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【第20話】
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「みっちゃん、ありがとう」
里子の感謝の言葉に、美都子は首をふった。
「私は何もしてないわ」
「ううん、お母さんの話が聞けて、気持ちの整理がついたもの」
「そう、ならよかった」
安心した、という顔で、美都子は里子と自分の紅茶を注ぎ足した。
「でも、不思議」
里子はクスッと笑った。
「何が?」
「お母さんが、私と同じように悩んでたなんて」
「母娘(おやこ)だからよ」
「私も、お母さんのように幸せになれるかな」
「なれるに決まってるじゃない。姉さんの娘だもの。あ、でも、姉さんの話、お父さんは知らないから、内緒よ」
「うん」
里子はレモンスライスをカップに浮かべた。
カップを見つめる里子の横顔が、美都子は美しいと思った。
まるで、姉が眼の前にいるような錯覚さえ覚える。
それほど里子は、早苗が二十代だった頃に生き写しだった。
ふいに美都子は目頭が熱くなった。
「ね、みっちゃんは結婚しないの?」
唐突に里子が訊いた。
「……………」
美都子は答えず、里子から視線を外した。
「ごめん。悪いこと訊いちゃったかな」
里子はバツの悪い顔をした。
「ううん、いいのよ、気にしないで。ただ、結婚って言葉が、遠い思い出のように響いたから、ちょっと戸惑ったの。それだけ、結婚には縁がなかったから」
「今まで、結婚したいひとはいなかったの?」
その問いに、美都子はかすかな胸の痛みを覚え、答えに窮した。
それでもわずかな間をおいてから、
「そうねェ」
そう切り出した。
「恋愛はひとなみにしたつもりだけど。結婚したい、って思える人はいなかったわ。長つづきもしなかった……。結局、本気で好きになれなかったのね。あとはお決まりのように、仕事に邁進するしかなかった。気づいたらもう四十七よ」
「まだ四十七でしょ。まだこれからじゃない」
里子の言葉に美都子は首をふり、
「この歳になるとね。男とか女とか、恋だとか愛だとか、自分が抱いていた感情までが、幻のように思えてくるの。すべてが夢じゃなかったのかって」
口許で微笑し、宙へと眼を投げた。その微笑がとても寂しい。
里子は何も言わず、美都子の顔を見つめた。
「でも、正直言うと、諦めてるのかも知れないわね。自分ではそう思いたくないけど」
美都子は眼を伏せた。
自分の中にある想いは、このまま胸の奥にしまいこんでおかなければならない。
誰にも知られず、ずっとこのまま。
会話が途切れ、美都子はサイド・ボードの時計に眼をやった。時刻は、十一時になろうとしている。
そろそろ帰ろうかと美都子は思い、それを口にしようとした時、
「あのね、みっちゃん」
ふいに里子が言った。
「お父さんのこと、頼めるかな」
「えッ?……」
とつぜんのことに美都子は驚いた。
「私が結婚しちゃうと、この家にお父さん独りになっちゃうでしょう。だから、たまには家に来て、話し相手になってほしいの。図々しいのは分かってるけど、ダメかな」
「急にそんなこと言われても……。それより、お父さんが困るんじゃないかしら」
「お父さんがいいなら、来てくれる?」
「……………」
美都子は戸惑う。
「みっちゃんが来てくれたら、お父さん歓ぶわ」
「そんなこと……」
「ううん、さっきだってみっちゃんの話に、うんうん、ってうなずいてたし、それによく笑ってた。お父さんのあんな楽しそうな顔、ずいぶん久しぶりだから」
そう言われてしまうと、美都子には言葉がない。
「ね、お願い」
里子は顔の前で手を合わせ、頭を下げた。
「里ちゃん、わかったから、ほら、頭を上げてよ」
「ほんと!」
「えェ、約束するわ。だけど、来れたとしても、月に一、二度くらいよ」
「うん、ありがと」
里子は屈託のない笑顔になった。
そんな里子の横顔を見つめながら、もしかしたら、このコは私の秘めた想いを見抜いているのかも知れないと、ふ とそんな気がし、だが、素直に歓んでいる里子を見ていて、ただの考え過ぎだと思い直した。
それにしても、今日は父娘(おやこ)から頭を下げられたわ……。
