叛乱 結城合戦

壬生之力

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第一章

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ひかえよ 臣氏朝(うじとも)!流転の身なれど、父亡き後は、我が鎌倉公方なり。我の眼前にて上座に着するは不忠であろう。気に入らぬなら我の首を刎ね、仇敵義教に差し出すがよかろう。


結城合戦(ゆうきがっせん)



 叛乱に関して書き始めた時、その叛乱が時代に、またはあ、その後の時代に影響を与えたであろう叛乱をセレクトして書くつもりと述べた。

 結城合戦が与えた影響とは…身も蓋も無く云ってしまえば、そんなものは無い。名称も「結城の乱」でなく「結城合戦」である。範囲も概ね結城城での籠城戦に限られている。期間もたった一年である。規模では単なる局地戦に過ぎない。

 では、なぜ取り上げたのか?

 それは、カッコいいからである。


「結城合戦」は、永享十二年(一四四〇年)、下総国結城城(茨城県結城市)において城主・結城氏朝(うじとも)、嫡子・持朝(もちとも)が、足利幕府軍・上杉清方(きよかた)、今川範忠(のりただ)、小笠原政康を向こうに一年間の籠城を戦い抜いた。翌年嘉吉(かきつ)元年(1441)、奮戦虚しく結城城は落城、結城氏朝(享年四十歳)、持朝(享年二十一歳)父子は敗死した。
合戦の火種は三人の子供である。三人の子供とは、第四代鎌倉公方足利持氏の遺児・春王(はるおお)、安王(やすおお)、永寿王(えいじゅおお)である。

  では、なぜ三人の年端も行かぬ子供等が籠城戦の原因となったのか?

   原因を語る前に足利幕府について語ろうと思う。特に、幕府の職制を理解していただければよりわかりやすくなるとおもう。

   日本史のテキストライクな説明ではウンザリだろうから、ビジネスライクにやりたい。

 足利幕府株式会社は、建武三年(1336)に初代社長(将軍)足利尊氏によって、京都市で創業した。尊氏亡き後、嫡男・義詮(よしあきら)が2代目社長となった。

 足利幕府㈱が全国展開する以前の全国シェアNo1は、鎌倉幕府㈱だったが、過酷なシェア争いの末、足利幕府㈱が鎌倉幕府㈱を打倒した。

 鎌倉幕府㈱の本社があった神奈川県鎌倉市に足利幕府鎌倉本社(鎌倉府)を置き、関東東北の営業を統括させた。鎌倉本社と他の支社(例えば九州探題)とのちがいは、支社長は社員から選ばれるが、鎌倉本社長(鎌倉公方)は、京都本社長と同じく足利一族から選ばれた。

 初代鎌倉本社長は、初代社長足利尊氏の4男・足利基氏(もとうじ)がなり赴任世襲した。また、鎌倉本社長を補佐する専務取締役(関東管領)は、足利尊氏の実母の実家である上杉氏が赴任世襲した。

 当初から京都と鎌倉は競い合い、微妙な軋轢を含む関係だった。代を重ねると更に両社の亀裂は深くなった。

 その亀裂が回復不可能になったのは、足利義教の6代目京都本社長の就任だった。この就任劇がなんとも酷かった。候補は四人いたが、役員会を開いても全然まとまらない。

 読者の皆さんは、結局どのように決めたとお思いか?

 なんと、クジ引きだったのだ。

 リーダーとしての資質や経営者としてのセンスなどは最早、度外視だった。社長はお飾りにすぎなくなっていた。

 当時の鎌倉本社長は、四代目足利持氏に代替わりしていた。この男持氏、現実逃避と優柔不断が専売特許だった足利の男子(ボンボン育ち)にしては、野心と覇気があり過ぎた。

 あろうことか、京都本社長の地位を狙った。足利一族とはいえ傍系、しかも、代替わりを重ねて血はかなり薄くなっている。当然、野心は叶えられる筈もなかった。

 なら大人しくしてれば良いものを持氏は、京都本社の意向や命令に反発を繰り返した。

 例えば、書類記載時に使う日付の年号を鎌倉本社独自の年号にしてしまった。現代でいえば、大阪府だけが令和を使わず平成を使い続けるようなものだ。

 それ以外にも、嫡男「義久」の成人式(元服)の時、京都本社長義教の顔に泥を塗った。

 上流社会の男子の成人式では上位者(この場合は京都本社長足利義教)に敬意を示す意味で名の一字を上部に戴くのが通例である。これを偏諱(へんい)と呼ぶ。通常なら「義久」ではなく「教久」もしくは「教氏」となるはずだった。

