【完結】Switchなんて聞いてない──氷のエリート様が年下の溺愛Domに溶かされるまで──

牛丸 ちよ

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墜落

3 Dom【1】

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 薄く目を開けると、世界がまぶしく滲んでいた。
 どうやら泣きながら眠っていたらしい。
 心地よい夢を見ていたような気がする。
 いまも守られているような安心感があった。このまま寝ていたい……。

「えっ」

 自分が枕にしているものを手で探ってやっと、それが人間の膝だと気付いて目を見開いた。
 知らない男が俺の顔を覗き込んでいる。

「目が覚めたんですね。良かった。足が痺れてきてたんです」

「うわあぁああっ!?」

 慌てて飛び起きてベッドから滑り落ち、カーペットに背中をぶつけた。

「大丈夫ですか!?」

 男が驚いた様子で立ち上がる。背が高い。白衣のよく似合う若い男だった。

「ここはっ? お、おまえは」

 周囲を見回すと、どこかの診療室のようだった。俺は診察用ベッドで膝枕をされていたのか。

「すみません、驚いてますよね。あなたが交差点で倒れたのを見かけて、僕の診療所がすぐそばだったので運んだんです。Sub dropのように見えたので……このほうが早いと思って」

 尻餅をつく俺の前で男は片膝をつき、柔らかく微笑んだ。
 改めて見ると、ずいぶん整った顔だ。

 そっと肩をさすられる。

「おはようございます。《よく眠れましたね》」

「…………!」

 緊張がほぐれるような、暖かな感覚が湧き上がった。
 これはRewardだ──医者のDomか。
 嫌な心地はしなかったが、自己管理のできないSub扱いされるのはしゃくだ。ふいとそっぽを向く。

「会社に戻らないと」

 ただでさえ立場が不安定ないま、一刻も早く成績を上げて挽回する必要がある。
 こんなところで油を売っている場合ではない。

 具合が良くなってしまえば、会社から逃げ出した自分がただ愚かに思えた。
 立ち上がってスーツの埃をはらう。

 廊下に繋がる扉に手をかけると、背後から声をかけられた。

「充分なCareを受けていないでしょう? 抑制剤で衝動を管理しても、Careを受けなくていいわけではないんですよ。そんな状態で働くなんて」

「主治医でもないくせに口出しするのか?」

「……それはその通りですね。失礼しました」

 彼は自然な動作で机の受話器を手に取った。
 どこかへ電話をかけると、すぐに繋がった様子で話し始める。

「こんにちは、末善すえよし先生」

「……末善?」

 俺に潜在性Switchの診断を下した主治医と同じ名前だ。

「ご無沙汰しています。杜上とがみです。先生のところの患者さん、一名うちで診てもかまいませんか? 僕、先生の下でわがまま言わなかったでしょう? かわいい後輩のお願い、一回くらいは聞いてもらえますよね。ええ、詳しくはまた」

 受話器が定位置に戻され、通話が終わった。

 にこり。毒気のない笑みを向けられて困惑する。
 こういうマイペースそうな男は苦手だ。調子を狂わされる。

 案の定、続いた言葉で混乱させられた。

「じゃ、僕が主治医なので、ドクターストップです。それが嫌ならCareを受けてください」

「は……? はあぁぁあっ?」

 何が起きたのかぜんぜん理解できなかった。
 なぜこいつは俺の主治医を知っている? そしてなぜ、俺の主治医になりたがるんだ。

「説明してませんでしたっけ? 搬送の際に財布の住民IDカードを確認させていただいてます。照会すると、通院歴もわかるでしょう」

「勝手に財布の中を見たのか」

「仕方なくですよ、財前さん。あ、僕は杜上 千裕ちひろといいます。ここ《とがみクリニック》の院長をしています。どうぞよろしく」

 握手を求められ、無視した。

「助けてくれたことには感謝するが、これっきりで結構だ。受付に行けば会計して帰れるよな?」

「はい、ロビーは部屋を出て右です。その前に、もう少しお話ししましょう」

「なぜ」

「あなたがまだSub dropから抜け切ってないからですよ。顔色が悪い」

「この顔色の悪さはな、グイグイくる初対面の医者が怖いからだ」

「それは申し訳ない。早速ですがCommandを使っても? いや、先にセーフワードを決めるほうがいいかな」

「話聞いてるか?」

「聞いてますよ。嫌になったら【Red】と言ってくださいね。レッドカードのレッド。これが僕たちのセーフワードです。では」

 杜上と名乗った医者は先ほどのようにベッドへ腰掛け、すぐ横にキャスター付きの丸椅子を引き寄せた。
 そこをポンと叩いて俺の視線を導く。

「おい──」


「《Comeおいで》」


 ぞわ、と肌が鳥肌立つ。
 本能が従おうとするのを理性で押さえつけたからだ。

 嫌だ。他人のCommandになんて従いたくない。

「……Careを拒絶し続けても心を壊すだけです。僕に従う必要はありません。利用すると思えばいい」

「利用……する?」

「DomとSub、両者の欲求を満たす方法を《Playしつけ》と呼びますが、なにもSubを躾けることがすべてではありません。SubがDomを躾ける……尽くさせるのも珍しいことじゃないんですよ」

