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【チャプター 12】
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妻の微笑みにだ。
この半年のあいだ、妻が浮かべた微笑みには偽りがあった。
それは夫への裏切りを被い隠すために創られた、うわべだけのものだった。
だが、妻がいま見せた微笑みには偽りがなかった。
そう、あのころのままの、偽りのない心からのものだった。
それはなぜなのか。
中沢の胸に疑問が生じた。
自分を殺そうとした夫に、なぜ、そんな微笑みを向けることができるのか。
怒りや憎しみを覚えるのが当然ではないのか。
いや、それ以前に怯えというものがあってもいいはずだ。
なのに妻には、怯えの色がどこにもない。
なぜ――
妻は許すつもりなのか。
命を奪おうとした夫を、それを口にしようともせず、何事もなかったように許そうというのか。
違う。
そうではない。
中沢が感じた違和感。
それは、別にあった。
妻が見せた微笑みも確かにそうだが、それを拭い去ってしまうほどの違和感。
中沢は妻を見据えている。
その視線は、身体の一部へと注がれている。
それは、首筋だった。
白く細く滑らかなその首筋には、傷ひとつなかった。
どうして傷ひとつないのか。
そこには、なくてはならないものがあるはずだ。
中沢が首を絞めたときにつけた指の痕。
痣だ。
昨夜、妻が死んだと思いこみ、衣服を脱がせてシーツにその身を包みこんだそのとき、中沢は確かに見たのだ。
赤くくっきりと指の形をした痕が妻の首筋にあるのを。
それがいまはないのだ。
その部分にファンデーションを塗ったような形跡もない。
(なぜだ。あの痣が一日で消えてしまったとでもいうのか……)
それを確かめようと、中沢は妻に声をかけようとし、だがそのとき、視界がぐらりと揺れた。
(なんだ……?)
そう思ったとたん、身体までが傾いだ。
「あなた!」
妻がキッチンからあわてて出てきて、中沢の身体を支えた。
「大丈夫だよ。ちょっと眩暈がしただけだから」
中沢はそう口にしたものの、ひとりではとても立っていられそうになかった。
「ほんとに疲れてるのね。ベッドで横になったほうがいいわ」
妻に支えられながら2階の寝室に入ると、中沢はベッドへ横になった。
「食事ができたら、声をかけるわね」
妻はそう言うと、階下へ下りていった。
闇が寝室を被っている。
中沢は瞼を閉じた。
頭の中で、風に似た音がうるさいほどに騒いでいる。
それでいながら、意識が闇の中へと引きずりこまれていきそうだった。
酔ったのか。
いや、そんなはずはない。
昨夜はワイン1本だが、いまは缶ビール1本だ。
それで酔うはずがない。
やはり、妻を殺してしまったという罪への意識が妄想を作り、その恐怖に1日中苛まれつづけて、精神が疲れきってしまっていたからだろう。
意識が急速に闇へと落ちていこうとしている。
それを堪えようと瞼を開く。
それでも瞼はすぐに閉じてしまう。
しだいに意識は混濁していき、妻に感じた疑問を考える間もなく中沢は深い闇へと落ちていった。
この半年のあいだ、妻が浮かべた微笑みには偽りがあった。
それは夫への裏切りを被い隠すために創られた、うわべだけのものだった。
だが、妻がいま見せた微笑みには偽りがなかった。
そう、あのころのままの、偽りのない心からのものだった。
それはなぜなのか。
中沢の胸に疑問が生じた。
自分を殺そうとした夫に、なぜ、そんな微笑みを向けることができるのか。
怒りや憎しみを覚えるのが当然ではないのか。
いや、それ以前に怯えというものがあってもいいはずだ。
なのに妻には、怯えの色がどこにもない。
なぜ――
妻は許すつもりなのか。
命を奪おうとした夫を、それを口にしようともせず、何事もなかったように許そうというのか。
違う。
そうではない。
中沢が感じた違和感。
それは、別にあった。
妻が見せた微笑みも確かにそうだが、それを拭い去ってしまうほどの違和感。
中沢は妻を見据えている。
その視線は、身体の一部へと注がれている。
それは、首筋だった。
白く細く滑らかなその首筋には、傷ひとつなかった。
どうして傷ひとつないのか。
そこには、なくてはならないものがあるはずだ。
中沢が首を絞めたときにつけた指の痕。
痣だ。
昨夜、妻が死んだと思いこみ、衣服を脱がせてシーツにその身を包みこんだそのとき、中沢は確かに見たのだ。
赤くくっきりと指の形をした痕が妻の首筋にあるのを。
それがいまはないのだ。
その部分にファンデーションを塗ったような形跡もない。
(なぜだ。あの痣が一日で消えてしまったとでもいうのか……)
それを確かめようと、中沢は妻に声をかけようとし、だがそのとき、視界がぐらりと揺れた。
(なんだ……?)
そう思ったとたん、身体までが傾いだ。
「あなた!」
妻がキッチンからあわてて出てきて、中沢の身体を支えた。
「大丈夫だよ。ちょっと眩暈がしただけだから」
中沢はそう口にしたものの、ひとりではとても立っていられそうになかった。
「ほんとに疲れてるのね。ベッドで横になったほうがいいわ」
妻に支えられながら2階の寝室に入ると、中沢はベッドへ横になった。
「食事ができたら、声をかけるわね」
妻はそう言うと、階下へ下りていった。
闇が寝室を被っている。
中沢は瞼を閉じた。
頭の中で、風に似た音がうるさいほどに騒いでいる。
それでいながら、意識が闇の中へと引きずりこまれていきそうだった。
酔ったのか。
いや、そんなはずはない。
昨夜はワイン1本だが、いまは缶ビール1本だ。
それで酔うはずがない。
やはり、妻を殺してしまったという罪への意識が妄想を作り、その恐怖に1日中苛まれつづけて、精神が疲れきってしまっていたからだろう。
意識が急速に闇へと落ちていこうとしている。
それを堪えようと瞼を開く。
それでも瞼はすぐに閉じてしまう。
しだいに意識は混濁していき、妻に感じた疑問を考える間もなく中沢は深い闇へと落ちていった。
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