散華へのモラトリアム

第五章

空に咲く華 光は堕ちて 3

鷹羽氏は少しだけ探るような沈黙を持ったが、やがて口を開いた。 

『私はね』 

非常に穏やかで低い声だった。 
はっと聞いてしまう力のある声。 
『瑞華さん、貴女に関しては非常にみっともないことをしていると思っているんだ。 貴女にはもっと沢山の選択肢がある。選ぶだけの選択肢がね』
「……」 
柔らかく、自嘲を込めた言葉が繋がれる 
『もちろん、それでも私を心から選んで欲しいという気持ちはあるよ。そのためには手段は選ばない』 
「どういう意味ですか？」
『私が、少しも考えないと思うかい？若い女性が延期された婚約を前に逃げようと考えないかを』

含みのある言い方に、瑞華は眉を顰ひそめた。
何を言い出すのかと、胸をざわつかせながら、声だけは動揺を隠した。

「何をおっしゃってるのか、良く分かりま…」
『貴女が手に入らなければ、どうなってもいい。華屋などね』
「……」
突然の言葉に、言葉を失った。
瑞華にとって、もっとも重要なことに触れて、どうなってもいいと言われれば、心が凍り付くようだった。
鷹羽は低く笑った。
瑞華の顔がまるで見えているように。

『そう思って、色々手を回しているというわけだよ』
「そんなこと…なぜおっしゃるんですか？」
『なぜと思う？』

揶揄からかうような言葉に、瑞華は息を飲んだ。
なぜ。

それは瑞華に言い聞かせるためだ。
今、どんな立場にあるのか知らせて、覚悟を決めさせるため。
言外の言葉に気付けば、返事はなかった。

『君が誰のものか、よく理解したほうがいい』
「…」
『賢いお嬢さんであればいいと思っているよ』
猫撫で声を持って切られた電話に眩暈を感じた。

携帯を画面をただ見つめ、ぼんやりとしながら、しばらく時間が立ったような気がする。
ふと片手にもっていたビニール袋に、金魚が2匹泳いでいるのを見た。
持ちあげて見つめると、仲よさそうに泳いでいるような気がする。

何を心が思っているのか分からない。
少し前から自分から抜け出たそれは、今どこを彷徨っているのだろう。
でも、それもいい。
今の自分に帰って来たとしても、そこに幸福などない。
心がなければ、その方がいいのかもしれない。

黒と赤の2匹の様子をぼんやりと見つめていると、ふと目の前に人影が立った。

「大丈夫か？」
瑞華の様子に気遣うような声に、はっとして自分が戻っていくような気持ちになる。
目の前にいるはずもないその人の存在に、思わず見入ってしまった。