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【第62話】
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「いやいや、それは、世の中は狭いですませてしまうことではないですよ」
川村秀夫は愛車のスクーターに跨ると、サイズの合わないヘルメットを無理やり頭からこじ入れた。
背後に佇む小学校の校舎は、昏れなずむ時を過ぎて、薄闇の中に没しはじめている。
スクーターのエンジンをかける秀夫の背にも、夜の先鋒が降りてきていた。
そのかたわらには、姿のない高木と康太郎が所在なげに立っていた。
「どうしてだ。そんな大げさなことか?」
高木はすぐさま秀夫のうしろに跨(またが)った。
「まったく、なにを言ってるんですか。高木さんは物事を短絡的に考えすぎです。よく考えてみてください。いまの話は、まるで小説のような展開になってるじゃないですか」
「いいや。おまえが、物事を複雑に考えようとしてるんだよ。それにだ。真実は小説にも負けず劣らずっていうじゃねえか」
「ちがうよ、おじさん。それを言うなら、『真実は小説より奇なり』だよ」
康太郎がそくざにツッコむ。
「よく知ってるね、康太郎くん。君はさぞかし優等生だったんだろうね」
感心したように秀夫が言う。
康太郎は褒められたとばかりに得意げな顔を高木に向けた。
秀夫には康太郎の姿も見えないが、なぜなのか声だけは高木と同様に聴こえる。
姿が見えず、ふたりの声だけが聴こえてくることには、さすがの秀夫も「自分はどうかしてしまったのか」と混乱したが、そこは彼の特異な性格上すぐに慣れた。
「ケッ、なにが優等生だ。こいつは生きてりゃ、俺よりみっつも歳上だ」
高木が反発する。
「え? そうなんですか? だったら、康太郎くんは大先輩になるわけですね」
言われてまたまた康太郎は気をよくする。
「そうだよ、おじさん。ボクは大先輩なんだから、もっと敬意を払ってほしいな」
高木に向かってずいっと胸を突き出した。
「ケケケのケッ、だ。図に乗るな。俺からすれば、おまえなんて生意気なただのクソガキだっての」
「なにを!」
康太郎はファイティングポーズをとった。
「お、やるのか! おもしれえ。生意気な口が利けねえくらいコテンパテンにしてくれる」
高木は拳を鳴らしてスクーターから降りた。
「ちょっとちょっと」
あわてて秀夫が止めに入る。
とはいえ、ふたりの姿が見えないのだから、あいだに入ってというわけにはいかない。
「喧嘩はよしましょうよ。というか、高木さんもおとなげないですよ。相手はこどもじゃないですか」
「こいつがムカつくことを言うからよォ」
「おじさんだって、ムカつくよ」
「なにィ!」
「なにさ!」
ふたりの眼が赤く光り、バチバチッっと火花が散った。
「あーもう、やめなさい! いいかげんにしないと、置いていきますよ!」
それでやっとふたりは矛を収めた。
それでもまだ腹の虫が治まらないとみえて、ふたりは睨み合いながら口許でブツブツと言っていた。
と、そのとき、
「川村先生!」
秀夫を呼ぶ、女性の声が背後から聴こえた。
三人は同時にふり返る。
薄闇の中に現れたのは、清楚な印象を与える女性だった。
肩にかかる黒髪が美しく揺れている。
「中西先生。先生もこれからお帰りですか」
秀夫はエンジンを切り、ヘルメットを外してスクーターから降りた。
「はい」
答えたその声は、涼やかな風のようだった。
彼女の名は中西玲子。
秀夫とは同じ学年のクラスを受け持っていて、昨年の春、この小学校に赴任した。
秀夫より一年先輩になるが、年齢は彼のふたつ下の二十三歳。
「あれ? おひとりですか?」
玲子は周りを窺いながら訊いた。
「え? あ、はい。なんていうか、その、そうですけど」
秀夫はしどろもどろだ。
「いまだれかとお話しをしていたように思えたんですけど」
玲子は不思議そうに秀夫に視線を向けた。
「あ、それは、僕のこのスクーターに話しかけていたんです。最近エンジンのかかりがよくなくて……」
秀夫はなんとかごまかした。
「そうですか。スクーターに話しかけるなんて、面白いですね」
「五年も乗っていると、愛着が湧くんですよ」
秀夫は苦笑いを浮かべた。
変ですね、と言われなかっただけまだマシだ。
「ところで、僕になにか?」
何もあるはずはないだろう。
帰りしなに、ひとりでブツブツ言っているおかしな同僚を見かけ、不思議に思って声をかけたにちがいない。
