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チャプター【67】
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「菜々、お腹が空いただろう? 君が食べやすいように、ステーキをカットしてあげよう」
皿に載ったステーキに、九鬼はナイフを入れ、
「このステーキは、ランクA5の、佐賀産黒毛和牛なんだ。最高級のステーキということさ。だから、ほら、こっちへおいで」
その皿を、菜々が坐るはずの席にもどした。
菜々はリビングのソファに坐り、九鬼が言うことに首をふった。
「そんなに、意地を張るものじゃないよ」
その言葉にも、黙って菜々は首をふる。
「まったく、困った娘(こ)だな」
九鬼は、ため息をついた。
「いま食べなかったら、あとになってお腹が空いたと言っても、何も食べさせてあげないよ。それでもいいのかい?」
「いいよ。菜々は、ママがむかえに来るのを待ってる」
菜々は、頑なに拒んだ。
「まいったな。江美子のやつ、いつまで時間をかけるつもりだ……」
独り言のように九鬼は呟くと席を立ち、菜々のもとへいくと、
「さっきも言ったじゃないか。ママは迎えには来ないんだよ」
菜々の隣に腰を下ろして、そう言った。
「そんなことない。ママはずっと、菜々といっしょにいてくれるってやくそくしたもん。指切りげんまんしたんだもん。ママは、やくそくをやぶったりしない」
菜々は九鬼に顔を向けず、正面を見据えて唇を固く結んだ。
「ママを信じる気持ちはわかるよ。でもね、菜々。ママはもう、死んでしまっているよ」
その言葉に、
「ママは、死んだりなんかしない!」
菜々は九鬼を睨みつけた。
「恐いな、菜々。大人をそんな恐い顔で睨むものじゃないよ」
九鬼がそう言ったときだった。
背後で、入り口のドアが開く音がし、何者かが入ってくる気配がした。
「遅かったじゃないか、江美子」
九鬼はふり向かずに言った。
「残念だったな。木戸江美子なら、下で斃(たお)れているよ」
蘭が言った。
「蘭――」
九鬼は、はっとした顔になり、だが、それでも、ふり返りはしなかった。
「ママー!」
菜々は、跳ねるように立ち上がると、蘭のもとへ駆け出していった。
「菜々ッ!」
駆け寄ってきた菜々を、蘭は屈みこんで抱きしめた。
「無事でよかった」
ひとしきり抱き締めると、
「どこか、怪我はしていないか」
菜々を胸から離し、蘭は訊いた。
菜々は、首を横にふった。
「恐い思いはしなかったか」
つづけて蘭がそう訊くと、
「ううん。ただね、あの人、変なことを言うの。菜々は、女王様になるんだって。そしてね、ママがもう死んでしまっているって、そんなことを言うの。だから私は、ママは死んだりなんかしないって言ってやった。ママはきっとおむかえに来る。ママはきっとおむかえに来る、って胸の中で考えて、泣きそうになったけどがまんして、そうしたらほんとうに、ママがおむかえに来たの」
菜々の眼から、それまで耐えていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
「そうだったの。偉かったよ、菜々」
蘭は、こくりとうなずいた菜々の頭をやさしくなでた。
すると菜々は、顔をくしゃくしゃにして、堰(せき)を切ったように泣き出した。
『ママはもう、死んでしまっているよ』
そう言った九鬼の言葉を信じないまでも、もしかしたらという想いがなかったわけではないだろう。
母親を失うという想いは、恐怖となって小さな胸の中に渦巻いていたに違いない。
それを必死に耐えていたのだ。
肉体的には6歳という年齢に達してはいるが、実際は3歳なのである。
無理もないことであった。
蘭は、胸を締めつけられるような痛みを覚えて、菜々をもう一度抱きしめた。
と、
「そうか。江美子は死んだか……」
そう言う、九鬼の声が聴こえた。
蘭は菜々を抱きしめながら、
「ああ。脳漿(のうしょう)を撒き散らしてな」
ソファに坐る、九鬼の背に言った。
むろん、それは嘘である。
蘭は、木戸江美子――セラノを眠らせただけだった。
だが、九鬼には、セラノが死んだと思わせておきたかった。
「そして今度は、おまえが脳漿を撒き散らす番だ、九鬼。いや、ゼノクと呼んだほうがいいか」
蘭のその言葉に、九鬼はわずかに沈黙し、そして、
「記憶がもどっていたのですね。女王陛下」
すっと立ち上がり、うしろをふり返った。
その顔には、作り笑いとしか思えない笑みが浮かんでいた。
皿に載ったステーキに、九鬼はナイフを入れ、
「このステーキは、ランクA5の、佐賀産黒毛和牛なんだ。最高級のステーキということさ。だから、ほら、こっちへおいで」
その皿を、菜々が坐るはずの席にもどした。
菜々はリビングのソファに坐り、九鬼が言うことに首をふった。
「そんなに、意地を張るものじゃないよ」
その言葉にも、黙って菜々は首をふる。
「まったく、困った娘(こ)だな」
九鬼は、ため息をついた。
「いま食べなかったら、あとになってお腹が空いたと言っても、何も食べさせてあげないよ。それでもいいのかい?」
「いいよ。菜々は、ママがむかえに来るのを待ってる」
菜々は、頑なに拒んだ。
「まいったな。江美子のやつ、いつまで時間をかけるつもりだ……」
独り言のように九鬼は呟くと席を立ち、菜々のもとへいくと、
「さっきも言ったじゃないか。ママは迎えには来ないんだよ」
菜々の隣に腰を下ろして、そう言った。
「そんなことない。ママはずっと、菜々といっしょにいてくれるってやくそくしたもん。指切りげんまんしたんだもん。ママは、やくそくをやぶったりしない」
菜々は九鬼に顔を向けず、正面を見据えて唇を固く結んだ。
「ママを信じる気持ちはわかるよ。でもね、菜々。ママはもう、死んでしまっているよ」
その言葉に、
「ママは、死んだりなんかしない!」
菜々は九鬼を睨みつけた。
「恐いな、菜々。大人をそんな恐い顔で睨むものじゃないよ」
九鬼がそう言ったときだった。
背後で、入り口のドアが開く音がし、何者かが入ってくる気配がした。
「遅かったじゃないか、江美子」
九鬼はふり向かずに言った。
「残念だったな。木戸江美子なら、下で斃(たお)れているよ」
蘭が言った。
「蘭――」
九鬼は、はっとした顔になり、だが、それでも、ふり返りはしなかった。
「ママー!」
菜々は、跳ねるように立ち上がると、蘭のもとへ駆け出していった。
「菜々ッ!」
駆け寄ってきた菜々を、蘭は屈みこんで抱きしめた。
「無事でよかった」
ひとしきり抱き締めると、
「どこか、怪我はしていないか」
菜々を胸から離し、蘭は訊いた。
菜々は、首を横にふった。
「恐い思いはしなかったか」
つづけて蘭がそう訊くと、
「ううん。ただね、あの人、変なことを言うの。菜々は、女王様になるんだって。そしてね、ママがもう死んでしまっているって、そんなことを言うの。だから私は、ママは死んだりなんかしないって言ってやった。ママはきっとおむかえに来る。ママはきっとおむかえに来る、って胸の中で考えて、泣きそうになったけどがまんして、そうしたらほんとうに、ママがおむかえに来たの」
菜々の眼から、それまで耐えていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
「そうだったの。偉かったよ、菜々」
蘭は、こくりとうなずいた菜々の頭をやさしくなでた。
すると菜々は、顔をくしゃくしゃにして、堰(せき)を切ったように泣き出した。
『ママはもう、死んでしまっているよ』
そう言った九鬼の言葉を信じないまでも、もしかしたらという想いがなかったわけではないだろう。
母親を失うという想いは、恐怖となって小さな胸の中に渦巻いていたに違いない。
それを必死に耐えていたのだ。
肉体的には6歳という年齢に達してはいるが、実際は3歳なのである。
無理もないことであった。
蘭は、胸を締めつけられるような痛みを覚えて、菜々をもう一度抱きしめた。
と、
「そうか。江美子は死んだか……」
そう言う、九鬼の声が聴こえた。
蘭は菜々を抱きしめながら、
「ああ。脳漿(のうしょう)を撒き散らしてな」
ソファに坐る、九鬼の背に言った。
むろん、それは嘘である。
蘭は、木戸江美子――セラノを眠らせただけだった。
だが、九鬼には、セラノが死んだと思わせておきたかった。
「そして今度は、おまえが脳漿を撒き散らす番だ、九鬼。いや、ゼノクと呼んだほうがいいか」
蘭のその言葉に、九鬼はわずかに沈黙し、そして、
「記憶がもどっていたのですね。女王陛下」
すっと立ち上がり、うしろをふり返った。
その顔には、作り笑いとしか思えない笑みが浮かんでいた。
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