柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 52】

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 暦は8月に入り、暑さは異常を極めた。
 その暑さにめげず、サラの子供たちは元気に庭でじゃれ合っている。
 もう、兎にも角にも、

 カワユイィィィィッ!
 萌えぇぇぇぇ! 

 なのである。
 眼に入れたら痛いだろうが、とにかくカワユイ。
 サラの子供たちでもこれだけカワユイのであるから、我が子であったらどれほどカワユイのであろうか。

(我が子か……)

 吾輩は妄想する。
 ルーシーとのあいだに産まれた我が子を。
 風になびく、さらさらの長い毛並みと鼻筋の通った細い顔。
 そして円らな黒い瞳。
 そのルーシーの子供なのだからカワユくないわけがない。

(むむむ。いやいや、待て……)

 その子供は、ルーシーと吾輩の子であるのだから、するとつまり、吾輩の遺伝子を受け継ぐわけである。
 ということは、この剛毛極まりない毛並みと、鼻筋の通らぬ顔にちんちくりんな眼をした吾輩にも似るということではないか。

(ぐむむむむ……)

 いかん、いかん。
 まったくもって、いかん。
 想像を絶する。
 一大事である。
 生態系を変えてしまう恐れさえある。
 それは神への冒瀆であり、それこそ天罰が下るというものだ。
 やはりそういうことか。
 吾輩とルーシーは、遺伝子レベルで結ばれてはならないのだ。
 それが運命というものなのか。

 だが、しかし――

(嫌だ、嫌だ! い、や、だー!)

 遺伝子のレベルがなんだ。
 生態系がどうした。
 神への冒瀆だろうが天罰が下ろうが、吾輩はルーシーを諦めたりしない。
 運命とは自らが切り開くものだ。
 たとえどんな結末が待っていようとも、彼女との愛のために突き進むのみだ。
 だが、だがしかし、そのルーシーとまたもあれきり逢えないのである。
 いったいどうしてしまったのか。
 これは確実に、彼女に何かあったのだ。
 まさか、あのとき覚えた胸騒ぎが、現実となってしまったのだろうか。
 いや、違う。
 そんなことがあってなるものか。
 ルーシーが遠くへ行ってしまうなどと考えたくもない。
 そうだ。
 考えないほうがいいのだ。
 マイケルが言ったように、悪いほうに考えれば、ほんとうにそうなってしまうのだから、マイナス・イメージは頭 の中から排除してポジティブに考えることにしよう。
 そしてそれを信じよう。
 そのほうが断然楽しい。
 ルーシーと吾輩の遺伝子を受け継いだ子供だって、絶対絶対、ぜーったいにカワユイに決まっている。
 そうだ、そうだ、そうに決まった。
 バンザーイ、バンザーイ。
 ということで、ここで一句――
 といきたいところだが、いい句が浮かばないのでやめにする。
 そこへ、とらの助がやってきた。
 それにしても、ポン吉によく似ている。

「やあ、とらの助。この暑いのに、君たちは元気だね」
「――――」

 とらの助は答えず、吾輩をジッと見ている。

「こんなに暑いと、十二月はどんだけ暑くなるんだろうね。って、そんなわけないだろ!」

 ひとりボケツッコミを決めてみる。

「――――」

 しかし、とらの助はクスっとも笑わない。
 ときに眉根を寄せ、観察するかのごとく、ただただジッと見つめている。
 むむむ、吾輩のボケツッコミに笑わないとは、あっぱれである。
 ならば、これならどうだ。

「アルミ缶の上に、あるミカン。って、ダジャレかよ!」
「――――」

むむむむ……。

「花小金井の、花子がねえ」
「――――」

ぐぬう……。

「三鷹って、見たか!」
「――――」

 かー、クソー!
 ならばならば、とっておきの核弾頭。
 これで大爆笑間違いナシである。
 
「猿も木からこんにちは」

 どうだ……。

「――――」

 くそう……。

「石の上にもただ坐る」
「――――」

 ぐぬぬ、こんちきしょうめ……。

「犬も歩けば、ご主人も歩く」
「――――」
「新聞は一軒にひとつ」
「――――」

 クーッ、もういい。
 知らん知らん。
 ギャグのセンスがわからんヤツを相手にしても仕方がない。
 吾輩は不貞寝を決めこむことにした。
 すると、とらの助が顔をゆがませた。

 な、なんだなんだ? 
 どうして泣くんだ?

「ママー、恐いよー。変な生き物が、変なことを言うよー」

 とらの助は、庭へと駆けもどっていった。
 って、おい!
 なんだよそれ。
 吾輩のギャグは怪談百物語かっての……。
 まったくもって、失礼極まりない。
 と、

「ゴン太ー!」

 サラが、サリーとソックスを従え、血相を変えてやってきた。

「アンタ、私の可愛いとらの助に、なに変なことを言ったのよ!」

 サラのそのうしろに隠れて、子供たちが三匹そろって吾輩を窺っている。

「な、なにも、変なことなど言ったわけではないよ。吾輩はただ、とらの助を笑わせようとしただけさ」
「だったら、どうして泣くのよ」
「そんなの、吾輩が訊きたいくらいだ」
「どうせまた、くだらないギャグでも言ったんでしょ」

 うぐ……。

「だいたいアンタのギャグはね、鳥肌が立つほどサブいんだから、まだ世の中を知らない子供にとっては恐怖なのよ。もう、二度と言わないで! 今度子供たちを泣かせるようなことしたら、八つ裂きにしてやるからね」

 言うだけのことを言うと、サラは子供たちとともに庭へもどっていった。
 吾輩は瞼をしばたたいて、親子の背を見送った。
 吾輩にしてみれば、とんだ災難であった。
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