柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 33】

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 季節は雨季に入った。
 その日も朝から雨で、吾輩の心も憂鬱(ゆううつ)である。
 この雨はもう3日も降りつづいているので、憂鬱な心は、ブルーを通り越してダークになってしまった。
 犬小屋の屋根からは、相変わらず雨のしずくが滴り落ちてくる。
 いったい、いつになったら補修してくれるつもりなのか。
 これも、ペット虐待のひとつではないのかと思う今日この頃である。
 日頃から退屈の日々だというのに、こう雨がつづいてはたまったものではない。
 ただただ、雨にぬかるむ地面を眺めていると、無性に腹が立ってくる。
 このまま、いつまでも雨が降りつづけばいい。

(荒川が氾濫(はんらん)し、すべてを呑みこんでしまえばいいのだ……)

 などと毒づいてみてるが、ほんとうにそうなったら恐いので、すぐに訂正する。

(早くやんでくれないものか……)

 吾輩はやることがないので、犬小屋の中で身体をごろごろさせる。
 と、そこへ、庭先のほうから、緑色をした小さな生き物が、ぴょんぴょんと跳ねてやってきた。
 吾輩は小首を傾げてそいつを見る。
 蛙であった。
 雨の降るこの時季になると、たまに見かける生き物だ。
 それにしても小さく、きれいな緑色をしている。
 吾輩は、その蛙をジッと見つめる。
 そいつは、犬小屋の前まで来ると、一瞬、小さな身体をビクンとさせて、ゆっくりとこっちを見た。
 くりんとした愛着のある眼で吾輩を見つめると、そいつはそのまま固まってしまった。
 まさに、蛇に睨まれた蛙、状態である。

「そ、そこのお方。もしや、私を食べるんですか? 私のような者を食べても、あ、あなたのような大きな方には、腹の足しにもなりませんよ……」

 そいつは声を震わせて、そう言った。

「安心しろ。おまえを食べたりなどしないよ。吾輩は、無駄な殺生はしない」
「そうですか。ああ、よかった。私の生涯もここで終わりかと思いました」

 くりんとしたその眼が、なんとも愛らしい。

「では、私はこれで」

 そいつが去っていこうとする。

「おい、ちょっと待った」

 引き止めると、そいつはまた身体をビクつかせ、

「やはり、私を食べるおつもりなのですね。ああ、思えば短い生涯(しょうがい)だった。それでも私は精一杯生きた。ここで食べられ、我が生涯の幕を閉じようとも、これもさだめ。致しかたのないことでしょう。もし私の仲間に会ったら、こう伝えてください。私は潔く美しく食べられたのだと。そうすれば、私は仲間の心の中で、生きつづけていくことができます。そうと決まれば、さあ、心置きなくパクッといってください」

 観念したように眼を閉じた。

「おいおい、なんだよそれ。だから、おまえを食べたりなどしないって言ってるだろう」

 吾輩は苦笑交じりに言った。

「では、何故(なにゆえ)に私を引き止めるのです? あ、わかりました。私が安心したところをパクッとやるつもりなのですね? そうか、そういうことですか。うッ、うッ……」

 そいつは、くりんとした眼に涙を潤ませた。

「そうそう。そしておまえは帰らぬ蛙となりました。って、こらッ! おまえもわからないやつだな。しまいには、プチッと踏み潰すぞ」
「そ、そんな、ご無体な……」
「それが嫌なら、勝手に先走りせず、吾輩の話しを聞けっての」
「は、はい、わかりました。それで、ご用向きはなんでしょう」

 そいつは畏(かしこ)まって言った。
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