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チャプター【29】

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「獣化したふたりは、食欲旺盛でね。腹が減ると見境がないんだ。困ったものだよ」

 そう言った九鬼の言葉の一部を、蘭は意識の端で拾い、

「獣化したって、どういうこと?」

 訝るように訊いた。

「言葉どおりさ。やつらは、獣になってしまったんだよ」
「なんなのよ、それ。そんなこと、ありえないわ! 人が獣になるなんて。それにあなたも、『この肉体の名だ』とか言っていたけど、とても正気とは思えない……」

 蘭の言葉に、九鬼は瞼を閉じ、わずかにうつむいて眉根をよせた。

「悲しいよ、蘭。俺のことを、そんなふうに言うとは……」

 そこで瞼を開けると、

「忘れてしまったのか、君は。なら、1000年前のことも憶えてないのか……」

 九鬼は悲しそうな眼で、蘭を見つめた。

「1000年前って、なにを言ってるのよ……」

 蘭には、まったく意味がわからなかった。

「そうか……。だが、すぐに思い出せるよ。俺の遺伝子を、その肉体で共有すればね」

 九鬼は蘭の腕を取り、自分へと引き寄せた。
 蘭の身体は、九鬼を背にする形となった。

「なにをする気!」

 蘭は、九鬼から離れようとするが、うしろから羽交い絞めにされて身動きが取れなかった。

「心配するな。なにも恐れることはない。初めは苦痛もあるだろうが、それも一瞬のことだ。そして、すべてを思い出せる」

 九鬼は蘭の耳許で囁くと、口をゆっくりと開いた。
 その口から覗く犬歯が、牙のごとく長く伸びていた。
 九鬼は、開いた口を蘭の首のつけ根にあてると、長く伸びた犬歯をそのつけ根に突き刺した。

「うッ!」

 蘭は、痺れるような痛みを覚えた。
 その痺れはしだいに全身へと流れていき、身体の力が抜けていった。

「なにを、するの……」

 そう言葉を発するのがやっとだった。
 眼の前が暗くなり、蘭の意識は闇の中で落ちていった。
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