 このままでは京都本社と鎌倉本社の関係が完全に壊れていまう。なんとか融和させなければと考えた鎌倉本社の大番頭(関東管領)上杉憲実(のりざね)は持氏に諫言し丸く収めようと苦慮した。


 ところが、持氏としては、「憲実の野郎、俺の部下でありながら何かと京都の肩ばかり持ちやがって…。いっそのこと追放しちまうか」

 そんな上司の心理は、必ず部下に伝わる。憲実は、危機感を募らせ、実家のある群馬県に引き籠もった。

 永享十年(1438)、怒った持氏は大人数で群馬県まで押しかけ、上杉憲実に退陣を迫った。事ここに至っては憲実も覚悟を決めた。上司と真っ向から敵対したのであった。ただ、巧妙な憲実は独力で敵対せず、京都本社長足利義教を渦中に巻き込むのに成功した。

 日頃から持氏を苦々しく思っていた足利義教にとって上杉憲実のオファーはまさに渡りに船。京都から大人数を鎌倉に繰り出した。

 こうなると強気な持氏と云えども如何ともしがたくお手上げとなった。謹慎していた持氏、義久父子は自殺に追い込まれた。義久以外の男子三人・春王、安王、永寿王は近習に付き添われ逃亡、流浪した。そして、最後に辿り着いたのが、

 結城城だった。


 これが世にいう「永享の乱」である。以後、豊臣秀吉の小田原征伐までの約百五十年の間、関東は争乱の巷と化す。いわば、関東は応仁の乱を待たず戦国時代に突入した。

 筆者が、なぜ結城合戦が、いや、結城氏朝父子がカッコいいとおもうのか?、好きなのか?

 一言で言えば、滅びの美学に尽きる。

 結城氏朝は、わかっていたはずである。弱体しているとは云えども足利幕府の号令により攻寄せる天下の旗幟を打ち破るなど不可能であると… それでも、できなかった。懐に飛び込んできた窮鳥を見殺しに。

 まして、長兄の春王は十三歳、次弟安王は九歳、末弟の永寿王はわずか五歳であった。

 父・鎌倉公方足利持氏が存命ならば「奇貨居くべし」との考えもあるが、持氏は自刃、鎌倉府は滅亡してしまっている。三人の遺児を戴いて戦うメリットなど何一つ無い。

 これは私見に過ぎないが、結城の血には、もしくは、坂東武者の血には、中央政権に対する拭い難い不信と嫌悪が流れているのかもしれない。京vs関東は、古代、将門、頼朝以来の宿命なのだ。

 室町時代は混沌(カオス)の時代である。社会に存在する対立軸が多数、且つ、複雑である。それは室町幕府成立からの業病である。

 足利尊氏は、南朝(後醍醐天皇派)との泥沼の抗争に明け暮れ、平行して、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)(実弟・足利直義〈ただよし〉と甥・足利直冬〈ただふゆ〉との身内のケンカ)を闘う羽目になった。

 ちなみに直冬は名目上、直義の子となっているが、実際は尊氏が外で産ませた男子である。御台所・登子に遠慮し嫡出子にできなかったのだが、身の上を哀れんだ実弟・足利直義が養子とした。直冬は直義に深い恩義を感じ、観応の擾乱では直義側に加担し、実父尊氏と戦い抜いた。

 前記の創成期戦乱を戦い抜くため幕府(足利尊氏)は、配下の守護大名に対してゴマをすらなければならない。つまり、広大な領地を奮発しなければならなかった。二国以上の国持守護大名などザラだった。特に、三管領四職(さんかんれいししき)に至っては、合算すれば、主家足利家よりも多い所領となる始末であった。

