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【第48話】
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「すいません。追い立てたみたいで」
店の外に見送りに出た女将が、申しわけなさそうに言った。
「気にしないでください。ちょうど出ようと思っていたところですから」
「感謝いたします。ほんとにどうもすいません。ありがとうございました」
女将は丁寧に頭を下げた。
「板さんに、美味しかったとお伝えください。また来ます」
「はい、お待ちしております」
そう言うと、女将は美都子に顔を向け、
「また、いらしてください」
と微笑んだ。
「はい」
美都子も笑みで応えた。
「じゃあ、これで」
宗太郎が言うと、女将は、「ありがとうございました」ともう一度頭を深く下げた。
店を離れて、少し歩いたところで美都子は店のほうへとふり返り、
「いい女将さんね」
そう言った。
「あァ、いい人だよ」
「義兄さんじゃなくても、あの人なら誰でも惚れるわね。女の私でも、あの微笑には見惚れたもの」
「同性でも、そんなことがあるの?」
「あるわよ。美しい人は、同性だって見惚れてしまうの」
「そういうものかね」
宗太郎は少し考えこみ、複雑な顔をした。
晴海通りに出ると、思い出したように宗太郎は立ち止まり、少し呑んでいかないか、と美都子を誘った。
「落ち着いた店があるんだ」
そう言う宗太郎に、美都子も呑みたい気分だったから従った。
その店は、並木通りを入り、一階がイタリア・ブランドのブティックになっているビルの地下にあるカクテル・バーだった。
ふたりはカウンターに坐り、宗太郎はバーボンのロックを、美都子はワイン・ベースのベリーニを頼んだ。
「変わらないな、この店も」
バーテンダーが離れたところで、宗太郎はぽつりと言った。
「ここにもよく来てたの?」
「早苗と一度だけ来たことがあった」
「お酒が呑めない姉さんと?」
「あァ。その日、仕事が終わるころに、とつぜん早苗から電話があったんだ。銀座に来てるから食事をしましょうってね――」
仕事が終わり、宗太郎が待ち合わせの場所に行くと、お洒落をした早苗が笑顔で迎えた。
「何が食べたいんだ」と訊くと、折角銀座まで来たんだから、「豪華にフランス料理が食べたい」と早苗は答え、宗太郎に腕を組んだ。
どこかはしゃいでいる早苗を不思議に思いながらも、たまにはいいだろうと宗太郎はそのリクエストに応えることにした。
食事を終え、並木通りを歩いていると、早苗がふと、地下につづくカクテル・バーの入り口に立ち止まり、
「一度はこういう店に入ってみたい」
と先に階段を下りていった。
カウンターに坐るなり、早苗は店内を見廻し、「素敵なお店ね」そう呟くと、
「私がお酒呑めたら、宗太郎さんとこんなお店にたくさん来れたのに」
寂しそうな顔をした。
「何だ、こういう店に来たかったのか。だったら、これからいつでも連れてきてやるさ。酒が呑めなくても、ノン・アルコールのカクテルがあるんだから」
宗太郎がそう返すと、早苗は首をふり、
「ううん、いいの。今日こうして来れただけで」
薄い笑みを浮かべた。
だがすぐにパッと明るい顔になって、
「だから今日は、美味しいカクテルが呑みたいわ。ちゃんとお酒のはいってるもの」
そう言った。
そんな早苗に、どうしたんだ今日は、と宗太郎は訝りながらもアルコールの軽いカクテルをバテンダーに創ってもらった。
カウンターに出されたカクテルを、早苗はしばらく眺めたあと、手に取るとゆっくり時間をかけて呑んでいった。
そして、ひとくちほどのわずかなカクテルが残った時、早苗はグラスを一度眼の前に掲げると、「ありがとう」と囁くように呟いてカクテルを呑み干した。
ありがとう、という言葉が気になって宗太郎は顔を向けたが、
「何でもないの」
