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【Episode 83】
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ピョン!
そしてまた、
ピョン!
こおろぎが向かってくる。
吾輩はこおろぎを驚かさないように、ジッと動かずに身を伏せたままでいた。
無の境地に達した吾輩は、こおろぎからすれば、ただそこにある石としか思えないであろう。
と、やはり、思ったとおりである。
こおろぎは石となった吾輩めがけてジャンプした。
ジャンプした先は、吾輩の鼻の上であった。
吾輩は息をひそませて、瞬きもせずにこおろぎを見つめた。
こおろぎは、まったく吾輩という存在に気づいていない。
様子を窺っていると、こおろぎはゆっくりと回れ右をした。
すると、どうだろうか。
それまで鳴いていた鈴虫と松虫の声が、ピタリと止まったではないか。
とたんに、静寂が辺りを包みこんだ。
その静寂の中で、こおろぎが両の前脚を顔の前に挙げた。
わずかな間を空けたあと、ふり上げた両の前脚をふり下ろした。
と、
チリチリ、チリチリリ、チリチリ……。
静寂だった草むらの正面辺りから、複数のこおろぎの鳴き声がし始めた。
どうやら、吾輩の鼻の上に乗っっているこおろぎは、オーケストラのコンダクター(指揮者)の役割を担っているようだった。
そのコンダクターが、今度は左前脚を上げてふり下ろした。
チンチロリン、チンチロリン……。
と、左前方の草むらから、やはり複数の松虫が鳴き始めたではないか。
つづいてコンダクターは、右前脚をふった。
リーン、リーン、リーン……。
右前方の草むらから、またも複数の鈴虫が鳴き出し、つづけて、
チョンチョン、スイッチョン、チョンチョン、スイッチョン……。
複数のうまおいが鳴き、最後は、
ガチャガチャ、ジジジジジ、ガチャガチャ、ジジジジジ……。
くつわ虫までが複数で鳴き始めたのだった。
それは、虫たちのコンチェルト(協奏曲)であった。
なんと贅沢な夜であろうか。
吾輩は、秋の夜に奏でられる虫たちの調べに、しばし心を震わせていた。
そうしていると、石となっていた吾輩に異変が生じた。
異変とは言ったが、それほど大げさなものではない。
コンダクターのこおろぎが、吾輩の鼻の穴の上部に中脚を引っ掛けて身体を固定させているため、ムズムズとし出したのだ。
鼻がである。
鼻がムズムズすれば、それの要因となっているいるこおろぎを払い落としたい衝動が走るのは当然である。
しかしながら、そうするわけにはいかない。
できるわけがないのだ。
コンダクター、いや、これだけの演奏を指揮しているのであるから、ここはマエストロと呼ばせていただこう。
そのマエストロの指揮を、阻害するようなことがあってはならないのである。
このコンチェルトを止めてしまうような暴挙は、万死に値するのだから。
吾輩は、ムズムズをこの演奏が終了するまで耐え抜こうと決めた。
うぐ、うぐぐ……。
ダメだ。
いますぐにでも払い落としたい。
耐えなければと思えば思うほど、ムズムズはさらにムズムズする。
だが、ここは耐えろ。
演奏は中盤に差し掛かっているはずだ。
あとは演奏が終わるまでだ。
たったそれだけ、耐え抜けばいいのだ。
よし……。
吾輩は、演奏に意識を集中させた。
この素晴らしいコンチェルトに意識をあずけていれば、ムズムズなどなんのそのである。
うむ……。
うむむ……。
うむむむ!!!
ってか、演奏が長いっての!
ダメ。
やっぱり無理。
だって、演奏が長いんだもの。
こんなに長いとは、思いもよらなかったしさ。
すまない、マエストロ。
吾輩はもう、耐えきれない。
なにせ、ムズムズが鼻の奥にまで伝染して、くしゃみが出そうなのだ。
これはたまらんのだよ。
鼻先だけのムズムズならば、吾輩とて耐えきる自信があった。
しかしだ。
鼻の奥のムズムズは、まったくの別物なのだ。
ほんとうにすまない。
君の指揮する演奏を最後まで聴いていたかったが、もう限界がきてしまった。
「ファ、ファ……」
鼻の奥のムズムズが頂点に達したそのとき、
「ファックショオーイ!」
鼻汁とともに、吾輩は大きなくしゃみを放っていた。
そしてまた、
ピョン!
