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新・賤ヶ岳合戦記
清州会議
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「殿下、恐れながら申し上げます。惟任様との戦いをお話しくだされた折り、殿下は”戦い方が変わった”と仰せになられました。そのうえ、拙者とは”終に分かり合えぬ”とも仰せになられました。もとより、拙者ごときが殿下の深謀の一端でも腑に落ちるようなことがあろうはずもございませぬ。さりながら、殿下の仰せにひっかかるものを感じるのも、また事実でございます。殿下の仰せの真意を、是非、お聞かせ願いとう存じます。」
「施楽院よ、逆に問うが、降りかかる火の粉は払いのけるのが道理ではないか?それとも、此方からの火の粉は払うが、彼方からの火の粉は甘受せよとでも申すのか?惟任の反逆以後、振り払うべき火の粉の方向が変わったまでじゃ。」
「つまり、織田家の中で権力争いが勃発したということでございますか?」
「随分、白々しい物言いじゃのう。余が権六を”けしかけた”とでもいいたげじゃな。」
「滅相もございませぬ。ただ、別の在り方はなかったものかということが、どうも腑に落ちぬのでございます。」
「重ねて問うが、施楽院よ、明らかに殺意を抱いているものが目の前に現れたとして、むざむざその手にかかるか?何とかして身を守ろうというのが道理ではないか?おぬしの言わんとしていることはわかる。その結果として、今の余があるわけじゃからの。じゃが、すべてが余の思いどおりに運んだわけではない。何とかして己の身を守ってきた結果がいまのとおりじゃ。それに、余に仕えてきたものたちにも報いねばならぬ。その道理を否定する謂れはないはずじゃが、如何に?」
「僭越を承知で申し上げれば、殿下ご自身がかつて仰せになられた”織田家とのつながり”について、もっと別の”在り方”があったのではありませぬか。」
「”吾妻鏡”を持ち出してきたか。おぬしの申しようもわからぬではないがな。じゃが、それは無理であると余は思う。今から申すことを聞けば、おぬしもそう思うであろう。」
「ぜひ、お聞かせいただきとう存じます。」
「惟任謀叛の顛末は、以前申したとおりじゃ。一方の権六は、既に越前、加賀を平定し、越中で長尾喜平次(上杉景勝)と対峙していた。実は、権六もかなり上杉勢を押し込んでいたのじゃ。越中平定も目前であった。そこに右府様の悲報が飛び込んできた。権六も馬鹿ではない。早々に喜平次と講和を結んで、弔い合戦を行うべく一万騎ばかりを引き連れ、京に向かった。ところが江州柳ケ瀬表まで進軍したときに、三七殿(織田信孝)から飛脚が到着し、余が光秀一派を悉く討ち果たし、都の擾乱を鎮めた旨を聞いた。そして、今後の織田家の行く末を協議するため、権六はそのまま尾州清洲に向かった。」
「いわゆる、”清州会議”でございますな。恐れながら、もし、柴田様が殿下のごとく、電光石火の勢いで京都に向かわれていたら、どうなっていたでしょうか?」
「仮に、余と権六が同じ時に京についておったら、十中八九、権六が実質的な惟任討伐の大将になっていたであろうな。もっとも、一万騎もの軍勢を同時に引き連れていこうとした時点で、速度において余には敵わぬ。あのときは、音頭を取りうる者が、如何にはやく、京に着けるかが試されたのじゃ。軍勢は後でどうにでもなる。いずれにせよ、権六は余に”出し抜かれた”と感じたであろうな。権六が清州に到着したとき、余を始め、池田父子、丹羽五郎左衛門尉、蜂屋出羽守、筒井順慶が参集していた。いくら、権六が惟任討伐に間に合わなかったとはいえ、織田家の宿老であることに変わりはないから、丁重にもてなしたわ。若君(織田秀信)への挨拶が済んだ後、一同は右府様亡き後の天下の行く末について協議することになった。」
「そこで柴田様が、三七様(織田信孝)にまず天下を治めてもらうことを進言したと続くわけですな。それに対して殿下が、惣領家の直系である若君(織田秀信)を家臣一同盛り立てるべきと進言遊ばされたわけですな。」