 三管領四職とは、足利幕府の政務を総理する内閣といえばわかりやすい。皆が足利氏の血縁や譜代の家臣である。

 三管領は、細川氏、畠山氏、斯波氏の三家。総理大臣(管領)となれる家柄。

 四職は、山名氏 赤松氏、京極氏、一色氏の四家。国務大臣(侍所頭人)になれる家柄。

 三管領四職を始めとする全国の守護大名が経済力と兵力を持ち、好き放題をし始め、幕府の統制が効かなくなっていく。そのプロセスが室町時代と云える。

 その点同じ幕府の始祖、徳川家康は実に巧妙であったと云える。勉強家の家康は、室町幕府の弱点を見抜いていたにちがいない。徳川幕府の組織設計を観ればそれがわかる。

 徳川幕府下の大大名は、加賀前田家、薩摩島津家、仙台伊達家、長州毛利家、筑前黒田家、肥後細川家、全て外様大名である。

 外様大名に不満が生まれないよう広い領地を与えている。しかし、彼等を幕政に決して参画させない。一方、老中以下の幕閣の要職には、最高でも三十万石(彦根井伊家)、概ね十万石規模の譜代大名にしか参与させない。勢力と権力を分離したのだ。

 さすが狸ジジィは大したものである。


 さて話が横道にそれた

結城合戦の物語を始めよう。


永享十二年(1440)二月 結城

結城城内客殿


 結城氏の主だった眷属と家臣が、十一代当主氏朝の召集に応じて集まった。氏朝を囲んで嫡子持朝、氏朝の弟久朝、同じく山川氏義、一門衆の小山広朝、水谷時氏、重臣の家老長沼秀宗、梁田修理、黒田将監。

 皆が苦渋を呑んだ顔をしてるのは、三人の御曹司の受け入れを召集令とともに報せてあるからだ

 氏朝が観るところ、最も不満気なのは家老長沼秀宗だった。小豪国人が乱立する関東において、常に冷静な判断で結城の舵取りしてきた家老にすれば、氏朝の判断は自殺行為に等しいと思えただろう。案の定、秀宗が口火を切った。

「殿にはどのような御成算がお有りか承りたい」

 いい加減な物言いでは許さぬとの鋭い舌峰だった。

「成算など有りはしない。だが、年端もいかぬ子供に何の科があると云うのだ。まして、今回の騒動は鎌倉公方と関東管領の争いに将軍が無理矢理乗っかってきただけではないか。関東の仕置は関東が決める。それが鎌倉府開闢以来の御法である」

「なんと青臭い…理屈はそうではありますが、理屈で御家は保てません」

「青臭いだと…秀宗ッ、そちは儂(わし)に説教するか」

「兄上落ち着かれよ。秀宗とて主家大事ゆえなのだ。他意はない」

 片膝立ちした氏朝を押し留めたのは、次弟久朝だった。

「取りあえず御曹司にお会いになられては… 我等が命を懸けて戦うに値する若者であるならばそれで良し、さもなくば…、それも宜なるかな。 兄者、いかがですか」

 三弟山川氏義が口を添えて来た。利に敏い氏義らしい意見であったが、諸将が居並ぶ全体評定の場で云うべきではなかった。「叔父上、少々言葉が過ぎましょう… いざとなれば御曹司を取引材料にせよ申されるか!」

 普段は無口で大人しい嫡男持朝が氏義に噛みついた。持朝のあまりの剣幕に座が水を打ったようになり、更に座の空気が冷えてしまった。もう誰もが口を噤んでしまった。

 長沼秀宗が、持朝の方にいずまいを正して云った。

「若殿よ、若殿はいずれ結城の頭領になるお方じゃ。頭領の務めとはただ一つ、家を保ち発展させること。天下に義の旗を掲げることではありません」

 秀宗は次代持朝への諌めに仮託して、当代氏朝に諫言しているのだと氏朝は理解できた。

「まずは御曹司に対面しようではないか。話はその後にしようではないか」

「されど父上…」


「まぁ、待て、持朝。戴くに値せぬ時であっても取引材料になどせぬ。然るべき落ち着きを見つけ伴を附けておくりだすでな」

 氏朝は諸将を見渡した後、

「本日の評定はこれにて」

 氏朝の宣言に一同は平伏した。


 入城


 鬼怒川の流れを引き込み外堀とし、掘った土は丈々と積み上げられ土塁を築いている。城内の曲輪は内堀で分割され各々が橋で結ばれている。橋を落とせば、曲輪ひとつひとつが独立した防塁となる仕組みだ。

 結城城を見下ろせる丘陵にようやく一行は着いた。今朝早くに日光二荒山を出立したが、幼子の安王と永寿を連れ、小笠原政康の目を掻い潜ったので思いの外、到着が遅くなった。

