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チャプター【019】
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黒い大きな傘を差し、黒のコートに黒のフォーマル・スーツを着て、白のワイシャツに黒の細身のネクタイを締めている。
「いや、実に見事なものです」
その体型からしても男だというのはわかるが、顔は傘に隠れていて見えない。
だが、蝶子には、その男がだれなのかがわかったらしく、銃をホルスターに収めた。
はだけたままの胸をコートで隠す。
「おや、隠してしまうのですか。残念ですね」
男は静かな口調でそう言うと、傘を軽く上げて顔を現した。
瓜実型の顔をした男だった。
細い鼻梁につり上がった細い眼、薄い唇の端までがつり上がったその顔には薄い笑みが張りついている。
髪は、うしろを刈り上げた七・三だった。
「落し物ですよ」
男は手にしているものを差し出した。
それは、サーベル・タイガーが融合する前に落とした、蝶子の銃だった。
「見ていたのか」
横柄に言うと、蝶子はその銃を受け取り、左太腿のホルスターに収めた。
「ええ、見ていましたよ。あなたのその胸は、芸術品のように美しい。できれば、灯りの下でゆっくりと観察したいものです」
「やめろ! そんなことじゃない。あいつとの闘いを、コソコソ陰に隠れて見ていたのかと訊いたんだ」
蝶子は男の顔を睨んだ。
「いいですね、その眼つき。もう、ゾクゾクします」
「市川。おまえも駆除されたいのか」
背の太刀の柄に、蝶子は手をかけた。
「フフ、またまた、そんな。冗談ですよ。それに僕は人間です。駆除なんて言いかたはやめてください」
男――市川は薄い笑みを浮かべたまま言った。
蝶子は柄から手を離した。
「確かに僕は、隠れて見ていましたよ。しかし、この僕は生身の人間です。あんな化け物が暴れているというのに、堂々と見学というわけにはいきません」
細い眼をさらに細めて、市川は言った。
「フン、まあいいさ。それより、ひとつ教えてくれないか。あれはいったいなんだ」
「と言いますと?」
市川はとぼけたように訊き返した。
「そこに転がった、化獣のことに決まっているだろう」
「あァ……」
ふたつの頸(くび)を断たれた双頭獣を、市川はちらりと一瞥(いちべつ)した。
「いったい、なんでしょうか」
「とぼけるつもりか! 組織がなにも知らないわけがない」
「そうすごまないで、蝶子――いや、ここはコード・ネームで呼ばせていただきましょうか、バタ――」
バタフライ、と市川が口にしようとしたとき、蝶子が太刀を抜き放ち、
「その名で私を呼ぶなと言ったはずだ。市川、おまえ、斬るぞ」
刃先を市川の首元へと向けた。
「おや、嘘でしょう? まさか、人間の僕を斬れるわけがありませんよね」
「試してみるか」
「できますか?」
市川は静かに言った。
その声には、どこかひやりとするものがあった。
蝶子は刃先を市川の喉元へと近づけた。
その刃先が、市川の喉に触れる。
それでも市川は笑みを崩さない。
だが、細い眼の奥だけは笑っていなかった。
正体の知れない男だった。
蝶子は太刀を引き、背の鞘に収めた。
「いいか、今度その名を口にしたら、その首、胴体とさよならをすることになる。よく憶えておけ」
太刀を鞘に収めはしたが、蝶子の視線は太刀のように市川を見据えていた。
「そう致しましょう」
市川は喉元に指先をやった。
太刀の刃先が触れた個所を拭う。
指先には血がついており、その血を、市川は舌で舐め取った。
「市川、ひとつ言っておく」
蝶子は市川から身体を背けて言った。
「なんでしょう」
「私はおまえが嫌いだ」
「おやおや」
市川の表情は、薄い笑みのまま変わらない。
「では、僕からもひとつ」
「なんだ」
蝶子は、身体を背けたまま訊いた。
「この僕を、市川と呼び捨てにするのはやめていただけませんか。これでも僕は28歳で、あなたより五つも年上なのですから」
「おまえ、そんなことにこだわっていたのか。それが嫌なら、べつの者に代わればいい」
「そんなつれないことを。あなたと僕は、あなたが執行人となる以前からのパートナーではないですか。それなら、どうでしょう。せめて女性らしい言葉使いをするというのは」
「女性らしい言葉使いだって? なにをばかな。私は女であることを、とうに棄てている。それに、私のこの身体は、組織によって創られたものだ」
「そんな身も蓋もないことを。それを望んだのは、あなた自身ではありませんか。そして、だからこそあなたはいま、そこに存在している。違いますか?」
「そんなことは、言われなくともわかっている。だからこうして、こんな化獣まがいのものたちを駆除しているんだ」
「当然です。あなたは、組織と契約を交わしたのですから」
「――――」
蝶子は何も言わず、 薄闇の虚空へと眼を馳せた。
市川の言うとおり、蝶子は組織と契約を交わした。
その契約とは、蝶子の肉体を無条件で組織に提供するというものだった。
それはつまり、蝶子は人間としての存在ではなくなり、組織の所有物になるということなのである。
そうまでしてなぜ、蝶子はそんな契約を交わしたのか。
その理由は、言うまでもない。
5年前のあの日、妹の命を奪った異形人への復讐を果たすためだった。