「人の噂というのは恐ろしいものよな。事実がそのように誇張されて伝わってしまう。よいか、清州での会談において、織田家の惣領はあくまで若君であることに一同異存はなかったのじゃ。じゃからこそ、一同は何をさておき若君に対してご挨拶申し上げたわけじゃ。あの会談の目的は、若君をどうやって盛り立てていくかを決めることだったのじゃ。その際に、権六が三七殿を若君の名代にと訴えたわけじゃ。もっとも、三七殿を推すことが権六の本意ではあるまい。いわゆる敵の敵は味方という道理じゃて。三七殿は、惟任謀叛の直後から山城国を中心に様々な禁制を発給した。”織田家”としてな。つまり、織田家の惣領が誰であっても、“織田家による”支配は揺るがないということを示そうとしたのじゃ。この時から、三七殿は実質的な織田家の惣領たるべく動いておったというわけじゃ。他方、惟任討伐の実質的な大将は余が担うことになった。何せ、余を抜きにして惟任を討つことができなかったわけじゃからの。その”借り”がある分、どうしても三七殿は主導権を握りえない。そこで、権六に目をつけたというわけじゃ。権六とて、北陸方面では余に勝るとも劣らない功績を残しておる。その権六が、惟任討伐に参加できなかったことだけで、余の風下に立つことは許せないはずじゃ。こうして、三七殿と権六間である種の同盟が結ばれたというわけじゃ。」
「なるほど。経緯は腑に落ちました。さりながら、柴田様が三七様を推されるのであれば、殿下は三介様(織田信雄)を推す選択肢はなかったのですか?」
「中々鋭いことを申すではないか。じゃが、その選択肢は選びえないな。理由は二つ。一つは、三介殿と三七殿との間に決定的な差がない。どちらも、岐阜中将様(織田信忠)のご舎弟であらせられるという点で同じじゃ。もう一つは、この時点で三介殿が名代となってしまうと、余の生殺与奪を三介殿に握られてしまう。そうなれば、結局のところ、余にとっては三七殿が名代になったのと大して変わらぬ。それ故、余は若君には名代を置かずに、余、五郎左衛門、勝三郎(池田恒興)、権六の四宿老による合議で織田家を統括し、三介殿、三七殿そして内府(徳川家康)が我らを支えるべしと主張したのじゃ。」
「つまり、”吾妻鑑”を再現なされたわけですが。」
「やけにこだわるのう。ところが、権六は大いに憤激した。曰く”筑前は我儘をとおして、諸将の領国を差配しようとする魂胆である。その上、右も左もわからない若君を惣領として奉り、いよいよ我儘をとおそうとすること、言語道断なり!”まあ、大層な権幕であったわ。よいか、勘違いしてはならぬ。あくまで余はお主が再三主張する”合議制”を説いたのじゃ。それに、権六が異を唱えたのじゃ。あくまで、三七殿を名代として、権六が三七殿を支えることにこだわったのじゃ。ここまで来たら余も黙ってはおれぬ。ここで権六に屈してしまえば、後々根も葉もないことをでっちあげられ排斥されるのは、火を見るより明らかじゃ。もっとも、これは権六流の挑発でもあるわけじゃ。面と向かって反抗しては、却って相手にいらぬ口実を渡してしまう。下手すると、余が惟任をそそのかしたといいかねん。権六はな、世間では猪武者とみられることもあるが、どうしてどうして、かなりの切れ者じゃ。油断はできぬ相手よ。じゃから、余は努めて平静にこう答えたわ。”柴田殿を差し置き、拙者の我儘をとおそうなど微塵も考えておりません。ただただ、今後の趨勢をご相談したいだけに存じます”とな。これを聞いた権六は、配下を引き連れ、奥の部屋に引っ込みおった。あまつさえ、枕まで求めてな。権六は、寝ながら配下のものと善後策でも講じておったのだろう。」
「柴田様とはいえ、さすがにそれは無礼ではありませぬか?」
「それも奴の手の内よ。どこまでも、余を挑発したいのじゃ。奥の部屋から戻ってきたと思えば、冷やし鉢で酒を傾けはじめ、余の肴までつまみおった。挙句の果てに、”筑前は上方衆でお高くとまっておるからの。方やわれらは無骨者。生憎礼儀も知らぬわ”とのたまい、梅干しを十四五個食べ、酒を冷やし鉢で三杯飲み干したかと思えば、大きな鼾をかいて寝てしまいよった。」