「結城の城は、平城ながら堅固な造りになっておるな。五郎、如何観る?」

 十三歳になった足利春王が、傅(めのと・高貴な家の子弟の守役)の湯浅五郎に問うた。

 鎌倉を追われて関東を流浪している間に春王様は随分と大人びたと五郎は思った。

「結城殿は、名将の誉れ高い田原の藤太藤原秀郷公の裔にして関東八屋形の一家でござる。この地を治めて長きに渡っておりまする。前の上様からの御恩も一方ならぬと存じまする。必ずや御曹司の力になると存じます」

 先乗りし一行の受け入れの約定を取ってはあった。しかし、当主結城氏朝が心変わりし、三人の御曹司を絡め捕り、関東管領上杉清方に差し出す可能性も少なからずあると五郎は思った。

「天涯に身を置く処なき我らじゃ、そうなれば、武士らしい最期を選ぼうぞ」

 五郎の胸の内を忖度したように春王が凛とした口調で言った。

「兄上、安王は腹が空きました。早く参りましょう。結城は首を長くして待ってますよ」

「永寿もお腹、空いた」

 まだ九歳の安王と五歳の永寿は、城に向かって今にも駆け出しそうであった。

「五郎、三郎、持光、さぁ参ろうぞ」

 安王の傅の田中三郎が安王の手を引き、信濃から永寿に付き従ってきた大井持光が永寿を背負った。五郎は辺りに目を配りながら春王に続いて丘を降った。



対面


 春王は想像していたより大人になっていると氏朝は驚いた。

 少年の面影は消え失せ、最早、凛々しい青年の面構えだった。ただ、凛々しさの内に長い流浪生活の澱(よど)みを感じた。この澱みをこやしに身を立てるか、はたまた、澱みのまま身の破滅とするか、どちらであろうかと束の間思案した。

「春王君(ぎみ)、大きゅう成られた。わしが見知っているそなたはまだほんの子供であったぞ。儂を憶えておるか」

 氏朝が鎌倉府に出仕していた時分、御所内庭でお付きの女房達と鞠遊びに興じている春王を何度か見かけた。あの無邪気に遊ぶ童がこのように仕儀に…。時が過ぎるとは残酷なものだと感じた。

 三人の貴人は、同じ浅黄色の水干を身に着け、春王のみが脇差を佩いている。上座に座る氏朝の眼前に兄弟は横一列に着座し、湯浅五郎、田中三郎、大井持光等が背後に控えている。そして、その周りに結城の一族郎党が着座している。

「この度は格別のご厚情を以て我等の入城をお許しいただき誠にありがとうござりまする。幼き弟達は無理ではありますが、この春王は太刀を持って戦い、亡父持氏の無念を晴らしとうございます。何卒、引廻しの程よろしくお願いいたしまする」

 三兄弟は揃って平伏した。

「ご立派な口上、痛み入る。ただ、御曹司たちの望み…だがな、結城は尽力するかどうか決めかねておるのじゃよ」

「それはもう決まったのでは…ご尽力いただける前提の入城ではなかったのか」

 自分の顔、いや全身の血の気が失われていく錯覚を春王は覚えた。〈春王、しっかりせねば…ここが踏ん張りどこぞ〉渾身の気を込めて言葉を継いだ。

「ここに至っては頼りは結城のみ…、幼き弟達も流浪暮らしが既に限界になっております。何卒、なにとぞ」

「貧すれば鈍するとは真じゃの。貴種も儂達と同じ人なのだのぉ」

 侮蔑に近い視線が四方八方から兄弟に注がれた。

 春王の内で何かが弾けた。年来の鬱屈と屈辱だったのかもしれない。仁王立ちし、この世の隅々にまで届くかのように獅子吼(ししく)した。

「ひかえよ 臣氏朝!流転の身なれど、父亡き後は、我が鎌倉公方なり。我の眼前にて上座に着するは不忠であろう。気に入らぬなら我の首を刎ね、仇敵義教に差し出すがよかろう」

 あまりのことに一堂呆気に取られた。背後の五郎達も兄弟も春王を見上げたままピクリとも動かない、いや、動けなかった。

 ところが、凍りついた座の内、一人だけにこやかに微笑む者がいた。誰あろう罵声を浴びた張本人、氏朝であった。

「見事なり!それでこそ天晴なる武士(もののふ)ぞ。さっさっ、これへ、一の御曹司。二の御曹司も三の御曹司も」

 氏朝は上座から降り、上座を三兄弟に譲った。

「御無礼申し上げお赦しくださいませ。不躾ながら御曹司の御覚悟と御器量を検分させていただきました。誠に天晴なお覚悟と御器量、氏朝、感服仕りました。御曹司のため粉骨砕身の槍働きをお見せ致します」

