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チャプター【26】
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「きゃあッ!」
思わず、蘭は声をあげていた。
怯えながら、背後へゆっくりと首をねじる。
しかし、そこにはだれもいなかった。
赤いトレンチ・コートの女の姿も消えている。
女はどこへいったのか。
この近辺に住んでいる女だったのか。
それとも、先の十字路を左右どちらかに曲がったのか。
しかし、そのどちらとも言えない。
なぜなら、蘭が後方へとふり返っていたのは数十秒である。
女は、蘭が背後に戦慄を感じてふり返るまでは、前方3メートルほど先を歩いていたのだ。
この近辺の家に入ったのならば、玄関のドアの開閉の音が聴こえてくるだろうし、先の十字路を走って曲がろうとしても、わずか数秒で曲がり切れるものではない。
ならば、どこへ。
わからない。
女が、忽然(こつぜん)とそこから消えたとしか言いようがなかった。
そして、だれもいないはずなのに、ひやりと首筋に触れたあれは何だったのか。
(どういうことよ……)
蘭は恐くなって、小走りで自宅へ向かった。
自宅へ帰り着き、蘭はインターフォンを押さずに、指紋認証スキャンに右の手のひらを認識させてドアを開けた。
家の中は暗かった。
廊下にもリビングにも、灯りが点いていない。
(怒って、どこかへ出かけたのかな。それとも、先に寝ちゃった?)
廊下の灯りを点け靴を脱ぐと、蘭はリビングへ向かった。
リビングに入ると、暗がりの中にTVが点いており、ソファに夫の背があった。
「ただいま」
声をかけたが、夫は返事をしない。
やはり怒っているんだ。
そう思いながら、
「暗いところでTVを見てたら、眼を悪くするわよ」
灯りを点けた。
夫はふり返りもせずに、黙っている。
蘭は、夫のもとへ向かった。
「遅くなって、ごめんね。私だって、早く帰りたかったんだけど、残業させられちゃって」
そう話しかけながら夫の傍らに進み、そこで、蘭の足が竦(すく)むように止まった。
「!――」
夫を見つめる蘭の眼が、驚愕に見開かれていた。
「とし……」
利行、と夫の名を言おうとし、だが、信じられぬその光景に、声が喉元で止まってしまった。
見るも無残な夫の姿が、そこにあった。
腹に大きな穴が空いていた。
それはまるで、猛獣の類によって、肉を、身に着けている衣服ごとズタズタに喰い破られたような状態だった。
臓物やはらわたもほとんどが喰われており、流れ出して床に溜まった血の中に肉片が散らばっていた。
しかし、猛獣の類と言っても、都心のこの住宅地に、そんな獣が出没しているとは思えない。
もしそんなことがあれば大騒ぎとなってニュースになるだろうが、蘭の持つタブレットには、そのようなニュースは一切入ってこなかった。
ならば、いったい何なのか。
蘭には考えも及ばない。
いや、いまは、そんなことを考えている精神状態ではなかった。
その場に立ちつくしたまま、変わり果てた夫を見つめている。
開かれた夫の眼は光を失い、もうどこも見ていなかった。
悶絶の中で苦しみながら息絶えたのであろうか、その顔は、これ以上ないほどにゆがんでいた。
「どうして、こんな……」
あまりにも衝撃が強すぎて、何をどうしていいのかもわからず、蘭はその場に立ちつくしていた。
ふと、視界の端に何か動くものを捉えて、蘭は眼を向けた。
カーテンが揺れている。
窓が開いているのだ。
そこから、得体のしれぬ何ものかが侵入し、夫は襲われたに違いなかった。
と、そのときだった。
思わず、蘭は声をあげていた。
怯えながら、背後へゆっくりと首をねじる。
しかし、そこにはだれもいなかった。
赤いトレンチ・コートの女の姿も消えている。
女はどこへいったのか。
この近辺に住んでいる女だったのか。
それとも、先の十字路を左右どちらかに曲がったのか。
しかし、そのどちらとも言えない。
なぜなら、蘭が後方へとふり返っていたのは数十秒である。
女は、蘭が背後に戦慄を感じてふり返るまでは、前方3メートルほど先を歩いていたのだ。
この近辺の家に入ったのならば、玄関のドアの開閉の音が聴こえてくるだろうし、先の十字路を走って曲がろうとしても、わずか数秒で曲がり切れるものではない。
ならば、どこへ。
わからない。
女が、忽然(こつぜん)とそこから消えたとしか言いようがなかった。
そして、だれもいないはずなのに、ひやりと首筋に触れたあれは何だったのか。
(どういうことよ……)
蘭は恐くなって、小走りで自宅へ向かった。
自宅へ帰り着き、蘭はインターフォンを押さずに、指紋認証スキャンに右の手のひらを認識させてドアを開けた。
家の中は暗かった。
廊下にもリビングにも、灯りが点いていない。
(怒って、どこかへ出かけたのかな。それとも、先に寝ちゃった?)
廊下の灯りを点け靴を脱ぐと、蘭はリビングへ向かった。
リビングに入ると、暗がりの中にTVが点いており、ソファに夫の背があった。
「ただいま」
声をかけたが、夫は返事をしない。
やはり怒っているんだ。
そう思いながら、
「暗いところでTVを見てたら、眼を悪くするわよ」
灯りを点けた。
夫はふり返りもせずに、黙っている。
蘭は、夫のもとへ向かった。
「遅くなって、ごめんね。私だって、早く帰りたかったんだけど、残業させられちゃって」
そう話しかけながら夫の傍らに進み、そこで、蘭の足が竦(すく)むように止まった。
「!――」
夫を見つめる蘭の眼が、驚愕に見開かれていた。
「とし……」
利行、と夫の名を言おうとし、だが、信じられぬその光景に、声が喉元で止まってしまった。
見るも無残な夫の姿が、そこにあった。
腹に大きな穴が空いていた。
それはまるで、猛獣の類によって、肉を、身に着けている衣服ごとズタズタに喰い破られたような状態だった。
臓物やはらわたもほとんどが喰われており、流れ出して床に溜まった血の中に肉片が散らばっていた。
しかし、猛獣の類と言っても、都心のこの住宅地に、そんな獣が出没しているとは思えない。
もしそんなことがあれば大騒ぎとなってニュースになるだろうが、蘭の持つタブレットには、そのようなニュースは一切入ってこなかった。
ならば、いったい何なのか。
蘭には考えも及ばない。
いや、いまは、そんなことを考えている精神状態ではなかった。
その場に立ちつくしたまま、変わり果てた夫を見つめている。
開かれた夫の眼は光を失い、もうどこも見ていなかった。
悶絶の中で苦しみながら息絶えたのであろうか、その顔は、これ以上ないほどにゆがんでいた。
「どうして、こんな……」
あまりにも衝撃が強すぎて、何をどうしていいのかもわからず、蘭はその場に立ちつくしていた。
ふと、視界の端に何か動くものを捉えて、蘭は眼を向けた。
カーテンが揺れている。
窓が開いているのだ。
そこから、得体のしれぬ何ものかが侵入し、夫は襲われたに違いなかった。
と、そのときだった。
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