柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 32】

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 ところで吾輩は、郵便配達員に対しては、ここで会ったが100年目とばかりに吠え立てるが、彼以外にも吠えないわけではない。
 ただ彼の場合は、驚くときのリアクションを見るのが楽しいので、少し度を超してしまうだけなのだ。
 だから、我が家を訪れてくるものに対して一応は吠える。
 その中でも、吠え甲斐のないやつらがいる。
 それは宅急便を配達にくるヤツらだ。
 やつらは配達に来るたびに違う人間で、そして何より、吾輩にビビらない。
 どんなに吠えても、平然とした顔をしているのだ。
 となれば、吠えても無駄なエネルギーを消耗するだけである。
 それだけに、吠えるには吠えるが、挨拶程度といったところだ。
 あとは、出前を持ってくる蕎麦屋の徳さん。
 彼は、散歩の途中で気軽に声をかけてくる顔見知りなので吠えない。
 それから、スーツを着た銀行員や、ときにはセールスマンなども訪れてくるが、吠えるのはケース・バイ・ケースである。
 あ、あともうひとり忘れていたが、ガス・メーターの検針に来るおばさんがいる。
 しかし、女性に吠えたりしないのが、吾輩のモットーなのである。
 そう考えると、やはり郵便配達員は、吾輩がストレスを発散することのできる唯一の存在と言える。
 その彼が、この3日間顔を見せないのだから、心なしか心配でもある。
 今度来たときには、少し加減をして吠えることとしよう。
 新聞配達のお兄さんは、ママから購読料を受け取ると、

「またな」

 と、吾輩に声をかけて門を出ていった。
 そこで、またまた暇になってしまった。
 しかし、もう少しの辛抱である。
 そうすれば、散歩の時間がやってくる。
 と思いきや、その日はだれも吾輩を散歩に連れ出してはくれず、パパが帰宅してようやく、そのパパと散歩に行くことになった。
 けれど、パパが帰宅してからの散歩となると、吾輩は少し機嫌をそこねる。
 なぜなら、パパが帰宅してからだと、散歩に出かけるのがそれからさらに小一時間ほどあとになるからだ。
 そのころはすっかり外は暗くなっていて、公園に行っても仲間はおらず、リードを外してもらうこともできない。
 散歩に連れ出してもらって不平を言いたくはないが、暗くなってからの散歩は、マーキングと用を足すだけで帰らねばならないので、つまらないのである。
 散歩に行くなら明るいときに限る。
 だからパパとの散歩は、休日のほうがいいのだ。
 そんな不満をいだきながらも、パパの持つリードを吾輩はせっせと引いた。
 ぐいぐいとリードを引き、河川敷が近づいてくる。
 するとパパは、その手前で家路へと引き返そうとした。

『ちょっとパパ。いくらなんでもそれはないですよ。せめて土手の上を歩きましょうよ。川を渡る風が気持ちいいですから』

 吾輩はその場に坐りこみ、リードを引くパパに逆らって踏ん張り、イヤイヤをする。

「ほら、ゴン太。帰るぞ」

 なのにパパは、さらにリードを強く引く。

『ね、パパ。疲れて帰ってきてるのはわかりますが、すぐそこが河川敷だっていうのに、殺生ですよ』

 吾輩はあらがう。
 だが、その想いは伝わらず、吾輩は引きずられるように家路へと引き返せざるを得なかった。

(まったく、パパはひどいよ……)

 これも、神様への願い事が多すぎた罰であろうか。
 不満たらたらに我が家にもどり、吾輩は渋々ながら犬小屋に入った。
 すると、なにやら寝床の真ん中に小さな物体がある。
 吾輩は鼻をクンクンとさせて、その物体の匂いを嗅いだ。
 とても芳ばしい匂いが鼻腔を刺激する。
 その匂いは、ケンタのチキンに似ていた。
 それが食い物であることに間違いはない。

(これはもしや……)

 吾輩は、その物体を鼻先で幾度か転がしてからかぶりついた。
 そのとたんに、なんとも言えぬジューシーな味わいが口の中に広がった。

(こ、これは、やはり……)

 それはまさに鶏肉であった。
 ケンタのチキンに勝るとも劣らないその味わいは、得も言われぬほどに吾輩の味覚を刺激した。
 至高(しこう)の味とは、こういったものを言うのではないだろうか。
 吾輩は思わず、「星、みっつですー」と言いたいほどだった。
 そしてそれが、鶏の唐揚げであるということを理解した。
 サラは、嘘をついたわけではなかったのである。

(アイツ……)

 吾輩はほんの少しだけ感動を覚え、ほんのちょとだけサラを見直した。
 そして、

(サラ、吾輩はいつでもおまえを護ってやる……)

 などと、できるかどうかもわからないことを思うのであった。
 いや、きっとできないであろう。
 そう思う吾輩の心など、サラは容赦なく踏みにじるに違いないのだから。
 サラとは、そういうやつなのである。
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