 氏朝は、春王の前に平伏し、臣従の意を表した。結城の頭領が心服した以上、一族家臣に嫌も応うもない。

「氏朝殿、春王様をお試しになられたのか。それこそ無礼あろう」

 湯浅五郎が氏朝にくってかかった。

「五郎、止めよ。この度の仕儀、結城家の未来を左右する決断よ。愚か者を戴いて戦うは武将の本意に非ず。だな、氏朝殿」

「御意」

 と答えると、直ぐ様立ち上がり、

「断は下した。幕府相手の大勝負じゃ。小山、佐竹、宇都宮の諸将に援軍の使者を飛ばせ!」

 ついで、持朝の下知が飛ぶ。

「城内に兵糧を運び込め!武器もかき集めよ。城の防備を固めろ」

 一同の者も、

「オー 戦に決したぞー」

「公方様の御子を戴いて、上杉の奴ばらとの大戦、腕がなるのう」

「正義は我等に有りぞ。上方の腰抜けどもに関東武士の槍の妙味、特と味あわせてやる」

 などと口々に壮語し、客殿を後にしていった。

「ところで、氏朝殿にお尋ねしたき事がありまする」

 氏朝と持朝、三兄弟とそれぞれの傅だけになったのを見計らって春王が問うた。

「何なりと」

「もし、わたしに覚悟も無く器量も無かったらいかがいたしたか、おうかがいしておきたい」

 氏朝はそれには答えず、三の御曹司を手招きした。永寿は二人の兄と持光の顔を窺った。春王が小さく頷くと上座から降り、氏朝の前にチョコンと座った。

「永寿君には辛い日々であったろうな。なにが一番辛かった?」

 空を仰ぎ、少し考えた後、

「お腹が空いたこと…」

「こら、永寿、口を慎め」

 二の御曹司安王が叱った。

「アハハハッ!そうか、おなかが空いたのが一番つらかったか。さもありなん」

 粥の仕度をせよと奥に申し付けた氏朝が、三兄弟にふり返り、

「先程の問の答えを申そう。覚悟も器量もなければ、春王君の首を刎ね関東管領に指しだしたであろうな。その代わり、二の御曹司と三の御曹司は、然るべき筋を通じて追手のかからぬ土地ヘお移した。覚悟も器量もない兄上では弟達の身の上も危ういでな 

 その言葉に五郎は気色ばんだが、春王はそれを制した。

「申されること一々尤もです」

「そなた達のうち一人でも生き残り、もし、鎌倉公方家を再興できたなら、空腹の辛さを忘れぬようにせよ。民草を飢えさせぬ政事(まつりごと)ができたならこの関東は京都に負けぬ繁栄を実現できるぞ」

春王殿、われら生まれ育ちは違えども、死するは同じ時、同じ場所。この竹林で誓いし限りは七生の友垣(ともがき)ぞ。爾(なんじ)が劉備玄徳たりえば、我、結城持朝は関羽雲長ならん。
 