こおろぎが向かってくる。
吾輩はこおろぎを驚かさないように、ジッと動かずに身を伏せたままでいた。
無の境地に達した吾輩は、こおろぎからすれば、ただそこにある石としか思えないであろう。
と、やはり、思ったとおりである。
こおろぎは石となった吾輩めがけてジャンプした。
ジャンプした先は、吾輩の鼻の上であった。
吾輩は息をひそませて、瞬きもせずにこおろぎを見つめた。
こおろぎは、まったく吾輩という存在に気づいていない。
様子を窺っていると、こおろぎはゆっくりと回れ右をした。
すると、どうだろうか。
それまで鳴いていた鈴虫と松虫の声が、ピタリと止まったではないか。
とたんに、静寂が辺りを包みこんだ。
その静寂の中で、こおろぎが両の前脚を顔の前に挙げた。
わずかな間を空けたあと、ふり上げた両の前脚をふり下ろした。
と、
チリチリ、チリチリリ、チリチリ……。
静寂だった草むらの正面辺りから、複数のこおろぎの鳴き声がし始めた。
どうやら、吾輩の鼻の上に乗っっているこおろぎは、オーケストラのコンダクター(指揮者)の役割を担っているようだった。
そのコンダクターが、今度は左前脚を上げてふり下ろした。
チンチロリン、チンチロリン……。
と、左前方の草むらから、やはり複数の松虫が鳴き始めたではないか。
つづいてコンダクターは、右前脚をふった。
リーン、リーン、リーン……。
右前方の草むらから、またも複数の鈴虫が鳴き出し、つづけて、
チョンチョン、スイッチョン、チョンチョン、スイッチョン……。
複数のうまおいが鳴き、最後は、
ガチャガチャ、ジジジジジ、ガチャガチャ、ジジジジジ……。
くつわ虫までが複数で鳴き始めたのだった。
それは、虫たちのコンチェルト(協奏曲)であった。
なんと贅沢な夜であろうか。
吾輩は、秋の夜に奏でられる虫たちの調べに、しばし心を震わせていた。
そうしていると、石となっていた吾輩に異変が生じた。
異変とは言ったが、それほど大げさなものではない。
コンダクターのこおろぎが、吾輩の鼻の穴の上部に中脚を引っ掛けて身体を固定させているため、ムズムズとし出したのだ。
鼻がである。
鼻がムズムズすれば、それの要因となっているいるこおろぎを払い落としたい衝動が走るのは当然である。
しかしながら、そうするわけにはいかない。
できるわけがないのだ。
コンダクター、いや、これだけの演奏を指揮しているのであるから、ここはマエストロと呼ばせていただこう。
そのマエストロの指揮を、阻害するようなことがあってはならないのである。
このコンチェルトを止めてしまうような暴挙は、万死に値するのだから。
吾輩は、ムズムズをこの演奏が終了するまで耐え抜こうと決めた。
うぐ、うぐぐ……。
ダメだ。
いますぐにでも払い落としたい。
耐えなければと思えば思うほど、ムズムズはさらにムズムズする。
だが、ここは耐えろ。
演奏は中盤に差し掛かっているはずだ。
あとは演奏が終わるまでだ。
たったそれだけ、耐え抜けばいいのだ。
よし……。
吾輩は、演奏に意識を集中させた。
この素晴らしいコンチェルトに意識をあずけていれば、ムズムズなどなんのそのである。
うむ……。
うむむ……。
うむむむ!!!
ってか、演奏が長いっての!
ダメ。
やっぱり無理。
だって、演奏が長いんだもの。
こんなに長いとは、思いもよらなかったしさ。
すまない、マエストロ。
吾輩はもう、耐えきれない。
なにせ、ムズムズが鼻の奥にまで伝染して、くしゃみが出そうなのだ。
これはたまらんのだよ。
鼻先だけのムズムズならば、吾輩とて耐えきる自信があった。
しかしだ。
鼻の奥のムズムズは、まったくの別物なのだ。
ほんとうにすまない。
君の指揮する演奏を最後まで聴いていたかったが、もう限界がきてしまった。
「ファ、ファ……」
鼻の奥のムズムズが頂点に達したそのとき、
「ファックショオーイ!」
鼻汁とともに、吾輩は大きなくしゃみを放っていた。
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