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【第68話】

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 とたんに高木は、「あわわわ」とフォールド・アップした。
手にしていた日本刀はいつの間にか白旗に変わっていて、シャレではないがハタハタとふった。

 秀夫は「さわらぬ神に祟りなし」とばかりに、そ知らぬ顔で寝癖頭をなでている。
康太郎は恐怖のあまり、

「恐いよー、食べられちゃうよー」

と、たまらずに泣き出していた。

「あらあら、恐がらせちゃった? ごめんね、ボクちゃん。アタシが悪かったわ」

 カオルはなだめるが、康太郎はさらに大声で泣いた。

「あーあ。こんないたいけなこどもを泣かせて、どうすんだよ」

 高木は見事に復活し、康太郎を抱き寄せる。

「そんなこと言ったって、泣かせるつもりなんてなかったわよ」

 カオルの身体は二回りほど小さくなった。
 康太郎は、高木の胸で泣きつづけている。

「アタシがほんとに悪かったわ。だからもう泣かないで。アタシにできることなら、なんだってするから」

 カオルはすまなそうに康太郎を見つめた。
 すると、ぴたりと康太郎は泣きやんで、カオルに顔を向けた。

「ほんと? ほんとになんでもする?」
「ほんとよ。オカマはウソをつかないわ」
「だったら、ほうとうの名前を教えてよ」

 実はそれが狙いで、康太郎は涙を流しながらもウソ泣きをしていたのだ。
彼は聡明なだけでなく悪賢い役者でもあった。

「お、それはいい。悪いと思ってるなら、本名を名乗れ」

 高木は調子づく。

「どうして、そうなるのよ」

 そうくるとは思いもしなかったカオルはたじろいだ。

「八千草カオルを名乗ることは百歩ゆずるとしてだ。だがよ。それはおまえの源氏名だろうが。俺たちだって本名を名乗るんだから、おまえも本名を名乗るのが筋だろうよ」

 めずらしく高木が言うことは正論であった。

「それはそうだけど……」

 カオルは困惑した。

「どうした。本名を教えるだけのことじゃねえか」
「ゲイのアタシに、本名を明かせなんて、コクだわ……」

 助けてよォ、と言うようにカオルは秀夫に眼を向ける。
だが秀夫は、またもそ知らぬ顔で眼をそらした。

「べつに無理にとは言わねえよ。だがよ、そういうことなら俺たちも名乗らねえし、話すこともなにもない。こっちとしては、あんたに力になってもらう謂れはないからな」
「そんな……、イケズな人……」

 カオルは困り果てた顔でモジモジとした。
 ほんとうなら、「だったらいいわよ。こっちにだって、力を貸す謂れはないわ」と返すところだろうが、なにぶん人のことに一度首を突っこむと、どうにもあとに退けない性質である。
 ましてや相手は人ではなく霊なのだ。
 その霊の話が聞けるとあらば、首どころか自身が美と称するマッスルな肉体をも突っこんで、ずんずん前に進みたいほどだった。
 だがしかし、本名は明かしたくない。

「なんだよ。まさか、本名は封印した、なんて言うんじゃねえだろうな」

 カオルはギクリとして、すぐさま秀夫を睨んだ。

「ぼ、僕はなにも……」

 秀夫はあわてて首をふった。

「さあ、どうする。本名を言うか、ここから出て行くか」

 高木は、ぐいぐいと攻め立てた。

「さあ、どうする」

 康太郎までが、面白がって真似をした。
 ふたりに攻め立てられたカオルは、逃げ場を失ったネズミのように追いこまれ、窮鼠猫を噛むが如くに――キレた。

「あーもう、やかましい! やいやいやい、いったいなんだってのさ。こちとら十八でこの世界に入ったときから、ずっと八千草カオルでとおしてきたんだ。本名なんざ、とうのむかしに棄てたも同然さ。それを、本名だ本名だと小鳥じゃあるまいし、ピーチクパーチクうるさいったらありゃしないよ!」

 それは嵐のような激しさだった。
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