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チャプター【68】

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「ああ。思い出したくもない、2万年の記憶がな」

 九鬼の顔を睨んで、蘭が言った。

「そんなことを、おっしゃってはなりません。女王、パラサンドラ」

 九鬼が、そう言葉を返す。

「その名で私を呼ぶな。私は、天月蘭だ」
「たとえ、生まれ変わって天月蘭となろうとも、貴女様はまぎれもなくドラクの女王。貴女様の下(もと)、このゼノク、この星にてドラク復興のために死力を尽くします」
「フン。笑わせるな。おまえは、この私を亡き者とし、娘を女王にするつもりでいただろうが」
「それは、貴女様に万が一のことがあったときの――」
「黙れッ!」

 九鬼が言うのを、一喝するかのように蘭が制した。

「この期に及んで、よくもそんな戯言(たわごと)が言えるものだな。痴(し)れ者が。甦った2万年の記憶の中で、私がもっとも思い出したくなかった記憶がなんだかわかるか」
「いえ。いったいなんでしょうか」
「おまえだよ。おまえは、その口の上手さによって女王の私に近づき、側近となった。それどころか、この私を手玉に取り、関係を持つにまで至った。できることなら、おまえの記憶をすべて消し去りたいところだよ」
「なにをおっしゃるのですか、女王陛下。わたしが貴女様を手玉に取るなどと、決してそのようなことはありません。わたしは、心から貴女様をお慕いしたのです。それを、貴女様は……、わたしの記憶をすべて消し去りたいとは、悲しすぎます……」

 九鬼――ゼノクは眉根をよせ、悲しい眼をした。

「もう、やめろ。その物言い、癇(しゃく)に障(さわ)る。聞いているだけで虫唾が走る」
「そう、ですか。わたしは、それほどまでに嫌われてしまったのですね……」

 ゼノクは眼を伏せ、数瞬の間を置いて、その眼を上げた。

「なら、しかたがないな、天月蘭。君を女王として立てているうちに俺の言うことを聞いていれば、君の命も少しは長らえたものを。セラノが死に、新しい女王の教育係を母親である君に任せようと思ったが、やめた。君は、この場で殺すことにしたよ」

 蘭を見つめるその眼が、光を帯びた。
 蘭と同じ金碧色である。

「ようやく、本性を見せたか。ゼノク。そのほうが、芝居がかったおまえよりは、よほどマシだ」

 蘭もまた、金碧色の眼でゼノクを見つめた。

「なんとでも言えばいい。しかし、あのセラノを斃(たお)すとは、君はそれほどの特異能力(ちから)を得たというわけだな。だが、所詮はその特異能力、この俺の遺伝子によって得たもの。この俺に通用するとは思えない。殺すのは惜しいが、女王はふたりもいらないんでな、死んでもらうよ」

 皮肉は笑みを浮かべて、ゼノクは言った。

「ゼノク。おまえは思い違いをしているようだな。おまえは、私がおまえのコピーだと思っているのだろうが、そうじゃない。コピーはおまえのほうだ。おまえの遺伝子は、素(もと)はこの私の遺伝子。その遺伝子から、おまえは発生したんだよ」

 蘭のその言葉に、ゼノクの顔が険しいものへと変わった。

「だからなんだ。たとえそうだとしても、いまの君は女王の生まれ変わりにすぎない。女王の記憶が甦ったとはいえ、なんの特異能力もない、猿から進化しただけの人間なんだよ。君は、俺の遺伝子によって真人(ホモ・ノヴァ)となった存在でしかないんだ」
「そうか。馬鹿につける薬はないということだな、ゼノクよ」

 蘭は言うと、菜々を胸から離し、

「菜々。いいかい。ここにいては危険だ。だから――」
「わかってるよ、ママ」

 菜々が、蘭の言うのを制し、

「私は、ママの邪魔をしないように、あの部屋にかくれていればいいんだよね」

 蘭の背後にあるドアを指差した。
 そこは寝室のようだった。

「いい子だ。菜々は賢いね」

 蘭は菜々の頭をなでた。

「だって、ママの子だもん」

 そう言うと、菜々は蘭の耳元へ唇を近づけ、

「あの人、悪い人なんでしょ。早くやっつけちゃってね。ママ」

 囁くように言った。

「わかった」

 蘭は立ち上がった。
 菜々は駆けだすようにして、ドアへと向かっていった。
 その菜々が寝室の中に入っていくのを見届けて、蘭はゼノクへと向き直った。

「いい判断だ。新しき女王に、怪我でもされたら困るからな」

 ゼノクが言った。

「黙れ。おまえの思いどおりに、なると思うな」

 蘭とゼノクが対峙した。
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