新人魔導士と過保護な先輩

トキどき

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45.眠れない夜

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「―駄目だ。寝れない」

 ベッドに潜り込み、必死に目を閉じて体勢を変えること数回。
 昨夜の出来事が頭から離れず、どうにも眠気が襲ってこないユールは、諦めて瞼をあけた。

 子供じゃあるまいし、あのくらいで眠れなくなるとか、情けなさすぎる。

 そうは思うものの、ほんの数時間前の記憶はあまりにも鮮明で、感触までしっかり覚えているものだから、たちが悪い。

 窓の外にはまだ暗闇が広がっていたが、時計を見ると時刻はすでに明け方に入りかけていた。
 体を起こすと、自分の足元で丸まって眠る飼い猫アンバーが目に入る。

 いつもは自分用のベッドで眠っているのに、飼い主の様子が普段と違う事に気がついたのか、傍にいてくれたらしい。
 欲目かもしれないが、なかなかに飼い主想いの頭のいい猫だと思う。

 ユールはアンバーを起こさないよう上掛を少しだけめくり、足をそっと引き抜くとベッドから抜け出した。

 なるべく音が出ないよう気をつけながら寝室の扉を閉める。
 流石にこの時間だと不審者と間違えられそうなので、夜が明けたら走りに行こうと、体をほぐす為にリビングで入念にストレッチを始めた。

 仕事に行く前に、というより、リントに会う前に余計な邪念を少しでも振り払っておきたかった。

 身体を目覚めさせるための軽い伸びから、次第に動的な動きへと移行していく。
 振り払いたいと願いながらも、ユールの頭は再び昨夜の出来事を辿りはじめていた。



 酔ったリントを乗せた帰り道、ユールは獣舎に近い裏門から少し離れた場所で、ペガサスを止めた。
 今の状態を門番に見られるのは、自分の気持ちどうこうの前に、リントの沽券に関わる。
 深夜の空気は澄んでいて声をよく通すので、万が一にも他に聞かれぬよう彼女の肩を叩きながら耳元で囁いた。

「着いたよ」

 ユールの声に応じて顔をあげたリントは、先ほどより瞼が重たげに見える。
 きっとペガサスの振動が心地よかったのだろう。
 できることならこのまま寝かせてあげたいし、自分が抱えて運んであげたいところだが、どこで誰に会うかわからないので、そういうわけにもいかない。

 部屋には酔い覚ましの薬があるので、そこまではなんとか頑張ってもらわないと。

 ユールは自分の腰に回るリントの手をそっと解き、乗せた時と同じようにペガサスにもたせ掛ける。
 温もりが離れたことを寂しく感じているのは自分だけだろうなと思ったら、どうにもやるせなくなってしまった。
 先ほどまで耐えるのが辛いと嘆いていたのに、自分の身勝手さに嫌気がさす。

 ユールは先に降りると、手を添えてリントが降りるのを手伝った。

「歩ける?」

 リントは相変わらずにっこりと微笑み、頷く。
 声が伴わなくなったところを見ると、かなり酩酊してきているのかもしれない。
 門に到着したところで、彼女の頬が紅潮しているのに気づかれないよう自分の影に隠しながら、門番役の隊員に声をかけた。

「お疲れ様」
「おお。こんな時間に珍しいな」
「うん、ちょっとお使い。ペガサス戻したらすぐ帰るよ」

 隊員の視線がちらりとリントに向いたが、お互い軽く頭を下げるに留まる。
 そのまま門を抜けると、まっすぐ獣舎を目指した。
 申し訳ないけれど、ブラッシングは明日にして部屋へと急ぐ。
 いつものエスコートだとペガサスの二の舞になりそうで、ユールは手をつなぐことにした。

 リントが石段で躓かないよう、いつもより慎重に階段を上る。
 部屋までたどり着き、途中誰にも会わなかったことに、ひとまず安堵のため息を吐いた。

 部屋の扉を閉めた後、ユールは先にリントをソファまで導くと、座ったのを確認してから薬棚へ向かった。
 薬瓶の並ぶ飾り棚の鍵を開け、奥から片手に隠れてしまうほど小さな小瓶を1つ取り出す。

 鍵を閉め直して振り返ると、リントはソファに深く身を預け、すでに目がとろんとしていた。

 眠ってしまう前に飲ませなければ。

 ユールはリントの目の前に跪くと、蓋を開け、彼女の手に小瓶を持たせた。
 落とさないよう自分の両手で囲う。

「飲んで」
「?」

 不思議そうにこちらを見るリントに簡単に説明する。

「薬。酔い覚ましだよ」

 添えている自分の手でリントの唇まで瓶を誘導する。
 口元まで運んだ時、彼女の手がぴたりと止まった。
 眉間にしわを寄せ、すごく嫌そうな顔をしている。
 その表情を見て、ユールは思い出した。

 そうだった。
 酔い覚ましって苦いうえに匂いが強かったっけ―。

 酒に強いユールは自分で使ったことがないので、失念していた。
 リントは瓶ごとユールの手を押し返してくる。
 顔前までくると、確かに独特の薬臭さが鼻についた。

「まいったな…」

 昔、友人に頼まれて試したことはあるのだが、相性が悪いのか、単純に甘味のある材料を足しただけでは、却って苦みが増してひどい有様だったのを覚えている。
 
「リント、頼むから飲んで。じゃないと帰れない」

 思考が乱れているリントを連れての転移魔法は正直自信が無い。
 だからと言って、ここで一夜を過ごしてあることないこと噂されるのも御免だった。
 特に伯母の耳にでも入ったら、都合のいいように使われるのが目に見えている。

 懇願するユールに、彼女はまるで子供の様にそっぽを向いて唇をきつく結んだ。

 仕事仲間として相対しているユールにとって、すねるリントはとても新鮮だった。
 今、この状況に困っているのは自分なのに、そんな姿ですら愛おしいと思ってしまう。

 俺も、相当参ってるな。

 酒場でも、本当はもっとうまく立ち回れたはずだったのだ。
 なのに、知らない奴らに囲まれて楽しそうに笑っている彼女を見たら、体が勝手に動いていた。

 今だってそうだ。
 本当は、ずっと我慢してる。

 相変わらず顔を横に向けている彼女の瞼が、少しずつ下へ下へと落ちていく。
 とうとう身体まで傾き始めたのを見て、ユールは立ち上がると、瓶をリントの手から取り上げ、自ら口に含んだ。
 独特の苦みが口の中に広がるが、気にならない。
 自分のこれからの行動を思うと罪悪感の方がはるかに上回っていた。

『ごめん』と心の中で呟き、彼女の頬と首筋に手を這わせる。
 ふにゃりとした柔らかな下唇の感触を味わう余裕もなく、親指で押さえて口を開かせると、深く口づけた。
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