「殿下もよく堪忍遊ばされましたな。逆に、そこまで卑屈になられては、却って怪しまれませぬか?」
「その見極めは確かに難しい。じゃが、その時に限っては、とことん下手にでる腹積もりでおった。下手に出て権六の望みを聞いてやろうと思ったのじゃ。そこで、余は調理場に出向き、贅を尽くして権六馳走した。権六は、今なら余を手玉にとれると踏んだのじゃろう。とうとう本音を漏らしたわ。”今後は我らも公用が多くなることであろう、越前の居城から事あるごとに上洛するのも難儀である。江州の内、長浜の城は、筑前の持分である。そこでこの城を我らに譲ってほしい。ここを上方に向かうときの我らの拠点としたい。そして、筑前達と諸事相談の上、天下を治めていきたい”とな。」
「長浜を譲れと仰せになられたのですか!?なんとも、思い切った要望でございますな。」
「お主もそう思うか?であれば、まだまだ物が見えておらぬな。」
「さりながら、柴田様は惟任様との戦において、何もなされておりませぬ。それにもかかわらず、長浜を差し出せとは、あまりに無体ではありませぬか?」
「よいか。結局、権六は織田家における相対的な地位の高さしか見えてないのじゃ。これまでも、そしてこれからも織田家筆頭家老であることしか頭にないのじゃ。要は、織田家は安泰と無条件に考えておるのじゃ。じゃが、その織田家の礎が揺らいでおるのじゃ。織田家をどうやって立て直し、織田家とどのような関係を構築するか。それをこそ、考えねばならぬ時じゃったのじゃ。権六はそこまで考えなかった。奴の本音を聞いて、余は内心、勝負あったと思ったわ。長浜”程度”であれば、いくらでも譲ってやる。いくらでも、取り戻す手立ては講じられるからの。それ以上、清州での会談において、余が主導権を握りえたことのほうがはるかに大きな戦果じゃ。もっとも、権六には余の鼻を明かしたと感じてもらわなければならぬ。実際、権六は懐刀である甥の佐久間玄蕃(盛政)を隣の部屋に控えさえ、もし余が権六の意向に従わない場合は差し違える覚悟でおったようじゃからの。じゃから余も”渋々”、柴田様の仰せのこと、ごもっともでございます。仰せのとおりにいたしましょう、と答えたわけじゃ。これをきいた権六は、さすがにご満悦であったわ。己の言い分がとおったわけじゃからの。じゃが、余もただでは渡さぬ。ちょいと、策を講じたのじゃ。」
「施楽院よ、逆に問うが、降りかかる火の粉は払いのけるのが道理ではないか?それとも、此方からの火の粉は払うが、彼方からの火の粉は甘受せよとでも申すのか?惟任の反逆以後、振り払うべき火の粉の方向が変わったまでじゃ。」
「つまり、織田家の中で権力争いが勃発したということでございますか?」
「随分、白々しい物言いじゃのう。余が権六を”けしかけた”とでもいいたげじゃな。」
「滅相もございませぬ。ただ、別の在り方はなかったものかということが、どうも腑に落ちぬのでございます。」
「重ねて問うが、施楽院よ、明らかに殺意を抱いているものが目の前に現れたとして、むざむざその手にかかるか?何とかして身を守ろうというのが道理ではないか?おぬしの言わんとしていることはわかる。その結果として、今の余があるわけじゃからの。じゃが、すべてが余の思いどおりに運んだわけではない。何とかして己の身を守ってきた結果がいまのとおりじゃ。それに、余に仕えてきたものたちにも報いねばならぬ。その道理を否定する謂れはないはずじゃが、如何に?」
「僭越を承知で申し上げれば、殿下ご自身がかつて仰せになられた”織田家とのつながり”について、もっと別の”在り方”があったのではありませぬか。」
「”吾妻鏡”を持ち出してきたか。おぬしの申しようもわからぬではないがな。じゃが、それは無理であると余は思う。今から申すことを聞けば、おぬしもそう思うであろう。」
「ぜひ、お聞かせいただきとう存じます。」
