11 / 71
チャプター【11】
しおりを挟む
「さっきも言ったが、わたしが君に投与したのは、抗生物質と鎮痛剤、それにビタミン剤だけだ。他にはなにもしていない」
久坂が言う。
そこでようやく、女は久坂から手を放すと、力つきたようにテーブルの上へ坐りこんでしまった。
「私は、どうなっているんだ……」
肩を落とし、女は言った。眼から、金碧色の光は消えている。
「そのことを、これから話そうとしていたんだよ」
久坂は女を立たせると、自分が坐っていたソファへ坐らせた。
そして、女が坐っていたソファにあるブランケットを取ると、彼女の肩から掛けてやった。
「それに、訊きたいこともあるからね」
久坂は、それまで女が坐っていたソファに坐り、
「だが、その前に、まずは自己紹介をしておこう。わたしの名は、久坂善行。生体工学(バイオニクス)の科学者だ」
自分の名と職業を告げた。
「あんた、科学者だったのか……」
科学者と聞いて、久坂が抗生物質などの薬剤を所持しているのことに、女は得心したようだった。
「君の名は?」
久坂が訊く。
わずかな間があって、女は眼を伏せたまま、
「私は、天月、蘭……」
ぽつりと、名を告げた。
「天月蘭、か。うん。実に、いい名だね。それじゃあ、天月君」
久坂がそう言うと、
「蘭でいい」
女――蘭は言った。
「わかった。では、蘭。君は、自分がそうなってしまった経緯を、憶えているかい?」
蘭は、首を強くふり、
「なにも憶えていない。なにも……、思い出せない……」
眼を上げずに言った。
「そうか。なるほど――」
久坂は、指先で眼鏡を上げると、
「君は、自分の身に起きたことにひどいショックを受け、そのときの記憶を失ってしまったんだよ。そういうことはあるんだ。人間は、あまりにもショックが大きいと、脳がその記憶を遮断してしまうのさ。精神を崩壊させないためにね。日が経てば思い出すことが多いが、まったく思い出さない場合もある」
言った。
「――――」
蘭は黙ってうなずいた。
「なにも、無理に思い出そうとすることはない。自然に思い出すのがいちばんだからね。じゃあ、わたしから、いまの君の状態を話そう。さらなるショックを受けるだろうが、これからの君のためには、話さなければならない」
「――――」
「君は、ウイルスに感染し、発症したんだ」
久坂は、はっきりと言った。
「ウイルスに感染?……」
蘭は眼を上げて、久坂を見た。
「そうだ。アビスタントに咬まれてね。それが、その首のつけ根にあるふたつの傷だ」
久坂は、蘭の首に視線を向けた。
「アビスタント……」
蘭は右腕を上げると、ふたつの傷に指先で触れた。
「そうだ。そしてじきに、異形(いぎょう)へと変異してしまうんだ」
そう言うと久坂は、わずかに間を空け、
「人とは違うものにね」
眼鏡の奥から蘭を見つめ、そして語りはじめた。
久坂が言う。
そこでようやく、女は久坂から手を放すと、力つきたようにテーブルの上へ坐りこんでしまった。
「私は、どうなっているんだ……」
肩を落とし、女は言った。眼から、金碧色の光は消えている。
「そのことを、これから話そうとしていたんだよ」
久坂は女を立たせると、自分が坐っていたソファへ坐らせた。
そして、女が坐っていたソファにあるブランケットを取ると、彼女の肩から掛けてやった。
「それに、訊きたいこともあるからね」
久坂は、それまで女が坐っていたソファに坐り、
「だが、その前に、まずは自己紹介をしておこう。わたしの名は、久坂善行。生体工学(バイオニクス)の科学者だ」
自分の名と職業を告げた。
「あんた、科学者だったのか……」
科学者と聞いて、久坂が抗生物質などの薬剤を所持しているのことに、女は得心したようだった。
「君の名は?」
久坂が訊く。
わずかな間があって、女は眼を伏せたまま、
「私は、天月、蘭……」
ぽつりと、名を告げた。
「天月蘭、か。うん。実に、いい名だね。それじゃあ、天月君」
久坂がそう言うと、
「蘭でいい」
女――蘭は言った。
「わかった。では、蘭。君は、自分がそうなってしまった経緯を、憶えているかい?」
蘭は、首を強くふり、
「なにも憶えていない。なにも……、思い出せない……」
眼を上げずに言った。
「そうか。なるほど――」
久坂は、指先で眼鏡を上げると、
「君は、自分の身に起きたことにひどいショックを受け、そのときの記憶を失ってしまったんだよ。そういうことはあるんだ。人間は、あまりにもショックが大きいと、脳がその記憶を遮断してしまうのさ。精神を崩壊させないためにね。日が経てば思い出すことが多いが、まったく思い出さない場合もある」
言った。
「――――」
蘭は黙ってうなずいた。
「なにも、無理に思い出そうとすることはない。自然に思い出すのがいちばんだからね。じゃあ、わたしから、いまの君の状態を話そう。さらなるショックを受けるだろうが、これからの君のためには、話さなければならない」
「――――」
「君は、ウイルスに感染し、発症したんだ」
久坂は、はっきりと言った。
「ウイルスに感染?……」
蘭は眼を上げて、久坂を見た。
「そうだ。アビスタントに咬まれてね。それが、その首のつけ根にあるふたつの傷だ」
久坂は、蘭の首に視線を向けた。
「アビスタント……」
蘭は右腕を上げると、ふたつの傷に指先で触れた。
「そうだ。そしてじきに、異形(いぎょう)へと変異してしまうんだ」
そう言うと久坂は、わずかに間を空け、
「人とは違うものにね」
眼鏡の奥から蘭を見つめ、そして語りはじめた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
29
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる