上 下
66 / 71

チャプター【66】

しおりを挟む
「あなたのその口の利きかた、イラつくわ」

 木戸江美子が言った。
 その声が聴こえた直後、蘭の右頬に衝撃がきた。
 つづいて左頬。
 さらに鼻頭、胸。
 そして腹。
 木戸江美子の攻撃は、肉眼では捉えることができない。

「ぐふッ!」

 蘭は身体を折って腹を押さえ、片膝をついた。
 鼻から血が流れ出している。

「いかがかしら。どこから攻撃が仕掛けられてくるのかわからないのって、ゾクゾクしない? そう言えば、そんな子供騙しはこの私に通用しないなんて言っていたけれど、それって水野のレベルよね。私の瞬動が、水野のレベルと同じだと思ったら大間違いよ」
「――――」

 蘭がゆらりと立ち上がる。
 そこへ次の攻撃がくる。
 顔をガードすれば腹へ攻撃が仕掛けられ、体制を前屈みにすれば、下からアッパーがくる。
 どこをどうカバーしようと、眼に見えぬ攻撃は、がら空きとなった箇所へと仕掛けられてくるのだった。

「がはッ!」

 蘭は血を吐いた。

「ほらほら、休んでいる暇なんてないのよ。さあ、もっと踊りなさい」

 右から、左から、前から、後方から。そして上から下からと、そのくり出される攻撃のスピードが増していく。
 その攻撃は、どこからくるのか予測がつかない。セリアンと化した水野の瞬動は、攻撃を仕掛けてくるときに、かすかな気の動きを察知することができたが、木戸江美子の攻撃は完全に気配を絶っていた。

「踊るのよ。踊るのよ。踊るのよ。ハハハハ」

 木戸江美子の歓喜の声が響きわたった。
 蘭の膝が折れ、身体が傾いで倒れそうになる。
 だが、次にくる攻撃がそれを許さない。
 右に傾げれば左から打たれ、左に傾げれば右に打たれた。
 蘭は為すすべもなく、攻撃を受けつづけた。
 それはまるで、永遠につづく死の演舞を踊っているかのようだった。
 どれほどの時間が経ったのか。
 蘭は、薄汚れ、糸の切れたマリオネットのように、だらりと首をうなだれていた。意識さえ、もう失っているのかもしれない。
 と、ふいに、眼に見えぬ攻撃が止まった。
 蘭は、前のめりに倒れた。

「呆気なかったわね、女王陛下」

 その声とともに木戸江美子が姿を現し、倒れ伏した蘭に近づいていくと、蘭の傍らに立ち、左手で髪を鷲づかみにして立ち上がらせた。

「2万年も女王でありつづけたというのに、あげくの果てがそのざまよ。でも、あなたにお似合いの末路だわ」

 木戸江美子は、蘭の顔を覗きこんだ。

「――――」

 蘭は荒い息を吐いている。

「あら、虫の息と言ったところね。だったら、そろそろあなたの首をいただこうかしら」

 言うと、木戸江美子の右手が光を帯びた。

「女王陛下。長いつき合いだったけれど、これでさよならよ」

 左手で蘭の髪を掴んだまま、右腕を、すっと上げた。
 そのとき、

「セラノ……」

 蘭が口許でぼそりと言った。

「!――」

 木戸江美子の手が止まった。

「あなた、いま、私の名を……」
「ああ、そうさ。セラノ、おまえに感謝するよ。お蔭で、記憶のすべてを思い出した。だが――」

 蘭はそこで言葉を詰め、そのとたん、木戸江美子が眼を見開き、ふらふらと後方へと下がっていった。

「うぐ、く……」

 苦痛を耐えるように眉根をよせ、胸を片手で押さえている。
 その押さえた手の指のあいだから、血が溢れ出していた。
 顔をゆがめながら、木戸江美子は蘭を見つめた。
 蘭は、右手を胸の高さに上げている。
 手のひらの上には、丸い肉塊が載っていた。
 その肉塊は、トク、トク、と動いている。
 それは、木戸江美子の心臓であった。

「女王の私に手を下そうとした罪、償ってもらう」

 言うと、蘭は手のひらにある心臓を握り潰した。

「ぐッ!……」

 木戸江美子は、またも眼を見開き、ふらりと横倒しに倒れこんだ。
 その倒れた木戸江美子へと蘭は近づいていき、膝を折って屈みこむと、彼女の頭部に手をあてた。
 そうしながら瞼を閉じた。
 しばらくして瞼を開くと蘭は立ち上がった。

「ありがとう。菜々の居場所がわかったよ」

 木戸江美子の脳裡を探ったようだった。
 蘭は、冷めた眼で木戸江美子を見下ろし、左太腿のホルスターから銃を抜いた。

「セラノ。脳を撃ち抜けば、おまえは確実に死ぬ。でも安心しな。私はおまえを殺すつもりない。夫の仇(かたき)は取ったからね。ただ、その肉体を出て、他の人間に寄生されたら困る。だから、麻酔入りのB抗血清弾を撃っておく」

 銃口を木戸江美子の頭部へと向けると、蘭はトリガーを絞った。
 放たれた銃弾は、木戸江美子の頭部を捉えた。
 銃をホルスターに収めると、蘭はエレベーターに向かった。
しおりを挟む

処理中です...