「惟任謀叛の顛末は、以前申したとおりじゃ。一方の権六は、既に越前、加賀を平定し、越中で長尾喜平次(上杉景勝)と対峙していた。実は、権六もかなり上杉勢を押し込んでいたのじゃ。越中平定も目前であった。そこに右府様の悲報が飛び込んできた。権六も馬鹿ではない。早々に喜平次と講和を結んで、弔い合戦を行うべく一万騎ばかりを引き連れ、京に向かった。ところが江州柳ケ瀬表まで進軍したときに、三七殿(織田信孝)から飛脚が到着し、余が光秀一派を悉く討ち果たし、都の擾乱を鎮めた旨を聞いた。そして、今後の織田家の行く末を協議するため、権六はそのまま尾州清洲に向かった。」
「いわゆる、”清州会議”でございますな。恐れながら、もし、柴田様が殿下のごとく、電光石火の勢いで京都に向かわれていたら、どうなっていたでしょうか?」
「仮に、余と権六が同じ時に京についておったら、十中八九、権六が実質的な惟任討伐の大将になっていたであろうな。もっとも、一万騎もの軍勢を同時に引き連れていこうとした時点で、速度において余には敵わぬ。あのときは、音頭を取りうる者が、如何にはやく、京に着けるかが試されたのじゃ。軍勢は後でどうにでもなる。いずれにせよ、権六は余に”出し抜かれた”と感じたであろうな。権六が清州に到着したとき、余を始め、池田父子、丹羽五郎左衛門尉、蜂屋出羽守、筒井順慶が参集していた。いくら、権六が惟任討伐に間に合わなかったとはいえ、織田家の宿老であることに変わりはないから、丁重にもてなしたわ。若君(織田秀信)への挨拶が済んだ後、一同は右府様亡き後の天下の行く末について協議することになった。」
「そこで柴田様が、三七様(織田信孝)にまず天下を治めてもらうことを進言したと続くわけですな。それに対して殿下が、惣領家の直系である若君(織田秀信)を家臣一同盛り立てるべきと進言遊ばされたわけですな。」
「人の噂というのは恐ろしいものよな。事実がそのように誇張されて伝わってしまう。よいか、清州での会談において、織田家の惣領はあくまで若君であることに一同異存はなかったのじゃ。じゃからこそ、一同は何をさておき若君に対してご挨拶申し上げたわけじゃ。あの会談の目的は、若君をどうやって盛り立てていくかを決めることだったのじゃ。その際に、権六が三七殿を若君の名代にと訴えたわけじゃ。もっとも、三七殿を推すことが権六の本意ではあるまい。いわゆる敵の敵は味方という道理じゃて。三七殿は、惟任謀叛の直後から山城国を中心に様々な禁制を発給した。”織田家”としてな。つまり、織田家の惣領が誰であっても、“織田家による”支配は揺るがないということを示そうとしたのじゃ。この時から、三七殿は実質的な織田家の惣領たるべく動いておったというわけじゃ。他方、惟任討伐の実質的な大将は余が担うことになった。何せ、余を抜きにして惟任を討つことができなかったわけじゃからの。その”借り”がある分、どうしても三七殿は主導権を握りえない。そこで、権六に目をつけたというわけじゃ。権六とて、北陸方面では余に勝るとも劣らない功績を残しておる。その権六が、惟任討伐に参加できなかったことだけで、余の風下に立つことは許せないはずじゃ。こうして、三七殿と権六間である種の同盟が結ばれたというわけじゃ。」
「なるほど。経緯は腑に落ちました。さりながら、柴田様が三七様を推されるのであれば、殿下は三介様(織田信雄)を推す選択肢はなかったのですか?」
「中々鋭いことを申すではないか。じゃが、その選択肢は選びえないな。理由は二つ。一つは、三介殿と三七殿との間に決定的な差がない。どちらも、岐阜中将様(織田信忠)のご舎弟であらせられるという点で同じじゃ。もう一つは、この時点で三介殿が名代となってしまうと、余の生殺与奪を三介殿に握られてしまう。そうなれば、結局のところ、余にとっては三七殿が名代になったのと大して変わらぬ。それ故、余は若君には名代を置かずに、余、五郎左衛門、勝三郎(池田恒興)、権六の四宿老による合議で織田家を統括し、三介殿、三七殿そして内府(徳川家康)が我らを支えるべしと主張したのじゃ。」
「つまり、”吾妻鑑”を再現なされたわけですが。」