永亨十二年(一四四〇)二月 結城城内 氏朝の寝所

 内陸の結城は、海沿いの平や日立より寒さが厳しい。その分、大気は澄み、日光颪(おろし)が雲を飛ばし、月は蒼々と美しい宵であった。いつもより早く寝所に籠り月を眺めながら氏朝は人を待っていた。普段ならば火桶など使わぬが今宵は特別な思いがあり用意させた。
 庭に現れた人影は音もなく縁に畏まった。
「お召により長沼秀宗、罷り越しました」
「秀宗、庭から来て欲しいなどと無礼を申しかたじけないの。さっ早う中に入れ、入れ、火桶を用意してあるでな」
「昼間は家老とは云え殿にあのような雑言を吐きましたことお詫び申し上げます」
 昼間の評定の言い争いを気にしているのか、縁から上がってこない。
「お互い結城を思ってのこと。儂はお前の忠義を疑ったりはしない」
「ありがたき幸せ、嬉しく思います」
 縁に座った秀宗が平伏した。
「なら早く上がれ…寒くて叶わん」
「ならばご無礼つかまつる」
 座敷に上がり、引戸を閉めた秀宗がその場で再度平伏した。
「火桶をつかえ」
 火箸で炭を換え組み赤火を起こし、氏朝は秀宗の傍らに火桶を押し遣った。
「お前を呼んだは、格別の用向きを頼みたいからじゃ」
 秀宗は、特段驚いた様子もなく静かに聴いている。
 日光颪の哭くような音と炭が爆ぜる音がしばし辺りを包んだ。
「どのような御下知でも何也とお申し付けくださいませ」
 口を開かぬ氏朝の内心を察して、秀宗が先に口を開いた。
「うっうん… そうだ、酒でも持ってこさせよう。まずは呑もう」
 ビシッと音立てて扇子で床を叩いた。
「殿は幼き頃よりたまさか優柔不断な質がござる。御大将がそれでは困り申す。はっきり為されよ、さもなければ拙者は帰らせていただく」
 それでもまだ決しかね逡巡していた氏朝だったが、意を決して、
「ならば云うぞ」
 氏朝は立ち上がり、威儀を改めた。秀宗は頭を下げ命を待った。
「長沼備前守秀宗に申し付ける。本日ただいまより、結城家家老職を解き、当家追放に処する。速やかに退転すべし」
 さすがに驚きは隠せぬ様子の秀宗だったが、それでも努めて冷静な口調で、
「解せませぬ。如何なる理由で…、昼の無礼はお赦しくださったのでは…殿、なぜ…、得心がゆきませぬ。理由をお聞かせ下さいませ」
 茵(しとね)に一旦座った氏朝がくるりと秀宗に背を向けた。
「末子の四郎、連れで行ってぐれ…秀兄ィ」
 氏朝の肩が小刻みに震えていた。 
 束の間の無言のあと、秀宗が絞り出すような声で
「エッ…まさか……七郎、おめぇ…」
 氏朝は幼い頃、隣国下野国(栃木県)の小山家から養嗣子として結城家に入った。元服前でまだ七郎と名乗っていた頃だ。嗣子とは云え、他家から来た身には心細い限りであった。そんな氏朝の傅に選ばれたのが秀宗であった。
 秀宗は陰日向無く氏朝を庇い導いてくれた。十を越えたばかりの氏朝にとって九つ違いの秀宗は、まさに慈兄であった。元服後には、武将の気構えや政事の要諦を教え諭された。
「鎌倉以来十二代続いた結城を断絶させらねだぁ。おめさんには苦労がげるがもしれねえが、四郎担いでいづが結城を再興してぐれ。そんだがら、いまは逃げでぐれ」
 震えている氏朝の肩を力で抑え込み、自らの方に向きを変えさせ、いつかの教え諭すかのような口調で秀宗は云った。
「おめがそごまで考えでだが、なら、もうなにも云うごどはねえ、四郎は必ずや結城の頭領すっから 七郎…安心して死ね」
 床に両手をついたまま氏朝が、
「秀兄ぃ。多賀谷氏家(たがやうじいえ)を形ばがしの討手に差し向げるっぺよ。あいづも切れ者だがらかならず頼りになるはずだっぺ」
「けんど、氏家は納得づぐが?」
「心配すんな。あいづは頭がいい男だよ。秀兄ィが四郎連れで逃げだ、討手になれど云えば全で察する。でーじょーぶだ」
 天を仰ぎ大きく息を吸い込み、そして、ゆっくり吐いた後、秀宗は深々と平伏し、頭を伏したまま、
「この長沼秀宗、命に替えましても四郎様をお守りし、結城の社稷を必ずや再興してみせましょうぞ。殿、ご照覧あれ。では、これにて、おさらばでございます。武運長久をお祈り申し上げます」
 と云い、入って来たのと同じように音もたてず辞去した。
 翌朝、長沼備前守秀宗は一族と氏朝の四男、三歳の四郎を連れて結城城から逐電した。
 城内では家老の逐電を、しかも、主君の末子を人質にしての逐電を詰(なじ)る空気で満たされた。
 氏朝の激怒は怒髪天を衝く有様で、直ぐさま、氏朝の腹心である多賀谷氏家が討手の命を受けた。家臣城兵衆視の中、氏朝は多賀谷氏家に厳命した。
「秀宗の首級を取るまで結城の地を踏むこと能わず。秀宗を地の果てまでも追いつめ、かならずや奴の首を我が面前に供せよ。よっっく分かったな、氏家…、よーくだぞ…わかったならば行け」
 探るような眼つきで氏朝を見上げていた氏家は、突然、顔を歪め地べたに平伏した。
「承りましてございます。殿の御命令必ずや守りまして全う…いたします。ウウッ」
 氏家は堪らず嗚咽がでた。が一息だけ点くと、
「では、この場より直ぐ逆臣秀宗を追いかけまする。殿、これにて御免」
 立ち上がった多賀谷氏家の表情はいつもの聡明さを取り戻していた。
 
