柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 16】

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(なにか言わなければ……)

 そう思えば思うほど、言葉は頭の中で暴れ回るだけで、喉元から出てこようとしない。
 緊張のためか鼻先が乾き、肉球のあいだにはじっとりと汗を掻いていた。
 しかし、こんなことではいかん。
 いやしくも、吾輩は誉れ高き日本男犬である。
 彼女のほうから誘われながら、言葉のひとつもかけられないようでは、柴犬としての誇りを失うというものだ。
 吾輩は勇気をふり絞る。

「ルーシー。君から誘いを受けるなんて、ボクは感激だよ」
「だって私は、あなたが……」

 ルーシーが見つめてくる。

「ボクもだよ、ルーシー。君を初めてみたときから、ボクは君が好きだった……」
「うれしいわ、ゴン太さん」
「ルーシー」

 見つめ合うふたり。
 ――と、妄想の中では上手くいく。
 だが、現実はと言うと、そうはいかない。

「ルーシー。君から誘いを受けるなんて、ボクは感激だよ」
 
 それを言葉にしようとするだけで、息がつまり、呼吸は荒れ、口までが渇いてきた。
 我ながらに情けない限りである。
 吾輩は嘆きになげく。
 と、

「ゴン太さんて、寡黙なのね」
 
 ルーシーのほうから声をかけてきた。

「え、いや、その……」

 そう返すのが精一杯であった。

「でも私、そういうゴン太さんて、嫌いじゃないですよ」

 ガガ、ガ、ピョーン!

 ストレート・パンチをもろに受けて、吾輩は天国へと舞い上がった。

(こ、これは、夢かうつつか……)

 ほっぺたをつねろうと試みても、できるはずもない。
 それならば、と吾輩は、桜の樹の幹に頭突きを食らわした。
 とたんに、銀河が眼の前に広がった。

「やだ、ゴン太さん、大丈夫!」

 ルーシーの声が、一瞬遠くに聴こえた。

「あ、大丈夫、大丈夫」

 と言いつつも脚元がふらつく。
 水星や金星や木星や天王星が、頭の周りをくるくると回っている。
 あまりにも強くぶつかり過ぎた。
 現実とは痛いものである。
 どうやら吾輩の頭には、大きなコブができたようだ。
 それでも、夢ではなかったのだから名誉のコブである。

「とつぜん、桜の樹に頭をぶつけていくんだもの、びっくりしたわ」

 ルーシーが、心配そうに吾輩を見つめる。

「吾輩は、こうやって頭を鍛えているんだ」

(って、なんでやねん!)

 と、吾輩は胸の中で、自分にツッコミを入れた。

「ゴン太さんて、冗談も言うのね。可笑しい」

 ルーシーはクスクスと笑っている。

「こう見えて、吾輩はお笑いが好きなんだ」
「まあ、お笑い好きの犬なんて、面白い。あとはなにが好きなの?」

 それは君さ、とは言えない。

「ヒップ・ホップを踊ることかな」
「ほんと? すごいじゃない。ゴン太さんのヒップ・ホップ、見てみたいわ」
「披露したいけど、踊るには、ちょっと頭を強くぶつけすぎたみたいだ」

 実は見せるほどの自信がない。

「あ、そうよね。それなら、無理になんて言わないわ。でも、ほんとうに大丈夫なの? ゴンッ! て、すごい音がしたわよ」
「平気さ。吾輩は『ゴンッ!』太、だからね」
「またそんな冗談。ゴン太さんて、ほんとに可笑しい」

 ルーシーは、また笑った。
その笑顔が眩しすぎる。

「そうかな」

 吾輩が人間ならば、頭を掻くところだ。

「ええ、とっても。それに、自分のことを『吾輩は』って言うところも、変わっていて面白いわ。変な意味じゃないのよ。なんて言うのかしら。ある意味、個性的って感じがして、私は好きよ、そういうの」

(ワオォーン!)

 吾輩は夢見心地であった。
 心は、桜の花びらと一緒に舞い踊った。
 どんなにサラに止められようとも、『吾輩は』と言いつづけることをここに誓おう。
 漱石先生、ごめんなさい。
 ふたりの恋の成就のためです。
 どうか許してください。
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