里子の恋愛

星 陽月

文字の大きさ
上 下
20 / 69

【第20話】

しおりを挟む
「みっちゃん、ありがとう」

 里子の感謝の言葉に、美都子は首をふった。

「私は何もしてないわ」
「ううん、お母さんの話が聞けて、気持ちの整理がついたもの」
「そう、ならよかった」

 安心した、という顔で、美都子は里子と自分の紅茶を注ぎ足した。

「でも、不思議」

 里子はクスッと笑った。

「何が?」
「お母さんが、私と同じように悩んでたなんて」
「母娘(おやこ)だからよ」
「私も、お母さんのように幸せになれるかな」
「なれるに決まってるじゃない。姉さんの娘だもの。あ、でも、姉さんの話、お父さんは知らないから、内緒よ」
「うん」

 里子はレモンスライスをカップに浮かべた。
 カップを見つめる里子の横顔が、美都子は美しいと思った。
 まるで、姉が眼の前にいるような錯覚さえ覚える。
 それほど里子は、早苗が二十代だった頃に生き写しだった。
 ふいに美都子は目頭が熱くなった。

「ね、みっちゃんは結婚しないの?」

 唐突に里子が訊いた。

「……………」

 美都子は答えず、里子から視線を外した。

「ごめん。悪いこと訊いちゃったかな」

 里子はバツの悪い顔をした。

「ううん、いいのよ、気にしないで。ただ、結婚って言葉が、遠い思い出のように響いたから、ちょっと戸惑ったの。それだけ、結婚には縁がなかったから」
「今まで、結婚したいひとはいなかったの?」

 その問いに、美都子はかすかな胸の痛みを覚え、答えに窮した。
 それでもわずかな間をおいてから、

「そうねェ」

 そう切り出した。

「恋愛はひとなみにしたつもりだけど。結婚したい、って思える人はいなかったわ。長つづきもしなかった……。結局、本気で好きになれなかったのね。あとはお決まりのように、仕事に邁進するしかなかった。気づいたらもう四十七よ」

「まだ四十七でしょ。まだこれからじゃない」

 里子の言葉に美都子は首をふり、

「この歳になるとね。男とか女とか、恋だとか愛だとか、自分が抱いていた感情までが、幻のように思えてくるの。すべてが夢じゃなかったのかって」

 口許で微笑し、宙へと眼を投げた。その微笑がとても寂しい。
 里子は何も言わず、美都子の顔を見つめた。

「でも、正直言うと、諦めてるのかも知れないわね。自分ではそう思いたくないけど」

 美都子は眼を伏せた。
 自分の中にある想いは、このまま胸の奥にしまいこんでおかなければならない。
 誰にも知られず、ずっとこのまま。
 会話が途切れ、美都子はサイド・ボードの時計に眼をやった。時刻は、十一時になろうとしている。
 そろそろ帰ろうかと美都子は思い、それを口にしようとした時、

「あのね、みっちゃん」

 ふいに里子が言った。

「お父さんのこと、頼めるかな」
「えッ?……」

 とつぜんのことに美都子は驚いた。

「私が結婚しちゃうと、この家にお父さん独りになっちゃうでしょう。だから、たまには家に来て、話し相手になってほしいの。図々しいのは分かってるけど、ダメかな」
「急にそんなこと言われても……。それより、お父さんが困るんじゃないかしら」
「お父さんがいいなら、来てくれる?」
「……………」

 美都子は戸惑う。

「みっちゃんが来てくれたら、お父さん歓ぶわ」
「そんなこと……」
「ううん、さっきだってみっちゃんの話に、うんうん、ってうなずいてたし、それによく笑ってた。お父さんのあんな楽しそうな顔、ずいぶん久しぶりだから」

 そう言われてしまうと、美都子には言葉がない。

「ね、お願い」

 里子は顔の前で手を合わせ、頭を下げた。

「里ちゃん、わかったから、ほら、頭を上げてよ」
「ほんと!」
「えェ、約束するわ。だけど、来れたとしても、月に一、二度くらいよ」
「うん、ありがと」

 里子は屈託のない笑顔になった。
 そんな里子の横顔を見つめながら、もしかしたら、このコは私の秘めた想いを見抜いているのかも知れないと、ふ とそんな気がし、だが、素直に歓んでいる里子を見ていて、ただの考え過ぎだと思い直した。

 それにしても、今日は父娘(おやこ)から頭を下げられたわ……。

 そう思うと、ふいに可笑しくなってクスクスと笑ってしまい、そうした美都子を、里子は不思議そうに見ていた。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

レンタルオフィス、借りて下さい

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

転生世界が狭すぎる!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:19

彼という名の公式

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

超短編小説

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

能力学校での日常

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

処理中です...