秀夫がそう思っていると、
「実は、お話ししたいことがあって」
玲子はそう言ってきた。
川村秀夫は愛車のスクーターに跨ると、サイズの合わないヘルメットを無理やり頭からこじ入れた。
背後に佇む小学校の校舎は、昏れなずむ時を過ぎて、薄闇の中に没しはじめている。
スクーターのエンジンをかける秀夫の背にも、夜の先鋒が降りてきていた。
そのかたわらには、姿のない高木と康太郎が所在なげに立っていた。
「どうしてだ。そんな大げさなことか?」
高木はすぐさま秀夫のうしろに跨(またが)った。
「まったく、なにを言ってるんですか。高木さんは物事を短絡的に考えすぎです。よく考えてみてください。いまの話は、まるで小説のような展開になってるじゃないですか」
「いいや。おまえが、物事を複雑に考えようとしてるんだよ。それにだ。真実は小説にも負けず劣らずっていうじゃねえか」
「ちがうよ、おじさん。それを言うなら、『真実は小説より奇なり』だよ」
康太郎がそくざにツッコむ。
「よく知ってるね、康太郎くん。君はさぞかし優等生だったんだろうね」
感心したように秀夫が言う。
康太郎は褒められたとばかりに得意げな顔を高木に向けた。
秀夫には康太郎の姿も見えないが、なぜなのか声だけは高木と同様に聴こえる。
姿が見えず、ふたりの声だけが聴こえてくることには、さすがの秀夫も「自分はどうかしてしまったのか」と混乱したが、そこは彼の特異な性格上すぐに慣れた。
「ケッ、なにが優等生だ。こいつは生きてりゃ、俺よりみっつも歳上だ」
高木が反発する。
「え? そうなんですか? だったら、康太郎くんは大先輩になるわけですね」
言われてまたまた康太郎は気をよくする。
「そうだよ、おじさん。ボクは大先輩なんだから、もっと敬意を払ってほしいな」
高木に向かってずいっと胸を突き出した。
「ケケケのケッ、だ。図に乗るな。俺からすれば、おまえなんて生意気なただのクソガキだっての」
「なにを!」
康太郎はファイティングポーズをとった。
「お、やるのか! おもしれえ。生意気な口が利けねえくらいコテンパテンにしてくれる」
高木は拳を鳴らしてスクーターから降りた。
「ちょっとちょっと」
あわてて秀夫が止めに入る。
とはいえ、ふたりの姿が見えないのだから、あいだに入ってというわけにはいかない。
「喧嘩はよしましょうよ。というか、高木さんもおとなげないですよ。相手はこどもじゃないですか」
「こいつがムカつくことを言うからよォ」
「おじさんだって、ムカつくよ」
「なにィ!」
「なにさ!」
ふたりの眼が赤く光り、バチバチッっと火花が散った。
「あーもう、やめなさい! いいかげんにしないと、置いていきますよ!」
それでやっとふたりは矛を収めた。
それでもまだ腹の虫が治まらないとみえて、ふたりは睨み合いながら口許でブツブツと言っていた。
と、そのとき、
「川村先生!」
秀夫を呼ぶ、女性の声が背後から聴こえた。
三人は同時にふり返る。
薄闇の中に現れたのは、清楚な印象を与える女性だった。
肩にかかる黒髪が美しく揺れている。
「中西先生。先生もこれからお帰りですか」
秀夫はエンジンを切り、ヘルメットを外してスクーターから降りた。
「はい」
答えたその声は、涼やかな風のようだった。
彼女の名は中西玲子。
秀夫とは同じ学年のクラスを受け持っていて、昨年の春、この小学校に赴任した。
秀夫より一年先輩になるが、年齢は彼のふたつ下の二十三歳。
「あれ? おひとりですか?」
玲子は周りを窺いながら訊いた。
「え? あ、はい。なんていうか、その、そうですけど」
秀夫はしどろもどろだ。
「いまだれかとお話しをしていたように思えたんですけど」
玲子は不思議そうに秀夫に視線を向けた。
「あ、それは、僕のこのスクーターに話しかけていたんです。最近エンジンのかかりがよくなくて……」
秀夫はなんとかごまかした。
「そうですか。スクーターに話しかけるなんて、面白いですね」
「五年も乗っていると、愛着が湧くんですよ」
秀夫は苦笑いを浮かべた。
変ですね、と言われなかっただけまだマシだ。
「ところで、僕になにか?」
何もあるはずはないだろう。
帰りしなに、ひとりでブツブツ言っているおかしな同僚を見かけ、不思議に思って声をかけたにちがいない。
秀夫がそう思っていると、
「実は、お話ししたいことがあって」
玲子はそう言ってきた。
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