そう思うと、ふいに可笑しくなってクスクスと笑ってしまい、そうした美都子を、里子は不思議そうに見ていた。
里子の感謝の言葉に、美都子は首をふった。
「私は何もしてないわ」
「ううん、お母さんの話が聞けて、気持ちの整理がついたもの」
「そう、ならよかった」
安心した、という顔で、美都子は里子と自分の紅茶を注ぎ足した。
「でも、不思議」
里子はクスッと笑った。
「何が?」
「お母さんが、私と同じように悩んでたなんて」
「母娘(おやこ)だからよ」
「私も、お母さんのように幸せになれるかな」
「なれるに決まってるじゃない。姉さんの娘だもの。あ、でも、姉さんの話、お父さんは知らないから、内緒よ」
「うん」
里子はレモンスライスをカップに浮かべた。
カップを見つめる里子の横顔が、美都子は美しいと思った。
まるで、姉が眼の前にいるような錯覚さえ覚える。
それほど里子は、早苗が二十代だった頃に生き写しだった。
ふいに美都子は目頭が熱くなった。
「ね、みっちゃんは結婚しないの?」
唐突に里子が訊いた。
「……………」
美都子は答えず、里子から視線を外した。
「ごめん。悪いこと訊いちゃったかな」
里子はバツの悪い顔をした。
「ううん、いいのよ、気にしないで。ただ、結婚って言葉が、遠い思い出のように響いたから、ちょっと戸惑ったの。それだけ、結婚には縁がなかったから」
「今まで、結婚したいひとはいなかったの?」
その問いに、美都子はかすかな胸の痛みを覚え、答えに窮した。
それでもわずかな間をおいてから、
「そうねェ」
そう切り出した。
「恋愛はひとなみにしたつもりだけど。結婚したい、って思える人はいなかったわ。長つづきもしなかった……。結局、本気で好きになれなかったのね。あとはお決まりのように、仕事に邁進するしかなかった。気づいたらもう四十七よ」
「まだ四十七でしょ。まだこれからじゃない」
里子の言葉に美都子は首をふり、
「この歳になるとね。男とか女とか、恋だとか愛だとか、自分が抱いていた感情までが、幻のように思えてくるの。すべてが夢じゃなかったのかって」
口許で微笑し、宙へと眼を投げた。その微笑がとても寂しい。
里子は何も言わず、美都子の顔を見つめた。
「でも、正直言うと、諦めてるのかも知れないわね。自分ではそう思いたくないけど」
美都子は眼を伏せた。
自分の中にある想いは、このまま胸の奥にしまいこんでおかなければならない。
誰にも知られず、ずっとこのまま。
会話が途切れ、美都子はサイド・ボードの時計に眼をやった。時刻は、十一時になろうとしている。
そろそろ帰ろうかと美都子は思い、それを口にしようとした時、
「あのね、みっちゃん」
ふいに里子が言った。
「お父さんのこと、頼めるかな」
「えッ?……」
とつぜんのことに美都子は驚いた。
「私が結婚しちゃうと、この家にお父さん独りになっちゃうでしょう。だから、たまには家に来て、話し相手になってほしいの。図々しいのは分かってるけど、ダメかな」
「急にそんなこと言われても……。それより、お父さんが困るんじゃないかしら」
「お父さんがいいなら、来てくれる?」
「……………」
美都子は戸惑う。
「みっちゃんが来てくれたら、お父さん歓ぶわ」
「そんなこと……」
「ううん、さっきだってみっちゃんの話に、うんうん、ってうなずいてたし、それによく笑ってた。お父さんのあんな楽しそうな顔、ずいぶん久しぶりだから」
そう言われてしまうと、美都子には言葉がない。
「ね、お願い」
里子は顔の前で手を合わせ、頭を下げた。
「里ちゃん、わかったから、ほら、頭を上げてよ」
「ほんと!」
「えェ、約束するわ。だけど、来れたとしても、月に一、二度くらいよ」
「うん、ありがと」
里子は屈託のない笑顔になった。
そんな里子の横顔を見つめながら、もしかしたら、このコは私の秘めた想いを見抜いているのかも知れないと、ふ とそんな気がし、だが、素直に歓んでいる里子を見ていて、ただの考え過ぎだと思い直した。
それにしても、今日は父娘(おやこ)から頭を下げられたわ……。
そう思うと、ふいに可笑しくなってクスクスと笑ってしまい、そうした美都子を、里子は不思議そうに見ていた。
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