里子の恋愛

星 陽月

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【第19話】

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「結婚まであと二週間って時に、とつぜん結婚を延期したいって言い出して。ちょっとしたことでイライラして、情緒不安定になっちゃって、食欲もなくなったの」
「お母さんが? 信じられない」

 夫婦仲もよくいつも笑顔を絶やさなかった母の、生前のそんな姿しか知らない里子にとって、その話は意外なことだった。

「それでお母さん、結婚式はちゃんとできたの?」
「それがね、式の当日になったら、それまでのことが嘘のようにしっかりしてたわ。それに、私は誰よりも幸せよって顔をしてるの。散々、泣いたりわめいたりしてたくせに。でも、悔しいけど、ほんとうに幸せそうな顔だったわ」

 思いを馳せるように言うと、美都子は里子を見つめた。

「ね、彼とは何年?」
「二年かな」
「そう。嫌いになったわけじゃないんでしょ?」
「うん。ただ……」

 里子は言いよどむ。

「もしかして、何かが欠けてるような気がするって、思ってるんじゃないの?」

 里子は驚いた眼で、美都子を見た。

「やっぱり。姉さんと同じね」
「お母さんも、そうだったの?」
「えェ。でもね、姉さんは気づいたの。欠けてるものは自分の中にあったってことが」
「自分の中……」
「そう。姉さんね、式が近づくにつれて、不安になったり、怖くなったり、何かが欠けてるって思うようになったのは、私は幸せになれるんだろうか、宗太郎さんはほんとうに幸せにしてくれるんだろうか、ってことだけを考えてたからなのよって言ったわ。そんな自分のことばかり考えて、宗太郎さんを思いやる気持ちを失っていたって」

 里子もまったく同じだった。
 倉田のことを考えず、自分のことだけが頭にあった。

「そして姉さん、思い出したの。プロポーズされた時に、自分が言ったこと」
「プロポーズの話、お父さんから聞いた。お母さん、お父さんを幸せにしますって言ったのよね」
「お父さん、里ちゃんにそんな話をしたの」
「私が、無理に聞き出したんだけどね。お父さん、お酒はいってたから」
「そう。親子でそんな話ができるなんて、いいわね。姉さんも歓んでるわ」

 美都子は早苗の遺影に眼をやった。

「姉さんのウェディング・ドレス姿、とっても綺麗だった。その姿に見惚れてる私に、姉さん微笑みながら言ったのよ。欠けてるものは自分の中にあったのよ、って。その時思ったわ。姉さんなら、絶対に幸せになるって。そして本当に、憎らしいくらい幸せになったわ」

 懐かしみながら美都子は言うと、里子に微笑みかけた。

「うん。お母さん、幸せだった。ううん、今だって幸せよ。だって、お父さん今でもお母さんのこと愛してるもの」
「そうね」

 微笑のまま美都子は答えた。
だが、その微笑の中に、かすかな寂しさの翳りがあったのを、里子は気づかなかった。

「みっちゃん」

 ふと、里子が言った。

「ちょっと訊いていい?」
「何かしら」
「お父さんが言ってたことなんだけど、愛よりも深いものって、何かな」
「愛より深いもの?」
「そう。お父さんとお母さんのあいだには、その愛よりも深いものがあったらしいんだけど、私には、愛を超えるものがあるなんて、信じられないの」
「それって、長い夫婦生活を送らないとわからないことじゃないかしら。結婚したことのない私には難しいわ。でも、あえて言うなら、それって、情じゃないかな」
「情……?」
「そう。初めは愛し合って、それが愛情に変わって、そして愛がふたりの中に溶けこんだあと、その情が残るってことなのかも知れないわ。そうなると、もう愛なんて言葉はいらなくなるんじゃないのかな。ふたりにしかわからない、愛を超えた情」
「愛を超えた情、か……。何か、ほんとに深いものがある気がする。そんな夫婦になれたらいいな……。さすがみっちゃんだわ。訊いてよかった」
「年の功なんて言わないでよ」

 美都子はそんな冗談を言い、ふたりは笑った。
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