と早苗は微笑みを浮かべ、「帰ろう。宗太郎さん」そう言った。
その一週間後、早苗は入院したのだった――
店の外に見送りに出た女将が、申しわけなさそうに言った。
「気にしないでください。ちょうど出ようと思っていたところですから」
「感謝いたします。ほんとにどうもすいません。ありがとうございました」
女将は丁寧に頭を下げた。
「板さんに、美味しかったとお伝えください。また来ます」
「はい、お待ちしております」
そう言うと、女将は美都子に顔を向け、
「また、いらしてください」
と微笑んだ。
「はい」
美都子も笑みで応えた。
「じゃあ、これで」
宗太郎が言うと、女将は、「ありがとうございました」ともう一度頭を深く下げた。
店を離れて、少し歩いたところで美都子は店のほうへとふり返り、
「いい女将さんね」
そう言った。
「あァ、いい人だよ」
「義兄さんじゃなくても、あの人なら誰でも惚れるわね。女の私でも、あの微笑には見惚れたもの」
「同性でも、そんなことがあるの?」
「あるわよ。美しい人は、同性だって見惚れてしまうの」
「そういうものかね」
宗太郎は少し考えこみ、複雑な顔をした。
晴海通りに出ると、思い出したように宗太郎は立ち止まり、少し呑んでいかないか、と美都子を誘った。
「落ち着いた店があるんだ」
そう言う宗太郎に、美都子も呑みたい気分だったから従った。
その店は、並木通りを入り、一階がイタリア・ブランドのブティックになっているビルの地下にあるカクテル・バーだった。
ふたりはカウンターに坐り、宗太郎はバーボンのロックを、美都子はワイン・ベースのベリーニを頼んだ。
「変わらないな、この店も」
バーテンダーが離れたところで、宗太郎はぽつりと言った。
「ここにもよく来てたの?」
「早苗と一度だけ来たことがあった」
「お酒が呑めない姉さんと?」
「あァ。その日、仕事が終わるころに、とつぜん早苗から電話があったんだ。銀座に来てるから食事をしましょうってね――」
仕事が終わり、宗太郎が待ち合わせの場所に行くと、お洒落をした早苗が笑顔で迎えた。
「何が食べたいんだ」と訊くと、折角銀座まで来たんだから、「豪華にフランス料理が食べたい」と早苗は答え、宗太郎に腕を組んだ。
どこかはしゃいでいる早苗を不思議に思いながらも、たまにはいいだろうと宗太郎はそのリクエストに応えることにした。
食事を終え、並木通りを歩いていると、早苗がふと、地下につづくカクテル・バーの入り口に立ち止まり、
「一度はこういう店に入ってみたい」
と先に階段を下りていった。
カウンターに坐るなり、早苗は店内を見廻し、「素敵なお店ね」そう呟くと、
「私がお酒呑めたら、宗太郎さんとこんなお店にたくさん来れたのに」
寂しそうな顔をした。
「何だ、こういう店に来たかったのか。だったら、これからいつでも連れてきてやるさ。酒が呑めなくても、ノン・アルコールのカクテルがあるんだから」
宗太郎がそう返すと、早苗は首をふり、
「ううん、いいの。今日こうして来れただけで」
薄い笑みを浮かべた。
だがすぐにパッと明るい顔になって、
「だから今日は、美味しいカクテルが呑みたいわ。ちゃんとお酒のはいってるもの」
そう言った。
そんな早苗に、どうしたんだ今日は、と宗太郎は訝りながらもアルコールの軽いカクテルをバテンダーに創ってもらった。
カウンターに出されたカクテルを、早苗はしばらく眺めたあと、手に取るとゆっくり時間をかけて呑んでいった。
そして、ひとくちほどのわずかなカクテルが残った時、早苗はグラスを一度眼の前に掲げると、「ありがとう」と囁くように呟いてカクテルを呑み干した。
ありがとう、という言葉が気になって宗太郎は顔を向けたが、
「何でもないの」
と早苗は微笑みを浮かべ、「帰ろう。宗太郎さん」そう言った。
その一週間後、早苗は入院したのだった――
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