そのためだけに、組織の所有物になろうとも、生きることを選択したのだ。
一度は死を望み、その死を与えられながらも。
そう、あのとき――
「いや、実に見事なものです」
その体型からしても男だというのはわかるが、顔は傘に隠れていて見えない。
だが、蝶子には、その男がだれなのかがわかったらしく、銃をホルスターに収めた。
はだけたままの胸をコートで隠す。
「おや、隠してしまうのですか。残念ですね」
男は静かな口調でそう言うと、傘を軽く上げて顔を現した。
瓜実型の顔をした男だった。
細い鼻梁につり上がった細い眼、薄い唇の端までがつり上がったその顔には薄い笑みが張りついている。
髪は、うしろを刈り上げた七・三だった。
「落し物ですよ」
男は手にしているものを差し出した。
それは、サーベル・タイガーが融合する前に落とした、蝶子の銃だった。
「見ていたのか」
横柄に言うと、蝶子はその銃を受け取り、左太腿のホルスターに収めた。
「ええ、見ていましたよ。あなたのその胸は、芸術品のように美しい。できれば、灯りの下でゆっくりと観察したいものです」
「やめろ! そんなことじゃない。あいつとの闘いを、コソコソ陰に隠れて見ていたのかと訊いたんだ」
蝶子は男の顔を睨んだ。
「いいですね、その眼つき。もう、ゾクゾクします」
「市川。おまえも駆除されたいのか」
背の太刀の柄に、蝶子は手をかけた。
「フフ、またまた、そんな。冗談ですよ。それに僕は人間です。駆除なんて言いかたはやめてください」
男――市川は薄い笑みを浮かべたまま言った。
蝶子は柄から手を離した。
「確かに僕は、隠れて見ていましたよ。しかし、この僕は生身の人間です。あんな化け物が暴れているというのに、堂々と見学というわけにはいきません」
細い眼をさらに細めて、市川は言った。
「フン、まあいいさ。それより、ひとつ教えてくれないか。あれはいったいなんだ」
「と言いますと?」
市川はとぼけたように訊き返した。
「そこに転がった、化獣のことに決まっているだろう」
「あァ……」
ふたつの頸(くび)を断たれた双頭獣を、市川はちらりと一瞥(いちべつ)した。
「いったい、なんでしょうか」
「とぼけるつもりか! 組織がなにも知らないわけがない」
「そうすごまないで、蝶子――いや、ここはコード・ネームで呼ばせていただきましょうか、バタ――」
バタフライ、と市川が口にしようとしたとき、蝶子が太刀を抜き放ち、
「その名で私を呼ぶなと言ったはずだ。市川、おまえ、斬るぞ」
刃先を市川の首元へと向けた。
「おや、嘘でしょう? まさか、人間の僕を斬れるわけがありませんよね」
「試してみるか」
「できますか?」
市川は静かに言った。
その声には、どこかひやりとするものがあった。
蝶子は刃先を市川の喉元へと近づけた。
その刃先が、市川の喉に触れる。
それでも市川は笑みを崩さない。
だが、細い眼の奥だけは笑っていなかった。
正体の知れない男だった。
蝶子は太刀を引き、背の鞘に収めた。
「いいか、今度その名を口にしたら、その首、胴体とさよならをすることになる。よく憶えておけ」
太刀を鞘に収めはしたが、蝶子の視線は太刀のように市川を見据えていた。
「そう致しましょう」
市川は喉元に指先をやった。
太刀の刃先が触れた個所を拭う。
指先には血がついており、その血を、市川は舌で舐め取った。
「市川、ひとつ言っておく」
蝶子は市川から身体を背けて言った。
「なんでしょう」
「私はおまえが嫌いだ」
「おやおや」
市川の表情は、薄い笑みのまま変わらない。
「では、僕からもひとつ」
「なんだ」
蝶子は、身体を背けたまま訊いた。
「この僕を、市川と呼び捨てにするのはやめていただけませんか。これでも僕は28歳で、あなたより五つも年上なのですから」
「おまえ、そんなことにこだわっていたのか。それが嫌なら、べつの者に代わればいい」
「そんなつれないことを。あなたと僕は、あなたが執行人となる以前からのパートナーではないですか。それなら、どうでしょう。せめて女性らしい言葉使いをするというのは」
「女性らしい言葉使いだって? なにをばかな。私は女であることを、とうに棄てている。それに、私のこの身体は、組織によって創られたものだ」
「そんな身も蓋もないことを。それを望んだのは、あなた自身ではありませんか。そして、だからこそあなたはいま、そこに存在している。違いますか?」
「そんなことは、言われなくともわかっている。だからこうして、こんな化獣まがいのものたちを駆除しているんだ」
「当然です。あなたは、組織と契約を交わしたのですから」
「――――」
蝶子は何も言わず、 薄闇の虚空へと眼を馳せた。
市川の言うとおり、蝶子は組織と契約を交わした。
その契約とは、蝶子の肉体を無条件で組織に提供するというものだった。
それはつまり、蝶子は人間としての存在ではなくなり、組織の所有物になるということなのである。
そうまでしてなぜ、蝶子はそんな契約を交わしたのか。
その理由は、言うまでもない。
5年前のあの日、妹の命を奪った異形人への復讐を果たすためだった。
そのためだけに、組織の所有物になろうとも、生きることを選択したのだ。
一度は死を望み、その死を与えられながらも。
そう、あのとき――
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