも嬉しかった。己の働きを見せるべき者がいる。人として接してくれる者がいる。
人は、眼差しを向けられてこそ人として在ることができる。今の安治には、木下藤吉郎に賭ける以外の道は無かった。
「甚内、いつまで平伏しておる。いい加減、面を上げよ。甚内、お主さえよければ、いまからでもわしの元におれ。とはいえ、今日の経緯を伝えるべき者がおるであろう。一旦、今日のところは引き上げ、支度が出来次第、また参れ。お主と暮らせること、心待ちにしておるぞ!」
「はは、ありがたき幸せ!」
安治には、このことを伝えるべき者が二人いた。
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