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【第29話】
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里子は人の波を掻き分けるように、走って交番に向かった。
交番の前に遠藤はいなかった。
息を整えながら周囲を見渡したが、やはり遠藤の姿はない。
帰ってしまったんだろうか、そう思っていると、地下鉄の入り口の横から、遠藤が歩いてきた。
「遅くなってごめんなさい。仕事が長引いちゃって。いないから帰ったのかと思った」
眼の前に足を止めた遠藤に、里子は言った。
「そこで、ストリート・ミュージシャンの唄を聴いてたんだ。結構上手くてさ。お互い一流じゃないもの同士で、親近感が湧いたよ」
遠藤は親指で背後を指し示し、そう言った。
「昨日言ったこと、気にしてるんだ」
「そんなんじゃないよ。一流じゃないのは、自分が一番わかってるから」
遠藤は薄く笑ったが、その笑みにはどこか寂しさがあった。
「今度、アナタの写真、観てみたいわ」
「観てどうするの」
「どうするってことはないけど、ただ観てみたいって思っただけ」
「何だ、少しはオレに興味を持ってくれたのかと思った」
「何言ってるのよ。それより……」
「あ、スマホね」
遠藤はジーンズの尻のポケットからスマート・フォンを取り出した。
「ありがと。このスマホ、どうしてアナタのところにあったんだろ。バッグから出した憶えはないんだけど……」
「もしかして、オレのこと疑ってる?」
「ううん、そんなんじゃないんだけど、気に障ったらごめんなさい。きっとう私も酔ってたから憶えてないのね」
「テーブルの下に落ちてたよ」
「そう……。ありがと」
結局、里子は自分の思ってることを口にできなかった。
「じゃあ、私帰るね」
「帰るの? せっかくだから呑みに行こうよ」
「今日は遠慮しとく。昨日呑み過ぎちゃったし、疲れてるの」
「そっか。じゃあ仕方ないな」
「ごめんね。今度は玲子も一緒に、三人で会いましょ」
里子は小さく手をふると、駅の入り口に向かった。
ホームは、仕事帰りのサラリーマンやOL、そして若者たちで溢れている。
もうすでに酔っているサラリーマンが、呪文を唱えるかのように、何やらブツブツと口許で呟いていた。
そんな中へ、電車がホームに入ってきた。
里子は満員電車の窓際に立ち、車窓の外へと眼を投げた。
ほんとに、スマホを忘れたのかな……。
そんなことを里子は考えた。
どんなに考えてみても、遠藤の部屋でバッグを開けてない。
酔っていたことは確かだが、記憶をなくすほどではなかった。
そうでなければ、遠藤を送ることはできなかっただろう。
だとすると、やはり遠藤が嘘を言ってることになる。
嘘なら、なぜそんなことをしたのだろうか。
ただの悪戯ならほどがある。
オタクのこと好きになってきた――
遠藤のその言葉が甦る。
そのとき、ほんの一瞬だが、胸がキュンとなるのを覚えた。
だがすぐに首をふった。
あれは些細な口論の末に出た言葉なのだ。
本気なわけがない。
いや、そんなとを思うほうがどうかしている。
いったい何を期待しているのか。
バカよ……。
里子はため息をつき、車窓に映る自分の顔を見つめた。
高田馬場を下車し、改札を出たところでスマート・フォンが鳴った。
着信表示を見ると、倉田だった。
「元気?」
倉田の声に、里子の胸は高鳴った。
「うん、元気よ。私から電話しようと思ってたのに、孝紀から掛かってきちゃった」
「そうなんだ。だったら、待ってればよかったな」
そこで会話が止まる。
何か話そうと思えば思うほど、言葉は胸の中で絡まるだけだった。
沈黙の中、神経を耳に集中してお互いが話し出すのを待っている。
その沈黙を破ったのは倉田だった。
「明日会えないかな。話があるんだ」
心なしか倉田の声が低くなった。
「いいわよ。私もちゃんと話したいと思ってたから」
里子はそう答えながら、倉田の声の変化が気になった。
「じゃあ、新宿の『Bee』に八時でいいかな」
「うん、わかった」
