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【チャプター 10】
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「どうしたのよ。なにをそんなに怯えているの? 会社でなにかあったの? それとも、なにか事件にでもまきこまれた? ねえ、なにか言ってよ。あなた」
妻は矢継ぎ早に言ってきた。
その妻に、
「そうさ、僕は怯えてるよ。だってそうだろう? 僕は君の首をこの手で絞めて殺したんだ。それなのに君はこうして生きて、いま僕の前にいる。怯えるのも当然じゃないか」
思わずそう言ってやりたいのを、何とか咽元で止め、
「いや、なんでもない。心配することはないんだ。ちょっと疲れているだけだよ」
中沢はテーブルの缶ビールを手に取った。
「そう。それならいいんだけど。だったら、食事ができるまでビールを飲んで待っていて」
妻はそう言うと、まだ心配そうな表情をわずかに崩して笑みをつくり、キッチンへともどっていった。
中沢は手にした缶ビールを咽を鳴らして半分ほど飲むと、ゆっくりと息を吐き出した。
すると、胸に巣食っていた恐怖が和らいでいくような気がした。
缶ビールをテーブルに置き、小鉢に眼を落とす。
小鉢には、もうすでに作っておいたのでだろう、芋の煮つけが入っていた。
箸と小鉢を手にし、中沢は芋の煮つけを口に運んだ。
芋の甘みが口の中に広がる。
その味は確かに、いままでなんどとなく口にした妻の味だった。
洋食の翌日は必ずといっていいほど、和食にするのが妻の夕食のメニューだ。
それを証拠に、キッチンからは魚を焼く匂いがかすかに漂ってきている。
中沢は残りのビールを飲み干すと、キッチンへとふり返った。
キッチンの中で立ち働く妻の姿がある。
そこには、それまでの日常と何ら変わらぬ光景があった。
(どういうことなんだ!)
殺したはずの妻がそこにいる。
中沢は妻を見つめずにはいられなかった。
妻が生きている――
彼にとって、それは信じがたい現実だった。
それだけに、日中に見た幻を、いまも見ているのだとしか思えなかった。
だが妻は確かに、息をし、生きている。
その瞳には光りが宿り、唇は息づいている。
あのとき、妻は死んでいなかったのだ。
そう、あのとき、中沢を狂わせた嫉妬の炎は、胸の淵で膨れ上がった怒りと憎悪に引火して手へと流れた。
だが、正気を失っていた彼は、妻の死を確認するまでにはいたらなかった。
どれほどの力で人が死ぬのかなど知るよしもなく、それだけに、彼は気を失っていただけの妻を、死んだと思いこんでしまったのではないか。
衣服から下着まですべて脱がせたにもかかわらず、呼吸をする胸の動きを見すごしてしまったのだ。
そうとしか考えられない。
妻は、埋められた地中で意識を取りもどし、そこから必死の思いで命からがら生還した。
だがどうやって、妻は自宅にもどることができたのか。
一糸纏(いっしまと)わぬその姿で、だれにも出会わずに自宅までもどれるわけがない。
考えられるとすれば、山林から迷い出た妻を、山間の舗道を通りかかった車が送り届けてくれたということだ。
車の持ち主は、よほど驚いたことだろう。
裸の上に土にまみれた女がとつぜん山林の中から現れたのだ。
驚かないわけがない。
だれしもが思うようにこれは事件だと判断し、何があったのかを訊き出そうとしたに違いなかった。
妻は矢継ぎ早に言ってきた。
その妻に、
「そうさ、僕は怯えてるよ。だってそうだろう? 僕は君の首をこの手で絞めて殺したんだ。それなのに君はこうして生きて、いま僕の前にいる。怯えるのも当然じゃないか」
思わずそう言ってやりたいのを、何とか咽元で止め、
「いや、なんでもない。心配することはないんだ。ちょっと疲れているだけだよ」
中沢はテーブルの缶ビールを手に取った。
「そう。それならいいんだけど。だったら、食事ができるまでビールを飲んで待っていて」
妻はそう言うと、まだ心配そうな表情をわずかに崩して笑みをつくり、キッチンへともどっていった。
中沢は手にした缶ビールを咽を鳴らして半分ほど飲むと、ゆっくりと息を吐き出した。
すると、胸に巣食っていた恐怖が和らいでいくような気がした。
缶ビールをテーブルに置き、小鉢に眼を落とす。
小鉢には、もうすでに作っておいたのでだろう、芋の煮つけが入っていた。
箸と小鉢を手にし、中沢は芋の煮つけを口に運んだ。
芋の甘みが口の中に広がる。
その味は確かに、いままでなんどとなく口にした妻の味だった。
洋食の翌日は必ずといっていいほど、和食にするのが妻の夕食のメニューだ。
それを証拠に、キッチンからは魚を焼く匂いがかすかに漂ってきている。
中沢は残りのビールを飲み干すと、キッチンへとふり返った。
キッチンの中で立ち働く妻の姿がある。
そこには、それまでの日常と何ら変わらぬ光景があった。
(どういうことなんだ!)
殺したはずの妻がそこにいる。
中沢は妻を見つめずにはいられなかった。
妻が生きている――
彼にとって、それは信じがたい現実だった。
それだけに、日中に見た幻を、いまも見ているのだとしか思えなかった。
だが妻は確かに、息をし、生きている。
その瞳には光りが宿り、唇は息づいている。
あのとき、妻は死んでいなかったのだ。
そう、あのとき、中沢を狂わせた嫉妬の炎は、胸の淵で膨れ上がった怒りと憎悪に引火して手へと流れた。
だが、正気を失っていた彼は、妻の死を確認するまでにはいたらなかった。
どれほどの力で人が死ぬのかなど知るよしもなく、それだけに、彼は気を失っていただけの妻を、死んだと思いこんでしまったのではないか。
衣服から下着まですべて脱がせたにもかかわらず、呼吸をする胸の動きを見すごしてしまったのだ。
そうとしか考えられない。
妻は、埋められた地中で意識を取りもどし、そこから必死の思いで命からがら生還した。
だがどうやって、妻は自宅にもどることができたのか。
一糸纏(いっしまと)わぬその姿で、だれにも出会わずに自宅までもどれるわけがない。
考えられるとすれば、山林から迷い出た妻を、山間の舗道を通りかかった車が送り届けてくれたということだ。
車の持ち主は、よほど驚いたことだろう。
裸の上に土にまみれた女がとつぜん山林の中から現れたのだ。
驚かないわけがない。
だれしもが思うようにこれは事件だと判断し、何があったのかを訊き出そうとしたに違いなかった。
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