里子の恋愛

星 陽月

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【第32話】

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 いつものように宗太郎は、リビングのソファで焼酎の水割りを呑んでいる。
 そのソファの隅には、またいつものようにとらの助が身体を丸めて眠っていた。
 ふと、玄関のドアが開閉する音がして、「里子だな」そう思い、宗太郎はサイド・ボードの時計に眼をやった。
 もうじき、深夜の一時になるところだ。

「ただいまァ」

 リビングのドアが開き、里子が入ってきた。
 そのままキッチンに行き、冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取ると、グラスにも注がずに口に運んだ。
 そんな里子に、

「珍しく酔ってるんだな」

 宗太郎は声をかけた。

「そうなんですゥ、今日は沢山呑んできちゃいましたァ」

 里子は呂律が廻らなくなっている。
 ふらつく足で、宗太郎の隣に坐った。

「とらの助は寝てるのねェ」

 里子がやさしく撫でると、とらの助は顔を上げ、「ニャア」と眼を細めて鳴き、喉をゴロゴロし始めた。

「そんなに呑んで、明日は大丈夫なのか? また朝からドタバタするのはごめんだぞ」
「仕事なんて、もうどうでもいいんだもんねェ」

 とらの助に向けて言ったその言葉に、宗太郎は里子を見つめた。

「何だ、会社で嫌なことでもあったのか?」

 里子は答えず、とらの助を撫でている。

「どうしたんだ、言ってみろ」

 宗太郎は、手にしていたグラスをテーブルに置いた。

「ミスでもしたか?」

 里子は口を閉ざしたままでいる。
 肩が小刻みに震えている。

「里子……」

 里子が泣いていることに気づき、だが、宗太郎はどう声をかけていいか分からず狼狽えた。
 それでも、声を押し殺し、むせび泣く里子の姿がいたたまれず、そっと肩に手を置いた。
 それで抑えていた感情の糸が切れたのか、里子は宗太郎の胸に跳びこんでいた。
 宗太郎は何も言わず、泣きつづける里子の髪を撫でてやることしかできなかった。
 しばらくしてようやく里子も落ち着き、宗太郎から身体を離した。

「ごめんね、とつぜん泣いたりして」

 里子は無理に笑顔をつくる。
 涙に赤くなった眼が痛ましい。

「泣きたいときは泣けばいいさ。そうすれば、胸に溜まってたものが、涙で洗い流される」

 里子は、うん、と小さくうなずいた。

「泣いたら、酔いも醒めちゃった」
「すっきりしたか」

 宗太郎は理由を訊かず、立ち上がると棚からグラスを取ってきて水を注ぎ里子に渡した。

「ありがと」

 里子は一気に飲み干すと、

「美味しい」

 グラスを置き、宗太郎の水割りをつくり足した。

「訊かないの? 泣いた理由」
「お前が話したくなったら、話せばいいさ」

 その宗太郎の優しさに、里子は鼻の奥が熱くなった。
 涙がまたこみ上げる。

「うん、じゃあ、シャワーを浴びて寝るね」

 涙を堪え、里子は立ち上がった。
 浴室に向かいながら、ふと足を止める。

「お父さん」

 ふり返らずに言った。
 宗太郎は、里子の背に眼を向ける。

「私、孝紀と別れたから。私からフッてやったの。だから、結婚ダメになっちゃった……。今日はこれ以上話せない。また、泣き出しそうだから。ごめんね」

 そのまま浴室に向かう里子に、宗太郎は何か言ってやらなければと思い、だが、結局は何も言えずに開きかけた口を閉じた。
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