「何が言いたい」

Domぼくはあなたをお世話したくてたまらない。Careさせてほしいんです。──《Comeどうか》」

 俺は……彼が示す椅子のところまで歩いて
 座ると、安っぽい丸椅子はぎしりと軋む。

 杜上はホッとしたように表情を明るくしている。
 警戒心の強い野良猫が逃げなかったときのようなリアクションだ。

「《Good──ありがとうございます》」

 嫌味なくRewardが俺の中へ入ってくる。
 こんな下手したてに出るDomは見たことがない。
 Care従事者はこういうものなのだろうか。
 気色悪いくらいだが、プライドとどうしても折り合いをつけられない俺にとって、ほんの少しだけ許しても良いと思わせるものがあった。

 なぜか向き合ったまま肩を揉まれた。

「うん、肩凝ってますね」

「……それだけか?」

「肩こりをほぐすのは大事ですよ」

「そうじゃなくて」

 なんだか拍子抜けな展開だったが、おかげで身構えていたものがほどけていく。

 やがて、両肩を揉むしぐさが止まった。
 左右に手を置かれたまま、視線が交わる。
 じっと見つめられ、気まずくなって目が泳いだ。

「財前さん、《Look》──僕を見て」

 ふいに命じられ、とっさに従ってしまう。

「《Stayそのまま》」

「あ」

 ばちりと目が合ったまま、釘付けになってしまう。
 その瞳には、結局言いなりになっている間抜けな自分が反射していた。

 五秒、十秒、十五秒……まだ続けるのか。
 同性の顔を至近距離で眺める趣味なんてない。顔を逸らしてしまえばいいのに、どうして俺はまだ律儀にその目を覗き込んでる。
 ……彼にまた、褒められたいから。

「《僕に話したいことはありますか?》」

 杜上のCommandことばがわかる。いまのは《Speak》だ。

「……ない」

 俺の中ではいまいましい欲求がくすぶりはじめている。CommandでSub性が刺激されているせいだ。
 そのままを打ち明けることはできなかったが、無視しなかっただけで彼は褒めてくれた。

「《答えてくれてありがとう》。どうぞ楽にしてください」

 そう良いながら、彼は両手を広げている。
 なんだ、そのしぐさは。
 ……俺の身体は、俺よりも彼の意図をよく汲んでいた。

「……? ……!?」

「ふふ、《Good》ですよ」

 身体が勝手に動き、彼の腕の中へ身を寄せて頭を撫でられていた。
 《お世話されたい本能》がこういうことだっていうのか? 冗談だろ?

「こんなにCommandを聞いてもらえるなんて、嬉しいです。《ありがとう》、財前さん」

「っ……」

 《Good》の重ねがけがじんわりと染みてくる。
 気のせいだと思い込もうとしていたが……こいつの要求に従い、礼を言われると、嬉しい。
 ただ嬉しいわけではない。たまらなく嬉しい。

 Commandを武器として使う人間しか知らない俺にとって、杜上は異質だ。
 わからない。何を考えているのか──。

 いつの間にか俺は、とろんと表情を緩めて撫でられるがままになっていた。
 次の命令を待って、耳を澄ませている。

「《僕の名前を呼んでください》」

「杜上……千裕」

「《よくできましたね》」

 頬を撫でられると、その心地良さに変な声が出た。
 なんだこれ。こんなの初めてだ。Domに従うのが初めてだからそりゃそうなのだが。

「……ん?」

 下肢に違和感がある。
 こっそりと視線をやると、スラックスの中心が膨らんでいて、自分が勃起していることを自覚する。
 サァッと顔が青ざめた。

 俺の様子に杜上はすぐに気付き、「ああ」となんでもないことのように言う。

「気にしなくていいですよ。慣れない人が耳かきで勃っちゃうのと同じです」

 そんな馬鹿な。
 Playもピンキリなことくらい知っているが、俺はただ椅子に座ったり名前を呼んだりしただけだぞ。
 こんな。こんな……。
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