電話を切った里子は、言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
交番の前に遠藤はいなかった。
息を整えながら周囲を見渡したが、やはり遠藤の姿はない。
帰ってしまったんだろうか、そう思っていると、地下鉄の入り口の横から、遠藤が歩いてきた。
「遅くなってごめんなさい。仕事が長引いちゃって。いないから帰ったのかと思った」
眼の前に足を止めた遠藤に、里子は言った。
「そこで、ストリート・ミュージシャンの唄を聴いてたんだ。結構上手くてさ。お互い一流じゃないもの同士で、親近感が湧いたよ」
遠藤は親指で背後を指し示し、そう言った。
「昨日言ったこと、気にしてるんだ」
「そんなんじゃないよ。一流じゃないのは、自分が一番わかってるから」
遠藤は薄く笑ったが、その笑みにはどこか寂しさがあった。
「今度、アナタの写真、観てみたいわ」
「観てどうするの」
「どうするってことはないけど、ただ観てみたいって思っただけ」
「何だ、少しはオレに興味を持ってくれたのかと思った」
「何言ってるのよ。それより……」
「あ、スマホね」
遠藤はジーンズの尻のポケットからスマート・フォンを取り出した。
「ありがと。このスマホ、どうしてアナタのところにあったんだろ。バッグから出した憶えはないんだけど……」
「もしかして、オレのこと疑ってる?」
「ううん、そんなんじゃないんだけど、気に障ったらごめんなさい。きっとう私も酔ってたから憶えてないのね」
「テーブルの下に落ちてたよ」
「そう……。ありがと」
結局、里子は自分の思ってることを口にできなかった。
「じゃあ、私帰るね」
「帰るの? せっかくだから呑みに行こうよ」
「今日は遠慮しとく。昨日呑み過ぎちゃったし、疲れてるの」
「そっか。じゃあ仕方ないな」
「ごめんね。今度は玲子も一緒に、三人で会いましょ」
里子は小さく手をふると、駅の入り口に向かった。
ホームは、仕事帰りのサラリーマンやOL、そして若者たちで溢れている。
もうすでに酔っているサラリーマンが、呪文を唱えるかのように、何やらブツブツと口許で呟いていた。
そんな中へ、電車がホームに入ってきた。
里子は満員電車の窓際に立ち、車窓の外へと眼を投げた。
ほんとに、スマホを忘れたのかな……。
そんなことを里子は考えた。
どんなに考えてみても、遠藤の部屋でバッグを開けてない。
酔っていたことは確かだが、記憶をなくすほどではなかった。
そうでなければ、遠藤を送ることはできなかっただろう。
だとすると、やはり遠藤が嘘を言ってることになる。
嘘なら、なぜそんなことをしたのだろうか。
ただの悪戯ならほどがある。
オタクのこと好きになってきた――
遠藤のその言葉が甦る。
そのとき、ほんの一瞬だが、胸がキュンとなるのを覚えた。
だがすぐに首をふった。
あれは些細な口論の末に出た言葉なのだ。
本気なわけがない。
いや、そんなとを思うほうがどうかしている。
いったい何を期待しているのか。
バカよ……。
里子はため息をつき、車窓に映る自分の顔を見つめた。
高田馬場を下車し、改札を出たところでスマート・フォンが鳴った。
着信表示を見ると、倉田だった。
「元気?」
倉田の声に、里子の胸は高鳴った。
「うん、元気よ。私から電話しようと思ってたのに、孝紀から掛かってきちゃった」
「そうなんだ。だったら、待ってればよかったな」
そこで会話が止まる。
何か話そうと思えば思うほど、言葉は胸の中で絡まるだけだった。
沈黙の中、神経を耳に集中してお互いが話し出すのを待っている。
その沈黙を破ったのは倉田だった。
「明日会えないかな。話があるんだ」
心なしか倉田の声が低くなった。
「いいわよ。私もちゃんと話したいと思ってたから」
里子はそう答えながら、倉田の声の変化が気になった。
「じゃあ、新宿の『Bee』に八時でいいかな」
「うん、わかった」
電話を切った里子は、言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
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