柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 43】

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 ふむ……。

 吾輩はふと考えてみた。
 とらの助は、どこからどう見てもポン吉であった。
 あの容貌、姿かたちはポン吉以外にはありえない。
 であるなら、サラは彼と愛の契りを交わしたということに他ならないのだ。
 あれほど嫌がっていたポン吉と、どうしてそういうことになったのであろうか。
 あれはただのポーズだったのか、それとも、ポン吉の押しの一手にサラが根負けをしたのか。
 だとすると、二ヵ月ちょっと前、ベンの家の裏でサカリの真っ最中だったというサラの相手は、ポン吉だったのだ。
 なんにしても、ポン吉は自分の意中の相手だったサラを見事ものにして、子孫を残すことに成功したのである。
 それを思うと、「やったじゃないか」とねぎらいの言葉もかけてやりたいところだが、とは言え、いくら子孫を残すことができたとしても、その我が子に会うことができないというのは哀しくも辛すぎる。
 オス猫は、産まれたばかりの我が子を虐待するのだとサラは言っていたが、吾輩にはにわかに信じがたいことである。
 どこをどうすれば、そんな犬畜生にも劣る所業ができるのか。

(ん? いやいや、ちょっと待ってくれ……)

 犬畜生とはどういうことだ。
 その言葉は、あまりにも差別的ではないか。
 それどころか、我ら種族を低く見てやしないか? 
 人間とともにあり、忠誠を尽くしてきた我らに対し、「犬畜生にも劣る」などというたとえは、断じて許しがたい。
「畜生にも劣る」ならまだしも、なぜそこへ「犬」をつけたりしたのか。
 我らは、我が子を虐待などしない。
 まったくもって心外である。
 憤慨この上ない。

(責任者を呼べ!)

 などと息巻いてみても、やたらと心拍数が上がるだけなので、無駄な浪費は避けることにして、話をもとにもどす ことにする。
 さて。

 ……あれ? 

 ところで、何を話していたのであったか。
 あ、そうそう、ポン吉のことだ。
 憤慨したこともあって、つい頭の中が真っ白になってしまった。
 危うく話の進行をストップし、寝てごまかすところである。
 そのポン吉だが、この先ずっと我が子に会うことができないのであろうか。
 それを思うと、身につまされて、胸の奥が痛くなる。
 これはあくまで仮定であるが、もしもルーシーとのあいだに子供ができて、その我が子に会うことができないとし たら、吾輩ならばとても耐えきれるものではない。
 きっと泣きべそをかきまくり、三度の食事はしっかりと食べ、そして夜はぐっすりと眠りながら枕を濡らすことだろう。
 我が子とて父親に会えなければ、それはそれは、哀しみに打ちひしがれるに違いない。
 血を分けた我が子なのだ。
 きっとそうに決まっている。
 と断言――できることならしたい。
 だからお願い。
 そうあってください。
 しかし、ふと考えてみると、吾輩は父親のことをひとつも憶えていない。
 母の姿や温もりは、かすかながらにも記憶があるのに、父親となるとこれがまったくといってないのである。
 これはどうしたものかと頭を巡らしてみても、どうにもこうにも父親の姿は浮かんでこない。
 それどころか、いまのいままで、父親のことなど考えたことすらもなかった。
 父親にいだくであろう感情さえ、いや、父親という存在自体が吾輩の中から欠如しているのである。

(父親とは、いったいなんだ……)

 そんな疑問さえも湧いてくる。
 生を受けてからまだ4年にも満たないが、これまで父親という存在を必要としたことは一度としてなかった。
 物心がついたときには、大原家の一員になっていたのだし、父親を必要とする必要がなかったのだ。
 強いていうなら、パパが父親と言っていいだろう。
 だとすれば、我が子にしてみても、それは同じことではないのだろうか。
 吾輩がそうであったように、父親の記憶など一切ないままに育っていくのであろうから。

「オスなんて、ただの消耗品よ――」

 サラの言った言葉が、脳裡をよぎる。

(むむむ……)

 なんという悲劇であろう。
 よくよく考えてみれば、母や兄弟のことも、あるかなしかの記憶である。
 ましてや、人間の中でこうして日々を送っていると、ときに犬であることを忘れて、自分は人間であると錯覚して しまうこともある。
 それもこれも我らの歴史が、人間とともにあったがためのことなのか。
 それとも、肉親に対する愛が欠落していることこそが我らの本質であり、畜生と呼ばれるゆえんなのであろうか。
 それを思うと、虚しい限りである。
 虚しくなれば腹が空く。
 腹が空けば、「グー」と鳴く。
「グー」と鳴けば、昼時である。
 兎にも角にも、まずは食べることが肝心なのである。
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