 
竹林の誓い
 
 結城は豊穣の地であった。関東平野の北辺に位置し、北関東一の大河である鬼怒川とその支流の田川流域に立地している。故に農耕には好立地と云えた。
 鬼怒川は、またの名を絹川(衣川)とも表す。普段の穏やか流れは絹布が如く滑らかであるが、一度荒れ狂うと文字通り「怒れる鬼」の形相を見せる。日光連山を躍り出た急流が、一気に関東平野に流れ込む、当に怒れる鬼の所業であったろう。しかし、洪水が運んできた肥沃な土壌が結城を豊穣の地とした。エジプトならぬ結城は鬼怒の賜物であった。
 鬼怒川は、古代、「毛野川」と書いた。北関東一帯は古代豪族「毛野氏」の治める地であった。旧国名の上野(こうず毛)下野(しもつ毛)はその名残である。現在の表記である「鬼怒川」になったのは、意外にも明治九年からである。今は利根川に合流している鬼怒川であるが、江戸時代初期の開削工事までは現在の香取辺りで太平洋に流入する独立水系であった。
 農耕だけでなく、結城は奈良時代からすでに養蚕が盛んで、絹布の一大産地であった。鬼怒川を流通路として関東は云うに及ばず、室町期の商業経済の萌芽(ほうが)と相俟(あいま)って、諸国に広がり、後世の「結城紬」の基となった。
 この豊かさが、結城氏の長い繁栄の根幹であり、氏朝の今回の決断の後ろ楯になったのかもしれない。
 結城の若殿である結城持朝は兵糧や武具の調達に多忙を極める毎日を送っていた。
 城兵凡そ一万人が一年間の籠城戦を戦い抜く為に必要な兵糧は、米だけでも一万八千石(約三百万リットル)である。幸いにも収穫後の如月(二月)、結城には有り余る程の米がある。 持朝の頭を悩ましていたのは武具、中でも矢の不足が深刻であった。刀剣と違い矢は消耗品であり、まして、接近戦になる野戦と違い、この度の戦は籠城戦である。矢数は勝敗の帰趨を決める。
 もちろん、武家の居城結城城だ。相応の矢数の備えはあるにはあるが、天下の兵を向こうにして援軍どころか補給路もままならない戦である。できるだけ長く籠城し、諸方の大名小名を調略し、一大勢力を築き上げる。唯一無二の結城が生き残る道であると持朝は考えている。
 そのためには城内の備蓄を最高域まで高めねばならない。
 関東中に放った乱波(らっぱ)共の報告では、関東管領上杉清方軍は鎌倉に集結、駿河守護今川範忠は駿府を発した。信濃守護小笠原政康は上州厩橋城(前橋)に入城した。来月には結城に乱入するは必定であった。
「者共急げ!矢竹を切り集めよ。敵はもう直ぐそこぞ」
 竹を刈る手を動かしながら呪文のように唱え続ける持朝に用人の丸安賀衛(まるやすよしえ)が、
「若殿、十人や二十人じゃ丸一日かけても埒があきませぬぞ。もっと人を掻き集めねば…」
「お前に云われずともわかっている。だが、皆、其々持ち場があって人が割けぬ。アッ、痛っ…、お前が余計な口を叩くで竹のささくれが指に刺さったではないか」
「ならば、百姓達を雇いましょう。ならば、千や二千はあっと云う間ですぞ」
「それは出来ん」
「何故でございますか」
 折角思いついた妙案を足下に否定された賀衛が不服気に持朝に振り返った。
「よいか、今にも敵が攻め寄せて来るかも知れないこの時、百姓を入城させられない。万が一の事態になれば来年の作柄に影響が出る」
「エッ…しかし…来年の作柄よりこの結城が生き残らなければ来年の作柄など意味がないのでは…」
 竹を切っていた手を止めた持朝が、
「皆の者もよく聞け」
 いつになく厳しい持朝の口調に他の郎党達も手を止め、片膝を着いてかしこまった。
「結城がなぜ十二代の長きに渡ってこの地に割拠しえたかわかるか?」
 各々顔を見合わせているばかりで答えは無かった。
「それはな…結城の地が繁栄し続けたからだ。なら結城の繁栄とは何か。結城は水利に恵まれ作物の実りもよく、古来より蚕を養い布を織り諸国に売り捌く。そんな民の不断の生業(なりわい)こそが結城の繁栄の源ぞ。我等結城一族はその根源の上に乗っておるのだ。もし万が一、此度の戦で結城氏が滅んだとしてもだ、結城の繁栄がある限り必ずや我等は再興できるのだ」
 畏まっていた郎党達は、地面に突っ伏して嗚咽を洩らす者、中には号泣する者もいた。