「やけにこだわるのう。ところが、権六は大いに憤激した。曰く”筑前は我儘をとおして、諸将の領国を差配しようとする魂胆である。その上、右も左もわからない若君を惣領として奉り、いよいよ我儘をとおそうとすること、言語道断なり!”まあ、大層な権幕であったわ。よいか、勘違いしてはならぬ。あくまで余はお主が再三主張する”合議制”を説いたのじゃ。それに、権六が異を唱えたのじゃ。あくまで、三七殿を名代として、権六が三七殿を支えることにこだわったのじゃ。ここまで来たら余も黙ってはおれぬ。ここで権六に屈してしまえば、後々根も葉もないことをでっちあげられ排斥されるのは、火を見るより明らかじゃ。もっとも、これは権六流の挑発でもあるわけじゃ。面と向かって反抗しては、却って相手にいらぬ口実を渡してしまう。下手すると、余が惟任をそそのかしたといいかねん。権六はな、世間では猪武者とみられることもあるが、どうしてどうして、かなりの切れ者じゃ。油断はできぬ相手よ。じゃから、余は努めて平静にこう答えたわ。”柴田殿を差し置き、拙者の我儘をとおそうなど微塵も考えておりません。ただただ、今後の趨勢をご相談したいだけに存じます”とな。これを聞いた権六は、配下を引き連れ、奥の部屋に引っ込みおった。あまつさえ、枕まで求めてな。権六は、寝ながら配下のものと善後策でも講じておったのだろう。」
「柴田様とはいえ、さすがにそれは無礼ではありませぬか?」
「それも奴の手の内よ。どこまでも、余を挑発したいのじゃ。奥の部屋から戻ってきたと思えば、冷やし鉢で酒を傾けはじめ、余の肴までつまみおった。挙句の果てに、”筑前は上方衆でお高くとまっておるからの。方やわれらは無骨者。生憎礼儀も知らぬわ”とのたまい、梅干しを十四五個食べ、酒を冷やし鉢で三杯飲み干したかと思えば、大きな鼾をかいて寝てしまいよった。」
「殿下もよく堪忍遊ばされましたな。逆に、そこまで卑屈になられては、却って怪しまれませぬか?」
「その見極めは確かに難しい。じゃが、その時に限っては、とことん下手にでる腹積もりでおった。下手に出て権六の望みを聞いてやろうと思ったのじゃ。そこで、余は調理場に出向き、贅を尽くして権六馳走した。権六は、今なら余を手玉にとれると踏んだのじゃろう。とうとう本音を漏らしたわ。”今後は我らも公用が多くなることであろう、越前の居城から事あるごとに上洛するのも難儀である。江州の内、長浜の城は、筑前の持分である。そこでこの城を我らに譲ってほしい。ここを上方に向かうときの我らの拠点としたい。そして、筑前達と諸事相談の上、天下を治めていきたい”とな。」
「長浜を譲れと仰せになられたのですか!?なんとも、思い切った要望でございますな。」
「お主もそう思うか?であれば、まだまだ物が見えておらぬな。」
「さりながら、柴田様は惟任様との戦において、何もなされておりませぬ。それにもかかわらず、長浜を差し出せとは、あまりに無体ではありませぬか?」
「よいか。結局、権六は織田家における相対的な地位の高さしか見えてないのじゃ。これまでも、そしてこれからも織田家筆頭家老であることしか頭にないのじゃ。要は、織田家は安泰と無条件に考えておるのじゃ。じゃが、その織田家の礎が揺らいでおるのじゃ。織田家をどうやって立て直し、織田家とどのような関係を構築するか。それをこそ、考えねばならぬ時じゃったのじゃ。権六はそこまで考えなかった。奴の本音を聞いて、余は内心、勝負あったと思ったわ。長浜”程度”であれば、いくらでも譲ってやる。いくらでも、取り戻す手立ては講じられるからの。それ以上、清州での会談において、余が主導権を握りえたことのほうがはるかに大きな戦果じゃ。もっとも、権六には余の鼻を明かしたと感じてもらわなければならぬ。実際、権六は懐刀である甥の佐久間玄蕃(盛政)を隣の部屋に控えさえ、もし余が権六の意向に従わない場合は差し違える覚悟でおったようじゃからの。じゃから余も”渋々”、柴田様の仰せのこと、ごもっともでございます。仰せのとおりにいたしましょう、と答えたわけじゃ。これをきいた権六は、さすがにご満悦であったわ。己の言い分がとおったわけじゃからの。じゃが、余もただでは渡さぬ。ちょいと、策を講じたのじゃ。」
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