 今日刈取った矢竹を荷車に載せ郎党達が城に帰って行くのを見送りながら、持朝は明日刈取る竹林を思案していた。
 辺りは夕の赭と宵の墨が混然となり奇妙な安堵感を持朝に与えた。その安堵は、夕景に薄っすらと輪郭を浮かべる結城城が、すでに実体のない幻影に見える程甘美な安堵だった。〈だめだ、だめだ…、次期当主の俺が弱気になってどうする。さっきの能書きはなんだったんだ。しっかりせい、七郎…〉
 己を叱咤した持朝は、薄暮の中に皓い影があるのに気づいた。その影はゆっくりとこちらに近づいてくる。
「このようなところでお独りとは少々不用心ですよ。若殿」
 藍白の水干を身に纏い、芦毛に騎乗した春王が笑って云った。湯浅五郎を伴にし馬上に手綱を締める春王は、もはや源氏の若武者の気品があった。
 春王の佇まいは、貴種のそれであり、一朝一夕に身につくものではないと持朝は感じ入った。
「御曹司こそ不用心な。結城領内ならまず安心とは思うが、管領方の刺客が潜んでいるかもしれない」
「拙者が早駆けの稽古にお誘いしたのだ。勝手に城外に出たのは私の無分別、誠に相済まぬ」
 すぐさま五郎が云った。
「何を云う。私が無理を云い早駆けの稽古に誘い出したのです。五郎は悪くはない」
 二人とも思い詰めた口調でお互いを庇い合う。
 庇い合う春王と五郎主従は、実の兄弟のようであった。鎌倉を逃亡して以来、主従の垣根を超え兄弟のようにして辛酸を耐え忍んだのだろう。
「あいや、これはこまったな。私は咎めているのではない。お二人して謝られては私も立つ瀬がないわ。アハハ…こまったな…御曹司も五郎殿も笑ってくれよ」
 「フッ、フフ、アハ、アハハ…若殿の仰せじゃ、五郎!笑え笑え」
 十三歳の子供の屈託の無さで春王が笑う。常に能面の如き五郎さえも破顔していく。
「ところで、先程の若殿のお言葉には感じ入りました。若殿を領主に仰げるとは結城の民は果報者ですね」
 春王は芦毛から降り、首紐を五郎に預けた。
「聞いておられたのか、いやお恥ずかしい」
「恥ずかしいのは我等足利一門です。京の将軍家も鎌倉公方家も権力に固執した結果、畿内も関東、いや、全国津々浦々まで戦乱を広げてしまった。もし、私が生き残れたならば、この国を…無理ならば、せめてこの関東だけでも戦のない地にしたいものです。その時は必ずやご助力下さいませ。どうか何卒、持朝殿」
 持朝を見上げる春王の両の眼から涙が伝い流れた。
 戦乱の中で木葉のように流されて行く我が身の不甲斐なさなのか、それとも、関東を統べる責務有る家に生まれながら責務を全うできない不甲斐なさの表れなのか…
 戦乱の時代、権謀術数にのみに明け暮れる為政者が、とうに忘れてしまっている真っ直ぐなもの「高貴さは義務を強制する」を春王の涙に見た気がした。
「春王殿、われら生まれ育ちは違えども、死するは同じ時、同じ場所。この竹林で誓いし限りは七生の友垣(ともがき)ぞ。爾(なんじ)が劉備玄徳たりえば、我、結城持朝は関羽雲長ならん」
 これまで主君を持つなど露ほども考えてなかった持朝だったが、春王が主君ならば死に甲斐もあるなと思えた。
「御曹司、男子が人前で涙など見せてはなりませぬ。それに持朝殿、あと一人足りませぬ」
 五郎がボソリと云う。
 涙を水干の袖で無造作に拭い、高らかに春王は言い放った。
「張飛翼徳は、もちろん五郎おまえだよ」

    
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